第17話「詩織」


 結論から言うと、そのコンビニでの捜査は空振りだった。いや、完全な空振りでもないところがまた微妙なところ。

 ATMが設置されてあるコンビニの防犯カメラ映像を精査した結果、わかったことは「男が行方不明者のキャッシュカードを使って、お金を引き出していた」という事実だけ。


 最近のコンビニの防犯カメラ映像は画質が高い。とは言え、終始俯き加減だったその男の顔貌まではわからなかった。現金を引き出していた男は、今回の行方不明者にどことなく似てはいると言ったところで、同一人物かどうかはまだ確定できない。

 それにその男はATMでお金を引き出しただけで、コンビニで買い物はしていなかった。クレジットカードやポイントカードを使っていたりすれば、新たな手がかりが得られたかもしれないけれど、これでは手も足も出ない。


 唯一の救いは、コンビニの店長が警察に対して協力的で「捜査関係事項照会書は必要ない」と言ってくれたこと。

 コンビニを出た後の男の足取りを追おうと思ったけれど、そのコンビニは裏通りに面している店舗であり、一見して隣接する建物に防犯カメラはない。つまりこの後の足取りは完全に途絶えてしまっている。


 ……仕方ない、か。班長いわく、捜査したという事実が大切なのだ。それにこの行方不明者を見つけたところで、メリットは実のところほとんどない。むしろマイナスだ。

 届出人である行方不明者の奥さんは、夫が失踪したことを機に行政から生活保護を受けている。つまり行方不明者が見つかれば、それが打ち切られる可能性もあるということ。


 小さな子供のことを考えれば、もちろん父親はいたほうがいいと思う。でも。それがギャンブルに狂って家庭を捨てた父親だったら、はっきり言っていない方がマシだろう。

 この仕事をしていて思うのは「人間の価値には優劣が存在する」という事実だ。よく「人の命は平等だ」と聞いたりするけれど、それは明らかなウソである。


 自分の都合で家庭を捨てたこの男と、女手ひとつで小さな子供を育てているその妻の命の価値が平等であるはずがない。むしろきっちりと死んで、その保険金を妻子に渡してやれよとさえ思ってしまう。

 あぁ、ダメだ。自分の気持ちが落ちていると、思考までネガティブになってしまうのは私の悪いクセ。


 ……とりあえず。こういう時は休憩しよう。コンビニを出る前に買ったホットコーヒーを手に、私は近くの円形広場のベンチに足を向けた。

 歩くこと五分と少し。そのベンチに辿り着いた私は、火傷しないようにそっとコーヒーに口をつけた。最近のコンビニのホットコーヒーは侮れない。このクオリティのコーヒーが百円で飲めるのだ。

 そのコーヒーは、温かくて美味しかった。でも、冷たくなった心までは温めてくれそうにない。


 さてと、これからどうしようか。時計を見ると、時刻は午後四時ちょうど。定時まではまだ時間があるけれど、今回の行方不明者の手がかりは今のところ皆無である。

 ダメ元で付近の防犯カメラをもう一度探してみようか、と思ったその時だった。



「──あれ、もしかしてねえさん? 姐さんじゃないっすかぁ! オレっすよ、こないだお会いしたサブですよぉ!」


 視線を上げると、そこには寒いのに薄手のスーツを着た男が立っていた。濃紺のタイトスーツに黒いドレスシャツ。合わせるネクタイはレモンイエロー。いや、その色味はネオンイエローといってもいいくらいに鮮やかだ。

 この男は先月会った人。鷹取部長の弟分を自称する、とても堅気とは思えない男。

 名前は確か、春日野かすがの修二しゅうじ。通称、サブだった。

 

「いや奇遇ってヤツですねぇ、姐さん! ってオレんこと憶えてます? サブですよ、サブ! 鷹取のアニキの弟分の!」


「あ、ええと……春日野さん。先日はお世話になりました、ありがとうございます」


「おぉ、名前憶えててくれたんすね! いや嬉しいなぁ、でもオレんことはサブでいいっすよ! この名前、気に入ってんすよ!」


 ニカリと笑ったサブは、勝手に私の隣に腰掛けてきた。私はコートを着ていても寒いのに、スーツだけのサブ。見てるこっちが寒くなる出で立ちだ。


「それで姐さん、今日はお一人っすか? アニキは?」


「あぁ、鷹取部長は──、」


 私のせいで大怪我をした、とは言えなかった。捜査情報でも何でもないから、別に話しても構わないとは思う。でも自分の失敗だけに何となく言いにくい。だから私は「別件対応中です」とだけ言っておいた。部長は明日から現場復帰すると聞いているし。


