第19話「部長の復帰」
「……さってと、そろそろ日暮れか。本格的に寒くなって来たっすねぇ」
加熱式タバコをポケットに仕舞うと、サブはベンチを立って背伸びをした。サブの言う通り辺りは暗くなっている。円形広場の簡素なイルミネーションは、いつしか静かに煌めいていた。
確かに気温は低い。それよりも、私の心はもっと冷えている。そう感じてしまうほど、それは重い話だった。
「
「あ、はい……そろそろ署に戻らないと」
「そんじゃ、またっすね。アニキにもよろしく伝えといてください。いややっぱヤメだ。勘のいいアニキのことだから、なんか気付くかもしんねーですからね」
サブがクスクスと笑った。その通りだった。鷹取部長に、サブと偶然会ったなんて言ってしまったら。きっと部長は私の異変に気が付くだろう。私は嘘が上手くないのだから。
「そんじゃオレぁ、仕事に戻ります。姐さん、カラダ壊さねーようにしてくださいね。今日は特別、寒ィから」
踵を返して去ろうとするサブを呼び止める。どうしても、それだけは訊きたかったから。
「あの、サブさん。最後にもうひとつだけ、いいですか?」
「なんすか?」
「……どうして、私に話してくれたんです?」
サブはくるりと振り返ると、真っ直ぐ私に向き直った。その表情は柔らかいもの。だけどどこか寂しげにも見える、そんな顔をしていた。
「……二年振りに会ったアニキは、なんつーか別人みたいに思えたんすよ。この前は短ぇ間でしたけど、それでもアニキには一切、笑顔が見えなかった。昔、アニキはよく笑う人だった。本当に楽しそうに笑う人だったのに。人は簡単に、変わっちまうものなんすね」
二年という時間は長い。人を完全に変えてしまうのに足る期間だ。その二年、鷹取部長は何を考えてどう過ごしたのか。それは部長にしか、わからない。
「まぁ、二年っすからね。変わるのは無理もねぇ話かも知れねぇ。全く会ってなかったし、アニキに関する情報も全然入ってこなかった。だってオレぁアニキが組対を外されたことすら知らなかったんすから。きっと組織に責任、取らされたんでしょうね」
けど、とサブは言葉を継ぐ。寒さに震えるようにも、何かを悲しむようにも思える複雑な表情で。
「アニキは組織が負わせた責任以上に、
「私が……? どうして?」
「やっぱり似てるからっすかね? 詩子姐さんと、詩織姐さんは良く似てる。容姿とか仕草とか、そういうのじゃねぇ。纏う雰囲気っつーのかな、それとも見てる方向っていうのかな。いや、」
言葉をまた切って。サブは優しく笑って続けた。
「……わかったっすよ。その真っ直ぐな目だ。詩子姐さんの目とよく似てる。きらきらしてて真っ直ぐな、純粋な目だ。きっとアニキもおんなじこと、思ってんじゃねーのかな」
アニキをよろしくっす。そんじゃ、また。
サブは背中を向けてそう言うと、手をぷらぷら振りながら夜の街へと消えていった。
────────────
翌日。鷹取部長が仕事に復帰する日。いろんなことがあって、私はどう部長に接したらいいものかと悩んでいた。
というか、何針も縫ったはずなのにもう仕事に復帰するなんて。部長はどれだけ仕事の虫なのだろう。私だったら、公務災害休暇をフルに取るに違いない。
その部長の怪我と、そして昨日サブから聞いた過去の話。特に後者は私の心を冷たくするに充分な、重くて悲しい話だった。
それを聞いてしまったことを部長に知られてはならない。誰だって、自分の過去を勝手に探られるのはいい気分のものではない。
とにかく、いつもどおりにしなければ。ってあれ? いつもどおりって、私どんな風に仕事してたっけ。
明るく仕事してたっけ。それとも難しい顔をしながら仕事してたっけ。いやいやな感じで? 気怠げな感じで? あるいは、大きな溜息を吐きながら……?
