第5話「夜姫との邂逅」
諦めたように項垂れた店長は、「園田エリカの部屋は一番奥の十二号室です」と小さく答えた。受付にある内線電話を手にしたところを見ると、今からエリカに連絡を取るつもりなのだろう。それをする前に店長は、心配そうな声で問う。
「確認ですが、他の部屋を見ることはないのですね?」
「約束します。我々の仕事は、行方不明者の安全を確保すること。ただそれだけです。対象である園田エリカの部屋に案内してくれれば、他の部屋を開けることはない」
鷹取部長は淀みなく答える。いつも冷静な部長は、エリカの影を捉えてもその姿勢を崩さない。私は今にでも、走り出したくなる気持ちを抑えるのに精一杯なのに。
「……わかりました。それでは連絡します。もちろん彼女を、ここから連れ出すつもりなんでしょう?」
「申し訳ないが、そのつもりです」
「ナンバーワンキャストになれる可能性を秘めた逸材だったのですが。致し方ない、彼女は諦めます」
今からお客さんが行くので、部屋の前で待機していて下さい。店長は電話越しにそう言うと、受付の横にあるカーテンを手にした。
「先ほども言いましたが、一番奥の十二号室です。その前に彼女が立っている。私は他の仕事もありますし、そもそも同席させてはくれないのでしょう。ですのでここで待機しています」
「お心遣い、感謝します」
カーテンがゆっくりと開かれる。目に入ったのは薄暗い廊下。左右に扉があり、小部屋がいくつか連なっているようだ。
その廊下の一番奥。そこに一人の女性が立っているのが見える。暗い廊下の中に佇むその姿は、さながら夜のお姫様。
部長を先頭に私はその後を追う。探していた対象、園田エリカはもう手の届く場所だ。
────────────
「え、待って二人組?」
薄手の服……と言うかほとんど下着のような格好をした、その女の子の第一声。それは心底焦ったような声色だった。
照明の暗い廊下に佇む彼女の表情はよく見えない。それでも彼女が焦っているように見えるのは間違いない。二人組の客を相手にするなんて聞いてない、そんな雰囲気で彼女は続ける。
「しかも女もいるじゃん! 聞いてないって、ありえないって! 初めてのお客が二人組の男女とか、そんなの説明受けてないし!」
「園田エリカだな」
「なんで本名知ってんの? え、何者?」
「安心してくれ、俺たちは客じゃない。水瓶署の警察官だ。君に行方不明届が出されているから、こうして捜索していた。君、家出をしてるだろ」
「……またあのババアかよ。くっそ、ほんといつもあたしの邪魔してくるな。死んでほしいよマジで」
エリカの顔が歪んだ。行方不明届、という言葉でわかったのだろう。この家出が通算五回目。それだけ家出をしていれば、警察が来たくらいで驚きはしないのかもしれない。
しかし実の母親をババア呼ばわりはあんまりな話だ。どんな気持ちで母親が過ごしているのか、少しくらいわからせないと。
「お母さん、エリカちゃんのこと心配してるんだよ。そんなこと言わないであげてよ。お母さんはきっと、」
「あのさ。大して事情も知らないのに、その上から目線やめてくんない? 正直ムカつくから」
真っ直ぐな敵意。それは純粋すぎて、裏を返せばそれが子供のものであると感じてしまう。この子はやっぱり幼い。見た目は美しい女性に違いないけれど。
「その辺りの事情を聞きにきた。廊下で話すことでもないから、部屋の中で話さないか。他の客の迷惑にもなるだろう」
部長が促すと、エリカは無言で小部屋の扉を開いた。とりあえずは話を聞いてくれそうだ。私が先に部屋に入って、それに続いたエリカが二番目。部長は最後に部屋に入ると、扉を閉めてその前に立った。
あぁそうか。これはエリカに逃げられないための措置。ここまで来てエリカに逃げられたら目も当てられないと、私は反省する。私が先に入ってどうするんだ。もし私一人だったら……、きっとこれは後で怒られるヤツ。
