こちら水瓶署生活安全課防犯係

薮坂

夜姫の行方

第1話「宵街」


上沢かみさわ! おい待て、上沢ッ!」


 後ろから私を呼ぶ声が聞こえたけど、今はそれに構ってられなかった。無視だ、無視。余計なことを頭から追いやって、目の前をもう一度見据える。とにかく今は探さなければならない。手配中のを。

 

 宵の街を、私は走る。早くなる鼓動と切れそうになる息。それをなんとか抑え込んで、行き交う人々を上手くかわしてまた進む。

 視線を周囲に這わせ、対象者の姿を隈なく探す。でも簡単には見つからない。捜索を開始して既に二時間近くが経過しているけれど、手掛かりらしい手掛かりも得られていない。そもそもこの街に対象者が居るのかどうかもわからない。だから結局、私はがむしゃらに走るしかなかったのだ。


 狭い路地を抜け、目抜き通りに躍り出る。右か左か、それとも真っ直ぐか。逡巡して私は、迷ったら左という自分の経験則を活かして──。


「上沢、落ち着け! 走っても見つからないに決まってんだろ!」


 さらに加速しようとしたその瞬間。肩を思い切り掴まれた。つんのめりそうになるところを堪えて、なんとか体勢を整える。そしてゆっくり振り返ると、そこには果たして鷹取たかとり部長がいた。

 私が籍を置く、水瓶署みずかめしょ生活せいかつ安全課あんぜんか防犯係ぼうはんがかりの直属の上司で、階級は私よりひとつ上の巡査部長。三十代前半の鷹取部長は年齢の割にいつも冷静だけど、今はその部長が明らかに怒っていた。


「お前な、今の状況わかってんのか?」


「もちろんです」


「俺にはそう見えないけどな。そこまで言い切るなら、現状を簡潔に答えてみろ」


「……現在、私たちは行方不明者を捜索中です。対象の名前は園田そのだエリカ、年齢は十九歳。何らかの理由で現在連絡が取れない状況にあります。未成年の女性なので、何かの事件に巻き込まれていることも否定できない。なので離して下さい、鷹取部長。一刻も早く彼女を見つけないと」


「だからって、お前が全力で走って見つかると思うのか? だだっ広い草原の中を探してる訳じゃないんだぞ」


「全力じゃないです。本気出せばもっと行けます、私」


「アホか、そういうことじゃない。もう少し落ち着けって言ってんだ。勢いが大事だった交番時代とは違うんだぞ。もう自分は生安せいあん専務員せんむいんだということを自覚しろ、上沢」


 鷹取部長は強い口調でそう言い切った。私の肩はまだ強く掴まれたままだ。部長の大きな手から伝わる感触が、私の心を少し落ち着かせる。


「頼むから、意味のない無茶はするな。いつも言ってんだろ、警察活動はチームプレイだと。お前のバディは俺だ、協力して探さないでどうすんだ。お前の真っ直ぐさは認めるが、度が過ぎるとただのバカだぞ」


 呆れ口調でそう言って、ゆっくりと部長の手が離れていく。その瞬間、狭まっていた自分の視界が開けていく気がした。


 悔しいけれど、部長の言うとおりだった。県下で一番の繁華街である皆戸みなと門街もんがいを、全力疾走している人間なんて私しかいない。微妙に注目を浴びていることを自覚して、私の肩身は途端に狭くなった。どうやらこれはいつものヤツ。


 ──あぁ、またやっちゃった。いつもこうだ。私は昔から、自分に余裕がなくなると視界がとても狭くなる。もし鷹取部長がバディでなかったら、私は今もこの街を走り続けていることだろう。そんなの、何の意味もないだろうに。


「落ち着いたなら行くぞ。上沢は向かって右側を担当しろ。俺はその逆を見る。対象者に酷似した者がいたら声を掛けろ、わかったな」


「……はい」


「声が小さいな」


「了解です!」


 よし行くぞ。鷹取部長の言葉をきっかけに、私たちは宵の街を歩き始めた。十一月初旬、深まる秋の金曜日。陽はとうに沈み、時刻は午後七時を少しまわった頃合い。秋の雰囲気を含んだ風は、少し冷たくて心地良かった。

