第五話 僚機もやってきた
その日、
「おはよう」
「おはようございます。意外と多いんですね、夜勤」
「まだ下っ端だからね」
但馬さんの挨拶が、いつの間にか「おはようございます」から「おはよう」に変わった。それなりに常連さんとして、顔見知りになったという証拠かな。
「そうなんですか。あ、ご注文は?」
「タマゴトーストとコーヒーで」
「えーと、今、コーヒーのサイズアップキャンペーンをしてるんですが、どうでしょう」
「いつものサイズでお願いします」
「わかりました」
但馬さんは、いつものようにお金をトレーに置いた。その間もさりげなく表情を観察する。
―― 困った顔してるなあ…… ――
但馬さんはいつも同じメニューを頼む。キャンペーンでサイズアップになっても、新しいメニューが加わっても変わらない。そしていつもと同じ場所に座って、だいたい同じような時間をすごして出ていくのがパターン。つまり自分なりに、朝のルーチンが決まっているということだ。だから今日は同行者がいて、なんとなく落ち着かないんだろうなと勝手に解釈する。
「ちょうどいただきます。あちらの受取りカウンターでお待ちください」
「ありがとう」
「おはようございます~」
但馬さんが横に移動すると同時に、後ろの人がニッコリしながら挨拶をしてくる。
「お、おはようございます、いらっしゃいませ。店内でお召し上がりですか?」
「もちろん。あいつと同じやつでお願いします」
「分かりました。コーヒーのサイズアップはどうされますか?」
「じゃあせっかくだから、大きいのにしてもらおうかな」
「分かりました」
年は但馬さんより、ちょっと上な感じ。その人はお財布の中をのぞいて、軽く舌打ちをした。
「あ、俺、万札しかないわ。但馬、細かいのある?」
「だから細かいのありますかって、ここに来る前に聞いたじゃないですか」
「しかたないだろ、いつもの小銭入れを忘れたんだから。ちょっと貸しといてくれ」
「わかりました」
但馬さんが、ポケットにしまいこんだお財布を引っ張り出す。
「あの、一万円でもお釣りは御用意できますよ?」
「でも財布がパンパンになっちゃうからね。ってか但馬、五百円玉かよ、常連なんだろ? いつもみたいに、ピッタリな金額は出せないのか?」
「さっき払ったから、細かいのはそれしかないんですよ」
おつりを手渡すと、すまなそうに微笑んで受取りカウンターのほうへと戻っていった。
「ところで、どうしてコーヒーのキャンペーンを?」
「え?」
「
「いいじゃないか、気になるんだし。お客さんの疑問に答えるのも仕事のうちだと思うぞ。どうしてか質問してもいいかな?」
その人は、但馬さんの注意を気にする様子もなく質問を続けた。
「週明けに、コーヒーをいれる機械を新しくしたんですよ。その機械を導入したら、コーヒーが以前よりも美味しくなったとスタッフ内で評判なので、皆さんにも味見してもらおうということになったんです」
「なるほどね。但馬、そういうことだってさ。質問して良かったろ? お前、大きくしなくて良かったのか? いつものコーヒーが美味くなったらしいぞ」
「俺はいつものサイズで十分ですよ」
但馬さんはそっけない口調の返事をすると、トレーを持っていつもの席へと向かう。あまりのそっけなさに、思わず笑ってしまった。その人はやれやれとわざとらしく首を振る。
「まったく。先輩に対してなんたる言いぐさだって話だよねえ。年齢だって階級だって、俺のほうが上だっていうのに」
「夜勤明けで来店されるお客様は、皆さんもれなく不機嫌ですから。商品は受取りカウンターでお渡ししますので、そちらでお待ちください」
「ありがとねー」
―― この人、先輩さんなんだ ――
先輩さんが受取りカウンターに移動したところで、但馬さんが先輩さんのほうへと視線を向けた。そして小さく溜め息をつく。相手が先輩だから、迷惑してても面と向かって言えなくて我慢しているのかな。
―― 絶対に「なんであの人がついてきたんだろ」って顔してる…… ――
いつも穏やかな微笑みしか見せない人の意外な表情を見れて、ちょっとお得な気分かも。
そして但馬さんは、いつもよりちょっと長めの時間を店内ですごした。いつもなら目を閉じてのんびりとすごしているのに、先輩さんのおかげでそうもいかずに
―― 夜勤明けで、早く家で寝たほうが良さそうなのに、お気の毒 ――
それと先輩さんのせいで、自分の思うような時間をすごせなくて、ちょっと苛立っているようにも見えた。そんな二人の様子をもう少し観察していたかったけど、交替の時間が迫ってきたので日勤組のバイトと交代する。
「但馬さん、早く帰れたらいいんだけど」
ロッカーで着替えて外に出ると、驚いたことに但馬さんが立っていた。
