第18話「分裂抗争」


 サブはタバコを一口吸うと、薄い煙を吐き出すと共に言った。「長い上に面白くねぇハナシですけど、本当に聞きますか」と。

 私は深く頷く。サブはそれを受けて、ゆっくりとした口調で話し始めた。


「姐さん、エスって聞いたことあります?」


「エスって……、薬物の方ですか? それとも内通者のエス?」


「えぇ、そっちっす。内通者のエスっすよ。オレぁヤクザやってた時、アニキのエスだったんすよ。で、今から三年前。業界は一番強えトコロが分裂騒ぎでモメにモメていた。姐さんも聞いたことくらいあるでしょ? 有名な海川ウミカワ抗争ってヤツを」


 海川抗争。現在も最大勢力を誇る海乃ウミノ組と、そこから脱退した川喜多カワキタ連合会が起こした平成末期最大最悪の暴力団抗争事件。当時、地域警察官だった私もその分裂抗争の警戒でよく駆り出されたものだ。

 抗争は一年に渡り、関係者に数人の死者が出たところで一応の収まりを見せた。でも民間人に死者が出なかったことが唯一の救いだった事件である。

 今は冷戦状態にあるけれど、警察組織は抗争が再燃しないよう、二つの組織に対していつも目を光らせている。


「アニキは分裂抗争を詳しく調べるように、組対のウエから言われてたらしいんすよ。それにはとにかく情報が必要だ。そこでアニキはオレに目を付けた。役もついていねぇ下っ端のオレにね」


「鷹取部長は、どうしてサブさんを?」


「当時、オレぁ川喜多連合会にいたんすよ。ちょっとしたツテで気に入ってもらった、川喜多の本部長に仕えていたんす。その人は組ん中でも顔の効く人でね、本部長のをやってたオレには、わりと良いネタが自然と流れ込んで来てた。アニキはそれに目ぇ付けて、オレに接触して来たんすよ」


 冷たい風が吹く。吹きさらしの円形広場に風を遮るものはない。サブが吐き出した煙は風に乗って、すぐに消えていく。その煙を見送るように、視線を宙へと投げるサブ。


「初めてアニキを見た時は驚いたっすよ。同業者代紋違いかと思うほど、見た目も度胸もキレていた。正直言って怖かった。『組対のタカ』つったら、当時はそりゃあ有名でした。下手な警察幹部より信用できるって、ヤクザにも一目置かれてたんすよ。巡査部長なのにね。加えてアニキは交渉術が恐ろしく天才的だった。ありゃあ天性のモンすね」


 あの真面目で冷徹な鷹取部長が、交渉の天才だった? にわかには信じられない話だ。私は黙って、サブの言葉の続きを待つ。


「アメとムチ。弱みと旨み。それの使い方も抜群に上手かった。気付けばオレぁ、アニキの立派なエスになってたんすよ。アニキに気に入られたいがために、せっせと情報を警察に流した。そん時に出会ったのが、アニキの部下だった詩子うたこ姐さんです」


 遠い目をして、サブは語る。表情は少し寂しげだ。鷹取部長の部下だということは、その詩子さんも組対ソタイに属していたということだろう。少ないけれど女性の配置もある部署だ。知り合いはいないけれど、何となく肝の座った女性が多いイメージ。私には絶対に務まらない職務だ。


「詩子姐さんは、組対の人とは思えねーくらい優しい人でね。クソみてぇなオレなんかにも優しいコトバ、掛けてくれて。カラダが資本だから健康にいいもん食べて下さいって、手作りのサンドイッチ持って来てくれたこともあったな。ほんと、いい人だったんすよ。詩子姐さんには今も頭が上がんねぇ」


 サブは嬉しそうな声色で言った。きっとサブにもいい影響を与えたであろう人。私には真似できない。なのに私と似ている雰囲気だとサブは言う。一体、どんな人なのだろう。


「アニキももちろんいい人だった。時々おっかねーけど、オレがなんの情報も上げらんねぇ時、シゴト抜きに遊びに連れてってくれたこともあったんす。組対の刑事二人とヤクザの下っ端が、三人でピクニックっすよ。笑えるでしょ。ほんとに楽しい時でしたし、オレぁ詩子姐さんのサンドイッチがまた食えて幸せだったなぁ」


