第三十一話 やっと違うオーダーとれた?

 いつもの時間、カウンターに立ってお客さんに渡すクーポンの折り作業をしていたら、但馬たじまさんと本城ほんじょうさんが一緒にお店に入ってきた。今日はいつもの時間よりちょっと遅め。もしかしたら私が知らないだけで、なにかあったのかもしれない。


 だけど二人の表情からは、その気配はまったく感じられなかった。但馬さんの表情はわかりやすいけれど、ここ数ヶ月でこの手のことに関しては、完璧に隠すテクニックを身につけてしまったようだ。但馬さんが隠すスキルをアップさせたので、私も観察スキルを頑張って上げなくちゃ。


「いらっしゃいませ!」


 私の声に、但馬さんはいつものスマイルを浮かべ、本城さんは片手をあげて〝おはようさん〟と言った。


「ご注文はなにになさいますか?」


 先にカウンター前に立った本城さんにたずねる。


「ホットのコーヒー一つ」

「それだけでよろしいですか?」

「うん、今日はそれだけ。夜食に天ぷら蕎麦そばを食べたから、まだ腹は空いてないんだ。しかものびのびのくたくた。あれは蕎麦そばというより流動食だったな。自腹で買ったやつなのに、あんまりだと思わないか?」

「そうですねえ。せっかく食べるなら、私ものびてないお蕎麦そばが食べたいです」


 でも、どうして流動食なみの、のびのびのくたくたになってしまったんだろう。そのへんのことを質問しても、答えてもらえそうにないので、疑問に思いつつ黙っておくことにした。


「だよね。はい、120円ぴったりです」

「ありがとうございます。あちらでお待ちください」


 横に移動しようとした本城さんが、急に立ち止まった。そしてカウンターに乗り出すようにして、私に顔を近づける。


「あのね、これはまだ秘密なんだけど、後ろのニコニコしてるやつ、そろそろ昇任しそうだよ。俺から見ても、なかなかお買い得な男だから、しっかり捕まえておいたほうが良いかもしれないね。あ、今の会話は、俺とほなみちゃんとだけの秘密な?」


 そう言ってウィンクをすると、その場を離れた。後ろに立っていた但馬さんは、あきれた様子で本城さんの背中を見つめている。


「いらっしゃいませ! ご注文はなにになさいますか?」

「えーと、ちょっと待ってね……本城さん、いまの秘密にする気、なかったでしょ?」


 但馬さんは注文をする前に、横に移動した本城さんに声をかけた。


「なんのことだ? 俺はなにも言ってないぞ。お前のカノジョに、のびのびくたくたの蕎麦そばは最悪だって言っただけだ」

「まったく……次から本城さんはつれてきません」

「ひどいな、俺のほうがお前より偉いんだが」

「偉いとかそういう問題じゃないですよ」


 溜め息をつきながら、但馬さんは私に目を向ける。


「ごめん。タマゴトーストとコーヒーをお願いします」


 但馬さんの注文はいつもと同じだ。


「他になにか注文はありませんか? 今年の夏はソフトクリーム、ミニサイズですけど、朝から提供することになったんですよ」

「あー……年々暑くなってきてるからね」

「ですよね。どうでしょう?」


 昨日の夜も、日本全国で熱帯夜だったらしい。もしかしてこれならいけるかも?


「朝からお腹を冷やしたらこまるので、いつものタマゴトーストとホットのコーヒーだけでけっこうです」

「350円です」


 熱帯夜も、但馬さんのオーダーを変えることは無理だったみたいだ。最近は別のオーダーにしてもらうのは、どう頑張っても無理じゃないかなと思えてきた。だけど、但馬さんはこのやり取りが気に入っているみたいだし、ここでバイトをしている間は、頑張ってチャレンジし続けるつもりだ。


「あ、でもせっかくだから、一つ追加をお願いしようかな……」


 但馬さんが、ふとなにかを思いついたような顔をした。


「ソフトクリームをご注文ですか?!」


 まさかの熱帯夜の勝利?


