裏切り
情緒が不安定だったウバさんを放っておくわけにはいかなくて、後を追いかけてきたけど。
軽音部に到着した時、そこではすでに修羅場が始まっていた。
「涼真くん酷いじゃないか。夜な夜なあたしに、愛してると言ってくれたのは嘘だったのかい!?」
「知らねーよ、つーかアンタ誰だよ。照美、誤解しないでくれ。俺は本当に、こんな婆さんの事なんて知らないんだ! 信じてくれ、浮気なんてしていない!」
「あー、うん。別に浮気は疑っていないから。もしするにしても、相手は選ぶだろうし」
部室内には杉本さんと江崎先輩とウバさんがいて、混乱の極みになっていた。
そりゃあそうだよね。いきなり見ず知らずのおばあさんが現れて、意味不明なことを言ってきたんだもの。
私はため息をつきながら、重い足を引きずって部室へと入って行く。
「あのー、お騒がせしました。ウバさん……このおばあちゃんは私が引き取りますので」
「へ、綾瀬さん? なに、このババ……おばあさんはアンタの知り合いなの?」
「はい、迷惑をお掛けしてごめんなさい。ウバさん、もう帰りましょう」
「嫌じゃ! そこのアバズレから涼真くんを取り戻すまでは、絶対に帰らん!」
だから涼真くんはウバさんのものじゃないってば。
そしてこの発言には、杉本さんがカチンときたみたい。「はぁ?」と声を出すと、鋭い目で睨み付けた。
「誰がアバズレよ! そっちだっていい歳して色ボケしてる、迷惑ババアじゃないの!」
「ひ、酷い! 千冬ちゃん聞いたかい。この小娘、が悪すぎるよ!」
「ウバさん落ち着いて。ごめんなさい、フォローしたいけど、とても無理です」
だって言ったら悪いけど、間違ってはいないんだもの。今のウバさんは迷惑以外の何物でもないし、口が悪いのはどっちもどっちだからねえ。
「お婆さん、どこの誰だか知らないけど、これ以上照美の事を悪く言うのは許さないからな。照美は何があっても、俺が守る!」
「そ、そんな。涼真くんもそっちの小娘の味方をするのかい? あたしとは遊びだったのかい?」
「ふざけないでよ! そもそも涼真くんは、アンタの事なんて知らないって言ってるじゃないの。綾瀬さん、早くこのババアをどこかに連れて行ってよ。シッシッ!」
先輩を味方につけて、勢いづく杉本さん。だけどこれがいけなかった。
ウバさんの勝手な怒りは、ついに頂点に達したのだ。
「あ・ん・た・-っ! さっきから年寄りをバカにして。もう許さない、黒焦げにしてやるよ!」
瞬間、今までそこにあったウバさんの姿が消えて。同時に、大きな炎の塊が、宙に浮かんだ。
ごうごうと燃え上がる、真っ赤な炎。
ただの炎じゃない。その中央には、ウバさんの顔がハッキリと浮かび上がっているもの。
これこそがウバさんの本当の姿、妖怪『姥ヶ火』。変化の術を解いたんだ。
「きゃあああっ! 何よこれー!」
いきなり現れた赤々と燃え上がる炎を目の当たりにして、途端に杉本さんの顔が恐怖に染まる。
だけど決して逃げようとはしない。いや、逃げたくても逃げられないのだ。
だって杉本さん、正体を露にしたウバさんを見て、腰を抜かしちゃったんだもの。
「杉本さん落ち着いて。早く立って逃げてください!」
「落ち着いてられるわけ無いでしょ! つーか本当に何なのよこれ! アンタの仲間なの!?」
「えーと、仲間と言えば仲間なんですけど」
正直どう答えて良いか分からない。
だけど、そんなことで悩んでいる場合じゃなかった。怒りに燃えるウバさんの周囲に、火の玉が次々と浮かび上がってくる。
「あたしと涼真くんを引き裂こうとする悪い小娘には、お仕置きが必要だね。ちょっくら痛い目を見てもらうよ」
いけない、あのウバさんの座った目。あれは本気で、火の玉をぶつける気だ。
あんなものを食らったら、軽い火傷じゃすまないのは明らか。そんなの、絶対にダメ!
