秘密を打ち明けて

 勝と知り合ってからというもの、何だか調子を狂わせてばかりだ。


 約束した時に、会いに行くだけならまだいい。けど何度も会っているうちに、約束が無くても川原に足が向くことが多くなっていった。

 そして学校が終わる時間になると勝がやって来て、一緒に過ごす。いつの間にかそれが、当たり前になっていってた。


 とはいえ大抵は、何をするわけでもなくただ喋るだけだったんだけどね。

 後はせいぜい、喫茶店でお茶を飲むくらい。


 けど、今日はいつもと違っていた。

 あたしがやって来ていたのは、一軒の平屋建ての家の前。そして家の表札には、『綾瀬』の文字が書かれている。

 そう、ここは勝の家だ。


(まったく。どうしてあたしがアイツのお見舞いになんか来なくちゃいけないのさ?)


 家の前で仁王立ちをしながら、心の中で悪態をつく。

 事の始まりは三十分ほど前。いつものように木枯らしの吹く川原で勝の事を待っていたのだけど、アイツは来なくて。

 かわりに、勝の同級生だと言う男子達がやって来たのだ。


 彼らいわく、何でも勝は風邪を引いたそうで、家で寝込んでいるのだという。

 それだけだったらあたしも今日は帰れば良いだけの話なんだけど。彼らが言うには間の悪いことに、勝の両親はちょうど家を空けていて、明後日まで帰らないのだそうだ。


 で、そいつらからお見舞いに行ってくれないかって言われて、家の場所を聞いてやって来たわけだけど。よく考えたらあいつら、友達なんだから自分達が行けばよかったんじゃないか。

 なのにニヤニヤしながら、よろしく頼むだなんて言って人に押し付けて。


 まあ乗り掛かった船だし、もう家まで来ちゃったわけだし。仕方ないけど、見舞ってあげるわよ。

 仕方なくだからね、仕方なく!


 玄関までやって来て、引き戸に手をかけて力を入れると、それはあっさりと開く。

 さっきの男子達の話だと、風邪っ引きの勝が一人で寝込んでいるらしいけど、不用心だなあ。

 この辺りはは出かける時も、夜になっても戸締りをしない、鍵なんてただの飾りという家の多いけど、勝の家も例に漏れないみたい。


「勝ー! 綾瀬勝ー! いるのーっ!?」


 声をあげて呼んでみたけど、返事がない。

 留守なのかな? いや、もしかしたら寝ているのかも。


 どうしよう。お見舞いに行くと言った手前、ノコノコ帰るのも気が引ける。少し迷ったけど、あたしはそっと家の中へと足を踏み入れた。

 初めて来た家に許可なく入るなんて、何だか泥棒にでもなった気分。けど万が一、勝が風邪で苦しんで、助けも呼べない状態とも限らないものね。


 でも中に入ったはいいけど、どこに何があるのかわからずに。

 台所やお風呂場をさ迷うこと数分。ようやく畳張りの部屋で、布団で横になっている勝を発見した。


 頭から布団をかぶっているから表情は分からないけど、反応がないということはたぶん寝ているのだろう。

 あたしは足音を殺して、そっと近づいた。


「勝。おーい勝。起きてるー?」


 返事がない、ただの屍のようだ。あ、この言葉、あと何十年かしたら流行りそうな気がする。

 って、バカなことを言っている場合じゃないか。


 頭の部分だけ布団をはいでみると、勝は目を閉じて寝息をたてていた。けど、心なしか辛そう。

 そっと頭に手を当ててみると……熱っ! なにこれ、人間って風邪引くと頭が熱くなる事は知ってたけど、こんなになるものなの?

 あたしみたいに溶けたりはしないだろうけど、大丈夫? まさか、死んじゃったりしないよね?


「ま、勝! コラ起きろ、目を開けろ! 死ぬなー!」

「う、ううーん。……あれ、お雪? 何でうちに……ああそっか。俺、夢を見ているのか」

「寝ぼけるな、本物のあたしだ。あんたの友達に頼まれて、お見舞いに来たのよ!」

「そっか、お見舞いに……え、本物っ!?」


 目を見開いてガバッと体を起こしたけど、すぐに辛そうに頭を押さえた。

 だけど痛がって履いても、彼の関心はあたしに向いている。


「あいつら、女一人を男の家によこすなんて、何考えてんだ?」

「何って、あんたのことが心配だったんでしょ。それより、平気なの? 頭メチャクチャ熱かったんだけど。だいたい、なんたって風邪なんて引いたのさ……」


 言いかけて、はたと止まる。

 そうだ。勝が風邪を引いた原因には、心当たりがある。


 最近コイツは、よくあたしと一緒にいた。

 木枯らしの吹く川原や、雪の舞う神社など。

 そこは寒い所が好きなあたしにとってはとても過ごしやすい場所だったけど、人間の勝にとっては、毒だったんじゃないだろうか。

 本当はストーブのきいた暖かい家の中にいたかったのかもしれないけど、無理してあたしに付き合っていたのかもしれない。


(ヤバい。考えてみたらアタシ、今まで勝の事、全然考えてなかったや)


