エピローグ「こちら水瓶署生活安全課防犯係」
それから。駆けつけた刑事課員にチカの身柄を、私たちは引き渡した。もちろん鷹取部長は「チカに逃走の意思はない」と刑事に強く説明する。殺人未遂から傷害に切り替えようとしていた逮捕状請求も、これで頓挫することになるだろう。
刑事はチカのため、女性刑事を派遣してくれていた。
刑事から事情聴取されるチカの手には、アキトからのクリスマスプレゼント──、美しく輝くガラスの靴があった。
チカはそれを大切に抱えて、私たちに頭を深々と下げて。そして刑事とともに、夢の王国を後にした。
私と部長は残ったアキトの身柄を保護して、そして新幹線に乗った。私たちの拠点たる
地元の駅に着いた後、駅で待ち構えていた両親にアキトを引き渡した。アキトも私たちに深々と頭を下げて、そしてこう言った。「ありがとうございます」と。
部長はアキトの肩を軽く叩いて言葉を返した。「自分の言ったことは必ずやり遂げろ。男と男の約束だぞ」と。
そして全ての措置が終わって。私と鷹取部長の、長いようで短かった旅は。こうして終わりを告げたのだった。
────────────
あっという間に月日は流れ、年が明けた。そして気が付けば二月目前、一月三十一日。いそいそと通常業務をこなしていると、瞬く間に時間は流れていく。
行方不明事案の他、防犯係の業務は多岐に渡るのだ。保護の取扱、防犯講話、特殊詐欺の予防活動。精神的に不安定な人を病院に繋ぐことだってするし、刑事事件にならない相談受理や、学校に不審者が侵入した想定訓練で、犯人役をすることもウチの仕事だったりする。
なんでも係と揶揄される私たち防犯係の主管は、両手両足の指を使っても足りないくらいに多い。だから「貧乏くじ係」と呼ばれている訳だ。
でもその日は珍しく事案が凪いでいた。電話も鳴らない静かな夕刻、定時まであと少し。みんなそれぞれ自席について、各々の書類作成などに勤しんでいる。外に出る事案がない時、溜まった書類仕事を片付けるのは警察官の様式美だ。
「おう、そうや
コーヒーを片手に新聞を読んでいた
「この前の件いうたら、そらアレしかないやろ。『東京ディスティニーリゾート、愛の逃避行』や」
「なんですか、その売れない小説のタイトルみたいなのは」
「詩織ィ、いまワシの愛読書を馬鹿にしたな? まぁええわ、とにかくチカとアキトの件や。チカ、保護観察処分が決まったらしいで。施設を出て、遠くの街の保護司の元で暮らすことになった。あの両親には監護能力があるとは言えんからな、当然の措置やろ。ほんで父親は起訴勾留になったらしい。母親は退院、体調もだいぶ戻ったらしいわ。当然、離婚の話は進んどる。まぁ、刑事事件なんかどうでもええんやけどな」
ずずず、とコーヒーを啜る班長。視線を新聞から外して、何かの紙を取り出して言葉を続ける。
「そんで本題はこれや。おい鷹取ィ、この領収書はなんや? なんで一泊の宿に七万近くも掛かっとんねん! 足、出まくりやないかい! ほんで時間経ってからしれーっと出しやがって!」
「あぁ、班長。それ仕方ないヤツですよ。クリスマスイブですよ、クリスマスイブ。まだ安い方かと」
しれっと鷹取部長が答える。涼しげな顔。確かにあれは仕方がなかった。と言うよりホテルを押さえられたことがまさしく僥倖、というヤツだ。
「はぁ? これで安い方やと? それにしても高すぎるわ! お前これ、四万近く自腹切ったんちゃうんか。自腹切らせるとなぁ、ワシが課長に怒られるんやぞ!」
「まぁまぁ班長、とりあえず落ち着いて。あんまり怒るとまたクマみてーだって言われますよ?」
ぽちぽちとパソコンのキーを叩いていた
名谷部長は苦笑いをして、私と鷹取部長に向けて言った。
「ああやって吠えてるけどさ。すげぇカッコ良かったんだぜ、班長。捜査費ケチる方が悪いつって、狭い会計の部屋に乗り込んで吠えたんだ。いつものバカでかい声でな」
名谷部長はその状況を思い出したのか、おかしそうに笑って言った。そして続ける。
「そんでさ、適当な理由つけて会計の予備費をブン取って来たんだ。班長、なんて請求したんでしたっけ?」
「極めて可能性が高いと思料される
「いいんですか、班長」
「ええも悪いも、元々お前の金や。ええ店連れてったれよ、最近忙しくて打ち上げもしてへんのやろ」
そう言えばそうだ。千葉まで行って、逮捕状が出るか出ないかまで極まった重大事案。それを逮捕することなく解決に導いた、と言えば聞こえはいいけれど、とにかく大きな事案だったのは間違いない。
でもここのところ忙しくて、そのお疲れ様会はやってない。是非ともしたいと思う。鷹取部長のお金なら、尚更のこと。
「詩織ィ、お前なに食いたいんや。鷹取大先生にお願いしとけよぉ、金持ってるぞぉ!」
「あ、じゃあ私お肉が食べたいです! それかお寿司、もちろん回らないヤツで。あぁでも、うなぎもいいなぁ!」
「お前、人の金なら遠慮しないな」
「だって、お疲れ様会したかったんですから!」
鷹取部長は大きな溜息。最近、私より溜息を吐く数が明らかに多い気がする。いい気味だ、と思うのは失礼だろうか?
