新しい学校
二学期が始まった初日。下ろし立ての制服に身を包んで、やって来た新しい学校の名前は、
鉄筋コンクリートで作られた、三階建ての校舎の一階。長廊下の一番端にある、一年一組の教室で、私は黒板の前に立った。
(生徒の数は、40人くらいかな。今からここで、自己紹介をしなくちゃいけないのかあ)
昨日何度も部屋でシミュレーションしたけど、やっぱり緊張する。けど、始めの挨拶で印象は決まるっていうし、ここはしっかり決めないと。
担任の先生から、「挨拶をお願い」って言われて。すうっと息を吸い込むと、教室全体に届くような大きな声を響かせた。
「東京から来ました、綾瀬千冬です。不束者ですが、末永くよろしくお願いします!」
……深々と頭を下げながら思った。やってしまったと。
大失敗に終わった、最初の挨拶。
末永くよろしくお願いしますって、あれじゃあまるでお嫁入りの挨拶だよ。
クスクス笑いが起こる中、指示された机に移動するのはまさに地獄。恥ずかしすぎて逃げ出したかった。
だけどやっぱり、案外世の中捨てたもんじゃないみたい。授業が終わって休み時間になると、声をかけにきてくれた女子が、二人もいたのだ。
「ははは、あの挨拶には笑わせてもらったわー。どこのお嫁さんが嫁いできたのかって思ったよ」
「うう、挨拶一つまともにできなくてすみません」
遠慮無しに笑っているポニーテールの子は、
「気にしないで。緊張してつい変なことを言うなんて、誰にだってあるもの」
「あ、ありがとうございます」
優しく慰めてくれている、ウェーブがかかった髪の子は、
会ったばかりだけど、二人とも話しやすくて。もしかしたら幸先いいスタートがきれたのかもしれない。
「分からない事だらけで、迷惑をかけるかもしれませんけど、どうかよろしくお願いします」
「そんなに畏まらないでよ。ふふ、可愛いなあ」
そんな事を言いながら、犬童さんが頭を撫でようと手を伸ばしてくる。
いいなあ、こういうの。友だちって感じがして……って、ちょっと待って! 私に触っちゃダメ!
伸ばされた手が触れようとした瞬間、避けるようにバッと体を後ろに引いた。
だけどそれがいけなかったのか。犬童さんは行き場の失った手を止めて、驚いた顔で私を見る。
「ごめん、なれなれしすぎた?」
「ち、違うの。ええと、実は私冷え症で。夏でも冷たいからビックリさせちゃうと思って、つい」
冷え性と言うか、本当は雪女なんだけどね。冷たいと驚かれた事は、一度や二度じゃないのだ。
「冷え症って言っても、触ろうとしたの頭でしょ。手や足ならわかるけど」
「頭も冷たいんです。そういう体質なんです」
「へえ、そう言われるとかえって興味がわいてくるわ。冷たくてもいいから、触っちゃダメ?」
「まあそれなら。でも、ビックリしないでね」
前もって冷たいって分かってるなら、まあいいか。ここで断るのも、感じ悪いしね。
木嶋さんも犬童さんも恐る恐るといった様子で頭を撫でたけど、やっぱり冷たさに驚いたみたい。
「わあ、本当にひんやりしてる。と言うことは手は……あ、やっぱりこっちも冷たい」
「本当に冷え症なんだね。冬とか大変でしょ?」
「ま、まあ」
実は冬は、全然平気なんだけどね。体は冷たいけど、手が悴んだりしないし、寒いのを嫌だなんて思わないから。
「綾瀬さん、冷たいだけじゃなくて、肌も白いよね。貧血とか起こしたりしない?」
「もっと肉食べようよ肉。でなきゃ、養命酒でも飲むか」
「まだ未成年ですよ」
木嶋さんの冗談に、思わず笑う。新しい学校でちゃんとやっていけるか心配だったけど、なんだか上手くやっていけそう。
雪女ということを隠すのは、ちょっと後ろめたさがあったけど。
でも幸い、特に変に思われることはなく。そしてお喋りは休み時間だけでは終わらずに、昼休みになっても続いた。
机をくっつけてお弁当を食べながら。得意な教科や趣味なんかを教えあっていると、木嶋さんが聞いてきた。
「そういえば、部活はもう決めてあるの?」
「いいえ、まだです。たしか絶対に、どこかの部活に入らないといけないんですよね」
「うちは勉強だけじゃなく、部活にも力入れてるからねえ。むしろ勉強じゃいまいちだから、せめて部活は頑張れってことかな」
ほんわかした調子で言う犬童さんに、私も木嶋さんもそろって苦笑いを浮かべる。
口には出さないけど、確かにここは前の学校と比べて、偏差値はだいぶ低かった。
なんだか、前の学校とは逆だなあ。あそこは進学校で、部活で中途半端な成績しか残せないなら、どこにも入らず勉強しろって雰囲気だったから。
私も帰宅部だったけど、ここではそうはいかない。
「二人は何部なんですか?」
「写真部だよー、二人とも。気に入った景色を、パシャパシャ撮影する部ね」
「よかったら、綾瀬さんも入らない? 外に出てきれいな景色を探すのって、結構楽しいよ」
なるほど、写真部かあ。
この辺は緑も多いし、確かに写真に残したい素敵な風景はたくさんあるかも。
けど気になるのは、外に出なきゃいけないってこと。と言うことは夏だと、炎天下の中歩き回らなきゃいけないってことかな?
