妖なんてくだらない

 自分でも驚くくらいの冷たい声で、否定の言葉を口にする。

 だけど白塚先輩は、昨日の現場を見ているのだ。違うと言われても納得がいかないのか、戸惑った様子をみせる。


「そうなのかい? けど、ちょっと待ってくれ。私もおかしな事を言っているとは思うよ。だけど昨日の部室を見ると、あんなのとても普通じゃあり得な……」

「違うって言ってるじゃないですか! 常識で考えてください。妖? 雪女? そんなの、いるはずがありません!」


 声を張り上げて。だけど嘘をついている罪悪感と、自分自身を否定する悲しさで、胸が痛む。

 それでも勢いは止まらず、まるで決壊したダムみたいに、否定の言葉が次々と溢れていく。


「妖なんているって、本気で思っているんですか? あんなものは、全部嘘です! そんなの信じてるなんて、おかしいですよ! バカげています! 妖なんて下らないもので、これ以上私を振り回さないでください!」


 堰を切ったように、一気に捲し立てる。

 一言発する度に、胸を突き刺すような痛みがあったけど、最後まで勢いは緩めずに。

 全てを吐き出した私は、息を切らせながら白塚先輩を見つめる。

 先輩は少しの間黙っていたけど、やがて静かに口を開いた。


「……言いたい事は、それだけかい?」


 発せられたのは低く、負の感情がこもったような声。

 それはさっき私が放った声よりも遥かに冷たくて、ゾクッとした何かが、全身を襲った。


(……先輩、もしかしなくても怒ってる?)


 あれだけ好き勝手言ったのだから当然と言えば当然なんだけど、話すのに夢中になっていた私は、そんな事さえも考えていなかった。


「妖なんていない。バカげていて下らない。私にそれを言うかい? 郷土研……いや、妖研究部の部長である、この私に?」


 白塚先輩は顔を伏せながら小さく「くくく」と喉を鳴らしたけど、目は全く笑っていなくて、思わず身を縮める。


「元々君は、私が引っ張って来たのだから、興味がないのも仕方がない。無理をさせていたのなら、本当に申し訳ないって思うよ。だけど、わかっているかい? それは人の好きなものを、否定していい理由にはならないって事を」

「ひっ!」


 顔を上げた先輩の目は、完全に据わっていた。

 見つめられるだけで、全身の血を凍り付かせてしまうような、とても冷たくて鋭い目。

 思わず悲鳴をあげると、白塚先輩は眉ひとつ動かさずに。スッと立ち上がると、テーブルを迂回してこっちに回り込んできた。


 ……怖い。

 ここまで恐怖を感じた事なんて、今まであっただろうか?

 私は先輩の迫力に圧倒されて立つこともできずに、座ったまま後ずさるけど、距離は詰められていく。


「なかなか理解してもらえない趣味だと言う事はわかっている。君が興味がないと言うのなら、残念だけど仕方がないさ。けどバカにされて、貶されて、否定されて、それで黙っていられるほど、私は温厚な人間じゃない。侮辱すると言うのなら、いくら君でも許さないよ」

「あ、あの、それは……」

「心無い言葉をぶつけられる事が、どれだけ苦しいか。知らない訳じゃないだろう」

「——ッ!」


 ガツンと頭を殴られたような衝撃があった。

 白塚先輩は眉をつり上げるわけでもなければ、怒鳴ったわけでもない。真顔のまま淡々と、訴えかけるように語ってきて。だけどその瞳には、深い怒りと悲しみが滲んでいた。


 先輩の言っていることが、理解できない訳じゃない。むしろ痛いほどよくわかる。

 ネットで酷い事をたくさん書かれた時は傷ついて、杉本さんが郷土研の事をバカにしてきた時は腹が立ったのに。私も、同じ事をしてしまっていたのだ。

 言葉にがどれだけ人を傷つけるか、知っていたはずなのに……。


「ごめ……んなさい……。ごめんなさい、ごめんなさい。酷いことを言うつもりは、なかったんです。ただ、ただ……」


 抑えきれなくなった涙が、ボロボロとこぼれ出てくる。

 先輩が怒るのも無理はない。私はそれだけの事を、言ってしまったのだから。


 だけど白塚先輩はスッと穏やかな顔になって、屈んでポンと頭を撫でてきた。


「……うん、大丈夫。君はそんな子じゃないって、分かってるから」


 さっきとは打って変わって、暖かな手と優しい言葉。……いつもの先輩だ。

 酷い事を言ってしまったのは私なのに、いつもの先輩に戻った事にホッとして、涙がどんどん零れていく。


「ごめんなさい、酷いことを言って……」

「もういいよ。誰だって、間違えてしまうことはあるからね。私の方こそごめん、怖がらせてしまって。これじゃあ、先輩失格かな」


 眉を下げて、困ったような顔をされてしまったけど、そんな事無いです。


 先輩は背中に手を回して、ギュッと抱き締めてくれた。

 涙を流して、嗚咽を漏らす私を落ち着かせるよう、暖かな手で包み込んでくれて、頭を撫でてくれる。

 そうして落ち着いてきた頃、先輩は再び、静かに言ってくる。


「……ところで千冬ちゃん、ひとつお願いがあるのだけど」

「な、なんでしょう?」

「ええと、間違っていたらごめん。今この部屋の中は昨日の部室と同じように、雪が舞っているわけだけど。もしかしたらこれは、君が起こしたものなのかな。だとしたらできれば、止めてくれるとありがたい。……さすがに、寒くなってきた」


 えっ? ……ああ――っ!


 言われてみて、ようやく気がついた。

 いつからこうなってたのかは分からないけど、話している途中から興奮するあまり、冷気を抑えるのをすっかり忘れていたみたい。

 部屋の中はすっかり雪まみれになってしまっていて、白塚先輩は青い顔をしながら、ガタガタと寒さに震えていた。


「ご、ごめんなさい!」


 半ばパニックになりながら頭を下げたけど。同時に一際大きな吹雪が、ブワッと舞うのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る