ウバさんVSおばあちゃん

 溶けてしまった私は、まるでドロドロのアイスクリームが重力に逆らって、人の形を成しているような容姿をしている。

 色白と言うより水っぽい肌は、人間の肌とは大きく異なっていて。こうなってしまうと、全身に力が入らなくなるのだ。

 

 この前やっていたダイエットの時は軽く肌の表面を溶かすくらいのつもりだったけど、今は体全部が見事に溶けて、液体人間になってしまっている。


「綾瀬、大丈夫……じゃないよな。生きてるか!?」


 溶けてしまった私を見て、岡留くんの抱きしめる力が緩まった。

 た、助かった。あんまり強く抱き締められたら、溶けた体の中に岡留くんの腕がズボッて入っていっちゃうもの。

 そしてこれには杉本さんも驚いたようで、目を丸くしながらこっちに駆け寄ってくる。


「なに、どうなってるの。綾瀬さん、死んじゃったの?」

「い、いいえ、生きています。雪女は溶けてもすぐに死ぬわけじゃなくて、液体人間になっちゃうんです」

「何それ初耳!? 雪女って、そんなだったの?」


 確かめるように岡留くんを見る杉本さんだったけど、彼も戸惑った様子で、「俺も知らなかった」と漏らしている。

 いくら妖怪マニアでも、さすがにこれは初耳か。


 それにしてもこの状況、すごくマズイよ。だって溶けた状態だと、自分の身体を維持するのに、妖力をフル稼働しなきゃいけないんだもの。

 つまり火を食い止めるために、吹雪を起こすことができないってことなの。このままじゃ、ウバさんの暴走を止められない。


 それに個人的には、顔がドロドロになっちゃってる事も気になっている。

 それはまるで、化粧が溶けてドロドロになったのの凄い版みたいな状態で。そんな事気にしてる場合じゃないって分かっているのに、元々かわいい訳じゃない顔が崩れたくらいどうでも良いって思いたいのに、それでも岡留くんに見られてるって思うと、恥ずかしくてたまらない。

 

 あと溶けちゃうと身長やら胸やらが縮むこともあるって、おばあちゃんが言っていた。だとしたらこの状況、色んな意味でマズイよ。


「岡留くんお願い、私を見ないで」

「どうしてだ? まさか、怪我でもしてるんじゃ。訳を言ってくれ!」

「ああ、もう、鈍いわねえ。いいからあんたは、言われた通りあっちを向いてなさい!」


 どうやら杉本さんは事情を察してくれたみたいで、岡留くんは慌てて目をそらしてくれる。

 ありがとう。杉本さんに感謝したのなんて、初めてだよ。


 だけどやっぱり、こんな呑気なことを言っている場合じゃなかった。

 江崎先輩に抱き締められる妄想でもしていたのか、しばらく大人しくしていたウバさんだったけど、再び私達に目を向けてきたのだ。


「さあ、お遊びはここまでだよ。千冬ちゃん達には悪いけど、忠告をしたのに逃げなかったあんたらが悪いんだからね。人の恋路を邪魔するやつは、炎に焼かれて死んじまえ!」


 物騒なことをいうウバさん。私達3人に、戦慄が走る。

 ごめん岡留くん、こんな事に巻き込んじゃって。


 罪悪感にかられたその時。


「失礼、お邪魔させてもらうよ」


 突然聞こえてきたのは、ハスキーで凛とした、聞き覚えのある綺麗な声。

 驚いて声のした方、部屋の入り口を見ると。


「え、白塚先輩!?」

「宝!?」


 目を向けた先にあったのは私達郷土研の部長であり、実は岡留くんのお姉さんでもある白塚宝先輩の姿。

 先輩は室内を焼く炎に驚きはしたものの、キリッとした目で私達を見る。


「まさかこんな事になっているとはね。案内してきて良かったよ。皆さん、こっちです!」



 廊下に向かって、手招きした白塚先輩。するとそれを合図に姿を現したのは……え!?


