第2話「影を追う」
「夜の仕事や言うても、職種はようさんある。ガールズバーにキャバクラ、違法スレスレのリフレ関係。あとはヘルスやピンサロなんかの性風俗関係やな」
班長は二本目のタバコに火をつけて、渋い顔で煙を吐き出していた。私はもう一度、行方不明者届出受理票に目を通す。
末尾に貼付されている顔写真。加工しているのかどうかはわからないけれど、女の私が見ても可愛いと思えるエリカの写真。
私とは違って、胸もかなり大きい。私の小さなサイズより、三段回かそれ以上はあるかも。きっとEかFだ。羨ましい。これを夜のお店のサイトに載せれば、すぐにでも客が付くだろう。
「エリカは不良娘やけど、見てくれはそれなりや。写真だけみたら大人しそうな感じやし、そこそこ稼げるんちゃうか。いや、もう実際に稼いどる可能性もあるな」
「もう稼いでる? 班長、事案認知は午後五時だって言ってませんでしたっけ?」
「詩織ィ、お前ちゃんと受理票見たんか。認知は午後五時やけど、届出人の実母が最後にエリカを見たんは今朝のハナシやぞ。そやからもう働いとってもおかしないんや」
慌てて受理票の一枚目をめくると、確かに最終確認日時は本日午前八時となっていた。
エリカが姿をくらませて、すでに半日近くが経過している。夜のお店で既に勤務をしていても、確かにおかしくはない。
「もしそうだったとしたら……」
「そうやったとしたら何や、詩織」
「見つけて止めてあげないと。本人がもし望んでないなら、なおさらです」
「ワシの勘が合うとったら十中八九、ハコヘルでもう働いとる思うけどな。どうや鷹取、お前の見立ては」
「確かに、すでに稼働している可能性はあります。ただ根拠がありません。数が多い
「その通りやな。割りのええバイトするいうて、それが夜の仕事やいう確証はどこにもない。ほんなら詩織ィ、この場合どうやって対象を探すんや。もうお前、防犯係に来て三年くらい経つからわかるやろ。言うてみぃ」
「班長、私まだここに来て一年も経ってないんですけど」
「そやったか? あかんな、歳取ると忘れっぽくなるわ」
「でも、行方不明者捜索活動の初動はわかります。ここへ来てまだ半年ちょっとですけど、嫌になるくらいその取り扱いはしましたから」
「ほう、頼もしいやんけ。詩織ィ、ほんでどうやって探すんや」
「エリカが持っていると思われる、スマホの位置探査照会。スマホが生きていれば、それで大まかな場所を絞れます。受理票にはスマホ所持との記載があったはずです」
やるやんけ。班長はニヤリと笑いながら、自身のスマホを私たちに翳した。覗き込んだ画面に映っていたのは、印が入れられた地図だ。表記された地名から、その地図がここ皆戸門街のものだとすぐにわかる。これはもしかして。
「本署で事案認知したと同時に、キャリアに位置探査依頼かけとったんや。今しがたその回答が来たで。本署に詰めとる
細い扇形に色が塗られたエリアは、皆戸駅を基点にして真北の方角。その距離は約一キロメートル。つまり班長の予想通り、この色街に対象のスマホがあるということになる。
GPS探査ならピンポイントで位置が出るけれど、こちらはスマホの電波を使った探査だ。対象端末から発信された電波が、最寄りの
これにはメリットがあって、対象端末に位置情報を送信しているという表示がされない。つまり相手にバレないのだ。デメリットはこうして、そのスマホがあると思われるポイントが絞りきれないところ。
「探査時刻は午後七時十分現在。駅を起点に十一時から一時の方角、つまりほぼ真北やな。ほんで距離は約一キロ。ちょうど皆戸のヘルス街や」
「その位置だと、皆戸門街にある性風俗店の大半がエリアに被ります。もう少しヒントがないと、どこにいるか絞りきれません」
「その通りや、鷹取。さっきお前が言うたように、店の総当たりは現実的とちゃう。一軒一軒当たっとったら夜、明けてまうで。アホみたいにようさん店あるからなぁ」
確かに班長の言う通り。だだっ広い草原ならまだしも、ここは県下一番の繁華街。雑居ビルにひしめき合う店の中から、エリカを探すのは至難の業だ。
でも、それでも。難しいことがわかっていても。誰かがやらなければならない。それに事案が事案だ。望まぬまま性風俗店で働こうとする未成年者を放っては置けない。これはただの家出じゃない。
だから私は、意を決して発言した。
「それでもエリカを探さないと。たとえ一軒一軒当たっても。私はそう思います」
「よう言うた、詩織ィ。こんな不良娘でも、親にとったら大事な娘には違いないやろ。受理票が出とる限り、どんなヤツでもワシらは探さなあかん。犯罪を未然に防ぐ。それが
それが防犯係の仕事。ここに入ってから、班長が口酸っぱく言っているこのセリフ。ここが地獄とわかっていて、その扉をノックしたのは他でもない私だ。自分の選択には責任を持たなければならない。
……時折溜息が出るのは、仕方がないことだと思いたいけれど。
「と、いう訳でや。こんなこともあろうかとワシは、
「
「そや、鷹取。名谷はネット捜査も得意やろ。エリカは十九の娘、SNS関係は間違いなく使っとるハズや。そこにヒントがあるかも知れん。ほんならエリカのアカウントをどう割るかいうハナシになるやろ。ほんで過去の補導歴からエリカの交友関係がわかってきとるんや。そのウチの一人が、
日夜、各種事案を取り扱う警察は、事件にならなそうな相談でさえ全て記録化している。その膨大な取り扱い歴を網羅したものが、通称『ログ』と呼ばれる警察情報だ。時として事案解決の道標となる、それは貴重な情報源。