 過ごしやすい気候は、きっと人の動きを活発にさせるのだろう。目の前の飲み屋街には多くの人々が意気揚々と歩いている。目指すは一軒目、というところか。既に一杯ひっかけて、赤ら顔の者もちらほらと見える。

 この県で一番の繁華街である皆戸門街みなともんがい。そこは楽しそうな人間か、あるいはそれを相手に商売をする人間のどちらかで溢れている。

 それらの人間を注意深く観察しながら歩いているのは、この街に私と鷹取部長だけだ。


 行き交う人が多すぎて、思わず溜息が漏れてしまった。こんな大勢の人間の中から、たった一人の対象者を見つけるのは至難の業。歩きながらでも難しいのに、さっきの私はそれを走りながらやろうとしていた。しかも一人で。

 これはどう考えても、部長の言うとおりアホとしか言いようがない。


「上沢、なんだその溜息は。真面目に探してるのか」


「もちろん探してます。探してますけど……」


「けど、なんだ。言いたいことがあるなら聞いてやるぞ」


「言いたいことというか……、さっきの失敗を反省してるんです。私、自分に余裕がなくなったら視界が極端に狭くなって。だからその、さっきは本気で走りながら探せると思ってたんです。すみませんでした」


「俺に謝っても意味がない。でももう防犯係に入って半年以上になるだろ。いい加減慣れろ、頼むから」


「はい……、努力はしてるんですけど」


「弱音を吐く暇があったら行方不明者を捜索しろ。そろそろ痺れを切らして班長が電話してくるぞ」


 と、鷹取部長が言ったところで。タイミングよく私のスマホがデフォルトの着信音を奏でた。ポケットからスマホを抜いてディスプレイに視線を落とすと、そこには『班長』の文字が踊っていた。まるで盗聴器でも仕掛けられているような見計らったタイミング。


「はい、上沢です」


「おう、ワシや」


 パンチの効いた関西弁は、防犯係のちょう谷上たにがみ班長のもの。電話越しでも異様にデカい声で班長は続ける。


「首尾はどうや、詩織シオリィ」


「引き続き捜索中です。現時点で有力情報はありません」


「ほーん。で、現在地は」


「皆戸門街西側を徒歩で検索中です。班長方は?」


「ワシらは東側や。あかんな、金曜は人が多すぎる。クルマも全然動かんわ。ワシらも徒歩で検索かけるから、とりあえず七時半になったら集まろか。駅南側ロータリーに一番近いコインパーキングあるやろ。あそこに集合や。鷹取にも伝えといてくれ、ほな以上」


 言うことだけ言って、電話は切れる。私はまたも大きな溜息を吐いた。それをしたところで、現状は全く変わらないのだけど。


「また溜息か、上沢。お前まだ二十代だろ。溜息を吐くと幸せが逃げていくらしいぞ」


「逃げてくほどの幸せ、持ってないですよ。それにもう二十六、四捨五入すれば三十歳ですから」


「それでも俺よりは若いだろ」


「あんまり変わんないですよ。そんなことより部長、班長からの伝言ですけど」


「班長たちも徒歩で検索かけるってとこか?」


「そのとおりです。七時半になったら皆戸みなと駅南側のロータリーに近いコインパーキングに集合、とのことでした」


「ここからだと時間がかかるな。少し早いが、集合場所に向かうか。その間もしっかり検索しろよ、上沢」


「はい、了解です!」


 元気よく返事をして、私は無理やり気持ちを奮い立たせる。

 今回の行方不明事案は、今月で何件目だったっけ。でも何件目であろうとも、私たちは対象者を探すだけだ。行方不明者を捜索する仕事は、私たち生活安全課防犯係に課せられた重要な任務なのだから。


 だから私は、また出そうになった溜息をぐっと飲み込んだ。この仕事を選んだのは、他でもない自分。その責任から逃げ出す訳にはいかないし、それが職責の自覚というものだ。

 私は気合を入れ直し、光が煌めく繁華街に視線を向ける。

 まだ夜は浅く、宵の口だ。人の波も多い。長い長い夜は、まだ始まったばかりだ。



   ────────────



 指定された時刻よりも少し前。駅のロータリーに一番近いコインパーキング。そこに着くと、少し離れた位置に谷上班長が立っていた。私たちに気がつくと、谷上班長は片手を上げる。

