第12話「緊急性の有無」


「警察の方……ですか?」


 大学の学生課。そこに赴いた私たちが手帳を示すと、「烏丸からすま由佳子ゆかこ」と書かれたネームカードを下げた女性が対応してくれた。歳は私と同じくらいだろうか。私とは違って、とても柔らかな雰囲気を纏った女性だ。お召しものは薄いネイビーのフレアスカートに、オフホワイトのツインニット。まさに可愛い社会人って感じ。くたびれたパンツスーツの私とは大違い。


 彼女は私と鷹取部長を交互に見て、「ええと、ご用件は?」と控えめに問う。警察が訪ねて来るというのは、相手にとって不意の事態なのだろう。急に訪ねて歓迎されたためしなんて一度もない。ここは丁重にお願いしなければ。


「お約束もなしに伺ってすみません。水瓶署生活安全課防犯係の上沢です」


「同じく鷹取です。本日は伺いたいことがあって参りました。こちらの大学に御影みかげサユリさんという学生は在籍していますか。早急に確認しなければならないことがあるので、どうかご協力いただきたいのですが」


「ええと、少々お待ちください。学生の個人情報に関することは……、」


「もちろん捜査関係事項照会書を持参しています。人命に関わることなんです。早急に対応してほしいんです」


 私は捜関そうかんを手に、烏丸さんに頭を下げてお願いをする。この捜査関係事項照会書は歴とした公文書だ。裁判所が発布する令状とは質が違うもので、警察が正式に他機関に対して何かを依頼する時に提出する書面。確か根拠は刑事訴訟法。それの何条かを知ってるのはきっと、鷹取部長だけだ。

 要は、この書面は「お願い書面」であり、今回みたいにサユリの現住所や生年月日、連絡先などの人定じんてい事項じこうを得ようとした時に必要となるものだ。

 大学は学生の個人情報を守るべき立場にあり、簡単には教えてくれない。ドラマのように手帳だけで協力を仰ぐのは、現実には難しい。

 だけどこの書面を受け取れば、それが「警察からの正式な捜査協力依頼」として証拠が残る。いわばレシートのようなもの。

 今回の捜関には、サユリの人定事項を始めに所属学部、サークル、交友関係等、わかる範囲で教示願いたい旨を記載してある。そして。


「ええと、ここに書いてある『対象の御影サユリに対する架電連絡、及び捜査協力の依頼』っていうのは……?」


 怪訝な顔をして問う烏丸さん。無理もない話だと思う。私たちは、大学を使ってサユリを呼び出そうとしている訳だから。少しでも安心してもらおうと、私はそれに笑顔で返した。


「端的に申しますと。私たちは御影サユリさんが行方不明になっている情報を受けて、現在捜索中なんです。こちらとしては一刻も早くサユリさんの無事を確認したい。でも電話番号がわからないんです。ですので、大学側が把握していたら電話を掛けてほしいんです」


「行方不明? あの御影さんが?」


 と、言った烏丸さんはすぐに口元に手を当てた。しまったという顔。どうやらサユリがここの学生であるのは間違いない事実のようだ。鷹取部長はそれを見逃さない。


「烏丸さん、すぐに対応していただけませんか。御影さんが行方不明状態になっている、というのが間違いであればそれに越したことはない。我々は彼女の無事を確認したいだけなのです。でもそれには、大学の協力が不可欠だ」


「……わかりました。でもこれは、私の一存でどうこうできる案件ではありません。すぐに私の上司を呼びますので、しばらくお待ちいただけますか?」


 烏丸さんは捜関を手に、奥の方へと引っ込んで行く。これで協力が得られればいいのだけど。


「どうですかね、部長。大学側は協力してくれるでしょうか」


「サユリの人定なら教えてくれるだろうな。もし捜関を完全拒否して、その後サユリの人命に関わる最悪な事態になってしまったら。世間から大学への風当たりは相当なものになるかもしれない。大学側としては、それは是が非でも避けたいだろう。だからサユリに関する表面的な情報は教えてくれるはずだ。だが、サユリに大学から架電してほしいという捜査協力に関しては、微妙なところだな」


「微妙? どうしてですか?」


「電話をしたことによって事態が悪化したら。あってはならないことだが、その電話によってサユリが命を落としてしまったら。誰の責任になると思う」


「もちろん私たち警察です」


「当然だ。だが電話した本人はどう思う。この場合、烏丸さんのような大学職員に頼むことになるだろ。自分が掛けた電話によって人が死んでしまったら。善良な市民なら耐えられないだろうな」


 確かにそうかもしれない。私たちの仕事は一般のそれとは少し違っている。とても「死」に近いのだ。

 私みたいな駆け出し警察官だって、今まで何度も遺体を扱っている。過去に自分が受けた行方不明届の対象者が、山中で自殺していたこともある。

 それに慣れていると言えばおかしいかもしれない。ただ、その感覚は一般の人より麻痺しているに違いない。

 電話を掛けることによって、その相手が死んでしまう可能性がある。善良な市民にそのお願いをするのは、確かに酷な話だろう。


「おそらく大学からの回答はこんな感じだ。『御影サユリの人定事項はお教えする。しかし大学職員に電話を掛けさせるのは辞めていただきたい。必要ならば大学の電話を警察にお貸しする』って具合だろうな」


「大学職員から電話を掛けてもらうのは、やっぱり難しいんですね」


「これは狙った落としどころだ。先に無茶なことを頼んでおけば、断られても次の代替案はそれに近しいものになりやすい。こっちははなから、大学の電話回線を借りられたら御の字なんだ。最初からそれを大学に頼んでいても、問題はなかったかもしれないけどな」


