第26話「lily of the valley」


 ベッドサイドテーブルに置いていたスマホが鳴って、私は睡眠から覚醒した。ディスプレイに表示されていたのは谷上たにがみ班長の名前。半ば反射的に、私はその電話に出る。


「おう詩織シオリィ、おはようさん」


「おはようございます……」


「ちゃんと寝れたんかい、お前」


「はい、なんとか。ホテルも奇跡的に取れましたので」


 耳に当てていた電話を少し離して、私はスマホに表示されている時刻を見た。十二月二十四日、午前五時。クリスマスイブの朝、思ったよりも早い時間だ。でも何故、こんな時間に班長が電話してくるのだろう。


「ええと、班長はどうして? まさか署に泊まったんですか?」


「当たり前や。部下二人を千葉まで派遣させといて、長たるワシが家帰るワケに行くかいな」


 ガハハといつもの調子で笑う班長は、こんな朝早くから絶好調だ。


「とりあえずホテルに泊まれてよかったのぉ、詩織ィ。クリスマスやのによう取れた思うわ。ほんで鷹取たかとりは別室か? あいつ起きとるんか」


「鷹取部長なら……」


 私の隣に。その言葉をすんでのところで抑えるけど、よく考えれば抑えたところで意味はない。どうせ後でホテルの領収書を出さなければならないし、捜査員の男女同室での宿泊を禁ずる、なんて規定はどこにも明記されていないはずだ。多分。

 それでもその言葉を出さなかったのは、なんとなく気まずいからだった。隣のベッドを見ると、鷹取部長はもう起きている。私の方を向いて、人差し指を口許に立てる。面倒になるから言わない方がいい。そんなハンドサイン。


「詩織ィ、聞こえとるんか?」


「あ、はい大丈夫です。部長は……、まだ休んでいるかと。あの、起こしましょうか?」


「いや後でええわ。あいつ朝はほんま弱いし、決まって機嫌悪いからな。詩織に指示したほうがよさそうや」


「指示? 何か動きが?」


「おう、劇的に動いたで。ええニュースと悪いニュースがあるんや。お前、どっちから聞く派や? ちなみに悪いニュースの方は、ちょっと引くレベルのヤツやで」


 セオリーならもちろん悪い方から。でも班長が「ちょっと引くレベルのヤツ」と言うのは、正直聞きたくないものだった。

 とりあえず。鷹取部長にも聞いてもらう必要がある。私はスマホをスピーカーモードにして、班長の続きを待つ。


「ほなワシの独断で、ええニュースからいこか。チカとアキトの居場所についてや。二回目の位置探査によると本日午前四時現在、舞濱駅を起点に南西方向。おそらくその辺りのホテルに泊まっとる、いうことがわかった」


「二回目? 二回目の位置探査が取れたんですか?」


 行政警察活動の位置探査は、原則一度きり。二度目が可能となるのは事態が悪化した場合に限られる。と言うことは……。


「まさか、事態が悪化したんですか?」


「それが『引くレベルで悪いニュース』なんや。もうすぐこの行方不明事案は刑事事件に切り替わる。主管課は生安せいあんから刑事に移管や、遺憾なことになぁ」


「どうして刑事がこの件に……?」


「イチから話すと長なるから端的にいうで。刑事は淡路あわじチカに対する逮捕状を請求するつもりらしい。ようするに、行方不明者から被疑者に格上げってことや」


「チカが被疑者に? 待ってください、一体なんの罪状で?」


 意味がわからない。どうして刑事が、チカの逮捕状を請求する流れになっているのか。事態が悪化しているのは間違いないが、悪化の仕方が斜め上すぎる。


「ことの発端は昨日や。チカの親父に殴られて意識不明になっとった継母がおるやろ。その継母、いつまで経っても目ぇ覚まさへん。それを不思議に思た医者がもう一回、カラダよう見てみたら、を認めたらしい」


「中毒って、なにかの薬物ですか?」


や。継母は毒を盛られてたんや」


 毒って、そんな。小説やドラマならまだしも、現実において毒を盛られるなんて。警察組織に身を置いて五年弱が経つけれど、正直初めて聞く事件だ。


「刑事は継母の血液を差押えて、科捜研かそうけんの緊急鑑定に回した。そしたらなんやようわからんけど、とにかく毒物が検出されたらしいわ。刑事の情報によるとやな、それは身近な植物に含まれる毒らしい」