「んー、甘いものなのは間違いないかなあ……」

「ではアップルパイでしょうか?」


 レギュラーメニューなら他にも色々あるけれど、朝メニューで甘いものというならこの二つしかない。


長居ながいほなみさんを」

「はい?」

「長居ほなみさんを、一つ」


 ニコニコスマイルでとんでもないことを言っている。


「えーと?」

「お持ち帰りでお願いします」

「えー……」

「お客様~? うちの従業員は売り物じゃありませんから、勤務中にお持ち帰りされたら困りますよ~~」


 バックヤードから副店長が出てきて、但馬さんにそう言った。


「ですよねえ……でしたら、お持ち帰りは我慢します」

「もちろん、その場でというのも無しですから」

「わかりました。おとなしくあきらめます」


 副店長の言葉に素直にうなずく。


「そのほうがよろしいかと。もちろん、勤務時間が終わったらご自由に」

「そうですか。でしたら、そうさせてもらいます。はい、350円」

「……ちょうどいただきます。受け取りカウンターでお待ちください」

「ありがとう。じゃあ、バイトが終わるまで待ってるから」


 但馬さんは、いつも通りのニコニコスマイルで横に移動していく。


「私、自衛官さんってもっとお堅い人達だとばっかり思っていたけど、長居さんのカレシさん達を見ていたら、すっかり印象が変わったわ」


 副店長が笑いながら言った。


「そうなんですか? すみません、変なお客さんで」

「そんなことないわよ。みんな、お行儀良いし騒がないし、無駄に居座らないし。うちとしては理想的なお客さん達よ」


 そう言ってまた、バックヤードへと戻っていく。さっきの但馬さんの突飛なオーダー、後ろにお客さんもいなかったし、副店長が出てくる必要もなかった。わざわざ出てきたのは、すっかりお店の常連になっていた但馬さん達との会話を、副店長も楽しむつもりだったからだ。


「お前、カノジョをオーダーするって新しいな」


 そして受け取りカウンターの前では、本城さんがニタニタしながら但馬さんをからかっている。


「うるさいですよ、本城さん。次からは一緒に来ませんから」

「なんだよ、今日は俺のおごりじゃないか」

「なに言ってるんですか。これ、去年ここで俺が貸した500円を、返したもらっただけじゃないですか。あと150円、足りませんよ」

「細かいぞ、スマイリー」

「親しくても、金銭の貸し借りはきちんとするのが俺の流儀ですから。はい、あと150円」


 但馬さんがすました顔で、手を差し出した。


「コーヒーを頼んだから、細かいの30円しかねーよ」


 そう言って本城さんは、差し出された但馬さんの手を軽くたたく。


「じゃあ、残りは明日にでも耳をそろえて返してください」

「わかったわかった。明日な、明日!」


 なんだかんだ言いながら、あの二人は本当に仲良しだ。でも但馬さんが昇任したら、二人はどうなるんだろう。僚機同士というのか解消なんだろうか。そのあたりがちょっと気になった。