腕を組んだ部長は無言で私の方を見る。きっと私がメインで話をしろってことだろう。こう言う場合、まずはラポールの形成だったっけ。同じ目線で話をするのが有効だったはず。
私はゆっくりとエリカに近づいた。彼女はベッドに腰を下ろしているから、私も同じようにする。
ベッドに腰掛けて、小さい部屋に視線を這わせる。あまり大きくはないベッドのすぐそばに、シャワー設備があった。仕切りは簡素なシャワーカーテンのみ。湿気とか大丈夫なのだろうか。
ベッドに接する壁は何故か鏡張り。上を見たら天井にまで鏡が張られてある。その鏡に、赤を基調とした暗い間接照明が反射していた。とても寂しい部屋だ。ここは孤独のにおいしかしない。
意を決して話をしようと横を向くと、エリカはタバコを咥えて火をつけていた。この子、未成年じゃなかったっけ。煙を部屋の上部に吐き出すとともに、エリカは言う。
「……それで? あたし、これからどうなんの。捕まるの?」
「えっと、エリカちゃん。まずそのタバコ、やめてくれないかな」
「は? なんで?」
「なんでって、あなた未成年でしょ? 未成年の喫煙は法律で禁止されてるんだよ」
「どうだっていいよ、そんなの。イライラしてるから吸うの。放っといてよ」
「だめ。私は警察官だから、目の前の法律違反には目を瞑れない」
「そんなカタいこと言わないでよ。あたしの話、聞いてくれるんじゃないの?」
「聞くよ。聞くけど、まずはタバコを消してから」
「嫌。タバコ吸いながらじゃないと、あたし話聞かないから」
「じゃあ私も話をしない。それでどれだけ嫌だって言っても、ここに居続けるから。根比べは得意だし」
「……わかったよ。消せばいいんでしょ、消せば」
エリカは不機嫌な声をあげて、タバコを灰皿に押し付けた。煙漂う部屋の中で、私は大きく深呼吸をする。この子を確実に保護する。それが私に課せられた任務だ。ここからは絶対に失敗できない。
「あのね、エリカちゃん」
「お姉さん、その『エリカちゃん』ってやめてくんない? もうその名前は捨てたから」
「じゃあなんて呼べばいい?」
「リカ。ここでの名前はそれに決めたの。これがあたしの新しい名前」
「じゃあリカちゃんって呼ぶよ。私は、さっきも言ったけど水瓶署の警察官。生活安全課防犯係で、名前は上沢。
「そっちのカッコいいお兄さんは?」
「え? カッコいい?」
思わず突っ込んでしまった。なるほど、エリカに鷹取部長はそう映るのか。今まで上司としてしか見たことがないから、その言葉には同意しかねる。
でもこれはチャンスかもしれない。少なくともエリカは、部長に興味を持っているかもってことだから。
「ね、お兄さんの名前、なんていうの?」
「あの人は私の上司だよ。名前は……」
「
「ふうん。上沢さんに鷹取さんか。覚えた。それでなんだっけ。あたしを逮捕するんだっけ? 鷹取さんになら逮捕されてもいいよ。正直、タイプだし?」
さっきとは打って変わって、少しだけ笑みを見せるエリカ。ていうか部長がタイプって……、一回りくらい歳が離れているのではなかろうか。
エリカはじっと部長を眺めている。これ、やっぱり部長がメインで話した方がいいのでは? 私は部長に目配せをするけど、部長はぴたりと口を閉ざしたままだ。
「クールな人ってカッコいいよね。鷹取さん、モテるでしょ? なんか仕事もめちゃくちゃできそうだし。ねぇ、鷹取さんって歳いくつ? もう結婚してる?」
「……俺のことはどうでもいいだろう。まずは上沢の話を聞いてくれ」
「聞くよ。聞くから鷹取さん、答えてよ。あたしに質問したいなら、そっちもあたしの質問に答えて。ギブアンドテイクってヤツだよ」
ニヤリと笑うエリカに、部長は小さな溜息を吐いた。部長は腕を組んだまま、静かにその問いに答える。
「俺は独身だ。今年で三十一歳になる。あとカッコいいとか言って、大人をからかうのはやめろ」
