第二十八話 カノジョの心得

「ねえ、お母さん」

「んー? なあに?」


 その日、晩ご飯の片づけを手伝いながら、母親に話しかけた。


「私が昨日の夜に帰ってこなかったこと、お父さん、気づいてた?」

「そりゃあ気づいてたわよ。ほなみはまだ帰ってきてないのかって、言ってたから」

「それで? お母さんはなんて言ったの?」

「ほなみだって、たまにはお友達の家でお泊りすることもあるわよって。そしたら黙りこんじゃった」


 母親にはちゃんと、但馬たじまさんちでお泊りすると正直に伝えてあった。そのことを、父親にはマイルドに伝えてくれたらしい。ただ、父親はそれだけで察しちゃったみたいだけど。


「うっわー……黙り込んだってことは、それで察しちゃったってことだよね?」

「だと思うわよ。だけど一生懸命なんでもないふりをしているみたいだから、今は気づかないふりをしてあげて」


 そう言うと母親は、居間でこたつに足を突っ込んでテレビを見ている父親に視線を向けた。


「もちろんそのつもり。だって気まずすぎるもん」

「ほーちゃん以上に、お父さんは気まずいわよ。私、お母さんで良かった」


 娘をもった父親って可哀想よねと呑気につぶやく。そのつぶやきが聞こえたのか聞こえなかったのか、父親はもそもそと動いて、こたつに入ったまま体を横にした。


「お父さん、そんなところで寝たら風邪ひくわよ? 寝るならあっちの部屋で、ちゃんとお布団を敷いて寝たちょうだい」

「わかってる。観たいテレビが始まるまで、体を横にしているだけだ。まだ起きてるよ。お前達も観るんだろ?」

「なら良いんだけど」


 こたつの陰に隠れてしまった父親の顔。一体どんな顔をしているんだろう。気まずい思いはあるけれど、ちょっとだけ気になる。


「あ、そうだ。お父さん」

「なんだー?」

「まえに教えてくれた、整体院あったじゃない? 消防署の人が通ってるって言ってたとこ。あそこに但馬さんをつれて行ってあげたの。今のところなんでもないって」

「そうか、それは良かったじゃないか」


 精一杯さりげない口調だ。


「パイロットさんは首を痛めることが多いから、それは気をつけなさいって。最初にてくれた、お爺ちゃん先生が言ってた」

「但馬君がずっとパイロットを続けるつもりなら、なんでもないうちから定期的に、てもらうようにしておいたほうが良いかもしれないな」

「定期メンテナンス?」

「そんな感じだ」

「なるほど。次に但馬さんと顔を合せたら言っておくね。お父さんがそう言ってたって」

「べつに、お父さんが言っていたなんて、言わんでも良いだろ」


 少しだけ父親の口調が、動揺したのがわかった。


「でもきっと喜ぶと思うよ? 自分のカノジョのお父さんが、自分のことを気にかけてくれてるってわかったら」


 ゴンッと変な音がして、こたつの上のお湯呑みが少しだけ飛びあがる。どうやら父の足が、こたつの中で飛びはねたらしい。


「ま、まあ、同じ公務員仲間のよしみってやつだ……」

「それも伝えておくね!」

「べつにそれも言わなくて良いんだがな……」


 父親がブツブツとつぶやいているのを聞きながら、母親と私は笑いをかみ殺して、お皿洗いを続けた。


「おねーちゃんズが押しかけてきた時は、すっごい余裕な感じで話してたのに。お父さんたら態度が変わりすぎ」

「いざ現実として目の前に突きつけられると、慌てちゃうものなのよ。昨日だって、ほーちゃんがお友達の家に泊まるって言っただけなのに、来るべきものが来た!って顔してたもの」


 母親がそう言うと、父親が変なせきをする。


「お姉ちゃん達の時はどうだったの?」


 父親の様子に、少しだけ興味がわいた。姉達が押しかけてきた時に聞いた様子では、余裕綽々よゆうしゃくしゃくって感じだったし、特に動揺したようなエピソードはなかった。だけど今の様子からして、二人のときも似たようなことがあったに違いない。


「お姉ちゃん達の時もお父さん、今みたいな感じだったわよ。敷島しきしま君と平塚ひらつか君が正式な挨拶をしにくるまでは、頑張ってなにも起きてないふりをしてたかな」


 当時のことを思い出したのか、母親がおかしそうに笑った。こたつの向こうから、再び父親の変なせきばらいが聞こえてくる。余計なことを話すなと、言いたいのだろう。母親もきっと、そんな父親の意図には気づいているはず。だけどおかまいなしだ。


「そうなんだー……」

「そりゃあもう、ソワソワしてたわ。お姉ちゃん達とは、結婚相手が同じ消防署内のお父さんの後輩じゃなくて良かったわねって、よく話したものよ。もしそうだったら、絶対に一悶着ひともんちゃくおきてたと思うわ」

