第10話「相談受理」


「──彼女と連絡が取れないんです。もう二週間になるんです」


 生活安全課相談室。その小さな部屋の中で、私は約束をしていた相談者から事情聴取をしていた。

 私が「生活安全課防犯係の上沢です」と簡単に自己紹介をすると、その相談者は首から下げていた社員証と、そして保険証を提示して自分の名を述べた。その姿から察するに、どうやら出社を遅らせてここに来たらしい。

 相談者の名前は笹部ささべ賢斗けんと。三十一歳、誰しもが聞いたことのある大手電子機器メーカー勤務の、仕立てのいいスーツを着た男性。

 きっときちんとした社会人なのだろう。相談者としては珍しくアポを取ってから来署らいしょした人物だ。

 

「二週間も連絡が取れないなんて、初めてのことなんです。彼女に何かあったのかも知れない。そう思うと、夜も眠れないんです」


「ええと、その彼女のお名前は?」


御影みかげサユリ。水瓶市内に住む二十一歳の大学生です。実家は他県で、大学近くのアパートで一人暮らしをしています。彼女の部屋には何度も行ってるんですが、ずっと電気は点いてない。事故か事件に巻き込まれたのかもしれない。どうか、彼女を探してほしいんです」


 また行方不明事案……。今度は二十一歳の女性。おまけに二週間も連絡が取れてないという、探すのがなかなかに難しいケースだ。

 行方不明事案、というよりこれは警察事案全般に言えることだけど、解決には立ち上がりのスピードがものを言う。初動は警察のかなめ、ってヤツだ。

 行方不明になりたてならまだしも、二週間というのは相当な期間。時間が経てば経つほど、対象の足取りを掴むのは格段に難しくなる。それは過去の経験からわかっていることだった。つまり、今回もまた厳しい戦いになりそうな予感だということ。


 とりあえず。まずはどう言った状況で、くだんのサユリという女性が行方不明となったのか聞き出すことが先決だ。私はサユリの彼氏である笹部さんに水を向ける。


「僕とサユリは、付き合って一年になります。恥ずかしい話なのですが僕の一目惚れで。十歳も離れているんですが、猛アタックの末に付き合えることになったんです」


「なるほど。それで、その彼女……つまりサユリさんと連絡が取れなくなった心当たりってありますか?」


「心当たりというか……、実は」


「実は?」


「未だに信じられないのですが。サユリにはどうも、新しい男ができたかもしれないんです。怒ったりとか問い詰めるようなことはもちろん、していません。でも明らかにこのところ、サユリの様子はおかしかった。もしかしたら、その新しい男のところにいるのかも知れません」


「それって……、言いにくいのですが。おふたりは交際を解消された、ということですか?」


 笹部さんは強く首を振った。僕とサユリは別れてないと、真っ直ぐな目で言う。


「サユリの様子がおかしいと思い始めたのは、彼女が行方不明になる少し前からです。やたらスマホを気にするようになった。僕と一緒にいても心ここに在らずという感じで。そして……、行方不明になる二日前。サユリが、彼女の同世代と思われる若い男と一緒に、楽しそうに街を歩いているのを偶然見かけたんです」


「別の男性ですか……。それに関して、笹部さんから何か言ったのですか?」


「あれは大学の友達なのかと訊きました。するとサユリは少しばつが悪そうな顔をして、そうだよと答えた。フィールドワークの班が一緒の男性だと、そう付け加えて。その様子が決定的におかしかったんです。一年も一緒だから、そういう機敏は嫌でもわかるんです」


「なるほど……」


「それから二日後、サユリとは連絡が取れなくなった。いつもならすぐに返事が返ってくるメッセージも、行方不明になってからずっと未読状態だ。しばらくは、僕が何かまずいことでもしたのかと思って様子を見てたんです。でももう二週間が経つ。これはどう考えてもおかしい」


 頭を抱えて、笹部さんは声を曇らせた。そして自身のスマホを差し出して、行方不明者であるサユリとのやりとりを見せてくれる。

 SNSのメッセンジャー、アプリの名前はwireワイア。ネット回線で電話もできる、誰しもが入れてる人気アプリのひとつだ。

 対象であるサユリとのやりとりは、十二月二日を最後にサユリからの返信がない。既読もついてない状態だ。

 それ以前のwireについて、断りを入れて見せてもらう。そこには他愛ない会話がたくさんあった。

 どこどこのアイスが美味しかったから今度一緒に食べようとか、夜景が綺麗な場所を教えてもらったから一緒に行こうとか。恋人のいない私からすると、それはとても羨ましく映るやりとりだ。


「笹部さん、サユリさんの顔写真はあります? できるだけ直近に撮影したものがいいのですが」


「あります、これです。一応、プリントして持って来ています。先月中頃に撮影したものです」


 差し出された写真には、優しく微笑む女性が一人で写っていた。背景は、朱に色を染める木々。美しい紅葉に引けを取らないくらい、可愛らしいサユリが映えている。


「紅葉を見に行ったんです。その時は、こんなことになるなんて思いもしなかった。とても幸せだったのに……」


 写真を目の前に、少し涙ぐむ笹部さん。それほど彼女が大切なのだろう。当の彼女は今、どんな思いでいるのかわからないけれど。

 