 息継ぎのように、タバコに口をつけるサブ。言葉とは裏腹に、その雰囲気はどこか寂しげだ。どうしてと私が問う前に、サブは言葉を継ぐ。


「──そんな時だ。オレぁ本部長から、決定的な情報を得た。いや、得たっつーより命令されたんすよ。海乃の若頭をハジいてこいってね。要は、泥沼化した抗争を終わらせる鉄砲玉っすよ。その命令は本部長よりウエの、川喜多でイチバンの武闘派だった若頭補佐からの独断のモンだった。平成末期の時代に、あり得ねぇハナシでしょ? 終わるどころか、さらに激化するのは目に見えてた」


 それは当たり前の話だ。相手を攻撃すれば、余程の聖人でない限り復讐されるに決まっている。メンツを何よりも大事にするヤクザなんて、復讐することが矜持だと考えていてもおかしくはない。


「本部長に世話んなったのは事実っすけど、オレの気持ちは完全に組から切れてたんすよ。アニキと詩子姐さんのおかげで、オレぁ堅気に戻りてぇって思うようになっていた。それくらい三人で過ごした時間は、オレん中で大事なモンになってたんです。だからオレぁすぐアニキに相談した。組の若頭補佐から鉄砲玉やれって言われました、って。したらアニキは『んなことやっても意味ねぇぞ』って言ってくれた。そして続けた。『この抗争を終わらせて、お前を組から抜けさせてやる』ってね」


 難しいことを簡単に言うでしょ、アニキは。サブはそう言って苦笑いをする。

 慣れた手つきでタバコを取り替えて、またスイッチを入れる。指で弾いた加熱式タバコの吸い殻は、綺麗に灰皿へと吸い込まれていった。

 

「アニキがそう言うのには理由があったんすよ。実はウラで、アニキらは海乃とも交渉をしていたんす。海乃は得のねぇこの抗争を早く終わらせたかった。ウチ──、いやオレぁもう抜けましたけど、川喜多連合会は海乃から脱退して、ひとつの組織としての確立を狙っていた。そこで双方が表向きのメンツを保って手打ちする策を、アニキら組対は考えた」


「……警察が、ヤクザの仲立ちを?」


「世間様は知る由もねぇハナシっすよ。知ってんのは組対ソタイのごく一部と、海乃と川喜多のトップ。そしてそれに近しい連中。後はオレと、今からこれを聞く詩織しおり姐さんだけだ」


 そんな。そんなことがあり得るのか。法の執行者たる警察組織がヤクザに加担するなんて。警察の任務は、公共の安全と秩序の維持だ。その安全と秩序を乱す最たる組織、暴力団に手を貸すなんて……。


「綺麗事だけじゃ平和は守れねぇ。アニキはよく言ってましたよ。抗争はいつかカタギの人らを巻き込んじまう。だから警察は苦渋の決断をしたんでしょう」


 あの遵法精神の塊とも言える鷹取部長の言葉とは思えない。いつも正しい部長は、正論をかざしてくるから私には逃げ場がない。だけどその姿を、私は密かに尊敬していた。いつも正しくあろうとするその姿は、私の理想の警察官像だから。


「そしてアニキらは、双方に取引を持ちかけた。川喜多には、海乃からの表向きじゃねぇ独立の許諾を。見返りに海乃には、川喜多からの多額な金と貢物を。どっちにもメリットのあるハナシだし、長い抗争でみんな疲弊していたんすよ。けど、サシで話をすることはできねぇ。切った張ったのいがみ合いをしてんだから、顔を合わせりゃゴタになる。だから警察の仲立ちは渡に船だったんすよ」


