暴走

「あーあ、突き飛ばしてくれちゃって。これは先生に言ったら停学、もしかしたら退学かな?」


 床に倒れていた杉本さんは何事もなかったみたいに立ち上がると、涼しい顔をしながらスカートについたホコリをパンパンと払う。

 きっと杉本さんは押されたフリをして、わざと転んだのだ。その現場の、写真を撮るために。

 そう悟ると同時に、全身の血の気が引いた。


「ち、違う。押してなんかいない」

「だったらそう言えば。けど、こっちには証拠もあるんだから。だいたい、アンタの話なんて誰が信用するって言うの? 前いた学校でも、さんざんやんちゃしてたみたいじゃない」

「そんなの、杉本さん達が流したデマじゃない。お願い、さっき撮ったやつを消して!」

「うるさい!」

「きゃっ!」


 駆け寄ろうとした私を、杉本さんは突き飛ばして。さっきとは逆に、今度は私が尻餅をつかされた。


 ……痛い。

 スカート越しに、ひんやりとした床の冷たさが伝わってきて、惨めな気持ちと悔しさが込み上げてくる。

 だけど杉本さん達は尚も容赦なく、ゴミを見るような目で私を見下ろした。


「言っておくけど、私達はネットであった事を、拡散させただけなんだから」

「デマなんて言ってるけど、本当はどうなんだか。ねえ、教えてよ雪女ちゃん」


 違う、あんなのは嘘。そう言いたかったけど、きっと言ったところでどうにもならない。

 もしかしたら杉本さん達も、書かれている事のほとんどがデマだって分かっているのかも。だけどこんな噂があるってだけで、攻撃するには十分だ。


 悔しさで奥歯を噛み締め、怒りを堪えているいると、杉本さんは何が面白いのか、満足そうに笑みを浮かべる。


「いい絵が撮れたから、今日はこれくらいで終わりにしてあげる。そうそう、コレももう返してあげる」


 そう言うと、さっき取り上げた冊子を差し出して……両手で真っ二つに引き裂いた。


「——っ!」


 ビリビリと音を立てて割かれていく冊子。呆然とする私をよそに、彼女はそれを床に落とすと、更に上履きで踏みつける。


「それじゃあ、確かに返したから……って、なによその目。何か文句あるの?」


 悪びれる様子なんて、まるで無い。遊び半分で、こんな事をするだなんて。


 ……許せない。

 彼女を見ていると、胸の奥が無性に疼いてくる。それは熱いようで、だけどどうしようもなく冷たい、黒い感情。

 怒りに満ちた目を向けていると、杉本さんはそんな私が気に入らないのか、乱暴に髪に手を伸ばしてきた。


「……その目、本当にムカつく」

「痛っ!」


 髪を引っ張られて咄嗟に立ち上がったけど、手を放してはくれない。

 さっきは終わりにするって言っていたのに気が変わったのか、杉本さんは更に髪を強く引っ張ってくる。


「……どうして、こんな事をするの?」

「アンタのことが嫌いだからよ。転校生の癖に生意気。誘いは断るし、髪まで染めて、目障りなの」


 勝手なことばかり言って。全部そっちのわがままじゃない。


 ――ピシッ。


 確かに最初会った時にグループへの誘いは断ったけど、この仕打ちは酷すぎる。


 ――ピシッ、ピシッ!


  ねえ、こんな事をして、いったい何が楽しいの? 私だけならまだいい。郷土研で作った冊子まで破いて。

 許さない……許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない!


 ――ピシッ!ピシピシピシピシピシッ!


「ねえ、もういいかげん消えてくれない。アンタがいると、みんなが迷惑して――痛っ!?」


 さっきまで捲し立てていた杉本さんだったけど、突然何かに弾かれたみたいに手を放した。

 急にいったい、どうしたというのか? 何が起きたのか分からなかったけど、どうやらそれは杉本さんも同じだったみたいで、放した手をジッと見つめた。


「アンタ、いったい何をしたのよ!」


 急に苛立った様子で声を荒立てたけど、いったい何を言っているのだろう?

 どうやら、私が何かしたって思っているみたいだけど……。


 だけどわけがわからないでいると、杉本さんの後ろにいた子達も、何やら騒ぎ出す。


「ねえ、なんか寒くない?」

「ちょっと、どうして部屋の中に、霜がおりてるの!?」


 ハッとして周りを見ると、確かに部屋のいたる所に、霜がおりて白く染まっている。まさかこれは――っ!


 慌てて自分の手に目を向けて、息を飲んだ。

 手の平の上には、小さな雪の粒子が舞っていて……無意識のうちに、冷気が漏れだしていた。


(―—っ! コントロールがきかなくなってる!)


 悲しみや怒り。負の感情が高まると冷気を放出する、雪女特有の体質。黒くて冷たい気持ちでいっぱいになった心が、妖力を暴走させてしまっていた。


(ダメ、こんな所で暴走させたら――!)


