第27話「クリスマスツリーの下で」


 さすがは夢の王国だった。全国でも指折りのホスピタリティに溢れた大企業は、鷹取たかとり部長が書いた捜査関係事項照会書を受理し、パークオープン三十分前からの入園を許可してくれたのだ。


 対応スピードも驚くほどに早い。受理された捜関はすぐに、ディスティニーリゾートを運営する「株式会社オリエンタルワールド」の法務グループへと繋がれ、即座にその許可が降りた。さらには、チカとアキトの顔写真をキャストの間で共有し、もし彼女らを見つけた際はこちらに連絡してくれるというサービス付き。


 部長の書いた捜関には、チカが「自殺じさつ企図きとの恐れがある行方不明者」だと記載されている。自殺しようとしている人がこの夢の王国に? と訝しがられてもおかしくないけれど、私たちに対応してくれたキャストの方々は皆一様に、心配な顔をしてくれていた。

 パークからここまで協力を得ている。だから必ずチカを見つけたい。もちろん行方不明者として。チカの逮捕状が出る前にだ。


 部長と私の現在地は、ランドバザールのスーベニアショップ、。普通なら立ち入ることができないこの場所は、プロジェクションマッピングなどに必要な機械室になっている。ゲストのためのスペースではないけれど、ここからならパークの奥に行こうとする人たちが俯瞰で見える。

 つまりは捜索にうってつけ、これ以上の場所はないということだ。この場所の提供も、もちろんオリエンタルワールドからの計らいだった。


「八時四十分だ。準備はいいか、上沢」


「大丈夫です。あと五分で、アーリーエントリー組が入ってきます。瞬きしない覚悟でいきますから」


「チカとアキトの身長差は、三十センチ以上あるって話だったな。それがヒントと言えばヒントだ、目印にしろ」


 百八十センチを超えるアキトと、百五十センチにも満たないチカ。その身長差を頼りに二人を探すしかない。ここでしくじれば、次はチカを被疑者として確保することになるだろう。

 逮捕状が出れば、チカは遅かれ早かれそうなってしまう。でもこの夢の王国で、好きな男の子の目の前で逮捕状を執行されるのは、あまりに酷というものだ。

 たとえ罪を犯した被疑者だとしても。犯罪を犯すに至った経緯は、人それぞれ違うのだから。



 ──その時、部長の電話がデフォルトの着信音を奏でた。部長はスピーカーモードでそれに出る。


「鷹取です」


「おう二人とも。首尾はどないや?」


「パーク側に無理を言って、すでに中に入らせてもらってます。今は客待ちの段階。捜関そうかんで対応してくれました、素晴らしい対応です。あと五分ほどで、先行の入園者が来るとのことです」


「頼むで、そこが正念場や。ちなみに刑事の先発班が、まもなくそっちに着く予定や。三個班、合計九人も投入して来とる」


「班長、チカの逮捕状は?」


「発布はまだや。そやけど例のスズランの鑑定結果は出た。デトックスウォーターの毒素は、チカが入っとる園芸部の倉庫から出た、乾燥スズランのもんと一致した。刑事は令状請求に走っとる。殺人未遂での逮捕状きっぷが出るんは、時間の問題やな」


 こうなれば刑事は疎明資料を整え、すぐにでも最寄りの裁判所へ向かうはずだ。当直裁判官がその資料を精査して、要件を具備していれば逮捕状は無慈悲に発布される。そうなれば、防犯係の行方不明者捜索活動は打ち切りだ。司法警察と行政警察では、どうしたって司法の方が強いのだから。


「逮捕状の発布まで、長くてもあと二時間くらいやろな。最短で一時間ってとこか」


 班長の言葉を受けて、鷹取部長は階下を見据えたまま言った。


「……了解です。ここまで来れば、チカの逮捕は免れないでしょう。完全にクロだ。俺たちが行方不明者としてチカを確保したとしても、犯してしまった罪は消えない。逮捕状が発布された時点で緊急執行しなければならない。警察官として、犯人を見逃すことはできないですから」


 部長はいつもの冷徹な声で答える。もちろん私だって、そうなったチカを見逃すつもりはない。犯人隠避は犯罪だ。警察官が罪を犯せば、一体誰がこの国の治安を守るというのか。そこは私が警察官である限り、絶対に曲げてはいけないところだ。


 ただ、私が言いたいのは。少しだけ、ほんの少しだけ。可哀想なチカを想い、チカがやりたかったことをしてからにしてもいいのでは、ということ。

 もちろん罪を見逃すわけじゃない。逃走のおそれがなければ、逮捕状の緊急執行をしなくてもいいのではなかろうか。ただそれだけなのだ。

 でもこれはきっと、鷹取部長には通じないだろう。遵法精神の塊とも言える部長は、良い意味でも悪い意味でも堅いから。


「鷹取、詩織ィ。とにかく刑事よりもはよう二人を見つけてくれ。もうそれしか手ぇはない。チカもアキトも、刑事に確保されるよりは、お前らに見つけてもろたほうがマシなハズや。刑事どもがランドに着いたとわかったら、また電話したるからな」



 そうして、班長との電話を終えた瞬間のこと。一際、大きな音楽が鳴った。クリスマスイブの朝、パークに入ってくるゲストを迎える音楽隊の生演奏。有名なクリスマスソングのジャズアレンジ・ナンバー。

