小話

但馬さんの休暇

第二十三話のあと、実家に帰省した時の但馬たじまさんのお話です。




+++++




「ただいま」


 久し振りに実家の敷居をまたぐ。廊下の突き当りにある居間から、母親が顔をだした。


「おかえり。元気にしてた?」

「それなりにね。そっちは?」

「私はいつも元気よー」


 出迎えてくれたのは母親と、何年か前に母親が拾ってきた黒猫だった。猫は、俺の顔を見て鼻をヒクヒクさせると、ここへの着陸を許可すると言わんばかりに、ニャーンと鳴いた。


「お前も元気そうでなによりだよ、クロベエ。これ、いつもので申し訳ないけど、おみやげ」


 そう言いながら、もってきた紙袋を差し出す。


「そんな気をつかわなくてもいいのに」

「まあ、気持ちだから」


 紙袋を母親に押しつけると、靴をぬいで家にあがった。


「荷物、おいてくるよ」


 2階の自分の部屋は、前に帰省した時のままだった。空気を入れ替えるために、窓を全開にする。窓から一気に、冷たい空気が流れ込んできた。


「さすがに沼津ぬまづも、この時期は寒いな……」


 それでも、三沢みさわに比べたら温かいものだ。そんなことを考えながら、上着を脱いでハンガーにかけた。


正義まさよしー、お茶、はいったよー」


 下から母親が呼ぶ声がする。部屋を出て階段をおりようとしたら、下からクロベエが俺を見つめていた。どうやら俺を待っていたらしい。


「心配しなくても、今からそっちに行くよ」


 その言葉を理解したのか、駆け足で居間へと走っていった。そしてテーブルに飛び乗ったらしく、母親がしかる声が響く。


「相変わらず、ここはにぎやかだよな……」


 やれやれと首を振りながら、居間にはいった。


「そう言えば、みんな元気?」

「元気だったわよー。今年は正義が新年会に間に合わなくて残念がってたわ」


 「みんな」とは親せき連中のことだ。毎年、元旦に集まって新年会をするのだが、今年は休みの都合で俺は不参加だった。


「俺がって言うより、俺が渡すお年玉がじゃないのかな」

「そんなこと言って! ま、子供としては、お年玉をくれる人間が減るのは、死活問題かもしれないわね」


 母親は笑いながら、テーブルにお茶と、俺が買ってきたお菓子を置いた。


「それで?」

「それでとは?」

「みんなとも話してたんだけど、子供世代最年長の正義君に、お相手はできたのかしらって」


 うっかり湯呑みを落としそうになる。


「いったいぜんたい、当人がいないところでどんな話をしてたのさ」

「そりゃあ、そんな話よ。お年頃筆頭なんだから、そういう話が出てもおかしくないんじゃないの?って話。どうなの?」


 母親の質問にため息をついた。


「パイロットとして基地に貼りついている俺に、そんな出会いがあるとでも?」

「その昔、『研究室にこもっている化学オタクに、そんな出会いがあるとでも?』と言った人を知ってる」

「それ、父さんじゃ」


 俺の指摘に、母親が笑う。


 両親が出会ったのは、某国立大学の研究所だった。父親はそこで研究員として、母親はその研究所に出入りしていた大学教授の助手として働いていた。つまり、父親からしたら「出会い」が向こうからやってきたというわけだ。


「それで? 出会いがやってくることはなかったの? 自衛隊にだって女性隊員はいるんでしょ?」

「そりゃまあ?」


 今まで同じ職場にいる女性隊員達を、そんな目で見たことは一度もなかったが。


「で? どうなの?」

「職場ではそんな出会いはないよ。だけど、そうだな……職場以外の場所で、出会いがあった」

「あらまあ、おめでとー♪」

「まだどうなるか、わからないけどね」


 とは言え、あの真っ直ぐな彼女を見ていると、もう行きつく先は決まっているんじゃないかと、思わないでもない。


「ウエディングベルは鳴りそう?」

「だから、まだどうなるかわからないって、言ってるだろ?」

「あらそう。でも、安心した。これで正義も一人じゃなくなるわけね」


 その言葉にピンとくるものを感じ、あらためて母親の顔をみつめる。いつもと変わらない顔。だが、なにか隠している気配がする。


「もしかして、恋人でもできた?」

「やあねえ。私がいくつになったか知ってるでしょ? 新しい恋なんてする年じゃないわよ」


 両親が離婚したのは、俺が小学校低学年の時だった。特に夫婦仲が悪かったわけでもなく、ある日突然、「お父さんとお母さん、離婚するから」という言葉だけで、それぞれが別の場所で生活をすることになったのだ。