 心を落ち着かせて、体の中で渦を作っている冷気を抑えようとしたけど。こんなに焦っているのに、落ち着くなんて無理。そしてさらに追い打ちをかけるように、またしても杉本さんが手を掴んできた。


「これはアンタの仕業? こんな事をして、ただですむと思ってんの⁉」

「やめて、放して!」

「そう言えばアンタ、雪女なんて呼ばれていたんだっけ。けど、どうせタネがあるんでしょ。下らないことやってないで、早く止めないと後悔するよ!」


 掴まれた手に、長く伸ばした爪が食い込んで来て。痛みと混乱に襲われながら、無我夢中でそれを振り払った。


「やめてって言ってるのが、分からないの!?」


 叫んだのと、冷たい風が吹いたのは同時だった。巻き上がった風で、長く伸ばした白い髪が、ブワッと舞い上がる。

 驚いた杉本さんは手を放したけど、その手を見て悲鳴を上げた。


「きゃああっ! なによこれー!?」


 さっきまで私を掴んでいた彼女の右手は、皮膚がシワシワニなっていて、赤くただれている。

 低温による凍傷だ。


「痛い、痛い、痛いーっ!」


 傷ついた右手を、空いている左手で押さえながら、声を上げる杉本さん。

 そして後ろにいた子達も、何が起きたか理解しているかは分からないけど、この事態に慌て出す。


「ねえ、あれって、綾瀬がやったの?」

「まさか。いったいどうやったら、あんな事できるのよ?」

「わからないけど。そう言えばアイツ、以前の学校では生徒にケガをさせたとか書いてあったけど。もしかしてあれって、マジだったんじゃ?」


 自分達で拡散させたくせに、その内容を全く信じていなかったのか、今頃になって焦っている。

 ネットの信憑性なんて疑わしい。もしかしたら、最もそう思っていたのは、噂を広めた彼女達だったのかもしれない。

 だけど、パニックになっているのは私も同じだ。


 収まれ、収まれ、収まって!

 だけどそんな思いとは裏腹に、焦れば焦るほど冷気は増していき、自らの体から放出された風が――吹雪が室内に舞う。


 早く止めないと、これじゃあ……


「バ、バケモノ!」


 一人が怯えた様子で投げてきたペンが、私の頬を切った。

 だけどその途端、その子に向かって凍てつくような冷たい風が襲いかかり、悲鳴が上がった。


「ひいいいっ!?」


 わざとやったわけじゃない。だけど漏れ出す冷気は、私の意思とは裏腹に、彼女達を襲っていく。


「やっぱりアイツヤバイよ。もう逃げよう!」


 さっきまでの強気な態度から一転。慌てて逃げようと、我先に部室の入り口に群がって行く。杉本さんの事を見捨てて。


「ちょっ、置いていかないでよ!」


 冷たく爛れた手を抑えながら、杉本さんも後に続いたけど。先に逃げた取り巻き達は、なぜかドアを開けようとはしなかった。……いや、違う。


「何してるの、早く開けてよ!」

「ムリ! 固まったみたいに動かないの!」


 絶望的な悲鳴が、室内に響く。

 そうか。室内にたまった冷気のせいで、ドアが凍りついたんだ。


 こんな状況だというのに、なぜか冷静に分析ができてしまう。

 本当は、逃がせるものなら逃がしてやりたいのに、自分で起こしている吹雪がそれを阻んでいる。


(嫌だ、こんな事をしたいわけじゃないのに。どうして収まってくれないの!?)


 杉本さん達の事は恨んでいるけど、傷つけたいわけじゃない。

 だけど焦れば焦るほど吹雪は勢いを増していき、部屋の温度はどんどん下がっていく。


「開けて、誰か開けてよ!」


 悲鳴を上げながら無我夢中でドンドンとドアを叩く杉本さん達の姿は、まるでホラー映画で怪物から逃げる逃走者のようで。彼女達には、本当に私が怪物のように見えているもかもしれない。

 だけどその時、不意にその向こう側から、声が聞こえてきた。


「ん、誰か中にいるのか?」

「この声、綾瀬じゃないよな」


 ――白塚先輩と岡留くんだ!

 最後に会ってから、まだ一時間くらいしか経っていなかったけど、ずいぶん久しぶりに声を聞いたように思える。だけど私が何か言うよりも早く、杉本さんが叫んだ。


「早く開けて! このままじゃ殺される!」


 発せられた物騒な言葉に、思わずハッとする。

 そうだ、今二人が部屋の中に入ってきたら。この状況を見たら、いったいどう思うだろう?


 巻き起こる吹雪。凍傷を負って、逃げまとう杉本さん達。今の私は、昔話や漫画で人間を襲う妖そのものだ。

 わざとやってるわけじゃない。元はと言えば、力が暴走したのも、杉本さん達のせい。

 だけどそれでも、人を傷つけていい理由にはならない。そんな思いが、私を恐怖させた。


「こ、来ないで!」


 思わず叫んでしまったけど、ドアの向こうでは既に動きがあっていて。

 たぶん、体当たりでもしているのだろう。ガンガンと何かがぶつかるような音がしてドアが揺れている。


 寒さでかじかんだ女の子の手では開けられなかったドアだったけど、衝撃が加わったことで、張り付いていた氷が剥がれたのか。幾度かの衝撃の後、ドアはこちらに向かって勢いよく開かれた。


「綾瀬!」


 開いたドアの先。普段のポーカーフェイスとは違う。血相を変えた様子の岡留くんが、そこにいた。

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