第3話「アニキ」
「アニキ、今は
矢継ぎ早に言葉を繰り出す、サブと名乗ったこの男性。はにかみながら頭を掻いて嬉しそうにしているけれど、不思議といい人には思えない。
その手首からちらりと覗く和彫りの
鷹取部長の知り合いだとはやっぱり思えない。口ぶりからして、部長が警察官だと知っているようだけど。
「アニキィ、無視しないでくださいよぉ。オレ、あれから真面目に生きてんすよ? ココロ丸ごと入れ替えて」
「……俺はお前など知らない。人違いだ」
「いや絶対アニキでしょ、どっからどう見ても。でもなんで、そんな地味なスーツにメガネまでして、カタギみてーなカッコしてんすか? あ、もしかして潜入捜査とかすか?」
「俺はもともと堅気だ、少し黙れお前」
「でもあの頃、見た目は完全にカタギじゃなかったじゃねーすか。初めてアニキ見た時、マジ極道かと思いましたもん。とても警察には見えなかったっすよ」
「……うるせぇな、いい加減黙れてめぇ。クチ縫われてぇのか」
鷹取部長らしからぬ、そのセリフに私は驚いた。いつも以上に部長の目が冷徹になっていて、それはまるで氷の視線だ。見られるとこっちまで凍ってしまいそうなその目に私は気圧されるけど、当のサブは素知らぬ顔。にこやかに笑って、なんだか楽しそうにしている。
この場合、私はどうすれば? 今は完全に蚊帳の外だけど、状況からして自分の上司がピンチっぽい。とにかくこのサブと名乗る男が何者なのか、知る必要がありそうだ。
「あの、鷹取部長。この人は……?」
途端に部長の顔がもっと険しくなる。修羅の顔。あぁしまった、と思うがもう遅い。
「ほらやっぱアニキじゃねぇすかー! まぁわかってたけどね! ていうかアニキ、この可憐な女性は誰なんすか? 黒髪のショートボブに低身長……可愛い! もしかして、アニキのコレっすかぁ? 紹介して下さいよぉ」
ニヤニヤしながら、サブと名乗った男は小指をちろちろ立てている。その小指の先は、常人のそれより少しだけ足りてない。具体的に言うと、第一関節から先がない。なるほどあれか。もしかしなくてもそっち関係の人なのか。そんな人がどうして、鷹取部長をアニキと呼ぶのだろう。二人は一体どんな関係なのだろう。
わからないけれど、ひとつだけはっきりしていることがある。不用意に部長の名前を呼んでしまったのは、私の完全なミスだということ。サイレントに私が反省していると、サブは出し抜けに私との距離を詰め、直立不動の姿勢を取った。そしてまた、あの大きな声で発言する。
「申し遅れました! 自分は
深々と頭を下げるサブ。それを横目に、私は助けを求めるように鷹取部長を見たけれど、部長の目は冷徹なそれだった。これは絶対に後で怒られるヤツ。私の慄きを知る由もないサブは顔を上げた途端、再び笑顔になって続けた。
「あ、サブって名前はアニキが付けてくれたんすよ! お前はどこまでいってもサブキャラだな、つーことでサブになりました。この名前、すげー気に入ってんすよ! 今でも仕事はサブで通してます!」
どこがサブキャラなのだろう……。めちゃくちゃ濃いじゃないか、このサブという男。きっと関わらないのが吉ってヤツだけど、もう何もかもが遅い。私は既に、部長の地雷を踏み抜いている。
「それで! 麗しき貴女のお名前は、なんて仰るんすか? やっぱりアニキのカノジョなんすか? だとすると、これからは
「え、ええと、」
「……サブ、俺の部下にちょっかい出すな。見りゃわかるだろ、俺たちは仕事中だ。今すぐ消えろ」
「やっとサブって呼んでくれましたね、アニキィ! 嬉しいけど、でもつれねーなぁ。昔はもっとよくしてくれたじゃねーすか。つーか部下って、この方も
「そんな訳ねぇだろ。とにかく消えろサブ。仕事の邪魔だ」
「いーや、いくらアニキの頼みでも、それだきゃあ無理っすね! 二年振りに会えたんだ、もっと話したいんすよ、オレぁ!」
サブの心底嬉しそうな顔を横目に、私はさっきのセリフを反芻していた。ソタイ、と確かにサブは言った。それは
そういえば昔、聞いたことがある。鷹取部長が水瓶署に転入してきた時、前所属は組対課だったという話を。
このサブという男は、部長が組対課にいた時の知り合い……なのだろうか。自分のことを必要以上に話さない鷹取部長だから、そこは想像するしかないのだけど。
「それで姐さん、名前教えて下さいよぉ。お近づきになりてーんすよ、オレぁ! ここで会ったのもなんかの縁でしょ?」
それにしてもこのサブ、本当によく喋る男だ。放っておくと息が続くまで永遠に話し続けそうな勢い。五分と話していないけど、はっきり言って私の苦手なタイプだ。
鷹取部長の方を見ると「コイツと話すな」という鋭い視線が突き刺さってくる。とても痛い。
私が言葉を詰まらせていると、部長がサブに言った。心底面倒臭そうな声色で。
「サブ、頼むから今日は勘弁しろ。さっきも言ったが、俺たちはまだ仕事中だ。それにこの件は急ぎだ、頼むから邪魔しないでくれ」
「アニキ、それ手伝いましょうか?」
「いらない」
「どうしてっすか。あの頃はオレを重宝してくれてたじゃねーすか。オレの情報網は、まだ死んじゃいねーんすよ?」
「俺はもう
「もしかして……、あの件で組対を外されたんすか? アニキが? だからそんな普通のナリしてんすか?」
