第25話「似たもの同士」


 ことごとく満室だと言われ続けたホテル探しは、午後十一時を過ぎても決まらないままだった。さすがにクリスマス直前ともなると、どのホテルも満室なのは当たり前。私と部長は手分けして電話を掛け続けたけど、どのホテルからも色よい返事は得られない。


 仕方ない。朝まで開いているどこかの飲食店で過ごすか、漫画喫茶にでも行くか……。でも明日の朝は確実に早い。できればパークの近くで、しっかりと休息を取りたいところだ。


「部長、どうします? ホテルはどこも厳しそうですけど」


「電話じゃ門前払いに近い対応だな。仕方ない、直接出向いてみるか」


「いやいや、直接でも結果は同じかと」


「わからないぞ。もしかしたら今まさにキャンセルが出た、とかがあるかもしれないだろ。お前の日頃の行いに期待だな」


 鷹取部長はすたすたと歩き始める。荷物を纏めて、私は部長の後を慌てて追う。どこへ向かうのだろうと思っていたら、部長の足はまさかのホテルに向かっていた。


 ……いやいやそこはありえない。絶対に、確実に満室だ。それがわかっていたから、そこには電話すらしなかったのだ。

 だってそこは、このあたりで最高ランクのホテル。ディスティニーリゾート直営、ランドから一番近い場所に位置するディスティニーランドホテルだった。



   ────────────



 そのホテルのことを知っているのか知らないのか、部長は颯爽とフロントに赴き、「部屋は空いてますか。予約はしてないのですが」と丁寧な声で告げた。

 フロント担当はやや驚いた表情。当たり前だ、クリスマスシーズンにウォークインで泊まれる訳がない。

 平時だって予約が詰まっているに違いないホテルだ、きっと門前払いに違いないだろう。

 それでも素晴らしいこのホテルのフロントは、私たちの気分を害さないように爽やかな笑みを見せてくれた。きっと優しく「無理だ」って言ってくれるのだろう。


「──はい、空いています。たった今、一室キャンセルが出たところです」


「え? 空いてる?」


 思わず私は、部長の後方からそう言ってしまった。そんな、ありえない。最高ランクの直営ホテルに、たまたまキャンセルが? どんな確率だ、と言うかそんな運をこんなところで使いたくない。できればその運は、チカとアキトを見つける時まで取っておきたい。

 ……ていうか本当に? キャンセル待ちになりますが、とかじゃなくて?


「あの、他のキャンセル待ちのお客さんはいないんですか?」


「当ホテルは、客室のキャンセルが出れば先着順にご案内しています。お客様方が最初ですので」


 優しく丁寧な言葉遣いで、フロント担当の彼は言った。とにかく部屋は奇跡的に空いている。部長は私と違って、あまり驚いた様子もなく言った。


「上沢、悪いが同室でもいいか。一室しかないらしい。お前がいいなら押さえるが」


「いやちょっと待って下さい、部長」


「嫌なら一人で寝てもらっていいぞ。俺は朝までその辺をふらついているから」


 私は部長に近づくと、部長の耳のそばで言った。なるべく他の人に聞こえないように。


「違いますって、値段ですよ値段! 絶対、捜査費じゃ足りない。このホテルのグレード、知ってるんですか?」


「いや知らんが、足りない分は俺が出す。班長に言われてんだ、上沢には絶対に野宿なんかさせるなよ、ってな」


 一泊に執行できる捜査費の額は、上限が決まっている。出所はもちろん税金。こんな高級なホテルに泊まって、全額執行できるわけがない。だいたい、いくらになるのか知っているのだろうか、部長は。


「いや部長、それは流石に悪いです。私も出します」


「こっちはお前より高い給料貰ってんだ。そのセリフは、俺と同じ階級になった時に取っておけ」


 部長はフロント担当に向き直り、お願いしますと告げた。お値段は、二名一室で六万八千円。思ったより安いなと呟く部長は、一体いくら貰っているのだろう。私とあまり変わらないはずなのだけど。


