第十話 事前公開
『おはようございます。学校とバイトが休みだったら、航空祭の事前公開に来ませんか? 地上展示はないけれど当日よりすいているので、飛んでいるのがゆっくり見学できますが』
その日、朝起きるたら携帯に、ショートメールが入っているのに気づいた。なんだろうと見たら、
「そう言えば、お知らせで入っていたかな。前の日に、戦闘機とブルーインパルスがリハーサルするって」
ポストにも入っていたし、団地の掲示板にも貼られていたような気がする。それに来ないかってお誘いだ。
『おはようございます。ご招待ありがとうございます。前日は学校もバイトもお休みです。甥っ子達は塾があるので無理ですが、私だけでも行ってもいいですか?』
そう返事を打って送りかえす。ショートメールは、但馬さんが夜勤あけにお店にやってくる時間帯に着信していた。ってことは昨日の夜は夜勤だったってことで、今頃は自宅で睡眠中のはず。私の返事を読むのは夕方ごろだろう、と思っていたら、すぐに着信音が鳴った。
「あれ、起こしちゃったかな……」
『了解しました。ではゲート前、午前8時でお願いします』
読んだところで、またメールの着信音。
『ごめんいくらなんでもはやすぎかなもうすこしおそいほうがいいですか?』
文面を見て思わず笑ってしまう。文字が全部がひらがなで、しかも点が一つもない。きっと待ち合わせの時間を送ってから気がついて、慌てて追伸を送ってきたんだろう。あの但馬さんが慌てている様子なんて、想像もつかないけど。
『大丈夫です、朝のバイトに比べたら遅いぐらいですから! ぜんぜん余裕です!』
『了解しました、では午前8時でお願いします』
次の返信がさっきのに比べてあまりにも冷静な言葉遣いで、さらに笑ってしまった。
「但馬さんてば、おもしろーい」
+++++
「おはよう」
「おはようございます。今日はありがとうございます!」
約束の時間より二十分ほど早く基地のゲート前に到着したら、但馬さんもすでに来ていて、警備の人の横に立っていた。
「いいえ、どういたしまして。まずはこれを、首から下げておいてくれるかな」
そう言いながら、但馬さんは紐つきのパスケースを私の首にさげさせる。パスケースの中には、招待者と書かれたカードが入っていた。
「明日のこともあるのに良かったんですか? ほら、それぞれに招待回数に上限みたいなものがあるとか、そういうことはないんですか?」
「今日はお世話になっている人達への事前公開だから、ほなみちゃんを招待することに関しては、まったく問題ないよ。そうだ、カメラは持ってきた?」
「はい。父が、せっかく飛んでいるのを撮るんだから大きいの持っていけって、一眼レフを貸してくれました。お蔭で荷物が重たくて」
リュックは大きなカメラが入っているせいで、いつも以上に膨らんでいる。それを、但馬さんは興味深げに見つめた。
「カメラ以外に、なにが入ってるのかな?」
「いつもと変わらないものですよ。お財布にお茶に、その他もろもろ」
「薬も?」
「入ってますよ、頭痛薬。必要ならいつでも言ってください」
私の返事に、但馬さんは微笑んだ。
「なるほど。……今日、ご両親も来れたら良かったのにね。ゆっくり見てもらえるチャンスだったのに」
「残念なことに、両親は
「んー、まあ大っぴらにしなければ、問題ないと思うよ」
おまんじゅうの差し入れと言ったら嬉しそうな顔をしたので、もしかしたら甘いモノ好きなのかもしれない。二人で並んで歩いていくと、大きな格納庫の前には、ブルーインパルスの機体が一列に並んでいた。だけど他の機体の姿はまだ見えない。たしか輸送機やヘリも展示されると聞いていたんだけど、変更になったんだろうか。
「地上展示の機体は、明日になってから並べるんだ。いまエプロンに出てきているのは、ブルーと展示飛行の予行をする機体だけ。一部を除いて、ブルーも予行が終わったらいったんハンガーイン、ああ、ハンガーインっていうのはここの格納庫に収納ってこと」
但馬さんは私が考えていることが分かったのか、後ろの格納庫を指さしながら説明してくれた。
「当日に展示する準備をするのって、大変そうですね」
ゲートが開くのは朝の8時。それまでに準備を終えるとなると、基地の人達はいったい何時から準備に取り掛かるんだろう。もしかして私の朝シフト並み?