「そういうことだ。警察は辞めてないが、俺はもう組対の刑事じゃない。だからお前にしてもらうことは何もないんだ」
サブはそこで初めて、表情を僅かに曇らせた。
あの件? 鷹取部長が、それで組対をクビになった? どういうことなのだろう。事情を知らない私は、完全に置いてけぼりを食らう。
「そうっすか……。だから二年もアニキに会えなかったワケか。なるほど納得したっすよ。でも警察組織は相変わらずクソっすね。あの件でアニキは、」
「サブ、もういい。もういいんだ。今度機会を作ってやるから、メシでも食いながら話そう」
「ホントっすか? 約束っすよ! じゃあこれ、オレの名刺渡しておきますんで!」
ジャケットの内ポケットから、サブは名刺を取り出した。それをご丁寧に私にも渡してくれる。
ジャケットによく似た濃紺色の名刺には、金文字で『スカウト サブ』とあった。その下には携帯電話番号とSNSのID。シンプルすぎるその名刺は、見るからに怪しさ満点だ。十中八九、夜の街のスカウトマンだろう。
その名刺を見て、途端にピンと来た。まさに渡りに船。もしかしたらこのサブは、エリカの行方を知っているかも知れない。私はすかさずサブに問う。
「サブさん、あなたスカウトマンなんですか? 夜のお仕事関係の」
「おぉ姐さん! 初めて話してくれましたね!」
「まずその『
「アニキの部下ならオレにとっちゃ姐さん同然! ぜひともこのまま、姐さんと呼ばせてください!」
キラキラした目でサブは答える。だめだ、このサブは人の話を聞かないタイプに違いない。私は諦めて小さな溜息を吐いたけど、サブは気にせず続けた。
「それでさっきの話ですけど、姐さんの言う通り今はオレ、カタギの仕事してるんすよ。女の子のスカウトっす。つってもまぁ、お二人みてーにガチガチに堅い仕事じゃねーんすけどね」
「ってことはやっぱり、サブさんは夜の街の仕事事情に詳しいんですよね?」
「姐さん、夜の仕事に興味あるんすか? 確かに稼げはしますけど、公務員は副業禁止でしょ?」
「私の話じゃないです。実は今、この子を探してまして。知らないですか。夜の仕事をしている可能性がある女の子なんですけど」
鷹取部長に止められる前に、私は受理票の一番最後、つまりエリカの写真をサブに見せていた。サブとこれ以上、関わりを持ちたくなさそうな部長は怒るかも知れない。でもこれはチャンスだ。またとないチャンス。それに、名前を呼んでしまった件で部長に怒られるのはもう確定しているのだから、この際ってヤツだ。
もしもエリカが望まず、仕方なしにこういう仕事に就こうとしているのなら。私は、どうしたってそれを止めてあげたいから。
「……へぇ、偶然てあるんすねぇ! この子なら今日、オレが仕事紹介した女の子ですよ。本名はエリカでしょ? イチゴって名前の風俗嬢のツレで、そっち関係の仕事を紹介してほしいって言って来た女の子っすね。なんならその店まで案内しましょうか? 今日面接受けて、そのまま夜から働くって聞いてますけど」
「是非お願いします。いいですよね、鷹取部長?」
鷹取部長は大きな溜息を吐く。いつも私の溜息に文句を言っているから、少しだけ、してやったりという感じがした。
「……お前、班長にどうやって報告するつもりだ」
「もちろん、ありのままをです。聞き込みをしていたら偶然、スカウトマンに当たった。エリカの行方を知っていたから、案内してもらった。これ、法的に何も問題はありませんよね?」
「確かに問題はないが、」
「事情はよくわかんねーけど、アニキが問題ねーならオレも問題ねーっすよ? 姐さんはその子を探せてハッピー、オレぁアニキらの役に立ててハッピー。まさにwin-winじゃねーすか!」
「サブ、お前いいのか。俺たちはお前がスカウトした女の子を、場合によってはその仕事から引き剥がすかも知れないんだぞ」
「オレもこの仕事は長いんすよ。だからある程度の事情は、バカなオレにでも想像できます。要はアレでしょ? エリカは家出してんでしょ? この仕事をしようって女の子の大半は、そういう事情を抱えてるもんなんすよ」
サブはスマホをポケットから抜くと、慣れた手つきで画面をスクロールし始めた。あったあったと呟きながら、私たちの方に向き直る。
「エリカがいる店の名前は、ユーフォリックラバーズ。ここからなら歩いて十分弱っすね」
「ありがとうございます、サブさん」
「いやぁ、オレぁアニキと姐さんの役に立てればそれで。それにね、これぁオレのポリシーとも合致してるんすよ」
「ポリシー?」
「仕方なしに夜の仕事を始めようって女の子には、仕事を紹介しねぇってポリシーっす。この仕事は稼ぎはいいが、失うものもデカい。エリカが家出してるって知ってたら、オレぁ仕事を紹介しなかった。確固たる覚悟なしにこの業界に来る女の子は、いつかきっと不幸になるんすよ」
サブは少しだけ、寂しそうに笑った。でもすぐに顔を笑顔に戻し、私たちに告げる。
「……さぁて、気を取り直して行きましょうか! 皆戸門街イチの人気ヘルス、ユーフォリックラバーズへ!」
【続】
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