綾瀬千冬の白い髪

妖怪図鑑の作成

 月が変わって、暑さもだいぶ和らいできたある日の放課後。

 いつものように郷土研の部室にやってくると、そこには既に岡留くんがいて。机に向かって、何やらペンを走らせていた。


「岡留くん、何を書いているんですか?」


 てっきり壁新聞かなって思ったけど、よく見たら紙のサイズが違っていて、A4用紙くらいの大きさ。

 だけど岡留くんはよほど集中しているのか、返事はない。


「岡留くん、岡留くーん、岡留く―――んっ!」

「ん? ああ、綾瀬。来てたんだな」


 顔を上げて、振り向いてくる。

 私はそんな彼の書いている紙に目を向けたけど、これは……何かのイラスト?


「それは何ですか? 壁新聞とは違いますよね?」

「ああ、今度の文化祭で、来場者に配る冊子だよ」

「冊子? そんな物があったんですか? ごめんなさい、全然知りませんでした」


 壁新聞は知っていたけど、冊子の話は初耳。だったら、私も手伝わないと。


「気にしなくていいよ。これは郷土研の活動と言うより、俺や部長の趣味で作ってる、妖怪図鑑だから」

「妖怪図鑑……ですか?」


 妖について書かれた本は、本屋や図書館に行けばいくらかあるけど、ああいうのを個人で作ってるってことかな?


「色んな妖の説明や絵を書いた、解説本を作ろうと思ってな。けどこれは、いくらなんでも趣味に走りすぎだから。綾瀬は、手伝わなくてもいいよ」

「そ、そうですか……」


 気遣うように言ってくれたけど。でもそれって、ちょっと寂しい。

 別に趣味でも、言ってくれれば手伝いくらいするのに。


「白塚先輩は、一緒に作るんですか?」

「まあ、元々の発案はあの人だから」


 そりゃそうだよね。一人で作るのは、大変だろうし。

 だけどそれだと何だか、私だけが仲間外れみたいで。別に意地悪をされてるんじゃないってわかってはいるけど、私も同じ郷土研の一員なのにって、つい思ってしまう。


(頼ってくれたら、私だって何かできるかもしれないのに)


 するとそんな気持ちが顔に出ていたのか、岡留くんが覗き込んでくる。


「どうかしたのか?」

「いえ、何でもありません。それより、どんな物を書いているか、見ても良いですか?」


 これくらいは、しても良いよね。

 幸いすんなりと承諾してくれて、書き終えていた分の用紙を手渡してくる。


「説明文はもうあらかた書き終わってて、今は絵を描いてるんだ。あんまり上手くないけど」

「そんなことないですよ。よく描けて……いま……すよ?」


 最後が疑問系になってしまった。

 だけどゴメン。渡されたそれを見たら、どうしても素直に、よく描けてるって言えなかったの。


 描かれていたのは、ふにゃふにゃとした長い物体に、顔らしき物がある何か。

 こ、これはいったい何でしょう? 妖の絵のはずだけど……。


「あ、分かりました。一反木綿ですね!」


 古くなった布に魂が宿った憑喪神の一種、一反木綿。そうだと強く念じながら見たら、見えないこともない……かも?

 だけど岡留くんはとても言いにくそうに、声を絞り出す。


「……いや、実はそれ、ツチノコなんだ」

「えっ!?」


 ツチノコと言うのは、太い胴体をした幻のヘビ。確かに、これはツチノコだーって強く念じれば、見えないことも……いや、無理!

 ごめんなさい。どうしてもこれを、ツチノコとは認識できません!


「ええと……手足の無い所が、よく描けていますね」

「素直にヘタって言ってくれていいから。絵は苦手なんだよ……」


 ああ、そんなそっぽを向かないで。

 気を取り直して、別の用紙を手に取る。


「だ、大丈夫です。今回はたまたま分かりにくかっただけですって。次はちゃんと当てますから」

「俺の絵は、当たるか当たらないかのクイズレベルなんだな」

「と、とにかく次です! あ、これは分かります。上手じゃないですか、この"ぬっぺほふ"」


 ぶよぶよとしたお肉の固まりに、手足が生えたような姿。これは『ぬっぺほふ』に間違いない。

 かなり独特な姿をした妖で、私も実物は見た事はないけど。なんだ、上手く描けてるじゃないですか。


「……違う」

「えっ?」

「ぬっぺほふじゃないんだ。雪女を、描いたつもりだったんだ」

「……はい?」


 雪女……雪女…………雪女!?


 慌ててもう一度ぬっぺほふ……いや、雪女だと言うその絵を見る。

 だけどいくらガン見しても、ゴシゴシと目を擦っても、それが雪女にはどうしても見えない。


 そしてこれが雪女となると、恐ろしい考えが浮かんでくる。

 ひょ、ひょっとしたら岡留くんには雪女が、と言うか私が、こんなお肉の塊みたいに見えてるって事なのかも。けどそんなの嫌、嫌すぎる! 