──あぁだめだ。もう自分がわからない。もうこうなりゃ出たとこ勝負だ、と思いつつ
意を決してドアノブを握る。「ようし」と心の中で掛け声を。そして気合を入れて、そのドアを勢いよく開け放つ。
「おはようございま──」
「──ってぇ!」
開けた手応えがおかしい。ガツンとした何かを感じる。これはアレだ。稀にある、ある種の事故。思い切り開けたドアが、部屋を出ようとしていた中の人にぶつかってしまうアレ。あぁ、私はまたとんでもないことを。
「
そこには果たして、声を荒げる鷹取部長がいた。左腕を押さえながら苦悶に表情を歪めている。
なんて最悪なタイミング。この世にはやっぱり神様なんていないと実感する。
「お前、傷口開いたらどうすんだ!」
「ぬ、縫います」
「もう縫ってんだよ! あぁクソ、痛ぇ……」
痛がる部長を見た
二十四時間勤務をした後なのにこのバイタリティ。私が班長と同じ歳になった時、こんなに元気でいられる気がしない。班長はニヤリとした顔で鷹取部長に言った。
「おうおう、さっそく洗礼受け取るやないかい鷹取ィ! お前が休んどった分のカエシが来てんとちゃうか? まぁ大丈夫や、んなもんツバ付けといたら治るやろ」
「いや班長、傷口開いて雑菌でも入ったらどうすんですか」
「アホウ、気合いが足りんのや。気合いがあれば何でもできるってよう言うやろ。せやから傷も気合いで治るわい。のう、
「それは自然治癒力が無駄に高そうな班長だけでしょ。そういやクマの治癒力って高いんですかね?」
「誰がクマや! ワシはこう見えてなぁ、水上署におった時分は『水上のジンベエザメ』言われてたんやぞ。陸に上がったら動けんなる、いうてな!」
ガハハハハ! なにが面白いのか、班長は今日も絶好調だ。昨日の当直はベタ凪だったのだろうか。年末が近づくにつれて事案は結構入るはずなのだけど。
──いやそうじゃない。とにかくまず、鷹取部長に謝らないと。
「あの、すみませんでした。鷹取部長、左手の具合は……?」
「お前のダメ押しが決まったところだ」
「す、すみません……」
「いや悪い、冗談だよ。痛かったのは確かだが、そんなに酷くないんだ。それに傷口が開いた訳じゃない。だからもう気にするな」
「いえ、そういう訳には。今回の件は……、本当にすみませんでした。部長になんてお詫びしたらいいのか、」
「もう気にするなって言っただろ。これは自分の至らなさが招いた結果だ」
部長はそう言うが、私はまだ謝り足りない。そう思った時、名谷部長が口を挟んだ。「もう気にすんなよ、上沢」と、軽い口調で名谷部長は続ける。
「鷹取もいいって言ってんだからさ、もう気にすんなって。鷹取のそれはある意味、名誉の負傷だろ? 身を挺して保護対象と自分の部下を守ったんだぜ。なかなか出来ることじゃない。なぁ、鷹取?」
──あぁ、それは地雷だ。名谷部長が悪いわけでは、もちろんない。私があの話を聞いたからだ。私は知ってしまっている。鷹取部長が過去、部下を亡くしていることを。
私は固まったまま何も言えなくなる。なんて言葉を出せばいいのかわからない。鷹取部長の表情を盗み見ると、ほんの少しだけ翳っていた。
「……鷹取?」
「あぁ、いや。たまたまです。たまたま身体が動いただけで、そんな大したことじゃありませんよ。それより俺が休んでた間、何か事案はありましたか」
「目立った事案はねーけどアレだ。谷上班長のありがたい御下知があったぜ」
班長、どうぞ。名谷部長が恭しく手のひらで示すと、谷上班長は「おう」と言いつつ続けた。
「防犯係の年末の風物詩と言えば鷹取ィ、なんかわかるかぁ?」
「ケイゾクですか?」
「おう、さすがやな鷹取ィ。で、ウチのケイゾクは全部で四件や。その内の三件はワシと名谷でもう潰した。鷹取に渡そう思とったヤツも含めてな。まぁアレや、捜査するも有力情報ナシってヤツや」
「残る一件は?」
「詩織に渡しとるヤツなんやけどな。追加の照会で、そいつの生きとる口座がわかったんや。ほんで、
「ええと、防犯カメラにはお金を引き出す男が映っていましたけど、カメラの角度や画質から見て、行方不明者かどうかは断定できませんでした。背格好はよく似てたんですけど、その男はコンビニで買い物をしていません。その後の足取りも不明です」
「その後の足取りは不明? 付近のカメラは検索したのか、上沢」
鷹取部長の問いに首肯する。あのコンビニを除いて、付近の防犯カメラの設置はない。私がそれを告げると、鷹取部長は言う。
「班長、上沢を連れて再検索してみてもいいですか。もちろん上沢を信用していない訳じゃないですが、誰しも見落とす可能性はありますので」
「鷹取、お前ほんまにマジメやなぁ。でもその行方不明者の区分は、すぐ捜さなあかん『特異行方不明者』とちゃうぞ。それにその行方不明者はギャンブル狂いでなぁ、借金が焦げついて、生まれる前の子供と嫁を置いて行方くらませとんのや。もし見つけてもたら、嫁子供の生活保護が打ち切られる可能性もあるでな」
「なるほど。それは複雑ですね」
「そや、複雑なんや」
班長と部長の言うとおり、この事案は複雑だ。行方不明者を見つけてしまえば届出人に不利益が出る可能性がある。働くことが出来る夫が帰って来れば、妻子の生活保護が打ち切られる可能性が出てくる。
それでも生活保護を受けるには、働くことが出来る夫がいない証明となる行方不明者届出受理票の提出が必要だ。そしてそれが出ている以上、警察は行方不明者を捜索しなければならない。たとえその対象が、今回のようなクズ野郎だったとしてもだ。
「見つけられるかどうかはわかりませんが、届出票が出ている以上は捜索しないと、でしょう。俺のリハビリも兼ねて、とりあえず出てきます。行くぞ上沢」
有無を言わせないといった雰囲気の鷹取部長。私は言われるまま出られる準備をする。
とにかく、今は何も考えないでおこう。機械的に仕事をする。これだ。
私は心にそう決めて、部長の背中を追った。
【続】
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