 そして、とサブは一旦言葉を切った。手許のタバコから、独特な匂いが運ばれてくる。私はコーヒーに口をつけて、サブの言葉の続きを待つ。さっきまで美味しく感じたコーヒーは、何故か味がしなくなっていた。


「アニキらの仲立ちで、双方の幹部連中は手打ちの条件を呑んだ。水面下でハナシは進んでって、オレが仕えてた本部長も知ることになったんす。手打ちの日取りは決まって、裏切りが起こんねぇように警察が立会することになった。もちろん非公式でね」


「その場に、鷹取部長が……?」


「えぇ、そうっす。アニキはこの手打ちのハナシを進めた一番の功労者だ。双方のヤクザもアニキには一目置いていてる。だから必然、アニキはその場に招かれることになった。立会人としてね。そしてそっから抗争は鳴りを潜めた。もう鉄砲玉がどうのなんてハナシじゃねぇ。手打ちの日が決まったのに、それを反故にするようなことはメンツに関わることっすからね」


「その手打ちの日は、無事に迎えられたんですか?」


「……いや、組織はどこも一枚岩じゃねぇんすよ。海乃は全面的にこのハナシに乗り気だったが、川喜多はそうじゃなかった。特に、オレに鉄砲玉やれって言ってきた武闘派の若頭補佐は、ヤクザが警察の言いなりになってどうすんだって頑強に反対していたんすよ。補佐は若ぇのに昭和のヤクザみてーな人でね。アニキとは違う意味で恐ろしかった。そしてその補佐が、この事件のなんすよ」


 元凶、とサブは言った。当時の若頭補佐は何を引き起こしたのか。昭和のヤクザみたいな武闘派で、警察憎しと思っていたその人物の行動。

 嫌な予感しかしない。そしてそれは、きっと間違っていない。


「そして迎えた手打ちの日。その補佐が独断でハネた。自分とこの兵隊使って、鉄砲玉ァ差し向けたんすよ」


「海乃組に攻撃を……?」


「いや。補佐の狙いは、。アニキらが介入してきて、組がそれに従うカタチになったのがどうしても許せなかったんでしょう。補佐は兵隊使って、手打ちの場に向かうアニキらのクルマを狙った。交通事故を装って、こっちもクルマを猛スピードで突っ込ませたんすよ」


 吸い込んだ煙を吐いたサブは、ゆっくりと目を閉じた。それはなにかを悼むような仕草で。悲しい結末が、簡単に予想できる表情で。そこで私は、話を聞いてしまったことを後悔した。でももう、遅い。


「アニキが運転するクルマの。そこに突っ込んだんだ。当然、両方とも大破した。ヤクザの兵隊は死んだ。アニキも怪我をしたが、それより酷い怪我を負ったのは詩子姐さんだった」


「そん、な……」


「──瀕死の重傷だった。それでも詩子姐さんは、アニキに手打ちの場に向かうように言った。この抗争を終わらせるチャンスはこれきりだ。ここで終わらせることができれば、一般市民を抗争に巻き込むことはなくなる。だから行ってほしいと」


 そして。サブはまた言葉を切る。何かを決めた表情で、ゆっくりと続ける。


「結論から言うと。アニキら組対の立会で、手打ちは成された。多額の金が川喜多から海乃に渡り、闇で川喜多の独立が許された。抗争はそこで終わった。でもそのせいでアニキは。詩子姐さんの死目に立ち会えなかったんすよ」


 ……聞いたことがあった。その抗争に巻き込まれて、警察官が一名殉職した話を。その人がまさか、部長の部下だったなんて。


「これが、オレの知ってるハナシです。あの抗争で、アニキは部下を亡くした。オレぁアニキのエスだったことが組にバレて破門になった。そう仕向けてくれたのはアニキだったと後で聞いた。それから二年、アニキと会えてなかったんすけど。元気そうで、本当によかったっすよ」


 乾いた笑顔で、サブは笑った。そしてこう付け加える。


 今のは全部、オレの独り言ってことにしてくださいね、と。




【続】

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