第8話「凪の夕刻」
それから一ヶ月が過ぎた十二月初旬、夕方。穏やかな陽射しが心地よくて、事案も不思議と入ることがなかったベタ
一枚の封筒が生活安全課の課室に届いた。差出人の名前は園田エリカ。
丁寧に封を解くと、中から出て来たのはクリスマスカードだった。二つ折りになったそれを開けると、トナカイのソリに乗ったサンタがよいしょと飛び出してくる。プレゼントがいっぱいに詰まっていそうな大きな袋を抱えているけれど、そのお腹も同じように大きく膨れていた。まるで谷上班長みたい。きっと狙ったな、これ。
「おう詩織ィ、えらい楽しそうな顔しとるな。なんやそれ」
「クリスマスカードですよ、班長。もう少しでほら、クリスマスですし」
「クリスマスカードぉ? そんな洒落たモン、誰が送って来たんや」
「班長宛ての現金書留も一緒に来てますよ」
「ほぉ、あん時のエリカか! 約束守りよったんやな、よしよしえらいえらい」
「素敵なカードです。ほら、このサンタなんてそっくり。鷹取部長もそう思うでしょ?」
目の前に座る部長に、私はそのクリスマスカードを
「……俺に話を振るな。それ笑いづらいだろ」
「なんやなんや、ワシにも見せぇ」
近づいてきた班長に、私はそのカードを見せる。班長は「腹の出っ張り具合がまだまだ足らんのぉ!」と笑った。ガハハと笑ういつものデカい声が課室に広がる。
カードに書かれていた、そのメッセージ。それはエリカが無事に暮らしているという近況報告だ。
◆◆◆
水瓶署生活安全課防犯係の皆様へ。
谷上さんの紹介してくれたお仕事、私は頑張っています。仲居の仕事は朝早くて夜も遅いけれど、お客さんが喜んでくれるととても嬉しくなります。私に向いているみたい。
そう言えば、例の親の話だけど。担当の弁護士さんが言うには、親権喪失として早期に決着しそうとのことでした。親の彼氏を逮捕してくれたのが、かなり効いたみたい。感謝してもしきれません。本当にありがとう。
優しい言葉をかけてくれた鷹取さんも、親身になってくれた上沢さんも、この道に導いてくれた谷上さんも、みんな大好きです。本当にありがとう。
いつか皆さんで、この旅館に来て下さい。お仕事が忙しいと思うけれど、皆さんがここに来てくれるのを、私は楽しみに待っています。
私の命を救ってくれて、本当にありがとうございました。
P.S. 上沢さん、約束の写真です。どうかな、似合うかな?
◆◆◆
カードに同封されていた、その写真を手に取る。そこには心から嬉しそうにしているエリカが写っていた。
旅館の制服なのだろう。エリカは淡い桜色をした和服に身を包んでいて、同僚と思われる人たちと一緒に笑いあっていた。
とてもよく似合っている。あの時に見た薄手の下着姿より、それは余程美しい姿だ。
谷上班長のツテで、エリカはここから遠く離れた地の旅館で働くこととなった。DVシェルターを出るまでに必要な裁判所への申し立てを済ませ、エリカは新しい生活の拠点へと旅立った。
そこがその旅館。経営者は班長の師匠。つまり元警察官であり、その旅館はエリカみたいに難しい状況に置かれている子供たちの駆け込み寺となっているようだ。
「……ほぉ、和服もええやんけ。ワシの師匠もこないだ電話で言うとったわ。よう働いてくれる子や、ほんまに不良娘やったんか、ってな」
「その師匠って、班長の昔の上司なんですか?」
「おう。ワシは師匠から
親権喪失、未成年後見人の申し立てなどは、弁護士のような法に強い人たちの助けが必須となる。私たち警察官の立場はあくまで中立だけど、その橋渡しくらいはしても大丈夫だ。
困っている人と、それを助けてくれる人を引き合わせる。それも私たちの大切な仕事。
エリカの笑顔を取り戻す、その一端を担えたこと。それは私たちが誇ってもいいことだと思う。
