過去の行方
第16話「ケイゾク」
「なんや
クリスマスまであと少しとなった、十二月二十日。お昼のピークタイムが過ぎた午後二時半、私と
谷上班長は無類のラーメン好きなのだ。だからこうして一緒に外に出ると、お昼は決まってラーメンになる。
班長のお気に入りのこの店の名前は、恵来庵という。読み方は「メグライアン」が正しい。名前はふざけてるけど味は無類である。
「ほら、ワシのチャーシューやるから食え。旨いぞここのチャーシューは」
「班長、私もう大人です。これ以上は大きくならないです」
私の言葉を思い切り無視して、班長はにこやかにラーメン丼を寄越してくる。丼の中には自立しそうなくらい肉厚なチャーシュー。それがとんこつスープの海を気持ち良さそうに泳いでいた。
美味しそう、だとは思う。でも最近あんまり食欲がない。というか気力もないし元気もない。
何をしてもダメな鬱モードに陥ってしまっているのだ、例の大失敗から。私のミスのせいで
あの事件のことを考えると、もう溜息しかでない。そのまま無言でチャーシューを眺めていると、私がそれを食べないと悟った班長が言った。
「なんや詩織、まだ悩んどんのか。意味ないぞそんなもんは。ワシが警察学校に入校中の話は
「いえ、なんて言うか。自分のダメさにショックを受けています。私のせいで、
「鷹取は気にせぇへんって言うとったんやろ。もう退院しとるし気にすな。次、同じミスせんようにしたらええだけや。終わったことウジウジ悩んでも、なんのプラスにもならへんで。ちゃうか?」
ずるずる。班長は大口を開けてラーメンを啜る。うーん旨いとか言いながら、大量の紅しょうがをスープに投入。そしてニンニクもマシマシ。五十歳をゆうに超えているのに、班長の食欲は凄い。
「まぁ、よう言うやろ。失敗は成功より多くのことを教えてくれる、言うてな。詩織の中では失敗なんかもしれんが、警察でいう『失敗』は、保護対象が傷付けられた時や。そやから今回の件、組織的には失敗とちゃうで」
「でも、処分が来ました。
「所属長注意なんか屁ぇみたいなもんや。そんなもん、ワシなんか何回もうたかわからんで。それでもこうして
ごくごく。班長は丼を持って、スープと共に麺のカケラを飲み込んだ。丼は綺麗に空となり、底に書かれた『いつもありがとうございます』という文字が現れる。ここの丼、そんな風になってたんだ。
「まぁ何にせよや。ほんま気にせんでええからな、詩織ィ。少なくともワシら防犯係は、誰もお前のことを悪いと思てへん。今回の所属長注意も、お前が例のクマの縫いぐるみを受け取って、組織に報告し忘れた件についてやろ。次から気ィつければええんや」
「はい、わかりました……。今後、注意します。特にクマの縫いぐるみには」
「誰がクマみたいな腹しとるって? 言うやないかい、詩織ィ?」
「いやいや一言も言ってませんから」
私が突っ込むと、班長はガハハといつものデカい声を上げた。班長は今日も絶好調だ。
「ほな、この話はここで終わりな。ほんでそんなことよりもや。今回のこれどないなっとんねん。このケイゾク、これどう考えてもヤバイやんけ」
班長はテーブルに、ファイルを滑らせるように置いた。それには行方不明者届出受理票がいくつか挟まっている。
これは
「行方不明事案は原則、半年に一回くらいは継続捜査せなあかんのや。ただこれ見てみぃ。受理したんが平成最後の年で、令和に入ってから
「ええと……、谷上班長です」
「そうや、ワシや! ちゅーことはヤバイやんけ! 県警本部に知れたら小言じゃ済まへんで!」
「もう知れてますよ……。今朝、本部から直接電話があったじゃないですか。まぁ、公開捜査している件はひとつもなかったから、まだマシだとは言われましたけど」
警察署や交番の掲示板に張り出されている、行方不明者の手配書。当時の顔写真と居なくなった時の状況が簡記された手配書があるということは、その行方不明事案が公開捜査されていることに他ならない。
原則、公開捜査は届出人が依頼しなければされることはない。社会的反響が大きい公開捜査を放ったらかしにすることは絶対にできない。かと言って、非公開捜査なら放って置いていいというものでもない。
行方不明事案は、その九割以上が非公開捜査だ。全国では、年間に八万五千人以上の人が行方不明となる。その全てを公開捜査できるほど警察力は潤沢ではないし、そもそも届出人が「公開捜査はしないでほしい」というケースがほとんどなのだ。
つまりは、状況からして自ら行方をくらませるケースが圧倒的に多いということである。
理由は様々。借金から逃げていることもあるし、浮気相手と一緒になるために生活拠点から逃げ出したということもある。
あるいは親の束縛から逃げ出したケースもあるし、全てが嫌になって、ふらりと放浪の旅に出たというケースもある。
行方不明事案イコール何らかの事件、という訳ではない。むしろそれはレアケースだ。班長が並べた未処理行方不明受理票は、そういう『事件事故に該当しないと
事件事故に巻き込まれた可能性を否定できず、早急に発見確保しなければならない『特異行方不明事案』とは違い、正直言って後回しにされることが多い『その他の行方不明事案』。それでも半年に一度は何らかの捜査をしなければならないのも事実だった。
「……ウチのケイゾクは全部で四件か。まぁ、ワシが
「水上署、そんなにケイゾク多かったんですか?」
