第七話 携帯電話の番号

「チーズトーストのチーズが新しくなりました。国内の酪農家らくのうかさんと、直契約して作ってもらっているチーズなんです。とても美味しいですよ、いかがですか?」

「そうなんですか。チーズトーストのヘビーユーザーさんからしたら、それはうれしいことですよね。タマゴトーストとコーヒーでお願いします」

「……」


 ニコニコしながら私の言うことを聞いても、但馬たじまさんは、相変わらずお決まりのメニューしか注文してこない。だから、後ろにお客さんが並んでいないことをいいことに、質問してみた。


「あの、もしタマゴトーストがメニューから消えちゃったら、どうするんですか?」

「その時は、自分の中で次点のチーズトーストかな」

「じゃあこれを機会に、今日こそチーズトーストを試してみる気は?」

「タマゴトーストがある間は、タマゴトーストでお願いします」

「……分かりました。350円です」

「はい」


 トレーに硬貨を置くと、私がなにか言う前に、ニッコリと微笑んで受取りカウンターへと移動していく。


「まさに鉄壁の守りね、さすが自衛官」


 バックヤードから、その様子を見ていた副店長が笑った。但馬さんと顔を合わせるようになって一ヶ月。なんとか別のメニューを注文してもらおうと頑張ってみたけど、その努力は今のところまったくむくわれていない。


「但馬さんのおかげで、朝のタマゴトーストは安泰あんたいですよ。どうやっても、タマゴトーストの壁は崩せそうにありません」

長居ながいさんがバイトのシフトから抜けても、このまま来店して、タマゴトーストを続けてくれると良いんだけれど」

「大丈夫ですよ。他の隊員さん達も、すっかり定着したみたいだし」

「だと良いんだけれど」


 副店長はそう言って笑いながら、若狭わかさ君と顔を見合わせた。


「まあ、最近はすっかり習慣化した人もいるみたいなので、長居さんがはずれても、ある程度の残留は見込めると思いますよ」

「若狭君がそう言うなら、間違いないかしらね」

「なんで私より若狭君」

「だって若狭君、経営学部の学生さんだもの。冷静なマーケティングが可能でしょ?」

「すみませんねえ……。栄養学部の身で、ファストフード店でバイトしてて」


 夏休みもそろそろ終わりが近づいてきた八月下旬。私の朝のバイトも、今日が最終日だ。大学が始まったら、週に何度か夕方からのシフトに入ることにしているけど、今のところ未定な部分も多い。


「でも、ここまでタマゴトーストのヘビーユーザーになられると、マイナーチェンジもできないわね。頑張って今の味を保つようにしなきゃ。きっとコーヒーもよね」

「コーヒーより、タマゴトーストに御執心ごしゅうしんな気がしますけどねー」


 但馬さんはトレーを受け取ると、いつもの席へと歩いていく。席に向かう途中で、顔見知りの隊員さんと言葉をかわしながら、何度か首を小さくかたむけているのに気がついた。今朝の夜勤明けは、頭痛じゃなくて肩こりに悩まされているっぽい。


―― 肩こりが酷いってことは、仮眠できずにじっと座ったまま待機していたってことかな ――


 ただでさえ、いつ飛び立つか分からないスクランブル。それの夜勤って大変そうだなあ……そんなことを思いながら、やってきたお客さんにいつもの営業スマイルを向けた。



+++



 皆に挨拶をして外に出ると、但馬さんが待っていた。どうして待っていたのかは分からないけど、会えてよかった。ちゃんと今日がバイトの最後だって報告できる。


「あ、但馬さん。ちょうど良かったです。実は私、今日が朝のバイトの最終日だったんですよ」


 私がそう言うと、但馬さんはなるほどという顔をした。


「そろそろ夏休みも終わりなんだね。だったら俺のほうも、ちょうどよかったかな。万が一のために、こっちの携帯電話の番号を教えておこうと思って。さすがに店内では渡せないから、ここで待ってたんだ。良かったよ、今日を逃したら大変なことになってたね」

「ま、但馬さんが夜勤明けにここに顔を出し続けてくれるんなら、連絡はなんとか取れると思いますけどね。但馬さん、うちの朝のバイトグループに、しっかり顔を覚えられちゃってるから」

