第十四話 反撃開始?

「ふわあっ……と」


 大きなあくびが出て慌てて口元を手でおおう。幸いなことに、早朝のこの時間はいつものようにすいていて、私のあくびに気づいたお客さんはいない。


「ごめんね、長居ながいさん。いきなり入ってもらって。学校のほうは大丈夫?」


 そんな私の様子を見ていた副店長が、申し訳なさそうな顔をして話しかけてきた。


「風邪をひいたんだからしかたないですよ。他のスタッフやお客さんにうつしたら大変だし、治るまでは休んでもらったほうが良いですから。今日の午前の講義、同じ理由で休講になりましたから心配ないです」


 私の周辺では、航空祭が終わってから急に寒くなったせいか、風邪ひきさんが急激に増えていた。今日の午前中にあった講義が休講になったのも、そのせい。まあそのお蔭で、元気な私はバイト代が臨時で入ってラッキーなんだけど。


「明日と明後日は確保できたから、明々後日しあさってだけお願いね。そこを乗り切ればなんとかなるから。大学の講義は大丈夫?」

明々後日しあさっては土曜日で、もともとお休みなので大丈夫ですよ」


 ここ最近は空気も乾燥しているし、秋晴れと喜んでばかりはいられなさそうだ。


―― 但馬たじまさんのところ、風邪ひきさんが増えてなければいいんだけど ――


 耳にした噂によると、自衛官というのは慢性的に人員不足な状態なんだとか。風邪をひいた隊員さんが増えたら、それこそ一大事だ。隊員さん達が食べる食事でも、風邪ひき予防の対策がとられているんだろうか。


―― 風邪予防にはビタミンCだよね。それと体を温めるショウガとか。それと、あとはなにがいいかな ――


 自分が基地の管理栄養士だったら、どんな献立にするかなと考えながら、来店したお客さんに気持ちを戻す。こうやって見ていても、お客さんもマスクをする人が増えている。私も通学途中では予防のためにしているけど、今は接客中だからマスクは不可。うっかりうつされないように気をつけないと。これからの季節、バイトが終わってからのうがい手洗いは必須だ。


「いらっしゃいませー」


 8時を過ぎたあたりから、いつものようにお客さんが増えてきた。その中には制服姿の人達もいる。すっかり朝のお客さんとして定着した三沢みさわ基地の人達で、その中に但馬さんの姿もあった。どうやら昨日の夜が夜勤だったらしい。


「おはようございます、今日も夜勤お疲れさまでした」


 但馬さんが私の前に立ったところで声をかける。声をかけられた但馬さんは、驚いた顔をして私のことを見つめた。そこで初めて私だと気がついたみたいだ。


「え、あ、おはようございます。あれ? どうしてこんな時間に? 平日だよね今日」


 そう言いながら、壁の時計に目を向ける。


「バイトの穴埋めに臨時で入ったんですよ。ご注文はなににされますか? あの、大丈夫ですか?」


 ちょっとぼんやりしている様子の但馬さんに声をかける。


「ああ、問題ないよ。えーと、タマゴトーストとコーヒーお願いします」


 いつものメニューを頼みながらも、普段と違ってなにやら動揺している但馬さん。これはもしかして、違うメニューを推してみるチャンスなのでは?


「ここ最近は、風邪ひきさんも増えてます。風邪予防にはビタミンC摂取は有効ですよ。100%果汁のオレンジジュースなんてどうでしょう? セットメニューあつかいなので、お値段はいつもと同じです」

「え……あー……いや、やっぱりコーヒーでお願いします」

「……分かりました。350円です」

「はい」


 但馬さんはいつものように、トレーに350円をそっと置く。


「受け取りカウンターの前でお待ちください」

「ありがとう」


 そう言って私の前から移動していった。トレーを受け取ってからテーブルに向かう様子も、なんだかおかしかった。いつもの場所を通りすぎてから慌てて戻っている。但馬さんらしくない行動だ。


