こちら水瓶署生活安全課防犯係
薮坂
夜姫の行方
第1話「宵街」
「
後ろから私を呼ぶ声が聞こえたけど、今はそれに構ってられなかった。無視だ、無視。余計なことを頭から追いやって、目の前をもう一度見据える。とにかく今は探さなければならない。手配中の行方不明者を。
宵の街を、私は走る。早くなる鼓動と切れそうになる息。それをなんとか抑え込んで、行き交う人々を上手く
視線を周囲に這わせ、対象者の姿を隈なく探す。でも簡単には見つからない。捜索を開始して既に二時間近くが経過しているけれど、手掛かりらしい手掛かりも得られていない。そもそもこの街に対象者が居るのかどうかもわからない。だから結局、私はがむしゃらに走るしかなかったのだ。
狭い路地を抜け、目抜き通りに躍り出る。右か左か、それとも真っ直ぐか。逡巡して私は、迷ったら左という自分の経験則を活かして──。
「上沢、落ち着け! 走っても見つからないに決まってんだろ!」
さらに加速しようとしたその瞬間。肩を思い切り掴まれた。つんのめりそうになるところを堪えて、なんとか体勢を整える。そしてゆっくり振り返ると、そこには果たして
私が籍を置く、
「お前な、今の状況わかってんのか?」
「もちろんです」
「俺にはそう見えないけどな。そこまで言い切るなら、現状を簡潔に答えてみろ」
「……現在、私たちは行方不明者を捜索中です。対象の名前は
「だからって、お前が全力で走って見つかると思うのか? だだっ広い草原の中を探してる訳じゃないんだぞ」
「全力じゃないです。本気出せばもっと行けます、私」
「アホか、そういうことじゃない。もう少し落ち着けって言ってんだ。勢いが大事だった交番時代とは違うんだぞ。もう自分は
鷹取部長は強い口調でそう言い切った。私の肩はまだ強く掴まれたままだ。部長の大きな手から伝わる感触が、私の心を少し落ち着かせる。
「頼むから、意味のない無茶はするな。いつも言ってんだろ、警察活動はチームプレイだと。お前のバディは俺だ、協力して探さないでどうすんだ。お前の真っ直ぐさは認めるが、度が過ぎるとただのバカだぞ」
呆れ口調でそう言って、ゆっくりと部長の手が離れていく。その瞬間、狭まっていた自分の視界が開けていく気がした。
悔しいけれど、部長の言うとおりだった。県下で一番の繁華街である
──あぁ、またやっちゃった。いつもこうだ。私は昔から、自分に余裕がなくなると視界がとても狭くなる。もし鷹取部長がバディでなかったら、私は今もこの街を走り続けていることだろう。そんなの、何の意味もないだろうに。
「落ち着いたなら行くぞ。上沢は向かって右側を担当しろ。俺はその逆を見る。対象者に酷似した者がいたら声を掛けろ、わかったな」
「……はい」
「声が小さいな」
「了解です!」
よし行くぞ。鷹取部長の言葉をきっかけに、私たちは宵の街を歩き始めた。十一月初旬、深まる秋の金曜日。陽はとうに沈み、時刻は午後七時を少しまわった頃合い。秋の雰囲気を含んだ風は、少し冷たくて心地良かった。
過ごしやすい気候は、きっと人の動きを活発にさせるのだろう。目の前の飲み屋街には多くの人々が意気揚々と歩いている。目指すは一軒目、というところか。既に一杯ひっかけて、赤ら顔の者もちらほらと見える。
この県で一番の繁華街である
それらの人間を注意深く観察しながら歩いているのは、この街に私と鷹取部長だけだ。
行き交う人が多すぎて、思わず溜息が漏れてしまった。こんな大勢の人間の中から、たった一人の対象者を見つけるのは至難の業。歩きながらでも難しいのに、さっきの私はそれを走りながらやろうとしていた。しかも一人で。
これはどう考えても、部長の言うとおりアホとしか言いようがない。
「上沢、なんだその溜息は。真面目に探してるのか」
「もちろん探してます。探してますけど……」
「けど、なんだ。言いたいことがあるなら聞いてやるぞ」
「言いたいことというか……、さっきの失敗を反省してるんです。私、自分に余裕がなくなったら視界が極端に狭くなって。だからその、さっきは本気で走りながら探せると思ってたんです。すみませんでした」
「俺に謝っても意味がない。でももう防犯係に入って半年以上になるだろ。いい加減慣れろ、頼むから」
「はい……、努力はしてるんですけど」
「弱音を吐く暇があったら行方不明者を捜索しろ。そろそろ痺れを切らして班長が電話してくるぞ」
と、鷹取部長が言ったところで。タイミングよく私のスマホがデフォルトの着信音を奏でた。ポケットからスマホを抜いてディスプレイに視線を落とすと、そこには『班長』の文字が踊っていた。まるで盗聴器でも仕掛けられているような見計らったタイミング。
「はい、上沢です」
「おう、ワシや」
パンチの効いた関西弁は、防犯係の
「首尾はどうや、
「引き続き捜索中です。現時点で有力情報はありません」
「ほーん。で、現在地は」
「皆戸門街西側を徒歩で検索中です。班長方は?」
「ワシらは東側や。あかんな、金曜は人が多すぎる。クルマも全然動かんわ。ワシらも徒歩で検索かけるから、とりあえず七時半になったら集まろか。駅南側ロータリーに一番近いコインパーキングあるやろ。あそこに集合や。鷹取にも伝えといてくれ、ほな以上」
言うことだけ言って、電話は切れる。私はまたも大きな溜息を吐いた。それをしたところで、現状は全く変わらないのだけど。
