第11話「意外な共通点」


 行方不明者届出受理票は、やはり笹部さんからは受理できない。しかしサユリさんの行方は警察で捜索する。でも捜索状況を逐一伝えることは規則上無理である──。

 私がその旨を笹部さんに説明すると、彼は涙を湛えて「ありがとうございます」と連呼した。


「それだけでも充分です。僕はサユリにもう振られているのかもしれない。でもそこは重要じゃないんだ。僕は、サユリの無事をとにかく確認したい。それだけなんです」


「わかりました。でも先ほども申し上げたとおり、もしサユリさんを発見したとして。彼女が笹部さんに『何も伝えないでほしい』と言えば、私たちは安否すら伝えられません。もちろん笹部さんが心配していることは伝えますが」


「ありがとうございます。彼女の無事の確認、それが一番知りたいことなんです。サユリが無事だったとわかって、それでもう僕に会いたくないと言われればそれまでです。その覚悟はできています」


 彼は俯きながら、カバンの中から一枚の封筒を取り出した。それを手に、笹部さんは続ける。


「もしサユリを見つけられたなら……、これを渡してくれませんか」


「それは?」


「手紙です。信じたくはないですが、サユリに新しい男がいるのなら僕は諦める他ない。でも彼女にこれまでの感謝の気持ちは伝えたい。できればこれと一緒に渡してほしいのです」


 机に置かれた封筒の横に、小さな縫いぐるみが並んだ。それはクマの縫いぐるみ。サユリが好きだという、東京ディスティニーリゾートの人気キャラクタだ。


「サユリはそのクマが好きでして。それは限定品らしく、手に入れるのに苦労したんです。せめてそれを渡してあげてほしい。できるのならもちろん、もう一度サユリに会いたいですが」


「お約束はできません。でも、努力はしてみます」


「それだけで充分です。上沢さん、本当にありがとうございます……」


 そう言った笹部さんは相談室を後にした。肩を落としている姿を見ると、心が痛む。これから出社だと言っていたけど、まともに働けるのだろうか。

 彼女のことを本当に心配している。その気持ちがひしひしと伝わってくる人だった。



 さて、とりあえずは初動だ。谷上班長は週末まで不在。名谷部長は別件相談対応中。鷹取部長は……、そろそろ帰ってくる頃だろうか。他の防犯係員、神南かんなみ先輩も湊川みなとがわ先輩も不在。つまり係には私しかいない。だから私がやるしかない。

 まずは特例受理で行方不明届を受ける旨を、県警本部の生活安全部に速報しなければ。

 わたしは警察電話けいでんの受話器をあげ、その番号をプッシュした。




   ────────────




「……なるほどな。それで特例受理か」


「はい、名谷部長にも確認を取りました」


 いつものくたびれた灰色のセダン。その助手席に収まった私は、特例受理した行方不明者届出受理票を手に説明を続ける。今回の行方不明者──、御影みかげサユリに関する情報、それを不足なく鷹取部長に説明しなければならない。

 相変わらず軽やかにステアリングを操る鷹取部長は、要所要所で的確な質問をしてくる。でもそれは想定済み。いつも同じことで怒られるから、相談者に何をどう訊けばいいのかは身体が憶えている。


「悪かったな、上沢。ひとりで受理させて」


「いえ、ひとりでも大丈夫だとまだ思われてない私が悪いんですよ。でも必要な措置はしたはずです」


「あれはどうだ。対象のスマホの位置探査照会は」


「それなんですけど。一応準備中なんですが、名谷部長のげんでは『キャリアに蹴られるかもしれない』とのことでした。電源が入っているかどうかの確認の後、キャリアに照会をかけるつもりです」


「電源、まだ確認が取れてないのか」


「彼氏も知らないらしいんですよ、サユリの電話番号を。ワイアってメッセンジャーアプリのIDだけしか知らないようです」


 最近の若いカップルならば、特に不思議なことではない。ひと昔前は電話番号とメールアドレスがやりとりに必須だったらしいけど、今は便利なアプリがあるからそうでもない。技術の進化は思わぬ弊害を生む。


「なのでサユリのスマホの電源については、大学側から電話をしてもらおうと思ってます。もちろん個人情報ですから簡単には教えてくれそうにないので、捜査関係事項照会書を持ってきてます」