「今回は、エリカの親から親権を奪えるかが争点やった。刑事に無理いうて、母親の彼氏の身柄、傷害でパクってもろた甲斐があったな。ウチの刑事もたまにはやるやんけ」
班長の言うとおり、よく男の身柄が取れたものだと思う。当初の証拠は、エリカが自ら撮影した負傷部位の写真のみ。それだけだと自分で証拠を捏造したのではないかと疑われ、逮捕状は出ない可能性が高い。
でもその支えとなる証言をした人物がいた。それは他でもない、エリカの実母だった。
「エリカの母親、よう証言した思うわ。自分の彼氏が娘を殴るのを止めれんかった。私も同罪や、いうてな。あの母親、最後の最後に母親であろうとしたんやな」
エリカの身柄を保護した後で。母親には「エリカの居場所は伝えられない、本人がそう望んでいる」と私たちは答えていた。行方不明者が望めば、たとえ実母にさえ居場所を告げることはない。
それが効いたのだろうか。母親は事情聴取に来た刑事に対し、自分の彼氏がエリカに暴力を振るっていたと証言をした。それが決め手となり、彼氏は逮捕されたのだ。そして。
「おまけに母親は、家庭裁判所で親権喪失について争う姿勢を見せんかった。エリカの自立を喜んだんかもしれんな。彼氏とは別れたらしいしなぁ」
「母親も目が覚めたんでしょうか。少し遅かった気もしますけど」
「まぁな。でもそのおかげでエリカはそうやって笑えとるんや。良しとしようや」
私はもう一度、エリカの写真を見る。それは本当に楽しそうな笑顔で。思わずこっちも笑顔になるようなもの。
「ほんとにいい写真ですね。鷹取部長、見ます?」
「……いい笑顔だな。薄暗い部屋にいるより、陽の光の下で笑っている方がエリカには似合っている」
「ですよね! エリカを本当の意味で助けられて、よかったと思います。これからもまた頑張らなくちゃ、って思えますよね。あぁそうだ、これ額に入れよっと!」
何かの機会に百円均一で買った、ポストカードサイズの額があったはずだ。いそいそとそれを探そうとすると、私を呼ぶとても冷たい声が飛んできた。見るまでもなくわかる、それは目の前の鷹取部長のもの。
「上沢、ここんとこ忙しくて忘れてたけどな。あの時のお前の対応は酷かったぞ。言いたいことは多々あるが、特に酷かったのはあの店に単身乗り込んだことだ。手帳を示せば何とかなるって考えはやめろ。いつかデカいヘタ打つぞ」
「あの時は……、すいません。また先走ってしまいました」
「今回のエリカの件だって、谷上班長のツテがあったから何とかなったようなもんだ。エリカが例の旅館に雇用されなかったらどうするつもりだった。誰かを救おうとするなら、それ相応の覚悟と知識が不可欠だ。憶えておけ」
鷹取部長を見ると、私を見ずに視線はパソコンに落としたままだった。思わず私はムッとする。こういう話は相手の目を見て言うべきではなかろうか。
私の負の感情を感じ取ったのか、部長はキーパンチする手を一旦止めて私に向き直る。デスクに置いていたコーヒーを手に取ると、私を見据えて言った。
「今回のエリカは比較的、こっちの話を聞くタイプの人間だった。だが警察嫌いの人間は多い。一人で突っ込んで対象に飛ばれたら、お前どうするつもりだったんだ」
「もちろん追いかけます。私、足には自信があるので」
「いやアホかお前。そう言うことじゃない。不測の事態に備えて組織的対応をしろって言ってんだ」
私と部長のやりとりを自席で聞いていた、谷上班長と名谷部長が吹き出した。けらけら笑いながら名谷部長が会話に入ってくる。
「上沢ぁ、お前ほんっと面白いなぁ。いやおれは好きよ? お前のそういう向こう見ずなところ。実にヒーロー向きだよな。あ、女性だからヒロインか」
