第4話「Euphoric Lovers」


 サブに案内されて着いたそのお店の入り口は、煌びやかな光に彩られていた。白い豪奢な看板には「Euphoric Lovers」と、金色の筆記体で書かれてある。サブいわくハイクラス店で、女の子のレベルは軒並み高いらしい。


「ここがユーフォリックラバーズっす。優良店なんでね、店の前にはキャッチを置いてないんすよ。最近の警察、客引きにもキビしいっすから」


「ありがとうございました、サブさん」


「いやいや、こんくらいどうってことねーっすよ。また何かあればなんなりとお申し付けください、姐さん」


「それじゃあ、まずその『ねえさん』ってヤツ、何とかなりません?」


「無理っすね! さっきも言ったけど、アニキの部下ならオレにとっちゃ姐さんっすから! それに姐さんの名前、まだ教えてもらってねーですし!」


 ニヤリと笑うサブ。優しいのかそうでないのか掴めないけど、どちらにせよ私の苦手なタイプであるのは間違いない。人は見た目が九割っていうのは、どうやら正しそうである。


「悪かったな、サブ。お前のおかげで助かった」


「アニキ、今度マジでメシ連れてってくださいよ? それを楽しみにしてますんで! その時は姐さんも一緒に是非!」


「……まぁ、機会があれば」


「姐さんつれない! でもそこがいい! 姐さんはオレの理想のタイプっす!」


 ……やっぱり苦手だ。こんなふうに、臆面もなく人を「理想のタイプ」とか言うところが。なんて言うかサブは、心の中が全く見えてこないのだ。はなから信用できない、というわけではないのだけど。


「そんじゃあアニキ、姐さん。オレぁここで。さすがにこの店にエリカを紹介した手前、オレが一緒に行くのは筋が通らねぇ。でもオレぁ手付金貰わねー主義だから、エリカが店を辞めることになっても損はねぇんす。だから気にしねーでください」


「あの、サブさん。エリカはこの店で働き出して、お客さんがもう付いたんでしょうか」


「……微妙なトコっすねぇ。ここを紹介したのが五時過ぎくらいだったんで、説明やら研修やらでまだだと思うけど、客が付いててもおかしくはねぇ時間すね。行くなら早い方がいいっすよ?」


「わかりました。さっそく行ってきます」


「エリカが望まずこの仕事に就こうとしてんのなら、止めてやってください。そんじゃあメシ、楽しみにしてますね!」


 サブは踵を返し、ぷらぷらと手を振りながら夜の街へと消えていった。苦手なタイプだけど、感謝はしよう。サブがいなかったら、ここまで捜査は進んでないだろうから。

 私は振り返って、もう一度店の入り口を眺めた。重厚な扉は閉ざされていて、店の中までは見えない。


「部長、行きましょう」


「待て上沢。班長への報告が先だ」


 部長はスマホを抜き、班長への電話を掛ける。部長が耳に当てたスマホから小さなコール音が聞こえた。

 一回、二回。普段ならすぐ電話に出る班長だけど、何か取り扱い中なのだろうか。三回目のコールを過ぎても班長はまだ出ない。

 ……もどかしい。一歩の遅れが致命的なロスになるかも知れないのに。


「部長、すぐに行かないとエリカに客が付いてしまうかもしれないんですよ? 自ら望んでないのなら、止めてあげないと」


「望んでいたらどうする。親に叱責されたのをいい機会だと捉えて、自立しようとしてるかもしれない。この仕事は違法じゃない。やるのは個人の自由なんだぞ」


「だとしても。まずは話を、エリカがどう考えてるのか聞かないと。私は先に行きます。部長は班長への報告をお願いします」


「おい待て、上沢!」


 後ろでまだ何か言ってる部長を尻目に、私は店の重いドアを開け放った。

 聞こえてきたのは、控えめに流れる耳触りのいいクラブミュージック。センスがいい。その音の波に乗るように、私は歩を進めた。



   ────────────



「いらっしゃいませ。ご予約……で?」


 そのまま店の中を少し進むと、受付みたいな場所に出た。そこにはスーツを着た男性がひとり。黒髪を撫でつけるオールバック、歳の頃は四十代半ばといったところだろうか。

 私を見るなり、貼り付けたような笑顔が僅かに曇った。曇る、というよりは訝しむ表情か。


「こんばんは。店長さんはいますか?」


「私がこの店を任されている責任者ですが……、面接希望の方ですか?」


「いえ、人を探しています」


「人を?」


「この女の子を探しています。今日、入店しませんでしたか? このお店に」


 ファイルに挟んでいた受理票の末尾。そこに貼付されているエリカの写真を、責任者と名乗る男性に見せる。

 写真と私を交互に見たあとで、店長は言った。


「あなたは?」


「水瓶署生活安全課防犯係の上沢です。この子に行方不明手配が出されています。どうかご協力を」


 警察手帳を示し、私は自身の官職氏名を述べた。この受付の向こうにエリカがいる。すぐにでも確保したい。カーテンの向こうにいくつか部屋がありそうだ。

 どの部屋にエリカがいるのか、それを訊こうとしたけれど、私の言葉は店長の冷たい声に遮られた。


「なるほど、警察の方ですか。いち市民として協力したいのは山々、ですが申し訳ない。お引き取りを」


「どうして……! エリカはここにいるんでしょ? 匿ったって裏は取ってるんですよ!」


「裏を取ろうが取らまいが、私はここの責任者です。私には従業員を守る義務がある。プライバシーに関する個人情報はお答えできかねます。それはその名前の女性が、ここで勤務しているか否かも含めてね」


