第二十七話 side - 但馬

「おはようございます」

「おう、おはようさん」


 彼女を送り届けてから基地へと向かう途中で、本城ほんじょうさんと出くわした。いつものように、あいさつをしてから並んで基地へと向かう。


「昨日は、久しぶりに静かだったらしい」


 静かだったとは空のことだ。


「そうなんですか。去年からひっきりなしに来てましたからね。そろそろ静かになってくれると良いんですが」


 ここしばらくは、スクランブルで飛び立つ戦闘機の爆音で、何度も目を覚ますことがあった。そうか、昨日は一度もあがっていなかったのか。静かだったことすら気づかなかったな。


「どうだろうな。一過性いっかせいのものかもしれんぞ? 来月の首脳会談に向けての〝外交的配慮がいこうてきはいりょ〟ってやつで」

「ああ。そう言えば来月、総理が訪露するって話でしたね。すっかり忘れてました」


 しばらく歩いたところで、本城さんが首をかしげて俺を見る。


「ところで、但馬」

「なんでしょう」

「お前、なんであっちの道から来た?」

「はい?」


 いきなりの質問に、その場で固まりそうになった。


「お前んち、あっちじゃなくてこっちだよな?」


 左右の手で、あっちとこっちの方向を指でさす。


「そうでしたか?」

「いつも、こっちの道から現われるじゃないか」


 本当に本城さんは油断がならない。まあだからこそ、僚機として飛ぶ時は心強いんだが。


「そんなことを言われても。毎日ルートを決めて歩いているわけじゃないので、なんとも言いようがないんですが」

「……」

「なんですか」


 本城さんが俺の顔をのぞき込んで、なにやら考え込む素振りを見せた。きっと、ロクでもないことを考えているに違いない。やれやれ、まったく。


「なあ、但馬」

「ですからなんでしょう」

「もしかして、なにか良いことでもあったか?」

「特にこれといって。普段通りの朝ですが」


 彼女と一緒に夜をすごしたことをのぞけば、の話だが。


「そうかー? お前の不気味スマイルに、エロ成分が含まれているような気がするんだがな」

「その不気味スマイルって、いい加減にやめてくださいよ。っていうか、エロ成分てなんですか」


 本城さんも彼女ほどではないが、俺の表情を読むのがうまい。まったく変なところで鋭いな。さて、どう回避したものか。


「上機嫌ってことだよ」

「上機嫌とエロが同列というのが、俺には理解できません」

「とにかくだ、お前が上機嫌らしいってことなんだよ。なにか良いことあったんだろ? んー?」


 下手に誤魔化ごまかすと、延焼してさらに厄介なことになりかねない。ここは素直に、認めておくべきかもしれないな。


「まあ、上機嫌なのは認めます。朝飯にタマゴトーストを食べましたからね」

「あのお嬢ちゃんの店に寄ってきたのか? あれだけ毎日のように食べ続けて、よく飽きないな」

「飽きてますよ。ですけど、別のオーダーにさせようとがんばる店員さんが目の前にいると、つい意地悪したくなりまして」

「まったくお前ときたら」


 本城さんがあきれたように笑う。


「しかし、通常勤務の時にまで店に寄るようになるとは。ちょっとした病気だな」

「今日はあの店には寄ってませんよ」

「だが、タマゴトーストは食べたんだよな?」

「ええ」

「じゃあ、どこで食べたんだよ」

「自宅に決まってるじゃないですか」

「……自宅?」

「はい」


 妙な沈黙が流れた。


「……」

「……」


 そして本城さんが、俺の顔をのぞき込む。


「もしかして返上か?」

「俺、なにか本城さんに返上するものってありましたっけ?」


 本城さんは笑いながら、俺の首に腕を回した。


「おい、スマイリー、もしかして、もしかするのかー?」

「ですから、なんのことを言っているのか、さっぱりわかりませんね。なにがもしかするんでしょう?」

「やっとロックオンでキルしたか!」


 ガハハハッと、いつものように笑い声をあげる。できることなら、もう少し声を落としてほしいんだがな。さすがに、自分がなにをしたかを周囲に聞かれるのは気恥ずかしい。


「キルされたのは俺だって、言ってませんでしたっけ?」

「口の減らないヤツだな。そうか、そりゃ新年そうそうめでたいことだ、おめでとさん」


 背中を叩かれて、前につんのめりそうになる。俺の僚機殿ときたら容赦がない。


「もう明日から二月ですけどね。バレンタインのチョコレートを少し早めにもらった気分です」

「さりげなく惚気のろけるな」

惚気のろけてなんていませんよ。率直な感想をのべたまでです」


 俺がそう答えると、さらにガハハハッと笑った。


「そうかそうか。スマイリー君にようやく春が来たか」

「あまり大きな声で言わないでくださいよ。別に脱童貞をはたしたわけじゃないんですから」

「それだったら赤飯を用意してやるんだがな」


 そう言いながらニタニタしている。


「あまり大きな声で言いふらさないでくださいよ。俺はともかく、彼女がその手の噂話の餌食になるのは、看過かんかできませんから」

「おお、ますます本気なんだな」

「本城さん」


 その点は本気だと伝えるべく、真面目な顔をして相手を見つめた。どうやらそれで伝わったらしく、本城さんは笑いつつもうなづく。


「ま、たしかに自分のカノジョや嫁が、野郎共の噂のネタにされるのは面白くないわな。俺としても、あのお嬢ちゃんがその手の話のネタになるのは聞きたくない。……だーがー」