 そういえば一昨日なんて、流星群を見るんだって言ったら「女一人で夜遅くまで出歩くなんて危険だろ」って言われて。勝も寒空の中、一緒に星を見たんだよね。

 バカじゃないの。もしも変な奴がちょっかいかけてきたって、あたしなら凍らせられるのに。


「ねえ、アンタが風邪引いたのって、もしかしなくてもあたしのせいだよね。あたしが、寒い中付き合わせちゃったから」

「んなことねーよ。それより、お雪は平気か? 風邪引いてないか?」


 ああ、このバカときたら。こんな時なのに人の心配だなんて。

 しかも、的外れもいいとこ。だって、だってあたしは。


「心配することないよ。あたしは妖、雪女だからね」

「…………は?」


 ポカンと口を開けて、信じられないといった表情の勝。まあ、そうだろうね。


「ふふ、冗談さ。忘れて良いよ。今のはアンタが、熱で浮かされて見た夢なんだから」


 ケラケラと笑ってやった。

 そう、これは夢。全部夢の中の出来事なんだよ。でもね。


「けど、あたしとはもうサヨナラした方がいい。これからも無理をさせたら、いつか風邪じゃすまなくなるかもしれないからね。会うのはもう、これっきりにしておくよ」


 言っていて、何でか涙が出そうになった。

 こんなのって変だ。元々人間と、馴れ合う方がおかしいのに。知り合う前の生活に戻るだけだって言うのに、どうしてこんなに悲しい気持ちになるのさ。


 けど、これでいい。勝だって、疫病神みたいなあたしとなんて一緒にいなかったら、変なことで風邪を引く事も無いだろう。


 チクリとする胸の痛みを我慢しながら「じゃあね」と言って踵を返したけど、勝はそんなあたしの手を掴んできた。


「待てよ! 何勝手に決めてるんだよ!」


 驚いて振り返ると、やはり頭が痛いのか辛そうに顔をしかめている勝。

 けど、握る手の力は決して緩めずに。燃えるような目をしながら、じっとあたしの事を見つめてくる。


「一方的過ぎるじゃないか。そんなんじゃ、納得いかねーよ」

「放してくれよ。あたしはアンタに、迷惑かけたくないんだよ」

「迷惑って、誰が言ったんだよ。俺はそんな風に思ったことなんて一度も……」


 そこまで言ったところで、勝はまるで糸が切れた人形みたいにぶっ倒れちまった。

 調子が悪いのに、無理をするからだ。


 急いで横に寝かせると、上から布団をかける。


「あんた、こんなに悪いなら大人しくしてなきゃダメじゃないか。何かあたしに、できることはないかい?」


 すると勝は弱々しい声で。だけど何故か、まるで面白いイタズラでも思い付いたような目をしながら言ってくる。


「それじゃあ、頭に手をおいてくれねーか。お雪の手、冷たくて気持ちいいから」

「へ? その熱い頭にかい?」

「ダメか? そうだよな、雪女だもの、溶けちまうよな」

「別にこれくらいじゃ溶けやしないけど。って、雪女ってのは冗談だってば」


 まったく。本気で信じているのか、それともからかっているつもりなのか。

 まあ、できることはないかって聞いたのはあたしなんだし、無下にするわけにもいかないね。ええと、こうかな?


「どうだい、楽になったかい?」

「ああ、冷てーや。俺やっぱり、お雪が本当に雪女でも好きだわ」


 幸せそうに顔をほころばせているけど、あたしは頭の中が沸騰したみたいになる。

 コイツ、熱に浮かされて変なこと言っちやって。ああ、もう! あたしの方が熱が出てきそうじゃないか!


 こんな奴、もう放っておいて帰りたい。だけど。


(仕方がないか、病人だもんね)


 あたしの冷たい手で楽になれるなら、いくらでも触っておいてやるよ。


 けど、頭の中で渦を巻いているのがさっきの言葉。雪女でもあたしの事が好き、だって?

 いやいや、だから熱にやられてるだけだって。それに、雪女だって本気で信じているのかどうかもわからない。

 だけど、だけどもしも本気だったら、あたしは……。


「サヨナラなんて、二度と言うんじゃねーぞ。俺はお前と一緒にいたい……ん……だ……」


 人がこんなに悩んでいるというのに、勝はよほど気持ちがいいのか、すやすやと寝息をたて始めている。


「ふん、人の気も知らないでさ。……一緒にいたいなんて言ったんだから、ちゃんと責任は取りなさいよ」


 人がせっかく離れようとしていたのに、行くなと言われたんじゃしょうがないか。

 まあ、コイツと一緒にいるのも、悪くないかな。


 そんな事を思いながら。スヤスヤと眠る勝の頬を、冷たい指でツンツンとつつくのだった。


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