「身近な植物って……?」


「──スズランや。あれに毒があるなんて初めて聞いたわ、ワシ。ほんでそのスズランから抽出した毒がやな、継母が飲んどったデトックスウォーターに含まれとったらしい。改めて刑事がガサ打って見つけて来たんやと。ところでデトックスウォーターてなんや、詩織ィ?」


 デトックスウォーター。それは美容に疎い私でも聞いたことがある。切ったフルーツやハーブを水に浸けておくだけで出来る、自作が簡単で美容にも良いとされている健康飲料。それを班長に説明するけど、まさかその中に毒性のあるスズランが仕込まれていたなんて……。


「スズランには、挿してる花瓶の水を飲んでも中毒になるくらいの毒があるらしいわ。ほんでこっからや。ほんなら誰がそのデトックスウォーターにスズランを入れたんか、いうハナシになるやろ?」


「それを入れたのが、チカだって言うんですか?」


「せや。チカの部活、やろ。刑事が深夜の学校に行って、そこもガサした。そしたら出てきたんや。園芸部の倉庫から、スズランを乾燥させたモンがな」


「そんな……、でもそれだけじゃチカがやったとは言えませんよね? たったそれだけじゃ、チカの犯人性を疎明そめいできない」


 逮捕状の発布には、被疑者の明白な犯人性が何よりも重要とされる。状況証拠だけで逮捕状は出ない。だけど、そこに確たる証拠があるのなら。

 動機がどうであれ、たとえ自分の身を守るためであったとしても、証拠が明らかであれば裁判所から逮捕状は発布されるだろう。情状酌量というのは裁判になった後の話だから。


「刑事が差押えしたモンは、継母のデトックスウォーターと、学校で見つけた乾燥スズランや。双方の成分が科捜研の本鑑定で同一と特定されたら、たぶん逮捕状きっぷは出るやろな。罪状は殺人未遂や。未成年被疑者の主管は本来、生安課せいあんかの少年係やけど、当然最初は被疑者不詳で捜査始めとる。それは刑事の領分や。そやからチカをパクるまでは刑事もやるつもりなんやろ。今は少年係と合同捜査しとるけど、主導は実質刑事や」


 被疑者を追い詰める技術に長けた刑事が、この件を主導している。数々の凶悪犯と対峙してきた刑事は、私たちに比べて武器が多い。課員数だって多いし、装備資機材も潤沢。それに行政警察活動と違って、令状を根拠としてスマホの位置探査が何度でもできる。きっと私たち防犯係とは別の方法で、刑事はチカを追い詰めるのだろう。

 

「……ええか詩織。刑事よりはよう二人を確保せぇ。刑事の情報はワシが逐一そっちに流したる。司法警察は何回でも位置探査できるからなぁ、それ利用して必ず捜すんや。ワシの見立てやと、毒物の異同いどう識別しきべつにはまだ時間が掛かる。せやから逮捕状の発布もまだ先や。ただ刑事もアホやない。被疑者に死なれたら恥やからな、逮捕状が出る前にチカを確保しよう思うハズや」


「でもチカの逮捕状が出てしまったら、どちらにしても……」


「緊急執行しかなくなるやろな。刑事はワシらみたいに優しないぞ。チカがアキトと二人でおったとしても、関係ナシに逮捕状を執行するやろな。ただワシら防犯係が先に確保できたら、アキトの目の前での緊急執行だけは避けられるかもしれん。とにかくや。逮捕状が出てへん今なら、二人を確保できるんや。頼んだで、詩織ィ」


 ……班長の言うとおりだ。何としても刑事よりも先に二人を確保する。被疑者でなく行方不明者として。それは私たちに課せられた使命のように思える。


「なんでチカとアキトがそこにおるんか、それはわからん。ただワシには思えるんや。きっとそこでしたかったことが、そこでしかできへんことが二人にはあるんやろうなってな。詩織ィ、二人にそれをやらせたれ。逮捕状が出てないウチはまだワシらの主管や。ほんでチカが死のうとしてたら必ず止めたれ。それがワシらにできる、精一杯のことやからな」