「まあ、しかたがないね。ここも、24時間年中無休で
「あ、そっか。そういうお仕事にお休みはないですもんね」
「その点は、ほなみちゃんのお父さんと同じだね」
但馬さんはうなづきながら言った。
「それ考えると、丸一日基地を一般の人達に開放するのって、ものすごく大変なことなんじゃ?」
「そうとも言えるね。今日も明日も、なにごともないことを祈ってるよ」
「え、なにごとかあったらどうするんですか?」
「さあ、どうするんだろう。今のところ、そのタイミングでスクランブルになったことないから、なんとも言えないな。もちろん、明日も通常任務についているパイロットはいるから、なにかあっても対処はできるよ。だからその点は安心してほしい」
安心してほしいと言われても安心できそうにないので、特にこの二日間は何事もないように祈っておこう。
そうこうしているうちに、青いつなぎを着た整備員さん達とパイロットさん達が出てきて、ブルーインパルスの飛行前の点検が始まった。但馬さんのお蔭で良く見える場所に立つことができたので、そこでカメラをかまえる。
「但馬さん、ああいうのになりたいと思ったことはないんですか?」
ファインダーをのぞきながら、横に立っている但馬さんに質問をした。
「ああいうのって?」
「えっと、アクロバットする飛行隊のパイロットさん」
但馬さんが考えこむ気配が伝わってくる。チラッと見上げると、いつもの笑みを浮かべながら首をかしげていた。
「さてどうかな。いつか飛んでみたい気はするけど、今の自分の技量を考えると、そんな可能性を考えることすらおこがましい気がするよ。俺はまだシタッパのヒヨコだから」
「戦闘機を飛ばしているのにヒヨコなんですか?」
「そのとおり。尊敬する先輩の技量に追いつくのは、いつになることやら」
自分のことをまだまだヒヨコだと言っている但馬さんだけど、その表情からして、絶対にヒヨコのままでは終わらないぞって思っているのは感じられた。何年かして脱ヒヨコを果たしたら、但馬さんはどんなパイロットになるんだろう。ちょっと興味があるかな。
「ん? どうしたのかな? あ、ほら、そろそろウォークダウンが始まるよ」
そう言いながら但馬さんは、ブルーインパルスのパイロットさん達が整列している場所を、指でさした。
+++
夢中になって写真を撮っていたら、あっという間にすべてのリハーサルが終わってしまった。招待されている人は基地の関係者の人とお話をしたり、地上に戻ってきたそれぞれの機体の近くに行って、写真を撮ったりしている。明日は柵越しに離れた場所からしか見れないけれど、今日は少しだけ近くに寄って写真を撮ることが可能だ。
「意外と大きいですね、翼の下で雨宿りできそう」
私も、但馬さんが飛ばしているのと同じ機体のそばにいく。飛んでいるのを見ていた時には感じなかったけれど、かなりの高さだ。
「これでもF-15より小さいんだけどね」
「へえ……コックピットの位置もけっこう高いんですね、びっくり」
想像していたより大きな機体に驚きながら、見てまわった。但馬さんにあれこれ質問をしながら、地上に戻ってきた他の機体も見学させてもらう。説明の半分ぐらいは専門的なことで、理解するのは難しかったけど、それなりに面白くて自分的には大満足だ。
「どうだった? 説明しなれてないから、わからないことが多かったと思うけど」
「すごく面白かったです。ちょっとだけ、但馬さん達のお仕事について詳しくなった気分かな。写真も撮れたし、明日はゆっくり、飛んでいるところを自分の目で見ることに専念できます」
「それは良かった」
但馬さんは、ホッとした様子で微笑んだ。
「ところで、明日の航空祭って3時まででしたっけ?」
帰る時間になったので、ゲートに送ってもらう途中で確認をする。
「そうだね。その時間には、全員外に出てもらわないといけない」
「イベントとしては、意外と終わるのが早いですよね」
そのせいか、写真を少しでも撮るために粘って残る人も多いと聞いたことがあった。但馬さんは私の言葉に、微妙な笑みを浮かべる。
「うーん。もう少し遅くまで開放できないのかって、要望がないこともないんだけどね。なにせここは自衛隊基地だから。お客さんがいなくなった後も任務が続くわけだし」
「たしかに。24時間年中無休ですもんね」
「それと、意外と後片づけのほうが大変なんだ。その日のうちに所属している基地に戻る、機体を送り出すこともしなくちゃいないし、お客さん達が残していったゴミの確認にも時間がかかるしね」
「ゴミ? 忘れ物じゃなくて?」
忘れ物があるかどうか確認すると言うのなら分かるけど、どうしてゴミを確認するんだろうと首をかしげた。
「忘れ物の確認もだけど、ちょっとしたお菓子の包み紙や棒切れが、エプロンに残っていると大変なんだ。それを戦闘機のエンジンが吸いこみでもしたらね。俺が飛ばしているあの機体、一機いくらすると思う?」
「値段ですか? えーと……何十億?」
「百何十億。その機体のエンジンが、小さなゴミ一つでオシャカだ」
「ひぇぇぇぇぇ……」
明日は基地に入る前に、絶対にゴミを落とさないようにと、甥っ子姪っ子達に言って聞かせなきゃ。もし落ちているのを見かけたら、誰のかなんて関係なく素早く回収しておこう。百何十億が一瞬で壊れてしまうなんて、恐ろしすぎる。
「だから、3時に終了でも遅いぐらいかもしれない。その後のことを考えるとね」
私達が思っている以上に、後片付けは大変なんだなってことが、今の話で分かった。
「なるほど……明日は、忘れ物もゴミを出さないように気をつけますね!」
「お願いします……ああ、別に文句を言うつもりはないんだ。ただ、受け入れる基地側の現状が、どんなものか知って欲しかっただけで。気を悪くしたのなら申し訳ない」
「大丈夫です、変なところにゴミを置かれる腹立たしさは、私もよーくわかってますから!」
飲み残しを捨てる場所に、紙ナプキンを突っ込まれ続けたら私だってさすがに切れるもの。自分達の職場に、見知らぬ人達が捨てたゴミが散らばっていたら、いつもニコニコしている但馬さんだって、ムカつくよねって話だ。
ゲートに到着すると、そこでお礼を言って頭を下げた。
「今日はありがとうございました。明日もよろしくお願いします」
「お待ちしています。今日と同じ8時でいいかな?」
「はい。それで大丈夫です」
「じゃあ、8時に関係者用の出入口のほうでお待ちしています。小さい子もいることだし、慌てくても大丈夫だからね」
「はい!」
もう一度頭を下げると、但馬さんに見送られながら基地を後にした。
「とにかく、ゴミは絶対にダメってのを徹底しないと!」
うん、明日の見学はまずそこからだ。
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