「また溜息か、上沢。お前まだ二十代だろ。溜息を吐くと幸せが逃げていくらしいぞ」
「逃げてくほどの幸せ、持ってないですよ。それにもう二十六、四捨五入すれば三十歳ですから」
「それでも俺よりは若いだろ」
「あんまり変わんないですよ。そんなことより部長、班長からの伝言ですけど」
「班長たちも徒歩で検索かけるってとこか?」
「そのとおりです。七時半になったら
「ここからだと時間がかかるな。少し早いが、集合場所に向かうか。その間もしっかり検索しろよ、上沢」
「はい、了解です!」
元気よく返事をして、私は無理やり気持ちを奮い立たせる。
今回の行方不明事案は、今月で何件目だったっけ。でも何件目であろうとも、私たちは対象者を探すだけだ。行方不明者を捜索する仕事は、私たち生活安全課防犯係に課せられた重要な任務なのだから。
だから私は、また出そうになった溜息をぐっと飲み込んだ。この仕事を選んだのは、他でもない自分。その責任から逃げ出す訳にはいかないし、それが職責の自覚というものだ。
私は気合を入れ直し、光が煌めく繁華街に視線を向ける。
まだ夜は浅く、宵の口だ。人の波も多い。長い長い夜は、まだ始まったばかりだ。
────────────
指定された時刻よりも少し前。駅のロータリーに一番近いコインパーキング。そこに着くと、少し離れた位置に谷上班長が立っていた。私たちに気がつくと、谷上班長は片手を上げる。
遠くからでもわかる、恰幅の良いずんぐりとしたシルエット。赤い服を着た、某クマのキャラクタにそっくりである。特にお腹の出っ張り具合が。
「おう、二人とも早いなぁ」
相変わらずのデカい声で、班長はのしのしと歩を進める。五十歳をゆうに超えているのに、溢れんばかりのバイタリティ。
その手にはブラックの缶コーヒーが二本握られていた。ぞんざいに放り投げながら班長は続ける。
「ほな作戦会議といこか。まずはソレでも飲め」
ありがとうございます、と言いながらコーヒーをキャッチする。班長は「おう」と短く言ったあと、タバコに火をつけた。秋の夜風が、その煙を遠くに運んでいく。
「さっき電話で上沢には訊いたけど、どんな感じや、鷹取ィ。見つけられそうか?」
「正直、厳しいです。手掛かりが少なすぎて痕跡すら得られていません」
「ほーん、そうか。また厳しい戦いになりそうやなぁ。とりあえずいつものとおり、事案概要おさらいするか。詩織ィ、お前どこまで頭に入っとんや」
「ある程度は入ってますけど、私は別件から転進したので詳細までは……」
「鷹取はどないや?」
「自分は大丈夫です。詳細は受理票で読みましたので」
「さすが鷹取やな。もうすっかりウチのエースやないか」
「いえ、まだまだです。それにすみません、上沢がこの状態で。検索しながら上沢に詳細を話しておくべきでした」
「別に構わへんぞ。ワシもちょうど、タバコ吸いたかったとこやしな」
指に挟んだタバコを掲げ、班長は「近頃、灰皿置いてるとこ少ななったなぁ」とボヤく。だからこうして灰皿を見つけると、吸いたいスイッチが入るのだろう。班長は深く息を吸い込んで、煙と共に言葉を継いだ。
「ほな、もう一回アタマからや。事案認知は本日午後五時ちょうど。行方不明者の実母から署に電話が入ったんや。十九歳の娘、エリカが家出したってな」
一旦言葉を止めて、缶コーヒーを勢いよく喉に流し込む班長。その飲み方は絶対に間違ってる気がする。
「続けるで。このエリカは家出の常習や。過去の補導歴も多数。高校時代から深夜徘徊に飲酒喫煙、怠学に迷惑行為。平たく言や、どこに出しても恥ずかしい不良娘やな」
「班長、エリカの行方不明者取扱歴はあるんですか?」
「そのあたりは鷹取のが詳しいやろ。鷹取、説明したってくれ」
「対象者の園田エリカは、これまでに四度行方不明になっている。これが五度目だ。昔から母親と仲が悪く、実母からの叱責を受けて家出するというパターンばかりだ」
「そして今回も叱責を受けたってことですか」
「あぁ。今回は高校を卒業してもバイトすらしてない、ニート同然のエリカに親が生活態度を叱責したようだ。せめて生活費くらい稼げ、とな。エリカは二人暮らしの母子家庭、収入は実母のパートのみ。母親は勤務先を複数掛け持ちしてたみたいだが、その内のひとつが最近、不況の煽りで潰れたらしい。だからエリカにも働いて欲しかったんだろうな」
鷹取部長は抑揚の少ない、いつもの声色で説明する。班長はと言えば、缶コーヒーを逆さにして最後の一滴を味わっていた。大きな手で灰皿にタバコを押し付けて、班長は言う。
「母親は、稼がんヤツは家を出て行け、いうたらしい。普段から仲悪い二人やからな、続きは売り言葉に買い言葉や。エリカが最後に返した言葉は、『割りのいいバイトして、こんな家こっちから出てってやるよ!』やったらしい」
「割りのいいバイト……?」
「十九歳の若い女が『割りのええバイト』いうたら、もうアレ関係しかないやろ」
「ええと、どれ関係ですか?」
そう私が問うと、班長は新しいタバコを箱から引き出しながら溜息をついた。咥えタバコで答えてくれたのは、最も聞きたくなかった言葉。
「夜の仕事関係や」
【続】
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