 もしそうだとしたら、恥ずかしすぎてもう表を歩く事もできないよ。何だかぬっへほふさんにとっても失礼な気もするけど、それくらいショックだった。


「お、岡留くんの中では、雪女はこんなイメージなのでしょうか? お肉に手足が生えたような」

「違う! 単に絵が下手なだけだから! 俺だって本当は、もっと上手く描きたいさ……」


 珍しく声を張り上げたと思ったら、最後はしょんぼりと頭を垂れる。

 とりあえず彼の中にある雪女のイメージが、絵とリンクしていない事にはホッとしたけど、お互いに心に傷を負ってしまった。


「あの、これって白塚先輩も一緒に作っているんですよね。絵は先輩に任せるわけにはいかないんですか?」

「それができたらどれだけ良いか。こんな絵しか描けない俺の方が、まだマシだからな」


 それって、先輩は岡留くんよりも絵がヘタ……いや、考えるのは止めておこう。


「やっぱり、絵を載せるのは無しにした方がいいかもな。下手をしたら見てくれた人に、間違った妖のイメージを持たれかねない」


 ガックリと肩を落とす岡留くん。だけど、そんな諦めたような彼の態度が不満だった。

 諦めるのは速すぎますよ。だいたい、どうして私には相談すらしてくれないんですか。よーし、こうなったら。


「岡留くん、さっき描こうとしていた妖は、何ですか?」

「送り犬だけど。夜道を後ろからついて来て、外敵から守ってくれるボディーガードのような妖なんだけど、知ってるか?」

「はい、分かります。ちょっと待っててください」


 私はカバンからルーズリーフを取り出すと、ペンを走らせた。

 絵は苦手じゃないんだよね。


 ペンをシャカシャカとを動かして、少しずつ送り犬を描いていく。

 岡留くんはその様子をじっと眺めるもんだから、ちょっと緊張したけど。幸い大きな失敗もなく、ほどなくして絵は完成した。


「送り犬、こんなんでどうでしょう?」

「上手いな。これって、載せてもいいのか?」

「はい。送り犬だけじゃありません。さっき言っていたツチノコも雪女も、私が描きますから」

「いや、だけど迷惑をかけるわけには……ん⁉」


 待ったをかける彼の口元に、すかさず指を持って行って言葉を遮った。

 ゴメンね。だけどこれだけは、私も譲りたくない。


「これくらいで迷惑だなんて、そこまで冷たくないですから。私だって部員なんですから、少しは頼って下さいよ。というか、仲間外れにしたバツです、ちゃんと手伝わさせてください」


 頬を膨らませて、プイっと拗ねたように言ってみせると、岡留くんは返事に困ったのか、口をもごもごさせて。やがて申し訳なさそうに言う。


「あー、ゴメン。それじゃあ、任せてもいいか?」

「はい、任されました。だけどこういう時は、『ゴメン』じゃなくて、『ありがとう』って言うんですよ」

「そう、だな。ありがとうな、綾瀬。けど仲間外れにしたバツで手伝わせるって、どういう事だよ」


 岡留くんはそう言って、おかしそうにクスクスと――


(わ、笑った!?)


 今までも軽く微笑んだ所は見たことがあるけど、こんなにもハッキリと、無邪気に笑ったのなんて見るのは初めて。

 こんな表情もできるんだ……。


「二人とも、いるかい?」


 見惚れていると、ガチャリとドアが開いて白塚先輩が姿を現した。


 せ、先輩⁉

 叫びそうになった声を、慌てて呑み込む。白塚先輩はそんな私の様子には気づかなかったようで。かわりに机の上にあった、岡留くんが描いた雪女の絵に目をやっている。


「お、これは雪女か」

「ええっ、白塚先輩、分かるんですか⁉」

「まあね。その様子だと岡留くんの凄すぎる画力に、驚かされたみたいだね」


 は、はい。失礼ながら。

 岡留くんは「部長には言われたくない」とか、「絵は綾瀬に任せる事にした」とか言って説明しているけど、さっきまであった笑顔は、すっかり消えてしまっている。ご、ごめんね。


「うむ、ようやく千冬ちゃんを頼る気になってくれたか。よろしく頼むよ。特に雪女は、岡留くんのお気に入りだからね」

「え?」

「おい、余計な事を言うな」


 慌てたように言う岡留くんだったけど、白塚先輩は止まらない。


「彼はね。昔から雪女の絵を描く度に、こんなんじゃない、実物はもっと綺麗だ、もっと可愛いって言ってるんだよ。結局絵は上達しなくて、この有様なんだけど」

「そ、そそそ、そうなんですか」


 綺麗だ、可愛い。別に私が言われたんじゃないって分かっているけど、それでもつい照れてしまう。

 岡留くんは恥ずかしそうにそっぽを向いて、「言うなって言ったのに」って可愛く拗ねちゃってるけど。そっかー、雪女の事を、そんな風に思ってくれてたのかー。

 ふ、ふふふ。それじゃあ私も可愛く描けるよう、頑張らなくちゃね。


 だけど先輩が、思い出したように言う。


「あ、そうそう。冊子作りもいいけど、例のコスプレの衣装が、届いたそうだよ」

「本当ですか?」

「今は写真部の部室にあるそうだけど、見に行くかい?」


 それはもちろん。岡留くんと顔を見合わせて、頷き合う。

 冊子作りも大事だけど、せっかく衣装が届いたなら、やっぱり見ておきたいもの。


「なら、作業は一時中断。綾瀬にはまた今度手伝ってもらうけど、いいか?」


 もちろん。元々私が、手伝いたいって言い出したんだし。


(しっかり描かないとね。ツチノコも送り犬も。それに、雪女も)


 雪女が褒められたことがやっぱり嬉しくて。片付けをしながらも、にやけそうになるのを堪えるのに苦労するのだった。

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