「まぁ、詩織はディスティニーリゾートの件の立役者やからなぁ。詩織が二人を見つけたんやろ? ほなそれくらいのボーナスはあってもええハズや。よし詩織、遠慮すなよ。腹一杯、ええモン食わしてもらえ」
「いいものはもちろん食べさせてもらいますけど、でも私は二人を見つけただけです。チカを逮捕せずに済んだのは、鷹取部長のおかげですよ」
そんなことない。鷹取部長はそう言う。でも部長の功績なのは間違いない事実だ。
「ねぇ部長。あの時、二人を早く確保して、チカに逃走の意思がないってことを言わせたかったんですよね? もしあの時、先に傷害の逮捕状が出ていたら。そしてチカの言葉を聞く前だったら。私たちはチカを逮捕することになっていたのかもしれない。後で私、そう思ったんです。部長はやっぱり優しいな、って」
鷹取部長はこちらを見ずに、手許のパソコンを見つめたままだ。メガネにディスプレイが反射しているから、その表情はよく見えない。
「……俺はお前みたいに優しくない。早く終わらせたかったんだ。あのパークは俺の居場所じゃない。明らかに浮いてたろ」
「それはまぁ、そうですけど」
「お前な、そこは『そんなことないですよ』って言うとこだろ」
部長は苦い顔でコーヒーに口をつける。私は笑顔で同じようにする。温かくて香ばしいコーヒーが、口の中に広がっていく。とてもゆっくりとした時間が、生活安全課の
こうしてゆっくり話せる時間は、私たち防犯係には貴重なもの。それに仲間といるだけで何故か楽しく思えるのだ。
どんなに仕事がキツかったとしても、メンバーさえ良ければそれだけで充分。そして我が防犯係のメンバーは、県下で最高のチームワークを誇っている。それは絶対に、間違いないことだ。
「……私、あの件が綺麗に解決して、本当に嬉しかったです。鷹取部長のおかげで、チカを逮捕せずに済んで。誰も死ななくて、チカもあの家から抜け出せて。そしてチカの隣には、これからもアキトがいる。本当に、奇跡ってあるんですね」
「別に奇跡じゃない。あれは当然のことだ」
「当然?」
私が問うと、部長はまたコーヒーに口をつけて。そしていつもの声とは違う、柔らかな温かい声で言った。
「──だってあそこは、夢が叶う場所なんだろ?」
「……いや部長、そのセリフは恐ろしいほど似合わないです」
「鷹取ィ、似合わんことすな。コーヒー吹き出すかと思たわ。のぅ、名谷ィ?」
「おれは鷹取を心療内科に診せてやらないと、って本気で思ったっすね」
「あの、部長。ほんとに頭、大丈夫です……?」
「うるせぇな、自分でも思ったよ! あぁほんと似合わねぇな、ってな!」
鷹取部長の言葉に、みんな笑った。つられて部長自身も笑う。珍しく声を上げて。
「いやー、しかしまぁ解決してよかったよかった。刑事にも一矢報いたし、鷹取の四万も会計から取り戻せて課長の小言食らわんで済んだし。ほんま、ええ感じにウチの係は回っとるわ。これもワシの指揮力のたまものやな!」
「ところで指揮力の高すぎる班長、この領収書ですけど」
「おう、何や名谷ィ」
「今ふと思ったんすけどこれって、二部屋合算での領収書なんすかね? それとも一部屋で七万弱、つーことなんすかね? 但し書きは『宿泊費として』としか書いてないから、わかんないんすよね」
「……おいおい待て待て、一部屋やと? それ盲点やったわ、ワシは当たり前のように二部屋分や思てた。いや待て一部屋七万弱て、やっぱ高すぎるやないかい! どんなホテル泊まったんや!」
「いや違うでしょ班長、ツッコミどころはそこじゃないっすよ」
名谷部長の鋭い視線。ニヤリと笑っている。これを班長に知られるとさらに面倒になることは間違いない。班長の思考を遮るように、私は大きな声で言った。
「鷹取部長! 私やっぱりフレンチにします! この前ネットで見つけた美味しそうなお店があるんですよ。そこ、連れてってください。今日がいいです!」
「今日?」
「今日は珍しく暇でしょ? 定時退庁して行きましょうよ!」
「……わかったよ、わかった。連れてってやるよ、ご褒美にな」
そう鷹取部長が言ったところで。鳴り響いたのは、課室に備え付けられた署活系無線。
「──県警本部から
その無線が鳴り終わると同時に、今度は目の前の警電が鳴った。うそ、立て続け? これはまずい。このタイミングで掛かってくるなんて、きっとロクな電話じゃない。
「上沢、電話を頼む。俺は出られる準備をする」
「名谷ィ、出よか。ワシらは六歳の方や、電話の件はなんや知らんけど、鷹取と詩織に頼むで」
あぁ、くそ。これでフレンチが吹き飛ぶのは間違いない。楽しみにしてたのに。
でもこれは誰かがやらなければならない仕事だ。私たちの係は、誰も進んでやりたがらない、そんな仕事を担当している。
言わば私たちが最後の砦。そこから逃げ出すわけにはいかないのだ。
そして私には、幸せなことに信頼できる仲間がいる。この仲間とだったらきっと、どんなことにも立ち向かえる。そんな素晴らしい仲間が、いつも傍にいてくれる。
難しい事案でも、厳しい事案でも。必ず私たち防犯係が解決する。そんな強い気持ちで、私は鳴り続ける電話に出た。
「──はいこちら、水瓶署生活安全課防犯係です!」
【完】
こちら水瓶署生活安全課防犯係 薮坂 @yabusaka
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