第三十三話 私とスマイリーさんの現在
あれから十数年。
その間にいろんなことがあった。大きな災害や大きな事故。それから、よその国からとんでもないものが飛んできて、頭の上を飛び越えていったり。そのたびに
私達が結婚して、子供達が産まれてから勤務している場所が変わり、正義さんの果たす役割は変わった。それまで彼が守ってきた空は、今も他のパイロット達が同じように守り続けている。
「ここ最近、また肩こりがひどくなってる気がする……」
正義さんの肩をもみながらつぶやいた。
「そう?」
「うん。
「あのころは、アグレッサーの一員としてやっていけるかが重圧になっていたと思うんだけど、今は? やっぱり隊長になったせい?」
あまりに固くて指が疲れてきたので、もむかわりに軽くたたきながら話しかける。
「まあ、今まで以上に責任がある地位だから、プレッシャーを感じていないと言えば、嘘になるかな」
ただ、正義さんはそのプレッシャーを楽しむことができる人だ。そんな正義さんがここまで肩をこらせるものって、一体なんだろう。
「上の人に、厳しく言われてるってわけじゃないのよね?」
「厳しいことを言われるのは、いつものことだよ。ここはそういうところだから」
「いつもの他にってこと」
「それはないな。
榎本司令とは、正義さんが所属している飛行教導群の司令だ。今はもう飛んでいないけど、若いころはアグレッサーとして、全国の空自パイロットの教導をしていたパイロットだった。
「へー……信頼されてるんだ」
「だからこそ、重圧を感じてはいるけどね」
「ってことは、今の正義さんの肩こりは、榎本司令のせいってこと?」
「そうは言ってないだろ? でもそうだな……元アグレッサーの司令から見たら、自分はちゃんと隊長をやれているのか、気にはなるかな」
正義さんをはじめ、アグレッサーの人達は、本当に榎本司令のことを尊敬している。それはもう、
基地司令の
「それで肩こり?」
「それとは関係ないと思うけど?」
「じゃあ……ここ最近、ガメラがすごい機動をするってネットで噂になってる。もしかしてそれのせい?」
「それって、俺が年寄りの冷や水状態なことをしているって、言いたいのかい?」
正義さんは少しだけ
「そうじゃなくて。もしかして航空祭での展示飛行、なにかビックリすることを計画してるのかなって」
「いや。それはない」
「んー?」
正義さんの顔をじっくりと観察する。彼が隠すスキルをレベルアップしたぶん、私だって見破るスキルを磨いてきたんだもの。うん、間違いない。この顔は絶対になにか隠している顔だ。
「俺の口からはなにも聞けないよ。航空祭のことにしろなんにしろ、部外秘だから」
「そこはわかってるけど、その顔は絶対になにか隠してる」
「まったく……その観察眼も考えものだね」
「つまり、隠していることがあるってこと?」
「さあ、どうでしょう」
正義さんは、いつもの笑みを浮かべながら首をかしげてみせた。
「でもそれでこんなに肩がこるなら、ちょっと考えものじゃないかしら。次の巡教はいつだっけ? それに影響しない?」
正義さん達アグレッサーは、全国の空自基地にいるパイロットを訓練するために、一年の三分の一ぐらいは小松基地を不在にしていた。ここばらくは、航空祭の準備もあってずっと小松にいるけれど、それが終わればすぐに、
「心配するほどのことじゃないよ、この程度はいつものことだから」
「そうかなあ……仲良しの
「さあ、どうかな」
沖田さんというのは、ブルーインパルスの隊長さんをしている人だ。二人が知り合うきっかけになったのは、正義さんがアグレッサーとして参加した、陸海空合同の演習だったらしい。年は沖田さんのほうがいくつか上なんだけど、二人は馬が合うのか、それからもずっと連絡を取り合っているらしかった。
そして、沖田さん率いるブルーが、今年の小松基地の航空祭にやってくる。正義さんが張り切るのも、当然のことだと思う。やっぱり、航空祭でなにかするつもりなんだろうか?
「どうしても知りたいなら、予行の日に来てくれるかな? 俺が言えるのはそれぐらいだ」
「行っていいの?」
「地元限定の事前公開はいつも通りだから、家族が来るぶんには問題ないよ。ただ、子供達は学校があるだろ?」
「たしかにね。私だけ見にいったら、ママずるいって言われちゃうかも」
私が正義さんに航空祭の予行でびっくりさせられたのは、プロポーズをされたあの時だけ。あれ以上のびっくりが存在するとは思えないけど、正義さんが予行でなにをするか見てみたい。せっかくのチャンスだ、子供達には申し訳ないけど、一足先に私一人で見にいくことにしよう。
+++++
そして予行当日。前の日までは、天気は小雨まじりのくもりだと言っていたのに、朝になってみれば雲一つない晴天だった。
「すっごい晴れてる。もしかして今年のブルーインパルスには、晴れ男さんがいるのかな」
そんなことをつぶやきながら、基地のゲートを通る。エプロンに出る途中にある建物の一つが、飛行教導群の展示ブースになっている。そこには、展示の準備をする顔見知りの隊員さん達の姿があった。
「おはようございます」
「あ、おはようございます、奥さん。ちょうどよかったです、ブルーの予行が始まったところですよ」
「そうなんですか? 実は私、ブルーより夫の予行のほうが気になっちゃって」
それを聞いた隊員さん達が「それは当然ですよね」とうなづく。
「今年の航空祭では、
「そうなんですか?」
「ええ。かなり接近するものもあるそうで、本番では許可が出なかったものもあったみたいです。ですから、予行限定のものもありそうですよ。見にこれてラッキーでしたね」
これは子供達に、ほんとうにずるいと言われそうな予感。デジカメラじゃなくて、ビデオカメラを持っこれば良かったかも!