「なんだかめちゃくちゃ動揺してましたよ、但馬さん」


 やっとイスに落ち着いた但馬さんを観察しながら、副店長にそっと耳打ちした。


「いないはずの長居さんがいて驚いたんじゃないの?」

「にしては驚きすぎですよ。コーヒーかオレンジジュースで一瞬迷ってましたし」

「判断基準はそこなの?」


 あきれるわねと副店長が笑う。


「だっていつも即答だったし。もう一押ししてみればよかったかな。初の違うメニューオーダーを勝ち取れたかもしれないのに、もったいないことしました」

「朝から笑わさないでよ、長居さん」


 副店長は笑いながら、バックヤードに引っ込んでしまった。


「だって、あと一歩だったっぽいんだもの。惜しかったなあ……」


 心なしか落ち着かなげに、コーヒーを飲んでいる但馬さんの横顔をながめながらつぶやく。ほんと、もう一押ししてみればよかった。



+++



「あ、但馬さんだ」


 バイトを終えて外に出ると、歩いている但馬さんの後ろ姿を見つけた。


「但馬さーん!」


 私の声に気づいた但馬さんが、立ち止まって振り返る。その顔はやっぱり驚いている。そんなに驚くようなことかな。それでも私が前に立つ頃には、普段通りの但馬さんの笑顔になっていた。


「バイトの時間が終わったんだね、お疲れ様。今日は学校のほうは大丈夫なのかい? まさかいるとは思ってなくて、びっくりしたよ」

「教授が風邪をひいて、今日の講義はお休みなんですよ。だから朝のバイトに入ったんです。こっちも、いつも入ってる子が風邪で休んじゃって」

「なるほど。ここしばらく急に冷え込んできたからね。ほなみちゃんは大丈夫?」

「お陰様で。みかんを食べまくってるせいか、ここ数年は風邪知らずですよ。ビタミンCは偉大です」

「それは良かった」


 そこで「ああ」とうなづく。


「それでオレンジジュースをすすめてきたのか」

「あと一押しだったみたいですよね。もうちょっと強くすすめれば良かったかな」

「ビタミンC摂取をすすめてくれてありがとう。だけどやっぱりこの時間は、コーヒーのほうがいいかな」

「その割には注文しかけたじゃないですか。いくら私がいて驚いたからって、あれはちょっと驚きすぎな気がします」


 私の指摘に、但馬さんは恥ずかしそうに笑った。


「本当に驚いたんだよ。ほなみちゃんがいるとは思ってなかったから」

「でも、あれからもずっと利用してもらっていると知って安心しました。ご利用ありがとうございます」

「いいえ、どういたしまして。ああ、せっかくだから送っていくよ」


 そう言いながら歩き始める。


「基地では風邪は、はやってないですか?」

「どうかな。お子さんが風邪をひいているって話は聞くけど、俺が知っている限り、今のところ現場は風邪で休んでいる人間はいないと思う、本城ほんじょうさんを含めてね」

「それならいいんですけど。食事でも予防はできますからね。自衛隊ではそういうメニューとかないんですか?」


 私の質問に但馬さんは首をかしげた。


「どうかなあ……それほどメニューが変わったという印象はないかな。まあ、温かいおかずが増えたような気はするけど、それは冷ややっこが肉豆腐に変った程度だし。ほなみちゃんが言いたいのは、そういうことじゃないよね?」


 つまるところ、基地内のご飯は風邪の予防にはあまり役立たないってことだ。でも予防にはバランスよく食べることも含まれているから、そこは評価しておかないといけない。


「睡眠を十分にとることも大事ですよ? ちゃんと休めてますか? 人員不足だと、なかなか休めなくて疲労が蓄積ちくせきするってこともありますし」

「まあ俺達の仕事は、サラリーマンのように確実に休暇がとれる職業じゃないからね」

「まさか休みなしとか?!」


 私の言葉に慌てて首をふる。


「いやいや。長期休暇はとりにくいってことだよ。普通の休みはそこそことれてる。きちんと体を休ませないと集中力が途切れがちになるし、それは国防を担うパイロットとしては致命的なことだからね」


