逢瀬の始まり
あたしは雪女のお雪。普段は山の中でひっそりと暮らしているけど、たまに買い物や散歩をしに、麓の町まで降りていく事がある。
だけど三日も四日も連続で町まで行くのは珍しい。それなのにこうして連日のように山を降りているのは、あの勘違いバカ野郎、勝に学ランを返すためだ。
あたしは勝がどこに住んでいるのかも知らないから連絡の取りようもなく、仕方なく出会った川原まで毎日足を運んでいるのだけど。
あんにゃろめ、全然姿を現さないじゃないか。
今日もまた川原にやって来たけど、例によって勝の姿はなかった。
ふん、女を待たせるなんて、男のすることじゃないよ。こっちはアンタに会うために、服だって新調したっていうのにさ。
あたしは半袖の服しか持っていなかったけど、そんな格好で会いに行ったらまた何か言われるかもしれない。
しょうがないから顔馴染みの化け狸がやっている服屋で、生まれて初めて冬用の服を買ったんだけど、その時の化け狸ときたら。
『あらあらお雪ちゃん、男の子に会いに行くの? 任せておいて。うーんと可愛い服を、見繕ってあげるから♡』
絶対に何か勘違いしてて、いくら違うと言っても聞いてくれなかったっけ。
まあ、この腰の辺りがキュって締まった、『ふれあすかあと』というやつは確かに可愛いか。化け狸、案外やるじゃない。
予定外の出費になってしまったけれど、意外と良かったかも。さすがにあたしも、ももひきを履いて会いに行こうとは思わないしね。
……アイツ、誉めてくれるかな?
「おーい、お雪ー!」
不意に大きな声が、耳に突き刺さった。
見れば土手の上には坊主頭の男子が一人。勝だ。
彼は手を降りながら、笑顔でこちらに駆け寄ってくる。
「久しぶりだな。遠くからでも、すぐにお雪だってわかったよ。その頭、目立つからなあ」
何が面白いのか、白い息を切らせながら、嬉しそうに笑う勝。
だけどそんな彼の言葉に、あたしは顔をしかめた。
「それは何? アンタもあたしの髪が、みっともないって言いたいの?」
人間の基準だと、年齢にそぐわない真っ白すぎる髪。
この髪のことを言われるのはもう慣れているはずなのに、何故かコイツに言われるのは癪にさわった。だけど。
「違う違う。綺麗な髪だし、遠くからでもわかるし。俺は好きだぜ、お前の髪」
「えっ? あ、ありがとう」
予想外の返しに、怒りなんてすぐに引っ込んでしまう。
同時にトゲのある物言いをしてしまったことと、誉められた事が何だか恥ずかしくて、思わずそっぽを向いた。
って、そんな事よりも本題だ。
あたしは袋に入れて持ってきていた学ランを、勝に突き出した。
「はいこれ。言っておくけどさ、うちは服も買えないくらい貧乏ってわけじゃないから。あの日はたまたま、薄着をしたい気分だっただけなんだからね。なのにこんな物を押し付けて、失礼しちゃうよ」
「そうだったのか? すまん、それは悪かった。けど雪が降る日に半袖で外にいたら、誰だって驚くだろ」
「あたしにとっては、あれが普通なの。近所の人達だって、何も言わないわ」
近所の人達って言うか、近所の妖達、だけどね。あたしが雪女だって知っているから、驚いたりしないのだ。
だと言うのにコイツは。
「俺は今日の格好の方が、暖かそうで良いけどな。可愛いし」
「なっ!? 別にアンタの好みなんてどうでも良いわよ」
だいたいこの服、アンタに変に思われないようにわざわざ新調したんだから。
なのに人の気も知らないで、無神経に笑っちゃってさ。本当なら蹴りでも入れてやりたいところだ。
可愛いって言ってくれたから、チャラにしてあげるけど。
そんなことを思っていると、勝は返してもらった学ランを見ながら、ふと気づいたように言う。
「そういやお前、これを返すためにずっと待っててくれたのか? いったいどれくらい待った?」
「別に大したことないわよ。アンタが来なかったらそろそろ、ソイツをここに捨てて帰ろうかと思ってたけど」
「それって、メチャクチャ待ちくたびれてたって事じゃないのか? 遅くなって悪かった」
いや、学ランを捨てるって言われたんだから、ここは怒るところでしょうが。
それにそもそも、待ち合わせしていたわけでもないし。
だと言うのに勝は頭を下げてきて。かと思ったら今度は急に手を伸ばしてきて、無防備だったあたしの手を掴んできた。
「やっぱり、相当長い間待っててくれてたんだな。手がこんなに冷えてる」
「待ってないってば! 手が冷たいのは冷え性だからなの! 放せー」
「あ、そうだ。ちょっと待ってろ」
手を放してくれたかと思うと、今度はあたしに背を向けて、元来た土手の上へと駆けて行く。
一瞬何事かと思ったけど、よく見てみると土手の上には一軒の移動式の屋台があった。あれは、焼き芋屋さんか。
そのまま待っていると、彼は二個の焼き芋を手にして戻ってきた。
「寒いだろう。これでも食って暖まれ」
突き出された焼き芋を、思わず受け取ってしまったけど、熱いのは苦手なんだよね。
まあ、味自体は嫌いじゃないし、せっかくの好意。無下にするのも悪いかな。
小さく噛ってみると、口の中にほんのりとした甘さが広がっていく。あれ、意外と食べやすいかも。
やっぱり熱くはあるけど、結構悪くないじゃない。
少しずつ。一口一口ゆっくりと噛っていると、ふと隣から視線を感じて。見ると勝が、ニコニコしながらあたしを見ていた。
「何よ?」
「いや、旨そうに食べるなって思って」
「そう? 別に普通でしょ」
いったい何が面白いのか、彼はその後もチラチラこっちを見てきて、食べにくいったらありゃしない。
食べてる所を見られたくないっていう、女心を分かれっての。
とは言えあたしも、隠していたら何だか勝のことを意識しているみたいで癪だったから。途中から隠すのを止めて、もぐもぐと完食してやった。
さて、食べ終わったことだし、そろそろ帰ろう。
学ランも返した事だし、これでもうコイツとはおさらば。もう会うこともないんだよね。
だけど勝は、意外な事を言ってきた。
「なあ、これからもまた、こうして会えないか?」
「は? 何のために?」
「何のためって言うか、何となく。今日みたいに話をしたり、遊んだりしたら面白いかなって思ったんだけど、ダメか?」
「……別に良いけど」
いちおう返事をしたけど、すぐに『どうして?』って疑問が沸いてくる。
誘ってきた勝に対してじゃない。「良い」って答えた自分にだ。
普段のあたしなら、面倒くさいって言って突っぱねるのに、なんで良いなんて答えちゃったかな。
しかも勝ってば、嬉しそうな顔しちゃってさ。まるで尻尾を振っている犬みたい。
「それじゃああたし、明日もこの時間にここに来るから、遅れないでよね」
「ああ、分かった。へへ、楽しみだなあ」
何が楽しみなのかは知らないけど、この時の勝は本当に幸せそうで。あたし達はそれから、何度も会うようになっていくのだった。
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