「そうなんですか? 私、夫からはなにも聞いてなくて」
「そりゃあ、飛ぶまでは秘密ですから」
その場にいた全員がニカッと笑った。この顔からして、ここにいる人達は、正義さんがなにをするつもりなのか知っているようだ。
「聞いていたらビデオカメラを持ってきたのに……」
「御心配なく。隊長から、しっかり撮っておくようにと言われてますから。その動画でよければ、航空祭が終わってからお渡ししますよ」
「ありがとうございます。子供達が喜びます……あの、これ、なんですか?」
そう言いながら、展示ブースの入口でプラプラしている、大きなテルテル坊主を指でさした。ドクロやコブラがトレードマークのアグレッサーには、似つかわしくない愉快な顔をしている。こんなもの、去年はここに飾っていなかったはずだけど。
「ああ、それですか。晴天祈願のお守りだそうです。かなり効果があるそうで、隊長が製造元からもらってきたんですよ。今年は、あっちこっちの航空祭で飾られているそうですよ。お蔭でほら、御覧の通りの晴天です」
真っ青な空を見上げると、ブルーインパルスの白い機体が、スモークをはきながら旋回するところだった。
「本当にブルーは見なくても良かったんですか?」
「ええ。それは明日の本番にとっておきます。今日は、予行限定のアグレッサーの展示飛行をしっかり見ようかと」
「じゃあご案内しますよ、特等席に」
整備員の一人がそう言ってくれた。
「良いんですか? まだここの準備が終わっていないんじゃ?」
「まあそうですけど。隊長の奥さんを案内するという名目で、堂々とさぼれますからね。口実になってください」
そんな言葉に、後ろから笑い声が混じったブーイングが飛んできた。
私が連れてきてもらったのは、正義さんが飛ばす機体が駐機されている場所の真正面だった。もうすでに離陸の準備が始まっているようで、それぞれの機体の周りでは整備員さん達が作業をしている。
「まだ時間がありますし、隊長を呼びましょうか?」
「いえ。気が散ったら申し訳ないから、このままで」
「わかりました。じゃあ自分は戻ります。どうぞごゆっくり。戻ってきたら、声をかけてあげてください」
「ありがとうございます」
整備員さんの他に、青いつなぎを着た人が正義さんの隣に立っていた。たしかあの人が、ブルーの隊長さんだったはず。二人で楽しそうに話をしているのが、ここからでもわかる。
「……本当に仲良しね、あの二人」
私が二人の観察をしていると、その視線に気づいたのか、正義さんがこっちを見た。そして片手をあげてうなづく。それを見た隊長さんが、同じようにこっちに顔を向けたので、慌てて
正義さんのスマイルはいつもと同じだけど、やっぱり展示飛行をするせいか、少しだけ緊張している様子だ。一緒に飛ぶ
ブルーの隊長さんは、正義さんがコックピットに乗りこむのを見届けてから、その場を離れていった。
「おはようございます。
振りかえると、榎本司令がにこにこしながら立っていた。
「おはようございます。なにかびっくりがあるらしいので、子供達より先に見にきちゃいました」
「但馬が提出した、今年の展示飛行のプログラムを検討したんですが、いくつか取りやめになりましてね。ただまあ、いつも頑張ってくれているので、たまにはハメをはずすのもいいだろうと、予行限定で認めました。多分そのことかな」
それを聞いて少しだけ心配になる。
「あの、大丈夫なんですか? 取りやめってことは、危険な飛行ってことですよね?」
「どんな飛行も危険がつきものですよ。但馬と沢霧の技量なら問題ないと判断して、私が許可を出しました」
「そうなんですか。どんな飛行をするのかしら……」
「それは見てのお楽しみです」
そう言って、榎本司令は
機体の点検が終わってエンジンの音が大きくなった。いよいよ離陸だ。六機のアグレス機が、順番に滑走路に出ていく。コックピットの正義さんは、すでに展示飛行のことしか頭にないのか、いつものお手振りもすることなく前を向いていた。
―― もしかして緊張してる……? ――
肩こりがひどくなるぐらいの飛び方をするなら、当然のことかもしれない。
そして正義さんと沢霧さんが
「まったく、但馬の負けず嫌いも、ここまでくると大したものですよ。ブルーが来るのが決まってから、巡教の合間、ずっと訓練をしていたようです」
「あの、あれって普通なんですか?」
イーグルが機体をひねりながら飛んでいくのを見送りながら質問をする。
「普通じゃないから許可が出なかったんですよ。でも、あいつ、どうしてもブルーの友人に見せたかったようで」
「そうなんですか……」
マイペースでコツコツ型、めったに誰かと張り合うことをしない正義さんが、珍しいこともあるものだ。
「それだけ、ブルーに刺激されたってことなんでしょうか?」
「アグレスの意地ってやつなんでしょうね。ま、それも今回限りですが」
空を見あげながら私は納得した。あれは肩こりがひどくなってもしかたがないかも。もしかしたら、首も痛いんじゃないだろうか。
「今日と明日は、いつもよりしっかりと肩もみをして、
しかたがない、お駄賃は素敵なスマイル一つでかんべんしてあげよう。
そんなことを考えていた私の頭の上を、正義さんが操縦する緑と黒の迷彩模様のイーグルが、翼を振りながら横切っていった。
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