「準備がいいな」


捜関そうかん忘れて鷹取部長に怒られたの、一度や二度じゃないですからね」


 私はニヤリと笑ってみせる。対する部長は呆れ顔。それでも他に何も言ってこないことを鑑みると、私の成長を少しは認めてくれているのだろうか。


「しかしアレだな。名谷部長の言うとおり、今回の位置探査照会は難しい。となると足で探すしかないな」


「スマホの電源が入ってても、キャリアは位置探査してくれないんですか?」


「居なくなって二週間だと言ってたが、二週間も電源がつきっぱなしのスマホってあるか? どこかで充電しないといけないだろ。そして充電できる環境下にいるってことは、緊急性が本当にあるのかという話になってくる」


「あ、なるほど」


「お前、本当にわかってんのか。スマホの位置探査における根拠法令、言ってみろ」


「ええと、アレです。そう、緊急避難」


「刑法何条だ」


 いきなりそんなこと聞かれてもすぐに答えられるはずがない。ていうか、何条ってそんなの知ってる必要があるのだろうか。

 ちらりと部長の方に視線を投げると目が本気。ヤバい。これは何か答えないと後で怒られるヤツ。


「刑法、三十一? 三十三……三十七? なんか素数だった気が」


「お前、不思議な覚え方してるな。それに三十三は素数じゃないが、まぁいい。三十七条であってる。刑法第三十七条に規定されてる緊急避難が、位置探査を可能とする根拠だ。位置情報は本来、憲法で保障されている通信の秘密に該当する。普段は守られるべきプライバシーだが、スマホの位置探査をすることでしか対象の安全を確保できないという『緊急性』が認められた場合、それは緊急避難に該当する」


「──やむを得ずに生じさせてしまった損害より、避けようとした損害の方が大きい場合、緊急避難に該当するってヤツですよね?」


「なんだ上沢、よく勉強してるじゃないか。ちょっと見直し……」


「スマホで検索したらすぐに出てきました!」


 部長は頭痛を抑えるように、こめかみに手を当てた。私にとっては、サユリの位置探査照会は今回できそうにない、とだけわかればいいのだ。難しい法律のお話はまた今度。

 要は「二週間も電源が入っているスマホはどこかで充電してんじゃないの? 充電できる環境下にいるなら緊急性なんてないよね、だから今回は緊急避難に該当しませんよー」って話。

 あぁ、わかりやすい。私みたいなバカにでもわからせたいのなら、このくらい噛み砕いて話してほしいものだ、まったく。


 部長は深い溜息を吐く。部長のそれを聞くたびに、なんとなく「してやったり」と思ってしまうのは私の気のせいだろうか。

 部長は首をこきりと鳴らして再び前を向いた。これは部長が苛立ってるサイン。もう長いこと一緒だから、それくらいは私にだってわかる。


「……それで今向かってる場所は、件のサユリが通う大学でいいんだな」


「はい。サユリのアパートにもほど近いですし、大学にはサユリの友達がいる可能性が高いです」


 水瓶市内でも有名な高偏差値の私立大学。そこの人間環境学部にサユリは在籍しているという。

 ここからなら大学まで車で十五分、といったところか。聞き込みでサユリの友達に当たればいいんだけど。


 滑らかに進む車の中で、なぜサユリが行方をくらませたのかを想像してみる。笹部さんは、サユリから見れば十歳も歳が離れているけれど誠実な印象を受ける男性だ。

 でも十歳という年齢差は、若い大学生にとってはどうなのだろう。やっぱり同世代の方がいいのだろうか。笹部さんが見たという、行方不明になる前にサユリと一緒に居たという同世代の男──。その人物が鍵を握っているのかもしれない。


 もし、状況が笹部さんの想像通りだとして。サユリが新しい彼氏に熱を上げているのなら、きっと笹部さんには何も伝えられないだろう。せめて無事だということだけでも伝えたいけれど、サユリはそれを許可するだろうか。

 もし私だったら。もしも私が浮気をして、新しい彼氏と付き合いだしたとしたら。きっと前の彼氏には何も伝えてほしくない。それはあまりにも、申し訳が立たないってヤツだから。