 少なくとも週に一日か二日は、きちんとした休みがとれているらしいと知って、少しだけ安心した。あくまでも少しだけだけど。


「ところでほなみちゃん、明日の予定は?」


 しばらく歩いたところで、但馬さんが何気ない口調で質問をしてきた。


「明日ですか? えっと講義がそこそこ入っていて、最後の講義が終わるのは3時ごろかなあ」

「俺は終日休みなんだけど、もしよければ映画でも見て、その後に晩飯でもどうかな?」

「え、それってもしかしてデートのお誘いですか?!」


 とたんに但馬さんの顔が赤くなる。


「あ、すみません、ストレートすぎたかも」

「いや、うん、でも間違っていないから……」


 そう言いながら顔を片手で隠すようにして、そっぽを向いてしまった。


「あの、但馬さん?」

「……それで、どうかな。なにか観たい映画はある?」


 但馬さんはあっちを向いたままたずねてくる。


「今やってるやつで私が興味あるのは、アクションものなんですけど、そんなのでもいいですか? ここはもっと、デートで観るジャンルっぽいのがいいのかな?」


 デートで観る映画ジャンルってどんなものだろう。泣けるやつ? それとも笑えるやつ? それともロマンチックなやつ?


「大事なのは、ほなみちゃんが観たい映画がどれかってことだよ。ジャンルはどれでもかまわないと思うけど?」

「そこはほら、但馬さんの趣味もあるじゃないですか。二人が楽しめないとデートじゃないでしょ?」

「あ、うん、そうだね……」


 あ、耳まで赤くなってる。


「すみません、デートデート連呼しすぎたかも」

「いや、連呼してないから大丈夫。それとさっき言ってたアクション映画、あれなら俺も観たい作品の一つだ」

「だったらそれで決まりですね! 嬉しいな。ずっと行くタイミングがつかめなくて、観れないままで終わっちゃうと半分諦めていたんです」


 なんとか落ち着いたらしい但馬さんが、やっとこっちに顔を向けた。


「一人だとなかなか行きにくいからね」

「そうなんですよ。誰か誘おうにも、アクション映画とか学校の友達はイマイチみたいで」

「もしかして映画が好き?」

「大きなスクリーンで観るの大好きです。ただしホラーとスプラッターはダメですけど」

「なるほど。映画の趣味が合いそうで良かった」


 そう言って、やっといつもの笑みを浮かべる。


「そうなんですか? だったらご飯食べながら映画談義できそうで楽しみです! あ、でも但馬さん、明日は貴重なお休みなんじゃ? しかも夜勤の次の日だし。いいんですか?」

「それを言うなら、ほなみちゃんこそいいのかな? 誰かいたりしないの?」

「誰かって?」


 私が聞き返すと気まずげな顔をした。


「えっと、その、デートする相手」

「いたらうちの姉達があそこまで、但馬さんに興味もつわけないじゃないですか。航空祭の日、おチビさん達のお蔭で救われたんですよ、但馬さん。姉達はまだあきらめてませんけど」

「……言われてみれば、そうなのかもしれないんだけどさ」


 但馬さんは気まずげな表情のまま、あっちこっちに視線を泳がせている。


「一応言っておきますけど、そういう人はいません。じゃあ聞きますけど、但馬さんにはそういう人、いないんですか?」

「いたら誘わないよ」

「ですよね。だったらこれで万事解決、心置きなくデートできるじゃないですか! あ、すみません、やっぱりストレートすぎました?」


 なんとも言えない顔のままの但馬さんを見上げた。


「いや、いいんだ。なんていうか、うん、アグレッサーを相手にしてるような気分になってるだけ」

「え……待ってください、私、但馬さんが怖がってる人達と同列とか?」

「え、まあ、うん、そんなところ……」


 デートに誘ってもらえたのは嬉しいけれど、怖い人と同列というのはちょっと納得いかない。

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