「……それで上沢さん、サユリを探していただけるのでしょうか。行方不明者として」


「そのお話なのですが。笹部さんは、サユリさんの親御さんをご存知ですか? 連絡先などは」


「サユリのご両親は存じ上げません。もう少し時間が経ってからご挨拶に、とは思っていたのですが」


「そうですか……。これから私の上司に状況を報告しますが、現状では笹部さんからサユリさんの行方不明届をお受けすることは難しいかもしれません。どうかご了承ください」


 笹部さんの目の色が変わった。一縷の希望が潰えてしまった、そんな表情だ。私は努めて冷静に答える。


「行方不明者届出受理票の届出権者は、簡単に言うと親族に限られています。その他にも届出権者足り得る人はいるのですが、交際されている方はそれに含まれないんです」


「そんな……、なんとかなりませんか。サユリの無事を確認してもらえるだけでいいんだ。もしサユリに新しい男が本当にいて、僕を捨ててその男と仲良くしているのならそれでもいい。僕はただ、サユリの無事を確認したいんです」


 相談室の机に額をつけて、笹部さんは懇願する。なんとかしてあげたいとは思う。思うけれど。でもこの組織の末端である私が、決められたルールをどうこうできる訳じゃない。


「……ここで少しお待ち下さい。上司に報告してきます」


「お願いします上沢さん。どうか、どうか」


 期待はしないでほしい。時に警察組織は非情だ。本当に困っている人を助けることができないこともある。

 私たち警察官は法の執行者。だからこそ法律が万能でないことを知っている。

 笹部さんから聞いた状況をまとめた私は、もやもやした気持ちを胸に相談室を後にした。



   ────────────



 自席に戻って鷹取部長を探したけれど、生憎の不在。まだ道場で眞子と話しているのだろうか。その隣、谷上班長の席も空、というか班長は今週頭から警察学校に入校中だ。たしか犯罪被害者支援専科だっけ。一週間の入寮だと、班長が嬉しそうに言っていたのを思い出す。

 警察学校に入校するのが楽しみだなんて私には到底思えない。あの地獄としか思えない初任科しょにんか時代を否応なく思い出してしまうからだ。


 さて誰に報告したものかと思っていると、ちょうど名谷なたに部長が席に戻ってきた。これは思わぬ僥倖。名谷部長は鷹取部長と違って、フランクで温かくて話しやすい。三十代半ばにしては適当すぎるし、ちょっといじわるなところもあるけれど、信頼できる上司には違いない。


「名谷部長、今いいですか?」


「どした上沢。相談受けてたのか?」


「はい、行方不明事案……みたいな相談なんですけど」


「まがい?」


「行方不明になっているのは相談者の交際相手。二十一歳の女性、大学生です。二週間前から連絡が取れない状態とのことなんですけど」


「ふうん。状況は?」


 私は相談者である笹部さんから聴取した詳細を名谷部長に説明する。名谷部長はそれをひと通り聞いたあと、「その相談者からは受けられねーな」と漏らした。


「上沢の言うとおりだよ。その相談者、笹部って言ったっけ。ただの交際相手なら届出権者には該当しねーな。長いこと同棲でもしてりゃあ別だが、そうでもないんだろ?」


「同棲はしていません。でも、くだんの御影サユリが行方不明になっているのは事実なんです。それに今のところ、サユリのご両親の連絡先は不明です」


「親族もわからねーってことか。なるほど。その笹部って人には申し訳ないが、ルールはルールだからな。丁重に断り入れて、とりあえずは帰ってもらうしかねーな」


「サユリはどうなるんですか? いなくなっているのは事実なんです。事件事故に巻き込まれている可能性も、現時点では否定できません」


「そりゃあそうだ。だからサユリはサユリで探さないといけない。警察は事案を認知した以上、何らかの行動を起こさねーと、だからな。でも現時点で、サユリの行方不明届を出せる届出権者は存在しない。となると、この場合どう動くのが正解かわかるか、上沢?」


 こういう場合、どうしてたっけ。似たような事案を思い出す。あれは確か、お互い地方から出て来ていた一人暮らし同士のカップルの彼氏が、自殺を企図して行方をくらませた事案。その時、男性の親族の情報は不明であり、同棲していなかった彼女は届出権者に成り得なかった。

 でも事案が事案だった。人身の安全に関する事案は、初動こそ要。そうだ、あの時は──。


「……特例受理、ですね。警察署長が特に必要と認める場合は行方不明者届の有無にかかわらず、それに準じた措置を講じることができる」


「上沢、よく勉強してんじゃねーか。入校中の班長もきっと喜ぶぜ。そのとおり、この場合は特例受理が可能だ。居なくなったと知ったのに、『そうですかほなさいなら』じゃ済まされねーからな、警察は。でも特例受理は万能じゃねーってことも、わかってんな?」


「はい。この場合、笹部さんには発見活動に係る一切の情報開示はできない決まりです。もしサユリを見つけたとしても、サユリが『何も伝えないでほしい』と言えば安否すら伝えられません」


「おー、いいね上沢! もうすっかり、いっぱしの防犯係員だな!」


「いえ……、まだまだ鷹取部長には怒られてばかりですから」


「鷹取は他人に厳しいからなぁ。その分、自分にはその百倍くらい厳しいんだけど。ありゃ修行僧だぜ。ま、とりあえず本件はその方針で行こう。特例受理ができるだけの情報はもう取ってんだな?」


「はい、大丈夫です」


「なら相談者に伝えてくれ。あんたから行方不明届は受けられねーが、こっちで対象は探すってな。もちろん情報開示できないことも併せて伝えろ。おれも同席できりゃあいいんだけど、これから別件の相談受理なんだよな。だから頼んだぜ、上沢」


「了解です!」


 これで組織対応としてサユリを捜索できる。笹部さんは、せめて無事の確認だけでもと言っていた。その願いはなんとか叶えられそうだ。サユリを見つけて同意を得られれば、の話だけど。

 私は踵を返し再び相談室に向かう。引き返す足取りは、さっきよりも少しだけ軽い。

 必ずサユリを見つける。その強い思いを胸に、私は相談室の扉を開けた。



【続】

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