雪女のおばあちゃん

 途中で思わぬより道をしちゃったけど、ようやくたどり着いたおばあちゃんの家。

 田んぼが広がる田園風景の真ん中にポツンとある日本家屋の戸を叩くと、中から真っ白な髪をしたおばあちゃんが顔を出してきた。


「千冬ちゃん、よく来たねえ。電話で溶けそうになったって聞いた時は肝を冷やしたよ」

「ごめんねおばあちゃん。けど平気、親切な人に助けてもらったから」


 私は自分が雪女だって事を周りに隠しているけど、中には例外もあって。おばあちゃんもその中の一人。

 と言うか、実はこのお雪おばあちゃんこそが、私の中に流れている雪女の血の大元。純粋な妖、雪女なのだ。


 父方の祖母である、お雪おばあちゃん。

 人間のおじいちゃんとの間に子供を儲けて。産まれてきた私のお父さんは妖力を持たない普通の人間だったけど、妖の血は孫の私へと引き継がれている。


 まあ雪女と言っても、おばあちゃんも普段は私と同じく正体を隠して、人間として暮らしているんだけどね。やっぱり雪女だとバレると、何かと面倒なのだ。


「長旅で疲れただろう。とにかく、中にお入り」


 おばあちゃんに案内されながら、家の中へとお邪魔する……ううん、違うか。お邪魔するって言い方は変だよね。

 だって私は今日からこの、おばあちゃんの家で暮らすのだから。


 茶の間に通されてテーブルにつくと、おばあちゃんは冷たい麦茶を持ってきてくれて。喉を潤しながら、ポツポツと話をしていく。


「急に環境が変わって大変だろうけど、分からない事があったら何でも言ってね」

「うん。でも、きっと平気。新しい学校でも、上手くやっていけるよ」


 私は二学期から、ここの近くの高校に編入することになっている。

 だけど平気だなんて、ただの強がり。本当は不安でいっぱいだった。だって前にいた学校では、嫌な事ばかりだったから。


 するとおばあちゃん、そんな私の不安を察したように、心配そうな声で聞いてくる。


「ねえ千冬ちゃん、さっきから気になってたんだけど、その髪はどうしたんだい?」

「え? ああ、これね。ははは、ちょっとイメチェンしたの」


 背中まで伸ばした真っ黒な髪を撫でながら、作り笑いを浮かべる。

 この髪は少し前に黒く染めたもので、本当は真っ白な髪だったんだけどね。おばあちゃんと同じで。


 おばあちゃんの髪が真っ白なのは、何も歳をとって白髪になったわけじゃない。

 これも雪女であることの現れか。私達は生まれつき、雪のような白い髪をしていた。


 全ての雪女が白い髪をしているわけじゃないって、前に聞いた事があるけど。とにかく私の家はそういう家系。

 私はそんな白い髪が大好きで、おばあちゃんと会うたびに、「おそろいだー」なんて言ってはしゃいでたのに、今はこうして、黒く染めている。


 ……本当は染めたかったわけじゃなかったんだけどね。

 おばあちゃんとおそろいの髪の色を変えてしまうのは、何だか裏切ってしまうような罪悪感があった。それに、私自身黒髪の方が好きと言うわけでもない。ただ必要な事だと思ったから、仕方なく染めただけなんだ。


 おばあちゃんはそんな私のすぐ隣までやって来て、黒く染まった頭を撫でてくれる。


「そうかい。千冬ちゃんがそうしたいなら、それで良いよ。けどもしも元に戻したいって思ったら、その時は言いなさいね。良い床屋さんを紹介してあげるから」


 にっこりとした笑顔と、穏やかな口調。だけどたぶん、おばあちゃんは私が望んで黒髪にしたわけじゃないって気づいている。

 ごめんね、勝手に染めちゃって。


 麦茶を飲んで、しばらくお話しした後、私はおばあちゃんが用意してくれた自分の部屋へと移動した。

 昔書斎として使っていたという、畳張りのお部屋。隅っこには小さな机がポツンとあって、その隣には空っぽの本棚と、衣装の収納ケースが置かれていた。きっとおばあちゃんが、私のために用意してくれたのだろう。