「からかってないよ。あたし、お世辞とか言うの嫌いだし。ねぇ、今年三十一歳ってことは鷹取さん、
「感じるか? 干支が同じってだけだろう。それより俺は答えたぞ。次はリカの番だ」
「私のお願いしたこと守ってくれてる……。やっぱり鷹取さん、モテる人だ」
「そんなことはない」
「モテる人はみんなそう言うんだよ。ま、いいよ? ギブアンドテイクだからね。こっちも質問に答えたげる」
やりにくい……。もう二人で話せばいいじゃん、とも思う。でもこれは私の仕事。彼女の言い分を聞いて、そして彼女が納得した上で、家へと無事に帰すこと。それが私の責務だから。
「あのね、リカちゃん。まず聞くけど、どうして家出をすることになったの?」
「そんなの決まってんじゃん。あのババアと仲悪いから。家を出てけって言われたから、あたしはそうしただけ。ていうかおかしくない? あのババア自分から出てけって言ったのに、なんであたしの行方不明届なんて出すワケ? 言動一致してなくない?」
「きっと、言い過ぎたんじゃないのかな。でもやっぱりリカちゃんが大切だからさ、私たちに探してほしいって言ったんだと思うよ」
「騙されてるよ、それ。あのババアに」
「またババアって。そんなにお母さんと仲悪いの?」
「顔も見たくないし話したくもない。消えてほしい、ほんとに。あのババアはね、あたしが居ないと困るんだ。それだけなんだよ」
「何でそんなに……。お母さんはきっと、」
「なんであっちの肩ばっか持つの? 娘が居なくなったから探してくれって言われて、そのコトバ鵜呑みにしてあたしを探してたの? それでいろいろ調べて、あたしがこの店で働こうとしているのを知って。それで止めに来たってワケ?」
それは切実な声だった。悲痛と言い換えてもいい。何がそうさせているのだろう。この行方不明事案に、どんな背景があるのだろう。
まずはそれを知る必要がある。エリカの悩みの根本を解決しなければ、本当の意味でこの事案は解決しない。ただ対象を見つければいいというわけではないのが行方不明事案の難しいところだ。
「話してよ、リカちゃん。私たちは、お母さんの肩を持ってるわけじゃない。私たちの立ち位置は中立だよ。だからこうして、リカちゃんからの話を聞きたいの。向こうの肩だけ持つのなら、リカちゃんから話なんて聞かない。問答無用で引きずって行けばいいんだから。でしょ?」
「……あたし、これからどうなるの。嫌だって言っても、ババアのところに戻されるの?」
「これからどうするのか、どうすれば一番リカちゃんのためになるのか。それを決めるためにも詳しく話を聞きたい。私たちは絶対に、話を聞かないまま連れて帰ったりしない。それだけは約束するよ」
口を噤んで押し黙るエリカ。ややあってから、ぽつりと漏らすように言う。涙ぐんでいるようにも聞こえる、それは小さな声。
「ホントに、信じていいの? あたしを助けてくれるの……?」
「だからこうして、私たちはリカちゃんを探してた。そしてやっと辿り着いた。私たちは助けを求める人を絶対に見捨てたりしない。だって、警察官だから」
──誇りと使命感を持って、国家と国民に奉仕すること。
これは警察学校で叩き込まれた職務倫理の基本だ。
私は悪い人を懲らしめるために警察になったのではない。目の前のエリカのように、困っている人を助けたいから警察官になったのだ。
だからこの子は助けてあげたい。望まないまま身体を売る職業に就こうとしているこの少女を、本当の意味で助ける。それまで私は、絶対に諦めない。
「だからね、リカちゃん。まずは話して。何からどう助けてほしいのか、私たちに教えて。一緒に考えよう。どうすれば、リカちゃんが幸せになれるのかを」
エリカは一旦、目を閉じて。そして小さく頷いた。
「……助けてほしい。アイツらから、あたしを護ってほしい」
【続】
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