「ワシの前の班長がなぁ……、まぁ適当な人でな。あぁ、ワシとは違う意味での適当やぞ。引き継ぎ受けた時にその多さ見て、さすがのワシでも引いたわ。十六件あったからな」
「十六件? それは多いですね」
「ほんでまぁ追加捜査したんやけど、そしたらその内の半分は見つかってな。ほとんどが行方不明っていうよりは自分から姿くらましとったヤツばっかりやった。もちろん、中にはとうの昔に亡くなってた人もおったけどな」
「借金苦……とかですか?」
「そや。借金まみれでにっちもさっちも行かんくなって、自ら命を絶っとった。生きてれば何とかなることも多いんやけどなぁ。ま、そう言うわけでや」
班長は、テーブルに置かれていた水を一口で飲む。なみなみ入っていたのに、放り込むように一瞬で。ふう、と一息ついた後で、班長はまた続けた。
「年末までに溜まっとるケイゾク動かすで。見つかったら御の字や。見つからんくても追加捜査したいう事実が残る。ここが大事なんや。その他の行方不明事案でも、居なくなっとるのは事実やからな。命に関わる特異行方不明事案とはちゃうけど、これを探すんもワシらの仕事や」
「了解です、頑張ります」
「おう。ほんでこれは平成最後の届出で、
ファイルに挟んでいたその一枚を引き抜いて、班長は私の前に滑らせた。人の多いところで警察書類を見るのは良くないことだけど、ピークタイムを完全に過ぎたラーメン屋にお客さんは私たちしかいない。だからまぁ、大丈夫。
手にとって見てみると、対象は三十代後半の男性だった。名前は
届出人は妻。しかもこの男性、行方不明となった一ヶ月後に第一子が生まれているとなっている。つまりは、子供が生まれるその直前に姿を消したことになる。
「その男な、書置きして行方くらませとんのや。受理票の末尾にその書き置きのコピー添付しとるから、ちょっと見てみぃ」
班長に促され、私はその書き置きを読んでみた。そこには身勝手な言い訳がつらつらと書かれていた。
『ごめん。父親になるって覚悟が、やっぱり俺にはない。仕事の息抜きにって始めたギャンブルにハマって、方々で借金をして額が膨れ上がってしまった。普通のところではもう借りれなくて、だからギャンブルに勝って返そうと思って、ヤバイところから金を借りてしまった。だから俺に、生まれてくる子供の父親になれる資格はない。俺はこれから別の人間として生きていく。お前には苦労を掛けると思うけど、生まれてくる子供と一緒に幸せに暮らしてくれ。お金の援助はできないけど、二人が幸せに暮らせることを祈るよ。それじゃあ、機会があればまたいつか』
「……清々しいくらいのクズ野郎ですね」
「おう、ワシもそう思うわ。こんなヤツ探さなあかん理由あるんかって思うくらいになぁ。妻が行方不明届だしとる理由も失踪宣告のためやろ。七年間、行方不明になっとったら法的にそいつは死亡したとみなされる。寡婦手当の関係で、行方不明の届出が要るってハナシや。でもワシらは届出が出されている以上、何らかの措置を取らなあかんのや」
明らかに自分から行方をくらましているとは言え、受理票を受けていたら捜索しなければならない。事件事故に巻き込まれているかもしれない事案と比べれば、どうしたって優先順位が下がってしまうのは仕方のないことだ。
「ほんでや。名谷が色々照会したところ、対象者の銀行口座が判明したんや。今も出し入れされとる、生きた口座がな」
「なるほど。何らかの経済活動はしているってことですね」
「銀行自体は遠い他県の地銀や。ただ直近で、その口座からATMで金が引き出されとる。金額は五万円。場所は
皆戸市は水瓶市の隣接市であり、前述の歓楽街である皆戸門街が位置する地方都市だ。そこのコンビニで、行方不明者名義の口座からお金が引き出されているという。
「班長、これっていつの話ですか?」
「一昨日や。つまり対象か、あるいは対象名義の口座を動かせる人間が皆戸門街にまだおるかも知れん、いうことやな。そういうワケで、頼んだで詩織ィ」
「え? 頼むって、私ひとりでですか?」
「当たり前やろ、ケイゾクは四件あるねんぞ。ワシは別の事案担当や、名谷にも鷹取にも別の事案を振っとる。もうひとりでいけるやろ、詩織ィ」
「でも私、処分受けたばかりで……」
「んなもん関係あるかい。言うたやろ、追加捜査したって建前が重要なんや。あ、建前いうてもた。事実や、捜査したって事実が必要なんや」
班長、それ意味一緒です。さすがにその突っ込みはできなかった。班長は私にその受理票を投げると、ぞんざいに続ける。
「絶対見つけてこいなんて言わんから安心せぇ。正直、見つけたところで妻も困るかもしれんしな。ほな行ってこい。こっからやと電車で二駅やろ」
「電車でですか?」
「ワシが持っとる事案の手がかりとは真逆の場所なんや。それにお前、なんか一人になりたそうな顔しとるしなぁ。午後から一人で行動してええぞ。定時になったら署に帰ってこい。ほなな」
班長はそう言い残し、颯爽と店を出ていく。さらりと私の分の伝票まで奪って行くところが、いかにも班長っぽい。
残されたのは、冷たくなったラーメンと行方不明者届出受理票。思わず溜息が漏れ出てしまう。
私以外に客がいないラーメン屋に、その溜息は思いのほか大きく響いた。
【続】
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