雪女だからといって、暑さ対策をバッチリしていたら夏でも平気だけど、それでもわざわざ自分から、暑い所に行くのはちょっと。
夏の私は、インドアオブインドアなのだ。
(どうしよう。やっぱり止めておいた方がいいかな? けど、せっかく誘ってくれたんだし、うーん)
悩んでいる私を見て、犬童さんが「無理はしなくていいから」って言ってくれる。
申し訳ないけど、やっぱりやめておこう。だけど、断ろうとしたその時。
「君、ちょっといいかい?」
「ひゃあっ!?」
不意に後ろから誰かに肩を叩かれて、思わず変な声をあげちゃった。
慌てて振り返るとそこには、ショートカットで背が高い女子生徒が、切れ長のキリッとした目で私を見ていた。
(えーと、誰ですか?)
一瞬、どこかで会ったっけって思ったけど、こんな目力のある美人さん、一度見たら忘れなさそう。
見ると彼女の制服の胸部分には、赤いリボンが備わっている。私達がつけている青いリボンとは違うそれは、たしか二年生の証だったっけ。と言うことは先輩?
するとそれを肯定するみたいに、木嶋さんと犬童さんが小さい声で話してくる。
「この人、二年の
「綾瀬さん、知り合いだったの?」
違う違う、初対面です。たぶん。
だけど会ったこともない先輩が、私に何の用?
不思議に思っていると、先輩はにっこと微笑んでくる。
「はじめまして。私は二年の、
「は、はい。綾瀬千冬って言います」
噂になっているのかどうかは分からないけど、とりあえず答えてみる。すると白塚先輩は手を伸ばしてきて、そっと頬に触れてきた。
って、だから私は冷たいんですから、急に触らないでください!
だけど先輩は驚いたそぶりも見せずに、ハスキーな声で語りかけてくる。
「千冬ちゃんか。ふふ、いい名前だ。それに、慌てる姿も可愛い。このまま拐ってしまいたくなる」
「えっ、ええっ!?」
いきなり名前呼びの上に、何を言い出すのこの人?
しかもなんかいい匂いがして、声に妙な色気があって、変にドキドキしちゃう。だけどそんな慌てる私を見て、木嶋さんと犬童さんが助け船を出してくれる。
「白塚先輩、早いとこ本題に入っちゃってくださーい。綾瀬さんが困ってまーす」
「前ふりが長すぎますって。このままじゃ昼休み終わっちゃいますよ」
「むう、それもそうだね。彼女の慌てた顔をもう少し堪能したかったんだけど、仕方がないか」
白塚先輩は残念そうに手を放したけど、ずいぶんと変わった人だなあ。
「失礼。それじゃあ、単刀直入に言わせてもらうよ。私は郷土文化研究部の、部長をやっているんだけど」
「は、はあ」
「君を勧誘しに来たんだ。千冬ちゃん、郷土文化研究部に、興味はないかい?」
「へ?」
何を言われるかとビクビクしていたけど、これは予想外。けど、郷土文化研究部って、何?
名前から察するに、歴史や文化を調べるような部活かな?
でも、どうしてわざわざ私を勧誘しに来たのか。その理由が分からない。
「ねえ、興味はないかい?」
「ええと、郷土研究とか、よく分からないのでちょっと」
「分からない、か。それならどんな活動をしているか、見学しに来ないかい? もしかしたら見たら、興味が出てくるかもしれないよ」
「は、はあ……」
この人綺麗だけど、すごい強引。
だけどどうしようかと戸惑っていると、木嶋さんがため息をついて、先輩に進言してくれる。
「先輩、見学してそれでも興味が出なかったら、大人しく諦めてくれますか?」
「それはもちろん。私も、本人の意思を無視しようとは思わないからね」
「だったら……綾瀬さん、面倒かもしれないけど、ここは言うことを聞いた方が良いかも。白塚先輩、一度こうだと決めたら、テコでも動かない人だから」
うん、それは何となく分かるけど、本当に大丈夫?
拐われて、食べられちゃったりしない?
「大丈夫だよ。先輩こう見えて、最低限の常識はある人だから。たぶん」
安心させるように言ってくる犬童さんの言葉にホッとして……していいのかな? まだちょっと心配なんだけど。
けどいつの間にか見学に行く流れになっちゃってるし。これはもう、腹をくくるしかないかも。
「それじゃあ、見学するだけなら」
「ふふ、ありがとう。それじゃあ善は急げ、今から部室に来てくれるかい?」
「今からですか?」
「もちろん友達との時間を優先させたいのなら、それでも構わないけど」
どうしよう。木嶋さんや犬童さんと、もう少しお話ししたいけど。けどどうせ行くなら先伸ばしするよりも、早めに済ませておきたい気もする。
「今から行きます。けど本当に、見学だけで終わるかもしれませんから」
すると立ち上がった私の肩を、木嶋さんと犬童さんがそろってポンと叩いてくる。
「綾瀬さん、きっとビックリすると思うけど、頑張ってね」
それって本当に、大丈夫なのかなあ?
だけどもう今さら後には退けずに。
かくして私は白塚先輩に連れられて、教室の外へと出て行くのでした。
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