「なるほど、相変わらず忙しいみたいっすねぇ。アニキ、メシ連れてってくれるって言ってたのに何の音沙汰もねーんすもん。ま、寂しいけど仕方ねーかな」


 本当に寂しそうに、サブは笑った。そういえば鷹取部長は、本気でサブと食事するつもりだったのだろうか。部長は一度言ったことは必ず実行するタイプの人だ。あんな形とは言え、約束をしていたのは間違いない。

 でもこう言ってはアレだけど、サブは明らかに堅気の人とは言いにくい。見た目で差別する訳ではないけれど、公務員が反社会勢力らしき人間と付き合うのはご法度中のご法度だ。もちろんそれがであるなら別だけど、鷹取部長は今や防犯係の人間だ。

 昔は組対ソタイに居たみたいだけど、その時と今の立場は明らかに違う。あの鷹取部長が、その禁を破るとは思えない。


「それで姐さん、今日はここで何してんすか?」


「もちろん仕事ですよ。今はちょっと休憩していただけです」


「大変っすねぇ警察組織は。いつも思ってたんすよ。警察の人って、一体いつ寝てんだろうなって。カラダ酷使すんのもほどほどにしといた方がいいっすよ? 壊したら元も子もねぇんすから」


「お気遣い、ありがとうございます。でも大丈夫ですよ、仕事ですし」


「警察官のそういうトコってすげーっすよね。仕事だから、って一言でキツいことも黙ってこなしちまうんだもん。アタマ上がんねーっすよ、いやほんと。いつもお勤め、ご苦労様っす!」


 ビシ、とサブは左手で敬礼の真似をした。にこやかな笑み。でも手が逆だし、帽子を被っていない時にその敬礼はしないのだ。

 私はまた苦笑いで、ありがとうございますとだけ返した。やっぱりこの人は苦手だ。なんて言ったらいいのだろう。根本的に何かが合わない気がするのだ。

 でもエリカの件で助けてもらったのは間違いのない事実。もう一度、お礼を言っていてもバチは当たらないだろう。


「あの、サブさん」


「はい、なんっすか?」


「この前の件は、本当に助かりました。改めてお礼をと思っていたんですけど、遅くなってしまってすみませんでした」


「いやぁ、オレぁアニキと姐さんの役に立てればそれで。前にも言ったけど、アニキには昔、世話んなったんすよ。その恩返しってトコっすね! まだまだ足んねーっすけどね!」


「鷹取部長とは、昔からの付き合いなんですか?」


「オレ、昔はヤクザやってたんすよ。つっても使いっ走りみてーな半端モンだったんすけどね。んで、ある抗争の鉄砲玉やれって上から言われた時、アニキに助けられたんすよ。んなことやっても意味ねぇぞってね」


 ヤクザ。抗争。鉄砲玉。おおよそ普通に生きれてればなかなか耳にしない物騒な言葉を、サブはぺらぺらと口にする。小指が欠損していたり、刺青をしていたりするのはその時の名残なのだろうか。


「アニキはオレに、ヤクザ辞める道筋を立ててくれたんすよ。オレぁそれに乗っかって組を抜けれた。お二人みてーに堅い仕事じゃねーけど、ヤクザよりゃマシな仕事にも就けた。アニキには感謝してもしきれねーくらい世話んなったってワケっすよ」


 鷹取部長に助けられたと笑うサブ。私もだ。ついこないだ、私も鷹取部長に命を助けられた。サブとは違って私は笑えない。あのミスさえしなければ。部長はあんな怪我をしなくて済んだのだから。