「──珍しく無言だな。いつもの文句はどうした」


「……まるで私が、いつも文句ばかり言ってるような言い草ですね?」


「違うのか」


「違いますよ! あれは文句じゃなくて……そう、愚痴です」


「一緒のようなもんだろ」


「厳密には違います!」


 と、勢いよく言ったものの。文句と愚痴がどう違うのかはよく知らない。「たぶん」と付け加えるのも癪なので、そのままこれ見よがしに唇を尖らせた。


「で、何を考えてたんだ。お前の口数が少なくなる時は、何か考えごとをしてるってことだろ」


「……わかるんですか?」


「お前が防犯係に来て、もう七ヶ月だからな。それくらいは嫌でもわかるようになる」


 さすが鷹取部長、と言ったところか。私は胸中を吐露するように、部長に言ってみる。


「考えごとというか、どうしてサユリは行方をくらませたのか、についてです。届出人──、いえ、正確に言うと今回の届出人には当たらないんですけど。サユリの彼氏の笹部さんは、十歳もサユリと歳が離れてるんですよ。最近の大学生は、やっぱり同世代がいいのかなぁ、って」


「さっき言ってた、サユリには新しい男がいるのかもしれないってヤツか」


「笹部さんは、一目惚れしたサユリに猛アタックして付き合うことになった、って言ってたんです。ということは、サユリ自身はそんなに好きじゃなかったのかなぁ、って。いい人に見えるんですけどね、笹部さんって」


「人の好みはそれぞれだからな。今の交際相手より、いい条件のヤツが現れるとそっちになびいても不思議じゃない。結婚してないなら尚更な」


 それはもっともな答えだったけど、でも私にとっては意外な答えだった。鷹取部長の恋愛観は聞いたことがないけれど、なんとなく一途な人だと思っていた。頑固すぎる部長の性格がそう思わせていたのかもしれない。まさかそんな部長から、その言葉が聞けるとは。


「部長も、そういう考え方ですか? 今の相手よりいい人が現れたらそっちに靡くって?」


「いや一般論だ。もちろん一途に相手を思い続ける人もいるだろう」


「部長はどっちなんですか?」


「どうしてそんなことを訊く」


「まぁなんて言うか……、話の流れ? そう言えば部長とこんな話はしたことないな、って思いまして」


「お前はどうなんだ。人に訊くならまず自分からだろ」


 またしても意外。鷹取部長は、こんな話に乗ってくるタイプじゃないと思っていた。今日は機嫌がいい? もしかしたら、何かいいことでもあったのだろうか。

 珍しい機会には違いない。目的地の大学まで、もう少し時間もかかりそうだ。


「私は、一度好きになったら思い続けるタイプです。だいたい恋人がいたら、他の異性って目に入らないですよね。入る時点で大して好きじゃないってことですよ。人を好きになるなら本気じゃないと相手に失礼です。まぁそれが『重い』って言われて、ことごとくフラれてきた訳ですけど」


 苦い記憶が呼び覚まされる。もちろん恋愛経験が豊富という訳ではない。でも恋人と聞いて思い浮かぶのはどれも、自分がフラれてしまったことばかり。


 ……それからカヤコの事件があって。大切な友人を亡くして、恋愛どころじゃなくなって。そして私は警察官になった。ずっと自分なりには頑張ってきた。よく考えれば、この仕事を始めてから恋人と呼べる存在は一人もいない。思わず溜息が漏れる。


「また溜息か。今度は何の溜息だ?」


「この仕事を始めてから、恋人がただの一人もいなかったことに気が付きまして。今年のクリスマスも、お一人様確定です」


「それだけ仕事を頑張ってるってことにしておけ」


「部長はどうなんですか? 恋人、いるんですか? 結構モテるって聞きますけど。多方面から」


「多方面て、どの方面だよ。俺ももう何年も前からクリスマスに仕事以外の予定が入ったことはない。残念ながらな」


「案外、似たもの同士かもですね。私たち」


「……かもな」


 部長は短く言った後、ステアリングを大きく切った。交差点を滑らかに右折。左手に見えたのはサユリの大学。目的地はもうそこだ。



【続】

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