「とりあえず奇跡的に部屋が取れた。本当にお前の日々の行いのおかげかもな。これで俺も、班長に怒られずに済みそうだ」


 控えめな笑みを作る部長が珍しい。対する私は、どんな顔をしていいのかわからない。

 ポーターに案内されて部屋に向かう部長の後ろ姿を、私は無言で追いかけた。



  ─────────────



 シャワーを浴びて、備え付けの部屋着に袖を通して。やっと人心地ついたのは、日付を跨いだ午前一時ちょっと前。

 鷹取部長は気を使って、私と同じ部屋では眠れないと言ってくれたけど、さすがに私だって気を使う。侃侃諤諤かんかんがくがくの議論を経て、結局たどり着いた結論は、二人一緒にこの部屋で休息を取るというものだった。

 なにも同じベッドで眠る訳ではない。もし空いていたのがツインでなくダブルの部屋だったら、私は眞子まこに亡き者にされるだろう。いや、この状況だってもう充分に怪しいけれど。


「……上沢、まだ起きてたのか。早く寝ろ、明日は早いぞ。ホテルを取った意味がなくなるだろ」


 シャワールームから出てきた部長は、いつもの冷静な口調だった。手にはミネラルウォータのボトル。照明を少し落とした部屋は、なんとなく形容し難い雰囲気に包まれている。私の考えすぎかもしれないけれど。


「どうした。やっぱり一緒じゃ寝づらいか」


「いえ、そういう訳じゃないんです。なんていうか、この状況が不思議に思えて」


「まぁ、普通は別々の部屋だからな。泊付はくつきの出張は前の所属で何度もあったが、異性と同室なんて普通ありえない話だ」


「それに場所も場所ですもんね。ここに仕事で来るとは思いませんでしたよ」


 窓から見える夜景に、もう一度目を向ける。そこには美しく輝くディスティニーランド。つまりこの部屋はパークビュー。人気のある部屋なのに、よくキャンセルが出たなと改めて思う。


「……いい眺めです。うっかり、仕事だってことを忘れてしまいそうなくらいに」


「頼むから忘れるなよ。チカとアキトの明日の予定がわかったとは言え、事態がどう転ぶか全く予想できないからな」


「部長はどう思います? この行方不明事案。チカとアキトは昔の幼なじみで、バイト先で久しぶりの再会を果たした。そしてきっと二人は好きあっている。チカは両親から虐待を受け、逃げ出すように家出をして。アキトはそれに付いてきてくれている……。チカの最後の願いが、ここに来ることだったから」


ってのが気になるところだな。最後ってのは、次がないってことだ。だが状況から見てチカには次も未来もある。父親は逮捕され、母親は意識不明の重体。しかも十七歳だからな、児童養護施設に入所することはもちろん可能だ。なのに何故ここで終わりだと思っているのか。俺はそれが不思議でならない」


 ベッドに腰掛けた部長は、ミネラルウォータをもう一口呷った。確かに部長の言うとおり。チカは何かから逃げて、そしてそれをここで終わらせようとしている。友達のアカネに送ったメッセージの文面から見ても、全てを終えたチカが自分の命を絶ってしまうことは充分に考えられることだ。


「両親からの虐待が事実だったとしても。今、チカを虐待する者は誰もいない。つまり逃げ出す対象がいないんだ。なのにアキトは、チカと一緒にきてると言っていた。何から逃げているのかわからない限り、この行方不明事案は本当の意味で解決しないかもな」


「知らないんでしょうか。チカは、父親が母親に対して暴力を振るい、殺人未遂事件を起こしたことを」


「知らない可能性はある。だとしたら、チカの自殺を止められる可能性は高い。そのことをチカに教えてやればいいんだからな。ただ……」


「ただ?」


「殺人未遂事件のことを知っていて、チカが逃げていた場合。その場合チカの気持ちは堅いだろう。何なのかわからないが、死ぬよりも酷いことが続いてるってことだ。どちらにせよ、まずは二人を見つけないと話にならないが」


 死ぬよりも酷いこと……。なんだろう、全然わからない。まだチカにもアキトにも接触できていないのだから、そこは想像するしかない。でもきっと、いい話であるはずがなかった。自ら命を絶とうとしている人の悩みは、まさに深淵そのものだから。