 多くの人の足音、そして楽しそうな話し声。出迎えるキャストとハイタッチをしながら、楽しそうにランドバザールを歩く人々。

 友達連れ、家族連れ、そして恋人連れ──。どんな人たちも楽しそうに、弾けるような笑顔で歩いている。ここはきっと、世界で一番幸せな場所だと言ってもいいだろう。


 次第に人の波が増えていく。目を皿のようにして見るけれど、それでも物理的な限界がある。

 人の数は時間と共に増えていく。キャラクタがゲストのお出迎えに出てきたりして、局所的な人だかりがあちこちで発生する。


 そして迎えた、午前九時。通常エントリー組が入園して来て、混雑はさらに極まった。人と人の距離が近い。全ての人の顔を確認するのは、もうどう考えたって無理だ。


 バザールの真ん中にそびえ立つ大きなクリスマスツリーを見て、私は思った。あぁどうか、どうか願いを叶えてほしい。サンタでもトナカイでもいい、誰だっていい。今この瞬間、私にチカとアキトを見つけさせてほしい。あの二人を、助けさせてほしい。



 クリスマスツリーに願いをかける。その願いを聞き入れてくれたのか、瞬間、ツリーのイルミネーションが煌めいた。

 音楽に合わせて光のパターンを変えるツリーに、近くの人たちは目を奪われる。みんな幸せそうな顔をしてツリーを見上げている。

 そしてその中に。手を繋いで、ツリーを仰ぎ見るを見つけた。カップルだ。男の子も女の子も、お揃いの大きな帽子を被っているけれど、身長差が一際目立つ二人組。


 ──それは奇跡だった。その顔は、遠目に見ても。探していたチカとアキトに違いなかったから。



「見つけたっ! クリスマスツリー正面! チカとアキトです!」


「上沢、すぐ確保だ! 俺は上から見てる、お前は二人に接触しろ!」


「了解!」


 言うが早いか、私は二階の機械室から外に出た。だけどここはバックヤードの一部だ。一階のスーベニアショップに、階段で直接繋がっている訳じゃない。複雑な通路を経て降りなければならないのだ。

 運良くバックヤードにいたキャストさんを見つけて、手帳を示して助けを乞う。キャストさんは「わかりました」と小走りで私を先導してくれた。



「上沢、着いたか!」


 部長からの電話。耳に当てながら、私はパーク側に出る。クリスマスツリーまではまだ距離がある。この人だかりを掻き分けなければ。


「バックヤードからパーク側に出ました! 二人は今もツリー前ですか?」


「そのとおりだ、まだ写真を撮っている。ツリーまでの距離は」


「三十メートル!」


「急げ、頼むぞ!」


 すみませんと連呼しながら、人の波を縫うように進んでいく。思ったよりスピードが出ないけど、確実にその距離は縮まっている。ツリー前まで、もう少しだ。


「部長、ツリーまでもうすぐです。二人を認めたら、そこで声掛けしないといけないですか?」


「いや俺が行くまで待て。相手は二人だ、別々の方向に飛ばれたらまずい。付かず離れず、二人の動向を観察してくれ」


 了解、と部長に短く返して、ついに二人に近づいた。ツリーの正面にいる二人に、手を伸ばせば届きそうな距離。楽しそうに笑い合うその横顔は、淡路あわじチカと柴島くにじまアキトに違いない。

 はにかむチカの口許には、大きめの絆創膏が貼ってあった。それでも隠せないほどの、痛々しい内出血の痕。両親からの虐待は事実なのだろう。

 私はツリーに近づくフリをして、二人の会話に聞き耳を立てる。


「……嬉しいなぁ。アキ君とクリスマスイブにも、ここに来ることができて。わたしはきっと、世界で一番の幸せ者だね」


「オレも、チカとここに来られて嬉しいと思ってるよ」


「ほんと? 学校、サボらせちゃってるのに?」


「サボって来る夢の国って、なんかすげーいいよな。ほんとに楽しいよ、オレは」


「そう思ってくれるなら、わたしも嬉しいな」


 くすりと小さく笑うチカは、健気でどこか儚くて。だからこそ、チカを凶行に走らせた暴力が憎かった。両親からの虐待を受けてさえいなければ、チカはあんなことをせずに済んだかもしれないのに。


「チカ、今日はどこから回る? 昨日、ここに着いたのは昼すぎだったから、全部のアトラクション回れてないだろ。どこに行こうか?」


「そうだなぁ、やっぱりシンデレラ城がいいな」


「好きだなぁ。いいけど、あそこはライドがないだろ。それでもいいのか?」


「お城の見えるベンチでさ、アキ君とゆっくりしたいな。きっとこれが、最後だと思うから」


 寂しそうに笑うチカに、アキトは困った顔を見せる。アキトはチカの手を取って言う。


「……なぁチカ、そろそろ教えてくれよ。なんであの家から逃げてきた? ずっと言ってるその『最後』ってなんだ? 一体、何があったんだよ。オレはチカの力になりたいって、ほんとにそう思ってるんだ。だからさ、聞かせてくれないか」


「アキ君、ありがとね。もう充分、わたしの力になってくれてるよ。ここに連れて来てくれた、もうそれだけでわたしは嬉しいんだから」


「でも……」


「わかった。それじゃあやっぱりさ、お城の見えるベンチに行こうよ。ここは人が多いからね。だからシンデレラ城で全部、アキ君に話すからさ」


 手を繋いだまま二人はバザールを移動する。繋がったままの電話で、私は部長に呼びかけた。


「部長、移動します。二人はシンデレラ城へ向かうと言っていました。きっと、お城付近のベンチです」


「了解だ、俺は先回りする。お前は二人を見失わないように尾行してくれ」


 電話を切って二人を追う。二人の歩く速度は緩やかだ。視線を上げると、遠くにシンデレラ城が見える。そこに向かって歩く二人の後ろ姿は、まさに幸せなカップルそのもの。

 その幸せがずっと続けばいいのにと、私は切に願う。




【続】

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