「班長、そのログってどんな内容なんです?」
「三ヶ月前の
「その友人づたいで、エリカのアカウントを割ると?」
「その相談者の
「つまりその相談者は、エリカと一緒にいる可能性があるってことですね?」
「店の名前はマーベラスヘヴン。店の位置もばっちり探査エリアに入っとるし、名谷も近くに配置させとる。ほな、行こかァ」
二本目のタバコを灰皿に押し付けて。班長は大きな体をのそりと動かした。私と鷹取部長はその背中を追う。事態は大きく、動き始めようとしていた。
──────────
「……あの、鷹取部長。これってどう考えてもセクハラじゃありません?」
自分のスマホに映っているその画面を見て、私は我慢していた溜息をまた吐き出した。事態が動き始めようとしていた三十分前。マーベラスヘヴンという店舗型ヘルスに目をつけた私たちだったけど、結果から言うとその店は空振りだった。
客を装って入店した名谷部長は、十分もしないうちに店から出てきたのだ。発した第一声は「班長、ハズレっす」。
その店に、今日入店した新人エンジェル──このお店では女の子たちをそう呼ぶらしい──はおらず、そしてエリカの友人と目されるストーカー被害の相談者たる紅井イチゴも、一ヶ月前に店を辞めていたらしい。
ただ、名谷部長はマーベラスヘヴンの店長との会話の中で、ひとつ有用な情報を得たという。そのストーカー被害の相談者、つまりエリカの友人である「イチゴ」は、別の性風俗店で働いているのではなかろうかという情報だ。もしかしたらその別のお店に、件のエリカがいるのかもしれない。
そこから私たちは、二個班に分けて捜索を再開した。谷上班長と名谷部長は、入店して間もない女の子がいる性風俗店を足で探す。そして私たちは、それをネットで探す。つまり私は、性風俗店のサイトをネットで漁りまくっているという訳だ。それも繁華街のど真ん中、無理やり作ったような円形広場のベンチに座りながら。
名状し難い気持ちというのはきっと、こういうことを言うのだろう。
「……あの、鷹取部長。聞いてます?」
「聞いてる。これがセクハラになるかどうかって話なら、悪いが班長にしてくれ。お前も足で探せ、って言われなかっただけマシだろ」
「いえ、私も足で探したいですよ」
「女性のお前が店に聞き込みしても、面接希望かと言われるのがオチだ。それより見つかったのか、手掛かりは」
「ダメですね。本日入店って文字が書かれている女の子は結構な割合でいますけど、今日より以前の写メ日記ってページがあります。明らかにウソですよね、本日入店って」
「ページを更新してないんだろうな。わざとなのかそうでないのか、わからないが」
「ていうか、まだエリカがこういうお店で働いているかどうか、わかんないですよね。性風俗店じゃなくてガールズバーやキャバクラの可能性だってありますよ」
「その通りだが、手っ取り早く稼げる手段はやっぱり性風俗関係だろ。それにスマホの位置探査場所は性風俗街のど真ん中だ。今日の午後七時十分に、確実にエリカのスマホはこのエリア内に存在していた。現状、エリカが性風俗店で勤務している
鷹取部長は私に目もくれず、自身のスマホに視線を落としている。親指で画面を弾いて、スクロールを続ける部長。私もそれに倣おうとしたけど、やっぱり指がついていかない。この複雑な気持ちはきっと、同性にしか理解できないと思う。
女性が、自身の身体を売る仕事に就いているという現実。これを目の当たりにして、世の女性の多くはどう思うのだろう。
蔑みだろうか。それとも憐れみだろうか。あるいは私みたいに、一刻も早く止めてあげたいと思う人もいるだろうか。
「上沢」
はっとして視線を上げると、部長と目が合った。スクロールする手をぴたりと止めて、部長は続ける。
「気が進まないなら、エリカのSNSアカウントを探してくれ。そっちの方が難しいかも知れないが、女性のお前に風俗サイトを検索させるのはやっぱり気が引ける。俺は班長みたいに豪胆じゃないんだ」
「気を遣ってくれなくていいですよ、部長。さっきのセクハラ発言は、ほんの冗談ですし」
「でもお前、複雑な表情してるぞ。やる気はあるが、このネット捜査には意味を全く感じない。そんな顔だ」
「……そうですか? 部長の思い違いじゃないです? そんな複雑な顔、してませんよ。私の顔ってほら、単純だし」
気取られまいと、自分の頬を抓ってみせる。見てないようで、よく見ている鷹取部長。この人に嘘は通じない。部長の言う通り、ネット検索には意味を感じられない。私はすぐにでも一軒一軒、直接店に当たりたいと思っていた。谷上班長の下命を無視しても。
でもそれを進言しても、いつも冷静で合理的な判断しかしない鷹取部長に、止められることは間違いない。だから今は、意味がないと思っていてもこれをやるしかない。
私はひとつ深呼吸をして。再びスマホに視線を落とす。ページをスクロールしようと思ったその時だ。その大きな声が聞こえたのは。
「……アニキ?」
私たちが座るベンチの目の前。そこに派手なスーツの男性が立っている。濃紺のジャケットに、黒のシャツとショッキングピンクのネクタイ。明らかに普通のナリではないその男性は、一言目よりも大きな声で続けた。
「鷹取のアニキじゃないっすかぁ! うわぁ、久しぶりだ! オレっすよ、アニキ! あん時お世話んなった、サブですよぉ!」
【続】
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