 そして部屋の反対側には、あらかじめ送っていた、荷物の入った段ボールが置いてある。


「アタシはこれから、お風呂とご飯の用意をするから。千冬ちゃんは荷物の片付けでもしておいてね」

「はーい」


 返事をして一人部屋に残ると、段ボールの中身を少しずつ片付けていく。

 服は収納ケースに入れた後、押し入れにしまって。家から持ってきたお気に入りの本は、本棚に並べていく。

 だけど段ボールの中に入っていた、前の学校で使っていた教科書を見て、ふと手が止まった。


(こんなもの、何で持って来ちゃったんだろう。もう捨ててもよかったのに)


 新しい学校では必要無いという話じゃない。

 学校が変わっても、前に勉強したことは覚えておいて損はないから、本当なら取っておいても、何らおかしい事はないのだけど。


 教科書をパラパラとめくると、そこには赤いマジックで内容とはまるで関係ない言葉が、でかでかと書かれていた。

 それは読み上げるのも嫌になるような、人を傷つける心無い言葉。続いて段ボールから取り出したノートとは、不自然に折り目がついていて、ボロボロになっている。


(嫌なこと、思い出しちゃったな)


 悪口の書かれた教科書やボロボロになったノートを見ていると、胸の奥が冷たくなっていく。

 さっきおばあちゃんには、新しい学校では上手くやっていくって言ったけど、やっぱり心配だよ。もしもまた、同じ事を繰り返したらどうしよう。

 お父さんやお母さんに無理言って、転校までさせてもらったのに。


 前の学校でとても……とても嫌な事があった私は、逃げるように東京を離れて、おばあちゃんの家でやっかいになる事を決めた。

 仕事があるお父さんとお母さんは東京に残っているけど、二人とも旅立つ私のことを最後まで心配してくれていたっけ。

 そうだ、ちゃんと到着したって、連絡しておいた方がいいかな。


 そんな事を思い、スマホを取り出そうとスカートのポケットに手を入れると、ふとスマホとは違う、柔らかな物が指に触れた。


 取り出してみると、それは喫茶店を出る際に、彼からもらった保冷剤。私はそれを、強く握りしめた。


(彼、良い人だったなあ。今度の学校でもあんな素敵な人と会えたらいいけど。……ああ、でももし、馴染めなかったらどうしよう!)


 物事をつい悪い方に考えてしまうのは、私の悪い癖。

 だ、大丈夫だよね。世の中捨てたものじゃないもの。きっと大丈夫、きっときっときっときっと……。


「千冬ちゃん、入るよー」

「ふえっ!?」


 物思いにふけっていると襖が開いて、おばあちゃんが顔をのぞかせた。

 別にいけないことをしていたわけじゃないけれど、私は変な声を上げて、咄嗟に保冷剤を背中に隠す。こんなものを握りしめて男の子のことを考えてたなんて知られるのが、なんとなく恥ずかしかったから。


「お風呂の用意ができたから、ご飯の前に入っておいで。片付けは……あんまり進んでないみたいだねえ」

「ご、ごめん。モタモタしちゃってた。お風呂から上がったら、ちゃんと続きやるから」

「まあ時間はたっぷりあるんだから、ゆっくりやるといいよ。ああそれと、あまり部屋を冷やしすぎると掃除が大変になるから、気をつけなさい」

「へ?」


 何を言っているかわからなくて、キョトンとする。

 おばあちゃんは「後で雑巾を取りに来なさい」なんて更に訳のわからない事を言って部屋を出て行ったけど、いったい……。


 だけどすぐに、言葉の意味に気づいた。

 ああーっ、やっちゃったー!


 辺りをよーく見てみると、部屋の中にはうっすらと霜がおりていたのだ。


 実は私は怒ったり不安になったりと言ったマイナスの感情が高まると、妖力が暴走して無意識のうちに冷気を放出してしまう体質なのだ。


 お婆ちゃんみたいに純度100%の雪女なら、妖力を上手くコントロールすることもできるけど。生憎クオーター雪女の私はそれが苦手で、気を抜くとすぐこの有様。

 どうやらさっきネガティブになっていた際に、冷気を放出してしまっていたみたい。


「ご、ごめんおばあちゃーん!」


 後でしっかり、拭き掃除をしておかないと。

 どうやら新しい学校がどうとかいう前に、妖力をコントロールする術を、ちゃんと覚えた方がよさそうだ。

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