+++++



 バイトの時間が終わって着替えて外に出ると、いつものように但馬さんが待っていてくれた。


「お疲れさま」

「但馬さんこそ、夜勤お疲れさまでした。あれ? 本城さんは?」

「あのおしゃべりなおじさんは、さっさと帰ってもらった。あの人がいたら、落ち着いて話せないだろ?」

「なんだか但馬さん、どんどん本城さんのあつかいが軽くなってる気がするんだけど……」

「そりゃ軽くもなるさ」


 溜め息をついた但馬さんは、私と並んで歩き出す。


「もしかして、さっきの昇任のこと?」

「せっかく自分の口からほなみに話そうとしたのに、さっさとばらすんだからなあ……」


 少しだけ腹立たし気に言った。


「でも、本城さんが言ったのは〝昇任しそうだ〟ってことだけだよ? 本当のところはどうなの? するの? したの? それとも本城さんの冗談なの?」


 見たところ、制服の階級章は今までと変わっていないように見える。ってことは今も〝二尉〟ってことだ。


「……昇任します。来月からだけと」

「わー、おめでとう!! ただ、どのぐらいすごいことなのか、いまいちピンとこないから申し訳ないんだけど……」


 私の言葉に但馬さんが笑う。


「それはしかたないよ。ほなみは自衛官じゃないんだから」

「自衛官じゃない私にも、差し支えない程度に教えてもらえる?」


 それを聞いても、理解できるかどうかわからないけれど。


「そうだなあ。もちろん一つ階級があがるわけだから、前よりは確実に責任が重くなった。やっと一人前のパイロットとして、認めてもらえるようになったってところかな」

「え、やっとなの? じゃあ、今までは?」

「人間あつかいしてもらえてなかったかも」

「ええええ……」


 少なくとも私が見ていた限りでは、本城さんはちゃんと但馬さんのことを、同じ人間として扱っていたと思ったんだけど。それは私の前だったから?


「まあ、それは冗談だけど。次年度からは俺も、編隊長として若いパイロットをつれて飛ぶことになるかな。それぐらいは偉くなったってことだよ」

「そうなんだ。じゃあ、本城さんとのチームは解消なの?」

「同じ飛行隊にいるんだから、これからも一緒に飛ぶことはあるよ。だけど今までのように、いつもってことはなくなると思う。それぞれが、後輩パイロットを指導していくことになるからね」

「へえ……本当に偉くなるんだ。ってことは、この階級章も変わるんだよね?」


 制服についている階級章を指でさす。


「そうだよ」

「なんだか見るのが楽しみ!」

「ま、それほど変わらないけどね。星が増えるだけで」

「でも、但馬さんだって嬉しいでしょ?」

「そりゃね。そのために時間をさいて勉強もしてきたわけだし」


 自衛隊は他国の軍隊の〝昇進〟とは違って〝昇任〟という言葉を使っている。まあ呼び方が違うだけで、基本的には同じことではあるらしい。そしてどこが一番違うかというと、軍隊では戦闘中に功績をあげると昇進できるけど、自衛隊では必ず昇任試験を受けなければならないってことらしい。もちろん筆記テストだけではなく、実技、それから日頃の勤務の様子なども評価に入るんだとか。


「それって但馬さんが、今まで頑張って空を守ってきた結果でもあるよね」

「そう評価してもらえていると、嬉しいな」

「少なくとも私は、そう評価します!」


 但馬さんが嬉しそうに笑みを浮かべた。


「うん。やっぱりほなみに評価してもらえるのが、一番嬉しいな」

「そう? ただ私だと、すごく甘い評価になりそうだけど……」

「そんなことないよ。ちゃんと俺の任務のことを見ていてくれてる。それに、理解しようと頑張ってくれてもいるしね」

「まだまだ知らないことだらけなんだけどね」


 但馬さんのお仕事については、自分でネットを使ってできる限り調べるようにはしていた。ただ専門的な言葉はチンプンカンプンだから、そこは但馬さんに教えてもらうしかなかったけど。そして知れば知るほど、但馬さん達のお仕事って大変なんだなと思い知るのだ。


「自衛隊からは新しい階級章がもらえるわけだけど、ほなみからはなにかもらえるのかな?」

「え? 階級章みたいなものってこと?」

「昇任テストで頑張った御褒美ごほうびってやつ」

「ごほうび……」


 そう言われても、どんなものが良いのかさっぱりだ。お誕生日とは違って昇進でしょ? 父親のときはなにかしていただろうか? 気がついたら偉くなっていたから、特になにもしていなかったはず……。


「そのために、今日はお持ち帰りをオーダーしようと思ったんだからさ。是非とも甘い評価と御褒美ごほうびをお願いします」

「その〝甘い〟はさっきの〝甘い〟とは違うような気が……」

「そんなことないよ」


 ニコニコしているけど、このスマイルは絶対に悪いことを考えているスマイルだ。


「しかも、昇任するの来月なんだよね?」

「前払いってやつで」

「えー……」


 夜勤明けだというのに、但馬さんってば元気なんだなって、本気であきれてしまった。

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