 班長との電話を終えて。私は隣の鷹取部長に向き直る。部長はゆっくりと頷き、腕時計に視線を落とした。


「……午前五時過ぎだ。毒物の本鑑定にどれくらい時間が掛かるかわからないが、逮捕状の発布は遅くとも今日の午前中だろう。そこがリミットだ」


「出ると思いますか? チカの逮捕状」


「刑事は出す気なんだろう。日頃からチカが虐待を受けていたとか、そういう事情は逮捕状の発布に考慮されない。罪は等しく罪だからな」


「でも……」


「お前の言いたいことはわかる。ただ、チカに殺意があれば罪状は殺人未遂だ。警察官として、それを見逃す訳にはいかないだろ」


 確かに部長の言うとおりだ。人を殺めようとすることは、絶対にやってはいけないこと。たとえ相手から毎日虐待を受けていたとしてもだ。


「それにチカを早く見つけないと、もっと不味いことになるかもしれない。被疑者の特性を、お前も知らない訳じゃないだろ」


 被疑者の特性。警察学校時代からずっと、それは口酸っぱく言われていることだ。

 被疑者は嘘をつく。逃げようとする。そして……、最後には自殺しようとする。


「準備しろ、上沢。まだ早朝だが、位置探査エリアのホテルに今から当たるぞ」




   ────────────




「部長、班長からの情報です。四度目の位置探査場所が出ました。午前七時四十五分現在、二人の位置は舞濱駅を起点に西方向。ディスティニーランドのエントランス方向です」


 スマホに表示された班長からのメッセージを読み上げる。現在時刻は午前八時ちょうど。パークの開園を待つ人だかりが、さっきからひっきりなしに増えている。


「この辺りにいてもおかしくないってことだな」


「そうです。この人混みの中に、二人は必ず居ます」


「ここが勝負どころだ。頼むぞ、上沢」


「了解です!」


 大きな声で、私は部長に返す。まさしくここが正念場。あと一時間で、午前九時のパークオープンだ。

 


 結局、あれから三時間が経ってしまった。早朝から私たちは、二人を捜索したけれど全て空振り。事態が悪化したので、もう形振り構っていられない。二人が泊まっていると思われるホテルを全て虱潰しに当たったけど、宿泊者名簿にその名前は記載されていなかった。

 おそらく偽名を使っているのだろう。大学生だと言えば怪しまれることはない。チカの見た目は幼いが、アキトの顔立ちはしっかりした男前で、身長も百八十センチを超える長身だ。見た目で高校生と判断するのは難しい。


 当たった殆どのホテルは、捜査関係事項照会書を要求してきた。中には後日送付で構わないところもあったけれど、五枚しか持って来てなかった手書き捜関そうかんは、残すところたった一枚だけになった。

 それでも協力的なホテルは多く、防犯カメラまで見せてもらったけれど、クリスマスシーズンはとにかく客の数が多すぎる。

 それにここは夢の王国。顔を覆うようなキャラクタものの大きな帽子をかぶっている人も多く、顔貌の判別は簡単じゃない。二人の着衣も特定されていないから、余程の強運でもない限り防犯カメラでの特定は無理だった。



「──上沢、このパークは入口が一箇所しかないって言ってたな。それは事実なんだな?」


「間違いないです。この王国の創設者、ウォード・ディスティニーの思想がふんだんに取り入れられているそうです」


 部長はパークマップを広げて、ある一点を指す。そして続けた。


「入口から入ってすぐ『ランドバザール』ってエリアに繋がってるな。ここを通らないと奥には行けない。昨日ここに入った時もそうだったな。他に通路はないんだろ?」


「そのとおりです。そこで張りますか?」


「一番可能性が高いのはそこだろうな。だが誰よりも早くそこに行かないと意味がない。俺たちよりも先に、チカとアキトが入っていたら。そこで張り続けても無意味だからな」


「どうします? さっきまで開園待ちの人だかりを見てましたから、今から並んでももう遅いですけど……」


 部長は腕を組んで顔を顰めた。そして大きな溜息を吐く。まるで私みたいな、それは大きな溜息。


「……部長、今のは何の溜息です?」


「ダメ元だけどやってみるか、って溜息だ。上沢、捜関そうかん一枚残ってたよな?」


 部長はポケットに差していたボールペンを取り出す。そして私が手渡した捜関に、綺麗な文字を記し始めた。




【続】

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