「それはそれで恥ずかしいかな……」


 困ったなあと笑う。


「あ、だからって次の夜勤明けから来ないなんて、無しですからね。売上げにご協力ください。タマゴトースト以外をしつこく勧めることは、ないと思いますから」

「別に他のが嫌いってわけじゃないんだ」

「わかってますよ。いつものじゃないと落ち着かないんでしょ?」

「まあそんなところ」


 但馬さんはポケットからメモ用紙とボールペンを出して、自分の番号をそこに書いた。そして、そのメモ用紙を私に差し出す。


「じゃあこれを。電話に出られないことのほうが多いから、連絡事項はショートメールで送ってくれると助かる」

「わかりました。じゃあ私のほうも番号を教えておきますね、但馬さんだって、予定は未定な部分もあるだろうし」

「いいのかい?」

「問題ないです」


 但馬さんの番号を入れると、それでワンギリをする。但馬さんがポケットから携帯電話を取り出して、着信画面を見た。


「着信履歴に出ました? ああ、出てますね、それが私の番号ですから」

「わかった」


 お互いにアドレス帳に登録をする。


「雨でも航空祭は開催されるけど、行事自体が中止になることもなきにしもあらずなんだ。それと、俺がエスコートできなくなる可能性もあるからね。その時は申し訳ないって先に謝っておくよ」

「そういう急な変更は、父が消防隊員だったから慣れてるので心配ないですよ。その時は気にせずに、連絡してきてください。お仕事が第一ですから」

「ほなみちゃんのお父さんは消防隊員なのか」

「もう退職間近で、今は現場に出ていない管理職なんですけどね」


 そんなことを言いながら、但馬さんの後ろに回って肩を指で押してみる。


「?!」

「あ、やっぱり。但馬さん、肩がカチカチ」

「え、なにがやっぱり?」


 但馬さんは、肩越しに私の顔を見ながらたずねてきた。


「さっきお店で、首をこうやってたから肩こりかなって」


 店内で見たしぐさをまねしてみせた。


「ほなみちゃんて鋭いな。俺より観察眼にすぐれてるんじゃ? もしかして、目指しているのは医者か看護師?」

「私が目指しているのは栄養士ですよ」


 但馬さんの表情が微妙なものになる。


「栄養士を目指してるのにファストフード店……いたっ」


 思いっ切りツボのあたりを押した。


「いきなりひどいな、ほなみちゃん」

「言いたいことはわかりますよ、だけどちょっとムカつきました。たしかに栄養学的に言えば、ファストフードは難ありですけど、たまに食べる分には問題ないんですからね。大事なのは一日に摂取する栄養素の、トータルのバランスなんだから」

「すみません、言いすぎました。もうかんべんしてください」


 指でぐりぐりし続ける私に、降参だと両手をあげる。


「お詫びに今日はエスコートさせてください、それも当分できなくなりそうだし」

「じゃあ許してあげます」


 そう言って歩き出してから、質問をしてみることにした。


「あの但馬さん、航空祭のことなんですけどね」

「ん?」

「本当にうちの姉達を呼んでいいんですか? 妹の私が言うのもなんですけど、エスコートするのは小学生の甥っ子達以上に大変ですよ?」


 招待してもらうと決まってから、ずっとそれが心配のタネなのだ。姉達が但馬さんに対して、私にするような遠慮なしの質問攻めをしたらどうしようと。


「そうなのかい?」

「姉達、航空祭より但馬さんに興味津々きょうみしんしんなんですよね……」

「なんでまた?」


 自分が興味の対象なのが意外だったらしく、但馬さんは目を丸くする。


「最初にあった日、家まで送ってくれたじゃないですか。あれ、たまたま実家に戻っていた姉達が目撃したらしいんですよ。それもあって」

「大変だ、妹に変な虫がついているって?」

「変な虫とは思ってないですけど、但馬さんの正体がめちゃくちゃ気になるみたいです」

「正体もなにも、俺はただのパイロットなんだけどなあ」


 困惑が混じった笑みを浮かべた。


「それが通じないから困ってるんですよ」

「んー……どうしたもんだろうねえ」

「ほらほら、招待を取り消したくなってきませんか? ヤバくないですか?」


 ちょっと期待しながらたずねてみる。もしかして、そんなおねーさんは怖いから勘弁してくださいとか言わないかな?