「わあ……そーなーんーだー……」


 私がそうつぶやきながら振り返ると、私の視線をどこかに感じたのか、ピタッとせきばらいがとまった。


「ま、それでも世の中の娘を持つお父さん達よりは、理解があったんじゃないかしらね。ねえ、お父さん?」

「なんだ? なにか言ったか?」


 〝聞こえてたくせに〟と母親が声を出さずに、口パクで言った。


「もちろん、なにもないふりをしてるからって、無関心てわけじゃないのよ?」


 母親はお皿を食器棚に片づけながら、話を続ける。


「お父さんなりに、いろいろと心配はしていると思うの。お姉ちゃん達の時もだけど今回は特にね。だって但馬君はパイロットなんでしょ?」

「うん」

「ニュースになるような命にかかわる事故もあるし、そういう意味では私も心配してる。もちろん、ほーちゃんが但馬さんとお付き合いをすることに、反対してるってわけじゃないけどね」


 かすかに背中のほうで、父親の変な声が聞こえたような気がしたけど、それは気のせいだと思っておこう。



+++



「まあ、なんだ……」


 三人でテレビを見ていたところで、父親がいきなり話し始めた。


「なに?」

「心がまえは大事だな」

「なに、急に」

「なにか起きた時、普通だと家族のもとに戻ろうとするだろ? だが、但馬君は違う」


 いきなりどうしたんだろうと父親の顔を見た。だけど父親は、テレビ画面に目を向けたままだ。


「父さんもそうだったが、なにか有事がおきた際、彼等は自分の家族のことを二の次にして、行動しなければならなくなる」

「それって台風で被害が出たり、地震が起きた時ってこと?」


 災害派遣で陸自の人達やレスキューの人達が、日本全国の被災地に向かうニュースを思い浮かべる。


「まあ、それだけではないがそんなところだ。だからほなみも、但馬君が自衛官だからと言って、いざという時に守ってもらおうとは考えないことだ。自分の身は自分で守る。最低限それができるようになっておかないとな。父さんだって、台風の時には出かけてたろ?」


 小さいころはあまり意識していなかったけれど、台風が通過した後の救助作業で、何日も自宅に帰ってこないことが今までに何度もあった。


「父さんは、お母さんがお前達と家を守ってくれているから、安心して行くことができた。だからお前が但馬君と付き合っていくのなら、そういう覚悟も持っておかないといけないという話だ。これは、お姉ちゃん達にも言って聞かせたことだが」

「お姉ちゃん達にも?」

「刑事ともなれば、災害だけではなく、事件の捜査で何日も帰ってこないこともあるだろう?」


 父親の言葉に母親がうなづく。


「もちろんこれは男女問わずの話よ。今は、女性の刑事さんも消防士さんも自衛官さんもいるんだから。それに家庭を持ったら、自分だけじゃなく、子供達のことも守らなきゃいけないものね」


 とたんに父親の目が泳いだ。


「いや、その、ほなみはまだ、但馬君とそういうことになるとは決まってないだろうが、まあ、自衛官と付き合っていくうえでの心得こころえとして、頭のどこかに入れておいてくれれば良いかなと、父さんは思うわけだ……うん」


 なぜか、しどろもどろな口調になっている。


「前にも言ったと思うが、但馬君の仕事がどういうものか、理解してあげないとな」

「そこが大切なんだってことはわかってる。だから知らないなりに理解しようとは思ってるの。ただ、但馬さんはあまり自分の仕事のことは話さないからさ。なにがどう大変なのかって想像するしかなくて」

「それも前に言ったろ? 話したくても話せないってやつだ。そこを含めての理解ってやつだな」

「それって難しいことだよね」


 そこでやっと、父親が私のほうに顔を向けた。


「たしかに。だから、制服がかっこいいとかパイロットがかっこいいとか、但馬君の表面上のことだけを見て付き合おうとしているなら、やめておいたほう良いと思うぞ。お互いのためにもな」

「私は制服とかパイロットとかそんなのどうでもよくて、但馬さんのスマイルが一番好きなの」

「!」


 父親が目を丸くする。


「できることなら但馬さんには、いつもあのスマイルを浮かべていてほしいなって思うの。但馬さんのお仕事のことはまだちゃんと理解できてないから、まずは……肩こり治療からかな……頭痛に関しても、やっぱり肩こりと関係あると思う?」


 父親の横で、母親がクスクスと笑いだした。


「あらあら、お父さん。どうしましょ、私達、ほーちゃんの惚気のろけを聞かされちゃったわ」

「私、けっこう真剣に悩んでるんだけどな。頭痛と肩こりと、戦闘機パイロットとの因果関係……」


 但馬さんと顔を合わせるたびに、最初に気になるのはそこだし。


「ほなみ、栄養士になるのはあきらめて、整体師にでもなるつもりか?」

「別に整体師になるつもりはないけどさ。ちょっと勉強はしたくなってきたかも」


 但馬さんのためにも。


「ほーちゃんにとって、人生を左右しちゃうぐらいの存在なのね、但馬さんて。これは一大事よ、お父さん」

「……よく考えろよ、ほなみ」

「だから整体師になるつもりはないって。私が気になるのは、但馬さんのスマイルを曇らせる肩こりと頭痛なの!」

「あらあらあら。お父さん、気をしっかりね?」

「お、おう……」


 憮然ぶぜんとしている父親の横で呑気に笑っている母親だったけど、そんな母親の覚悟の強さを知るのは、それから数年後のことだった。だけどそれはまた別の話。

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