「とにかく勝負は明日だ。明日二人を見つけて、チカがバカな考えのままだったら絶対にそれを止める。何があっても止める。俺は、自殺しようとするヤツが許せないんだ。まだ生きたかったのに、病気や事故、そして事件で命を落としてしまった人を何人も見てきた。自殺は命の冒涜だ」


 私は思わず口を噤んだ。鷹取部長の言っていることは正しい。どこまでも正しい。

 ──だけど、そうだとしても。私には、自殺するしかなかった人の気持ちも痛いほどにわかってしまう。


 私の一番の親友だったカヤコ。カヤコは私を置いて、もう会えない場所まで行ってしまった。

 一人きりになって、頼れる人もいなくて。騙されて大きな借金を抱えて、自殺を選んでしまったカヤコ。カヤコのことを思うと、今も身を切り裂かれる気持ちになる。


 自殺は悪いことだとは思う。生きたいと願い、不幸にも亡くなった人に対する冒涜だとも思う。思うけれど、私はカヤコの名誉のために、それに諸手をあげて賛成することはできなかった。


「……部長の言うことは、正しいと思います。でもこの世界は、正しいか正しくないかの二択じゃない。どうしようもないことも、あると思うんです。自殺は悪いことだって、頭ではわかってます。でも。死ぬしかないと思って自殺した人の気持ちを、私は否定することができないんです」


「例の、親友の件か」


「……もちろんカヤコには生きていてほしかった。ずっと親友でいたかった。でもカヤコは死を選択してしまって、」


 言葉が詰まる。なんて言葉にすればいいのかわからない。自分の心がぐちゃぐちゃになってしまっていた。

 自殺は悪いことだ。それならば、自殺した人はみんな悪い人なのか。いや違う、そうじゃない。仕方なくそうした人だっているし、その気持ちは尊重に値するものだと思う。でも賛成はできない。それだけは絶対に。


 そんなことを思うけれど、うまく言葉になってくれなかった。

 黙ることしかできない私に、部長はゆっくりと話し始める。その声はいつもの冷徹な声ではない。穏やかだけれど少し悲しそうな、それは初めて聞く声だった。


「……俺は昔、大切な人を事故で亡くした。そいつはアホみたいに明るいヤツで、いつも笑ってるヤツで。そいつと居ると辛いことも忘れられて、心が不思議と落ち着く。俺とは違って、あいつはいい人間だった」


 それはきっと、サブから聞いた詩子うたこさんのことだろう。部長の視線は、手許のボトルに落としたまま。部長は緩やかに言葉を継ぐ。


「こいつとずっと居られたら。そう思っていた。だがその事故は一瞬で、俺からそいつを奪っていった」


「……その人のこと、好きだったんですか?」


「あぁ。気づいた時にはもう、遅かったけどな」


 部長も大切な人を亡くしている。これは何も特別なことじゃない。長く生きていれば、大切な誰かと別れてしまうことはある。それは避けようのない残酷な摂理。


「あいつは死にたいなんて思うタイプじゃなかった。悩みとは無縁の、底抜けに明るいヤツだった。だが死んだ。俺はわからなくなったよ。明るく生きてたいいヤツが死に、大事な命を自ら捨てるヤツがいる。そして、他人の命を奪うヤツもいる」


「命を、奪う人……?」


「それは事故に見せかけた事件だったんだ。俺はその犯人を見つけ、追い詰めて本気で殺してやろうとした。でもできなかった。俺の拳で血塗れになる犯人を見て思ったよ。こいつをこのまま殺せば、俺も同じ所まで堕ちる。それじゃきっと詩子は喜ばないってな」


 部長の口から、詩子さんの名前が出る。それにすぐ気がついた部長は、「いや今のは忘れてくれ」と俯いた。寂しそうな空気を纏う部長に、私は言葉を掛けられない。


「──とにかくあれだ。俺にはやっぱり自殺するヤツは理解できない。でもそうするしかなかった人もいるってことは、なんとなく納得できてはいる。俺とお前の考え方は違う。ただ向いてる方向は同じだ。お互い、自殺しようとする人を止めてやりたい。そうだろ?」


「……もちろんです。私はもう、カヤコみたいな人を見たくない」


「案外、似たもの同士かもな。俺たちって」


 顔を上げた部長の表情は、少しだけ。ほんの少しだけ、笑っているように見えた。



【続】

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