「名谷部長、上沢を甘やかさないでください。こいつは警察官に一番必要な資質が欠けている」
ぐさりと来る言葉だった。確かに私にはいろんなところが足りてない。それは自覚している。でもこんな風に、面と向かって言われるのはキツいというか悔しい。
ふつふつと怒りがこみ上げてきた。私はそれを隠すことなく部長に言い返す。
「欠けてるって具体的にどういうところがですか。はっきり教えて下さい、鷹取部長」
「わからないのか。なら言ってやる。お前に足りないのは協調性だ。警察官にスタンドプレイヤーは要らない。俺たちはヒーローじゃないんだぞ」
「……協調性って言いました? 私は協調性の塊ですよ! 鷹取部長みたいに冷徹でコミュ
「お前な……、人をコミュ障みたいに言いやがって」
「だってそうじゃないですか!」
「おいおい待て待て、なにワシの許可なくケンカしとんねん。こう、格闘技のレフェリーみたいに『ファイッ!』とかやりたくなるやろ!」
と、意味のわからないことを言いつつ、クマみたいにのそのそと近づいてくる班長。味方してくれるのだろうか? ここぞとばかりに、私はまた部長に歯向かう。
「鷹取部長、さっきの言葉訂正してください! 私には協調性があるって!」
「はいはいわかったよ、わかった。お前は協調性の塊だ。他には何もないけどな。ほらこれでいいんだろ」
「なにそれムカつく……!」
部長はそれを聞いて、ふんと鼻で笑った。悔しかったらもっとできるようになれ、と付け加えて。
「いつか何でもできるようになります。なってやりますよ。私が認知した事案は全て解決に導けるように、防犯係のエースって呼ばれるまでに!」
「ふん、俺の定年とどっちが早いかな」
「私です! すぐにでもなってやりますから!」
「……そうか。それなら一歩ずつ頑張れ。努力を怠るなよ。あぁ、それと」
部長は一旦言葉を切って。コーヒーに口をつけてから私の目を見た。それはとても優しい視線で。いつもの冷たい部長っぽくなくて、思わずたじろいでしまう。
「……あの時の、お前の言葉。エリカに対する説得はよかった。きっと心に響いたからこそ、エリカは夜の仕事を辞める決意をしたんだろう」
「え……?」
「今回、エリカを救ったのはお前の言葉だ。それは誇っていい。だからこれからも頑張れ」
──驚いた。鷹取部長が、褒めてくれた? こんなこと初めてだ。七ヶ月以上一緒だけど、間違いなく初めてのこと。あまりに予想しない言葉だったから、私は次の言葉を失ってしまう。
「なんやお前ら、もう終わりかい。お前らの間に立って『ファイッ!』ってやりかったのに、この気持ちどないしてくれんねん」
「谷上班長、レフェリーってよりどう見てもレスラーっす、その体型」
「うるさいのぉ名谷ィ。アホいうてんと仕事せぇ」
「いやいや今日は珍しくベタ凪でしょ? こんな日こそ羽を休めねーと、カラダいくつあっても足んねーですよ」
と、名谷部長が言ったところで。途端に鳴り響く
「──県警本部から
「……出るぞ上沢。準備しろ」
「──了解!」
穏やかな時間というのは、この係に身を置いているとすぐになくなってしまう貴重なもの。係員とゆっくり話す時間もない、ここは本当に「何でも屋」で「貧乏くじ係」だ。
進んで誰もやりたくないけれど、でも絶対に誰かがやらなければならない、そんな大切な仕事をする係。
仕事はキツい。休みもない。お給料だって安い。他にも文句を言えばキリがないけれど、それでも私はこの仕事に誇りを持っている。
稀に、本当にごく稀に。誰かの役に立ち、そしてとても感謝してもらえる、防犯係はそんな素敵な仕事だから。
【第一部 『
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