「ウバさんすみません。ええいっ!」
私は自らの中にある妖力を操り、吹雪を起こした。
とたんに暑かった部屋の温度が一気に下がり、出現した雪の塊がウバさんを襲う。
「うあっ!? 千冬ちゃん、何をするんじゃ!?」
「ごめんなさい。けど今は、頭を冷やしてください」
雪は容赦なくウバさんにぶつかっていき、さっきまで周りに浮かんでいた炎を鎮火させていく。
こんなおおっぴらに力を使って。既に私の正体を知っている杉本さんはともかく、江崎先輩が何て言うかは心配だったけど、後先なんて考える余裕はなかった。
今はそれよりも、ウバさんを止める方が先決だもの。
やがて巻き起こった吹雪はウバさんの体を完全に包み込み、雪の塊の中へと閉じ込めた。
つ、疲れたー。
こんなにも妖力を使うことなんて滅多にない。全身の力が抜けていき、肩で息をしていると、今まで黙っていた杉本さんが、恐る恐るといった様子で尋ねてくる。
「これ、アンタの仕業よね? あのおばあさんは、死んじゃったの?」
「いいえ、まだ無事です。ウバさん……あの人はクオーターの私よりも、強力な力を持っているので、時間稼ぎにしかなりません。だから今のうちに、早く逃げないと。江崎先輩も!」
ウバさんが正体を現したあたりから、一言も声を発していなかった江崎先輩へと目を向ける。
おそらく妖怪なんて初めて見たに違いない彼はよほど驚いたのか、目を見開いて呆然と立ち尽くしていたけど。私の言葉でハッと我にかえったように、ビクッと体を揺らした。
だけど……。
「うわああああっ! バ、バケモノだーーーーっ!」
恐怖に満ちた江崎先輩の絶叫がこだました。
それは炎の塊と化したウバさんに対してだけ言ったものではなく、私にも恐れの表情を向けている。
そんな、せっかく助けたのに、バケモノだなんて酷い。
だけど先輩はそんな私の心中なんて知るよしもなく、大急ぎで背をむけて部屋の入り口に向かって駆け出した。
杉本さんを置いたまま。
「ひぃぃぃぃ! まだ死にたくないー!」
「ちょっと、逃げるならあたしも連れて行ってよ……きゃっ!?」
「ギヤアアアッ! 引っ張るなああああああああっ!」
腰を抜かしながらも、助けを求めて手を伸ばしてきた杉本さんだったけど。あろうことか江崎先輩は絶叫しながら、彼女を突き飛ばしたのだ。
そんな酷い。付き合ってるのに!
怖いのは仕方がないにしても、そこは一緒に逃げてほしかった。
だけど呆然とする私をよそに、先輩は杉本さんを放ったまま一目散に逃げて……あ、転んだ。
よほど慌てていたのか、勝手に転んで床に顔面をぶつけた江崎先輩。だらだらと鼻血を流しながら「痛い痛い」と涙声をあげている。
だけどそれでも逃げることはやめずに。恐怖で立つことができないのか、ジタバタと地面を這うよう進んで行く。
そしてそのまま、結局最後まで杉本さんを助けようとせずに、部室を出て行ってしまった。
「た、助けてぇー! お母さぁーん!」
姿は見えなくなったけど、情けない悲鳴だけは聞こえてきた。
こう言っちゃ何だけど、江崎先輩。すっごく格好悪いです。
そのあまりの逃げっぷりにバケモノ呼ばわりされた私も、突き飛ばされて置いてけぼりにされた杉本さんも怒る気力が失せて。ポカンとしながら顔を見合わせた。
「え、ええと、杉本さん。余計なお世話かもしれませんけど。付き合う相手は、ちゃんと選んだ方が良いと思いますよ」
「うるさーい! あたしだってあんなのだって知ってたら、付き合ってなかったわよっ! あたしのことを守るって言ってたのに、あの裏切り者ーっ!」
ですよねー。彼女を見捨てて一人で逃げちゃう彼氏なんて、最悪だもの。
それは奇しくも杉本さんと私の意見が、初めて意見が一致した瞬間だった。
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