 親権を持ったのは母親で、俺は母親と生活することになった。父親は養育費を払い続け、学校の節目節目の行事には、かならず顔を出してくれていた。そのことに対して、母親もイヤがる素振りを見せたことがなかった。


 そしてお互いに同じ分野で働いていることもあり、今でも連絡を取り合ったり、食事をしたりしているようだ。離婚したことを知らなければ、今でもごく普通の、単身赴任生活をしている、仲の良い夫婦に見えているに違ない。


「俺も子供じゃないんだから、気にすることないよ」

「そんなんじゃないのよ」


 母親は、手をヒラヒラさせながら笑う。


「そうじゃなくてね、再婚することにしたの」

「あ、そうなんだ」


 恋愛をすっ飛ばして再婚とか。まあ、この人らしいと言えばらしいのか?


「相手は? 俺が知ってる人?」

「もちろん。お父さんよ」

「……は?」

「だから、あなたのお父さん。私の元旦那様ね」


 一瞬、自分の日本語能力がゼロになった気がした。いま、なんて言った?


「父さんと再婚するってこと?」

「そうよ」


 その言葉を頭の中で繰り返す。大丈夫だ、俺の日本語能力は平常運転だ。


「あのさ。いまさら元サヤってどういうこと? だったらどうして、あの時に離婚したんだって話にならないかな」

「元に戻るわけじゃないわよ。あの時の私達と、今の私達は違うもの」

「どうみても同じに見えるけど」

「反対なの?」

「いや。別に反対してるわけじゃないよ」


 こっちも父親との関係は良好だ。特になにか問題があるわけではない。だがやはり、両親が離婚した時に受けた、自分のショックは一体なんだったのかと、複雑な気持ちにはなった。


「あのころは私達も若かったの。それぞれやりたいこともあったし」

「昔と今との違いは年のことだけ? やりたいことは今も山盛りだろ?」

「あとは、正義が独立して自分の時間が増えたってことかな。そのおかげで、お互いの時間を作れるようになったってことかしら。もちろん、息子のあなたのことは大切に思ってるわよ。でもあの頃は、自分達の仕事の時間、子供との時間、夫婦の時間、それぞれの時間のバランスを、うまくとれなかったの。だからどれかを手放すしかなかった」

「そして手放したのは夫婦の時間だった、と」

「そういうこと」


 そして子供の俺が独立し、夫婦としての時間を持てる余裕ができたということか。


「よくもまあ、今までお互いに他の相手ができなかったもんだ」

「そりゃ、私もお父さんも、研究所に貼りついてるから」

「なるほど」


 普通の家庭とは違う形ではあったが、両親が子供との時間を大事にしてくれたことに対しては、感謝しなくてはならないな。


「あとは正義がお付き合いしている人を、私達が紹介してもらうだけね」

「気が早いよ」

「そう?」


 すでに彼女のお姉さんや甥っ子姪っ子達と面識があることは、当分、黙っておいたほうが良さそうだ。


「まあ、彼女を紹介するにしても、その前にきちんと、そっちの身辺整理をしておいてくれないと困るよ?」

「どういうこと?」


 母親が首をかしげる。


「だから。離婚した両親が、再び同じ相手と再婚するなんて、説明するのがいろいろとややこしいだろ? 紹介する前に、さっさと元サヤにおさまっておいてください。そうすれば余計な説明がはぶけるから」

「あら、薄情ね。そのぐらい、説明してくれても良いじゃない」

「いずれはするさ。だけどいきなりだと情報量が多すぎだろ?」


 息子の自分ですら、情報量が多すぎて混乱気味なのだから。


「あらそう? だったら、お父さんと相談してみる」

「よろしく」


 どうせなら今晩、晩御飯に呼び出しましょと言って、嬉しそうにメールをする母親の様子にため息をつく。


―― ま、本人達が幸せなら、それで良いんだけどさ…… ――


 やれやれと首をふる俺の膝に、クロベエが飛び乗ってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

報酬はその笑顔で 鏡野ゆう @kagamino_you

作家にギフトを贈る

資料集めに行けないので、しばらくは実家ニャンコ達のカリカリ代になりそうです。
カクヨムサポーターズパスポートに登録すると、作家にギフトを贈れるようになります。

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