 遠くからでもわかる、恰幅の良いずんぐりとしたシルエット。赤い服を着た、某クマのキャラクタにそっくりである。特にお腹の出っ張り具合が。


「おう、二人とも早いなぁ」


 相変わらずのデカい声で、班長はのしのしと歩を進める。五十歳をゆうに超えているのに、溢れんばかりのバイタリティ。

 その手にはブラックの缶コーヒーが二本握られていた。ぞんざいに放り投げながら班長は続ける。

 

「ほな作戦会議といこか。まずはソレでも飲め」


 ありがとうございます、と言いながらコーヒーをキャッチする。班長は「おう」と短く言ったあと、タバコに火をつけた。秋の夜風が、その煙を遠くに運んでいく。


「さっき電話で上沢には訊いたけど、どんな感じや、鷹取ィ。見つけられそうか?」


「正直、厳しいです。手掛かりが少なすぎて痕跡すら得られていません」


「ほーん、そうか。また厳しい戦いになりそうやなぁ。とりあえずいつものとおり、事案概要おさらいするか。詩織ィ、お前どこまで頭に入っとんや」


「ある程度は入ってますけど、私は別件から転進したので詳細までは……」


「鷹取はどないや?」


「自分は大丈夫です。詳細は受理票で読みましたので」


「さすが鷹取やな。もうすっかりウチのエースやないか」


「いえ、まだまだです。それにすみません、上沢がこの状態で。検索しながら上沢に詳細を話しておくべきでした」


「別に構わへんぞ。ワシもちょうど、タバコ吸いたかったとこやしな」


 指に挟んだタバコを掲げ、班長は「近頃、灰皿置いてるとこ少ななったなぁ」とボヤく。だからこうして灰皿を見つけると、吸いたいスイッチが入るのだろう。班長は深く息を吸い込んで、煙と共に言葉を継いだ。


「ほな、もう一回アタマからや。事案認知は本日午後五時ちょうど。行方不明者の実母から署に電話が入ったんや。十九歳の娘、エリカが家出したってな」


 一旦言葉を止めて、缶コーヒーを勢いよく喉に流し込む班長。その飲み方は絶対に間違ってる気がする。


「続けるで。このエリカは家出の常習や。過去の補導歴も多数。高校時代から深夜徘徊に飲酒喫煙、怠学に迷惑行為。平たく言や、どこに出しても恥ずかしい不良娘やな」


「班長、エリカの行方不明者取扱歴はあるんですか?」


「そのあたりは鷹取のが詳しいやろ。鷹取、説明したってくれ」


「対象者の園田エリカは、これまでに四度行方不明になっている。これが五度目だ。昔から母親と仲が悪く、実母からの叱責を受けて家出するというパターンばかりだ」


「そして今回も叱責を受けたってことですか」


「あぁ。今回は高校を卒業してもバイトすらしてない、ニート同然のエリカに親が生活態度を叱責したようだ。せめて生活費くらい稼げ、とな。エリカは二人暮らしの母子家庭、収入は実母のパートのみ。母親は勤務先を複数掛け持ちしてたみたいだが、その内のひとつが最近、不況の煽りで潰れたらしい。だからエリカにも働いて欲しかったんだろうな」


 鷹取部長は抑揚の少ない、いつもの声色で説明する。班長はと言えば、缶コーヒーを逆さにして最後の一滴を味わっていた。大きな手で灰皿にタバコを押し付けて、班長は言う。


「母親は、稼がんヤツは家を出て行け、いうたらしい。普段から仲悪い二人やからな、続きは売り言葉に買い言葉や。エリカが最後に返した言葉は、『割りのいいバイトして、こんな家こっちから出てってやるよ!』やったらしい」


「割りのいいバイト……?」


「十九歳の若い女が『割りのええバイト』いうたら、もうアレ関係しかないやろ」


「ええと、どれ関係ですか?」


 そう私が問うと、班長は新しいタバコを箱から引き出しながら溜息をついた。咥えタバコで答えてくれたのは、最も聞きたくなかった言葉。


関係や」




【続】

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