「なるほど。ってそれって、私か部長のどちらかが大学の電話を使って、サユリに電話を掛けるってことですか?」


「その通りだ。なぜ警察回線を使って行方不明者に連絡しないのか、わかるか上沢」


「もちろんです。略取、誘拐その他の事件被害を受けていると思料しりょうされる事案については、対象に対する警察回線での架電連絡は厳に慎むこと。要は隣に犯人がいた場合、警察が介入していることが筒抜けになってしまわないように、ですよね?」


 もしも本当に誘拐等の事件だったとして。警察が介入してきたと知った犯人は、単独で逃走するのを目的に対象を殺害するかもしれない。それは絶対に避けなければならないことだ。

 だから私たちは、たとえ対象のスマホの電源が入っているかどうかの確認でさえ、対象の関係者──、つまりは電話が掛かってきても怪しくない相手から掛けさせる。行方不明事案は、重大事件に発展する可能性を孕んでいる。舐めてかかってはいけないということだ。


「谷上班長に口酸っぱく言われてることです。バカな私でも、十回以上も教えられたらさすがに憶えますよ」


「なるほど、いいことを聞いた。今度からお前に何か教える時は、十回以上言うことにしよう」


 ……それはやめてほしい。切実に。細かい鷹取部長のことだから、事の詳細まで本当に十回以上連続で言いそうな気がする。想像するだけで気が狂いそう。


「あの、部長。是非ともお手柔らかに……というかそれ拒否希望です」


「お前の給料は税金だぞ。甘ったれたことを言うな」


 ニヤリとする部長。でも私は笑えない。絶対また、いろいろ言ってくるに違いなさそうだ。


 そんなやりとりをしていると。烏丸さんが上司と思われる年嵩の男性を伴って帰ってきた。京極きょうごくと名乗ったその男性は、「警察にご協力します」との言葉と共に、御影サユリに関する情報を提示してくれた。


「改めまして。烏丸の上司に当たる、学生課の課長をしている京極と申します。貴署の捜査関係事項照会書、確かにお受け致しました。御影サユリという女性は、当校に在籍する学生に違いありません」


 京極さんが持ってきてくれた書面には、サユリに関する情報が余すことなく記載されている。現住所、生年月日、学籍番号、そして携帯電話番号。緊急連絡先として両親の情報もあった。


「この書面はいただいても?」

 

「構いません。当校は可能な限り警察に協力するつもりです。学生の安全を確保するのも大学の責務ですから。そしてその学生──、御影サユリの情報なのですが」


「なにか特異な言動が?」


「特異というか……、確認なのですが。御影はいつから行方不明になっているのですか?」


 鷹取部長に小さく合図をされる。そうだ、この件に関しては私の方が詳しい。私が直接、彼氏である笹部さんから状況を聞いたのだから。


「二週間前から彼女と連絡が取れないと、サユリさんの知人から情報提供を受けたことが発端です。もしかしたら事件事故に巻き込まれているかもしれない。私たちは彼女の無事を確認すべく捜査をしています」


「二週間前から、ですか。それはおかしいですね」


「おかしい?」


「記録によると御影は昨日、授業に出席したとなっています」


「大学に来ていたんですか?」


「いえ、オンライン授業です。当校は対面授業とオンライン授業を選択できるシステムを導入しています。御影が昨日受講したのは、オンラインによる都市環境デザイン論。昨日の午後に受講しています。顔認証による本人確認を行っていますので、間違いありません」


 どういうことだろう……? 二週間前に行方不明となったのに、昨日オンラインでの授業を受けている? スマホの電源が生きているかどうかの話じゃない。オンラインであれ、授業を受けているなら緊急性などあるはずがない。

 と、言うよりも。現在サユリと連絡が取れていないのは事実だけど、昨日まではその所在が確認されていたということになる。


「鷹取部長、これって……?」


「いや、まだ状況は判然としない。とにかく対象の身柄を確保するのが先決だ」


 部長は京極さんに向き直り、改めて捜査協力を依頼した。


「京極さん。大学側から御影さんに電話をしていただけませんか。そして面接する約束を取り付けてもらいたいのです。もし御影さんが、誘拐などの事件に巻き込まれているとしたら。警察からの電話は、その犯人を刺激しかねない」


「その件についてですが。どうかそれだけはご容赦願えませんか。我々は学生を守ると同時に、職員も守らねばなりません」


「……なるほど、仰るとおりです。すみません、無理を言いました」


「その代わりと言ってはなんですが。大学の電話を使用して下さい。当校としては、御影に電話をするのは警察の方にお願いしたいのです。何分なにぶん、不慣れなものですから」


 ……まさに部長が狙った通りの展開。これで大学の電話回線を使ってサユリに連絡をし、電源の有無を確かめることができそうだ。

 ありがとうございますと部長は京極さんに頭を下げ、その後で私に向き直った。


「上沢、女性のお前の方がだろ。頼んだぞ」


「やっぱり私ですか」


「対象に架電して面会する約束を取り付けろ。どんな理由でもいい。お前のセンスに任せるからな」


 そう言われてもなぁ……、演技なんてしたことないし。でもやらなきゃサユリの無事は確認できない。つまりやるしかない。


 烏丸さんに案内してもらい、その電話を手にする。さっき教えてもらったサユリの電話番号をひとつずつ確認しながらプッシュすると、すぐにコール音が鳴った。

 耳に受話器を当てたまま、私は鷹取部長に「コール鳴りました」と伝えた。部長はすぐさま自身のスマホを抜き、電話を掛ける。きっと名谷部長にだ。


 二回目のコール音。そして三回、四回、五回……。

 冷たいコール音が続く。それでもサユリはまだ、電話に出ない。




【続】

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