「行方不明者を早急に保護しなければならないんです。親御さんから届出が出てるんです。とても心配している。だから、」


「それはあなた方の都合でしょう。我々には我々の都合がある。一体、どのような権限でこの店に入って来ているおつもりか。あなたはお客様ではない。ならば、たとえあなたが警察官とてお引き取り願うしかない。まだ営業時間中、これ以上は営業妨害になりかねない。そうでしょう?」


 ゆっくりと店長は、出入口の方を手のひらで示した。言動は慇懃だけど、それは回れ右してすぐに出ていけという意思表示に違いない。

 悔しい。あと、ほんの一歩なのに。どうすればエリカに会えるのか。店長の口ぶりからして、ここにエリカがいるのは間違いない。もしエリカがここに居なければ、居ないと言えばいいだけだ。

 静かに微笑む店長が憎い。そこまでして金が大事なのか。女性に身売りさせた金を貪ろうとするなんて。


 ……そうだ、お金だ。お金さえ出せば、世の中の大抵の物は買えてしまう。一人の女の子の時間だって。


「──わかりました。それじゃ、客になります。私は客として、この子を指名します。構いませんね?」


 店長の顔色が僅かに変わった。ここぞとばかりに、私は畳みかける。


「お金を払うなら問題ありませんよね? まさか男性しか利用できないなんて、そんなルールはありませんよね?」


「申し訳ないが、あなたは女性だ。ウチは女性キャストしかいないので、あなたがこの店のサービスを受けることはできません。ご了承頂きたい」


「私が女だからって差別するんですか? わかりました、ここのお店は客を差別する店だって大きな声で、」


「──上沢、もうやめろ。さっきから何言ってんだ、お前」


 後ろを振り返ると、そこには。思い切り呆れ顔をした鷹取部長が立っていた。呆れ顔がすぐにでもキレ顔になりそうな感じ。しまった、ついアツくなってて気が付かなかった……。


「上沢、お前の負けだ。ここは店舗型性風俗関連特殊営業店に分類される店だ。個室を設け、当該個室においての性的好奇心に応じて、その客に接触する役務を提供する店なんだよ。つまり同性のお前は、法律上の客に含むことができない。それは風営法に明記されているし、それをもって店は、客としてのお前の利用を断れる」


「そんな……」


「恨むなら風営法を恨め。それと自分の勉強不足を恥じろ」


「でも部長、ここにエリカがいるはずなんですよ! あと一歩なんです! ここで身柄を押さえないと、」


「女性のお前ではどうしようもない。俺たちは法の執行者だ。俺たちが、店に対してルールの逸脱を強要する訳にはいかないだろう」


 、と部長は言った。ということはもしかして。男性である部長なら、客と成り得るのではないだろうか。もしかして部長は初めから、これを狙って……?

 

「あなたもこの女性のお仲間ですか。だとしたらお引き取りを。これ以上は明確な営業妨害だ」


「店長さんですね。自分の部下が失礼をしました。上司の鷹取と言います」


「お二人ともお引き取りを。あなた方にご協力することはありません」


「店長。気が進まないのは重々承知していますが、我々に協力して頂きます」


「……鷹取さんと言いましたか。私はあなたの部下の方にも『協力しない』と申し上げました。だいたい、何の権限で協力しろと?」


 ふん。鼻で笑う店長に、部長は落ち着いた声で返す。いやこれは、落ち着くどころか凍てつくような冷たい声。


「──警察官職務執行法第六条第二項。この法をもって、店長。あなたに協力を求めます」


「何ですかその法律は。適当に言って誤魔化さないでください。私は彼女のプライバシーを守るために、あなた方に協力しないんだ。金のためじゃない」


「あなたが我々に協力しないというのはよくわかりました。彼女のプライバシーを守るため、それは立派な責任者の言い分だと思います。しかしその言い方では、、と捉えることもできますが」


「そ、それは……」


「それに彼女がここに居ようが居まいが、どちらにしろ我々はこの店の中に入って確認しなければならない。状況が変わったんです」


 状況が変わった? どういうことなのだろう。鷹取部長はさっき、谷上班長と連絡を取っていたはずだ。何か事態が動いたのだろうか。悪い方向に進んでいなければいい。その一心で、私は部長の言葉の続きを待つ。


警職法けいしょくほう六条二項は、警察官の『立ち入り』権限を明文化したものです。端的に言えば、人の生命や身体に対する危害予防のため、警察官がその場所に立ち入る要求をした場合、施設管理者は正当な理由なくしてこれを拒むことができない。つまり我々の立ち入りを拒否するなら、その正当な理由を示して頂きたい」


「正当な理由だって……?」


「行方不明者は、実母のスマートフォンにメッセージを送信してきたんです。つい今しがた、『私のことはもう死んだと思ってほしい』とね。つまり、今や彼女は自殺じさつ企図きとしゃだ。早急に安全を確保しなければならない対象です」


「そんなの詭弁だ! 彼女に死ぬ意思なんてない!」


「まぁ、そうでしょう。このメッセージは、私のことは忘れてほしいという意思表示だ。でもね、店長。我々警察は『死んだと思ってほしい』というメッセージを『今から死ぬ』と本気で捉える組織です。万が一でも、その可能性があるのなら。我々は全力でそれを阻止する。それが仕事です」


 押し黙る店長に対して、部長は淡々と続ける。少しだけ、鷹取部長が笑っているように見える。それは私の気のせいかも知れないけれど。


「さて店長。これでも我々の立ち入りを拒否するおつもりなら、それに足る正当な理由を示して頂きたい。これを無視するなら結構。施設管理者が不在であるものとして、勝手に捜索させて頂きます。それにより、この店で許可されていない行為を現認することになったら……。困るのは勿論、あなただと思いますが」


 私の気のせいではなかった。言い終えた部長は確かに。いつもの冷徹な目つきで、でも確かに笑っていた。




【続】

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