 その笑みにイヤな予感がした。


「お前をいじる分には問題ないよな?」


 やっぱり……。


「まったく本城さん、あなたって人は……」

「なんだよ、僚機なんだ、そのぐらいはいいだろ? もちろん誓って、あのお嬢ちゃんのことはネタにしない。そこは飛行隊の名誉にかけてもいい」

「もう好きにしてください」


 もうどうにでもなれと投げやりな気分でそう言うと、本城さんはさらに笑った。



+++++



「どうした、但馬、なにかあったか」


 ブリーフィングが終わり、それぞれが自分の持ち場に散らばろうとしたところで、隊長に呼び止められた。


「いえ、特になにもありませんが」

「そうなのか?」


 隊長はそれでも気になることがあるのか、なにか言いたげな顔をして俺の顔を見ている。


「こいつ顔、カラをむいたゆで卵の白身みたいに、ツヤツヤしてるでしょ?」


 本城さんが、ニタニタしながら口をはさんでくる。


「本城さん」

「なるほど。そういう表現もありだな。に落ちた」

に落ちたって隊長……」


 隊長もそこで納得しないでほしい。


「あの、自分の顔がゆで卵の白身だとして、なにか問題でも?」

「空の上は紫外線が強い。どうしてそこまでツヤツヤしているのか、不思議でならないということなんだろうな。やはり若さか?」


 隊長が首をかしげながら言った。


「二十代と三十代では違いますからね。それはうちの嫁さんがよく言ってます」


 本城さんの言葉に、既婚者のパイロット達が真面目な顔をしてうなづく。ここは航空自衛隊で、今は飛行隊のブリーフィングが終わったところだよな?


「なるほどな。それで? なにか特別なものでも使っているのか?」

「いまのところは、なにも使っていませんが」

「そうか。ではそれぞれ今日もよろしく頼む」


 隊長の言葉を聞きながら、なにか違わないか?と心の中でつぶやいたのは、言うまでもない。



+++



「但馬二尉? あの……なにか機体に気になることでもありましたか?」


 自分が飛ばすF-2の飛行前点検をしていた時に、整備をしている整備員の一人が、なにか言いたげな顔をして、声をかけてきた。これで何度目だ?と溜め息がでる。


「特になにもないから、気にしないでくれ。いつもと同様に異常は見られなかった。今日も問題なく飛行できると思う。いつも整備点検をありがとう」


 口調が棒読みになってしまうのは、しかたがないと思ってほしい。まだ午前中だというのに、同じ質問を両手両足の指だけでは足りないぐらい、何度もされているのだから。


「それなら良いんですが」

「スマイリーが上機嫌なのって逆に怖いよな?」


 本城さんが笑いながら、ハンガーから出てきた。


「いえ、そんなこと思ってないですから!」


 整備員が慌てて首を横に振る。


「そうかー? 本人の前だからって、気を遣わなくてもいいんだぞ?」

「そんなことないですよ! 但馬二尉、自分達はそんなこと思ってないですから!」


 その顔からして、そう思ってたってことだよな。まあ、今に始まったことじゃないので、別にかまわないが。


「本城さん、あまり整備員をいじめないように。なにかイタズラされても知りませんからね?」

「別にイジメてなんていないだろ。率直な感想を述べたまでだ」


 朝、俺が本城さんに言った言葉を、そのまま返してきた。


「それってつまり、俺はいつも不機嫌でいろということですか?」

「そうは言ってないだろ? 普段と違うスマイリー君は、ちょっと不気味だって言いたいだけさ」

「普段通りにしていても、不気味スマイルって言うくせに」


 そう言い返すと、本城さんは立ち止まって〝ふむ〟と考える仕草をする。


「なんだろうな、最近、お前のスマイルにいろいろあるって気がついたのさ。これも長く飛んでいる経験ってやつかな」

「知り合ってまだ一年も経っていないほなみちゃんは、その点では本城さん達が修行不足だって言ってますけどね……」


 その小さなつぶやきが本城さんには聞こえたらしく、ニッと笑った。


「さーて、今日もよろしく頼むぞ、スマイリー。俺達はこの空をしっかりと守らなきゃならん。お前の大事な人のためにもな!」


 そう言いながら、自分が飛ばす機体のほうへと歩いていった。


 ただ、その本城さんの捨て台詞のせいで、整備員達にあれこれ問い詰められるはめになったのだが、これって絶対に分かってて言ったよな?

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