「あれ? ひょっとして姐さん、元気ない? なんかあったんすか?」


「あ、いいえ。特に何も。最近、仕事が立て込んでて疲れてるだけですから」


「いやぁ、その顔は確実に『なんかあった』って顔っすねぇ。察するに、アニキにしこたま怒られたとか? あの人、めちゃくちゃ厳しいでしょ?」


 怒られた方がどれだけマシだったか。鷹取部長は私に怒らず、むしろ優しい言葉を掛けてくれた。だからこそ。私には立つ瀬がない……。


「ま、アニキは昔っからそうっすからねぇ。オレなんて、鼻血出るほどブン殴られたことあるし」


「……殴られた?」


「組を抜ける絡みの時の、古い話っす。でもまぁ、アレがあったおかげで今のオレがあるんすよ。だからオレぁ、一生アニキに感謝して生きていくつもりなんす。そのアニキの部下である姐さんも、ある意味オレの恩人だ。だから何でも言ってくださいよ、オレに出来ることはなんでもするつもりっすから!」


「じゃあまず、そのねえさんっての、やめてもらえます?」


「それは無理っすね! オレ、未だに姐さんのお名前、知らねぇんすから!」


 ニカリとサブは、また笑った。そう言えばまだ名乗ってなかったっけ。名前くらいは言ってもいいだろう。このサブはある意味、エリカの恩人でもある。だから私はサブに向き直り、頭を下げて言った。


「私、上沢かみさわです。上沢かみさわ詩織しおり。水瓶署生活安全課防犯係、鷹取部長の直属の部下です」


「シオリさん? もしかして、うたるって書いて、詩織さん?」


「はい、そうですけど……?」


「……なるほど。そりゃいい名前だ。運命めいたもんを感じるなァ」


 懐から、サブは加熱式タバコを取り出した。慣れた手つきでスイッチを入れる。そしてサブはまた寂しそうに笑うと、そのタバコを手でくるりと回し始めた。

 言葉は悪いけれど、いつものサブから感じるバカっぽさが鳴りを潜めている。どことなく重い雰囲気。私の名前がどうしたというのだろう。それに。

 運命めいたものって、一体……?


「あの、私の名前になにか?」


「いや忘れて下さい。ついクチが滑っちまった。姐さんの名前、いい名前だなって思っただけっすよ」


「いや気になりますよ、そんなこと言われたら。それにその『運命』ってなんです?」


「いや、これは……」


 サブは言いにくそうな顔をしていた。察するに、それは過去に何かがあったことに他ならない。口が軽そうなサブが言い淀むのは、それがサブだけの問題ではないからだ。つまりきっと、鷹取部長にも関係していることだろう。

 ……知りたい。鷹取部長とサブの過去に何があったのか。そして私の名前がそれにどう関係しているのか。

 単純な興味という訳ではなかった。不思議なことだけど、私はそれを知る必要がある。そんな風に感じずにはいられなかった。


「サブさん。教えてくれませんか、その話。鷹取部長の過去の話でしょう? 実は私も、鷹取部長に助けられたんです。ついこの前、命を助けてもらった。だから知りたいんです。いえ、知らなきゃならないと思うんです。私も鷹取部長に何かを返したい。だから教えてくれませんか?」


「アニキに命を?」


「詳しいことは言えません、ごめんなさい。でも事実です。だから私は鷹取部長に何かを返したい。いえ、そうでないと私は部長の部下でいることができない」


 それは本音だった。私は鷹取部長の部下であるからこそ、いや、これからも部長の部下でいたいからこそ知りたいのだ。

 どうして部長はあそこまで厳格なのか。なぜそこまで自分に厳しいのか。そしてなぜ、いつも何かに追われるように仕事をしているのか……。


 知りたい。知らなきゃならない。他人の過去を勝手に暴くのはルール違反かもしれない。それでも。

 私が私であるために、それはどうしても知りたいことだった。


「お願いします。サブさんが鷹取部長の一番の弟分であると言うように、私は部長の一番の部下でありたいんです。これから何があっても、その気持ちは変わりません」


 ……やっぱそっくりだな。

 サブは小さな声でそう言った。


「昔のアニキの部下にも、うたって字が入ってた人がいた。詩織しおり姐さんからも感じますよ。詩子うたこ姐さんに似た雰囲気を」




【続】

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