「でもそんなことで取り消したら、航空自衛隊のイメージがいちじるしく低下するんじゃないかな?」

「姉達の自衛隊に対するイメージが下がったとしても、大したことないでしょ」


 おチビちゃん達には申し訳ないけれど。


「でも、小学生君達のお母さんだろ? お母さん達のネットワークで悪評が広がったら、とんでもないことになるんじゃないかな」

「そうかなあ」


 そこで但馬さんは、いつもの笑みを浮かべた。


「まあ、万が一の時は愛想よくにこにこしながら逃げるから、大丈夫だよ」

「そうやって、感じよくにこにこしながら?」

「急な任務が入ったとか、理由はいくらでもあるわけだし?」

「本当に?」

「緊急回避は、戦闘機パイロットにとっても必須スキルだからね」

「だったら、イヤな予感がしたらさっさと逃げちゃってくださいね?」

「了解した」


 それから、あれこれと雑談をしながら二人でのんびりと歩いた。団地の敷地に面したいつもの場所についたので、、エスコートのお礼をしようとしたところで爆音が響き渡る。空を見上げると、頭上を迷彩柄のイーグルが横切っていくのが見えた。車輪が出ているのが見えるぐらい低空だ。


「わー、あれってたしか、アグレッサー機ですよね」

「そうだよ」


 一緒に見上げていた但馬さんがうなづいた。だけどその顔は、なんだかさえない。


「なんでそんなに憂鬱ゆううつそうなんですか?」

「来たのが怖い人達だから。明日から二週間ほどは、あの人達を相手に俺達は訓練漬けなんだよ」


 そう言われても、どう怖いのか私にはさっぱり分からない。


「なほみちゃんのバイトで言うと、支店のチェックに、本店の偉い人が団体でやってきたって感じかな」

「あ、それは怖いです」


 その説明で、ちょっとだけ理解できた。


「一人前のパイロット達を訓練する人達だからね。半人前だったら許される失敗も、この訓練では許されない。そんな失敗をしたら、それこそ容赦のない指導が飛んでくるんだよ」

「でもその人達だって、失敗することあるんでしょ?」

「まあそうだろうけど、俺は見たことないな。相手のリカバリー能力が高すぎて、俺が気がつかないだけかもしれないけど」


 そう言いながら、但馬さんはイーグルが飛んでいった方角に顔を向ける。


「でも、その人達がいるおかげで、日本の航空自衛隊の技術は高いって、言われるんですよね?」

「そうとも言えるね。だけど怖いものは怖いし、現役パイロットとしては、あまり顔を合わせたくない相手かなあ」


 そんな人達と一週間も訓練を続けるなんて。夜勤よりも大変そう。但馬さん、また頭痛に襲われなきゃいいけど。そんなことを考えていたら、但馬さんは気を取り直したのかいつもの笑みを浮かべた。


「じゃあこれで。来月の航空祭で会えるのを楽しみにしているから。なにかあったら、ショートメールで連絡を」

「はい。私も楽しみにしてますね。当日がお天気になるように、今からテルテル坊主作ってさげておきます」


 ああそれからとつけ加えることにした。


「帰ったら寝る前に、湯船にゆっくりつかったほうがいいですよ。肩こりが酷くなると、腕が上がらなくなることもあるし、明日からの訓練漬けにも支障が出るだろうから」

「ありがとう。帰ったら、明日に備えて真っ先に風呂に入るよ。じゃあ来月の航空祭で」

「はい! お疲れ様でした! 明日から頑張ってくださいね! どうせなら、怖い人達をぎゃふんと言わせちゃうぐらいの気合で!」


 私がガッツポーズをすると、但馬さんはおかしそうに声をあげて笑う。


「ありがとう。元気が出たよ。じゃあ来月の航空祭で」


 そう言って但馬さんは立ち去った。


「……あれ? もしかして初めて声を出して笑ったんじゃ?」


 そんなことに気づいたのは、自分の部屋で落ち着いてからだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る