「お、おばあちゃん!?」

「あらあら、これは派手にやっちゃってるねえ」


 やって来たのは学校にいるはずのない、お雪おばあちゃんだった。

 ううん、それだけじゃない。おばあちゃんの後に続いて部屋の中へと入ってきたのは、狐のおコンさんに子泣きじじいさん。

 え、なに。今からここで、老人会の集まりでもあるの?


「これはいったい。皆さん、どうしてここへ?」

「それがねえ。みんなで集まってお茶してたら、タブレットを見ていたウバちゃんが急に叫び出してね。『涼真くんを取り戻しに行ってくる!』なんて言って、どこかに走って行っちゃったんだよ」

「で、嫌な予感がしたからみんなで追いかけたんだけど。学校に来たところで宝ちゃんとバッタリ会ってねえ。案内を頼んだと言うわけさ」


 質問に答えてくれる、おコンさんとおばあちゃん。

 そしておばあちゃんは液体人間と化した私を見て、ため息をついた。


「ウバちゃんったら、千冬ちゃんをこんな目にあわせて。待っててね、すぐに戻してあげるから……ふう」


 息をはいた瞬間、部屋の中に雪が舞った。

 それは私が起こした吹雪よりもずっと強力で、あちこちで燃えていた火が、次々と消えていく。

 すごい、さすが人間の血が混ざっていない、生粋の雪女だよ。


 私も岡留くんも息をするのも忘れて、キラキラと舞う綺麗な雪に見とれていたけど、不意に杉本さんが声をあげた。


「あれ。綾瀬さんの体、元に戻ってない?」

「えっ? あ、本当です!」

「お雪さんの雪のおかげで冷やされたから、戻ったのか? そうと知ってたら、保冷剤をあげてたのに」


 けど火が消されていくのが我慢ならなかったのか、ウバさんがおばあちゃんを睨み付ける。


「ちょっと、人がせっかくそこの泥棒猫をやっつけてやろうって思ってたのに、邪魔しないでおくれよ!」

「何が邪魔だい。暴走して人様に迷惑をかけるあんたの方が、よっぽど質悪いじゃないか。言っておくけど、あたしも孫をいじめられて、腹が立っているんだからね」


 言うや否や、部屋中にふわふわと浮かんでいた雪が、ウバさんめがけて一斉に襲いかかった。


「ぎゃー、何だこれはーっ!?」

「孫をいじめてくれた罰さ。あんたはいっぺん、頭を冷やしてもらわないとね」

「う、うるさい! これくらいの吹雪、どうってことないよ!」

「やせ我慢なんてするだけ無駄だよ。ウバちゃん、あんたは一度でもあたしに、喧嘩で勝ったことがあるかい?」


 お雪おばあちゃんの言う通り、どうやらおばあちゃんの方が力が強いみたいで。ウバさんの周りで燃えていた炎を、吹雪が消していく。


 ウバさん自身が纏う炎もだんだんと小さくなっていって。さらに妖力が切れたのか、炎の塊から元のおばあさんの姿へと戻ってしまった。


「それ今だ。子泣き、頼んだよ」

「よしきた!」


 言うや否や、子泣きじじいさんはお年寄りとは思えない俊敏な動きで、ウバさんの背中にくっついて。「ほぎゃー、ほぎゃー」と、まるで赤ちゃんのような声を上はじめる。


「うああっ、重い重い。やめておくれよー!」


 苦しそうに顔を歪めるウバさん。

 するとその様子を見ていた私に、杉本さんがそっと聞いてきた。


「ねえ、妖のことはあまり知らないんだけど、子泣きじじいって確か」

「はい、おぶさってきて赤ちゃんみたいに泣いたかと思うと、どこまでも重くなっていく、質量保存の法則を無視した妖です。たぶんウバさんは今、百キロくらいある子泣きじじいさんをを背負わされていると思います」

「えげつないわね」


 確かに、あれじゃあ見てるこっちまで痛くなっちゃう。

 最初は子泣きじじいさんを振り落とそうとジタバタしていたウバさんだったけど、やがて泣きそうな声を上げ始めた。


「痛たたた。このままじゃぎっくり腰になっちまう。もう降参するよ」


 ウバさんはそのまま床にた折れ込んで、ようやく大人しくなってくれたのだった。

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