「あれ?」
「ん? なにか?」
「いえ。先輩さんと御一緒じゃなかったのかなあって」
「ああ。あの人ならまだあそこにいるよ」
そう言って、但馬さんがお店のほうを指さした。店内からさっきの人が、こっちを見て手を振っている。
「なにしてるんですか? 一緒に帰らないんですか?」
「せっかくのモーニング
「お元気ですね。但馬さんと同じ夜勤だったんですよね?」
「慣れなのかもしれないな、これも」
「それでどうしたんですか? あ、まさか頭痛が……?」
「いやいや、そうじゃなくて」
背負っていたリュックをおろそうとすると、但馬さんが笑いながら否定する。
「本当に?」
「お陰様で、頭痛にはあれから襲われてないので」
「だったら良いんですけど」
じゃあどうしてここに?と首をかしげてみせた。
「あの人から逃げる口実になってくれると嬉しいかなと」
「逃げる口実、ですか?」
「なにも言わなかったら、そのまま一時間ぐらいは足止めされそうだから。ほなみちゃんを送っていく約束だからって言い訳して、店から逃げてきたんだ」
「それであんなニヤニヤした顔で、こっちを見てるんですか……」
但馬さんが振り返ると、先輩さんはニタッと笑みを浮かべて、片手でなにか手話みたいなことをする。それを見た但馬さんは、明らかにギョッとした顔をして首を横に振った。
「あの?」
「いや、こっちの話だから気にしないで」
こっちの話と言われても、私にはなんのことかさっぱりだったけれど。
「とにかくそういうわけだから、送迎してもかまわないかな」
「私はかまいませんけど、本当に良かったんですか? 先輩さんをほったらかしにして」
「勤務時間はもう終わっているからね」
だったらと、一緒に歩き出す。
「えーと、先輩さんとは一緒の戦闘機で飛んでるんですか? ほら、前と後ろに乗って~みたいな。でも但馬さんが乗ってるのって、一人乗りだったような気がしたんですけど」
なにか話すことはないかなと考えた末に、疑問に思っていたことを質問することにした。たしかテレビかなにかで見たF-2戦闘機は、一人乗りだったような気がしたからだ。
「別々の機を飛ばしているよ。俺と本城さん。ああ、本城さんていうのはあの人のことだけど、あの人とはお互いに
「りょうき……」
「任務中にチームを組んで飛ぶ、相棒ってやつかな。俺達は単独で飛行することは、めったにないんだよ」
「へえ……」
そう言われてみれば、飛んでいるのを見かける時はたいてい二機かそれ以上で飛んでいたような気がする。
「その本城さんがね、俺が夜勤明けのたびに、御機嫌な顔をして帰っていくのを不思議に思ったらしくて。それで今日は、無理やりついてきちゃったんだ」
俺はそんな顔してないのにとつぶやく。
「但馬さん、御機嫌どころか、今日はすっごい迷惑そうな顔してましたよ?」
「任務中ずっと一緒だったんだ、それが終わったら離れたいと思うだろ? なのについて来るんだから困った人だよ」
「僚機さんだからしかたないのでは?」
「たとえ僚機でも、勤務時間が終わったらさっさと離れたいってのが、正直な気持ちなんだけどね。プライベートな時間まであの人と僚機として飛ぶのは、勘弁してほしいかな」
溜め息まじりの言葉に疑問がわいた。
「もしかして嫌いなんですか、えーと、本城さんって人のこと?」
「まさか。本城さんのことは先輩として尊敬しているよ。でもそれとこれとは別の話ってやつだ」
それから但馬さんは黙り込んでしまった。しばらくして、なにか決心したような顔つきになって私のことを見下ろす。
「それとね。本城さんが言うには、夜勤明けのたびにこうやってほなみちゃんにお世話になっているんなら、来月の航空祭に御招待したらどうだろうって提案されたんだ」
「私、なにかお世話してましたっけ?」
「えーと、朝からさわやかなスマイル提供?」
但馬さんにしては珍しく、困ったような途方にくれたような表情を浮かべながら、言葉を続けている。
「自分としては、薬のお礼も兼ねてるんだけどね。来月の第二日曜日に開催される予定なんだけど、どうかなって。たしかその日はバイト入れないって聞いてたし」
「私、航空祭って行ったことないんですよ。すっごい人で酔いそうだから」
とにかく、たくさんの人が押し掛けてくることで有名な
「基地内の人間の招待だったら、一般では入れない場所の見学もできるし、避難できるスペースも確保されてるから、そこまで人の多さにうんざりすることもないと思うよ。ほなみちゃんの家族とかお友達とか、一緒に行きたい人がいるなら、その人達も一緒に招待してもかまわないんだけど、どうかな?」
甥っ子姪っ子達ならきっと喜びそうだ。だけど……。
「あの、うちの家族、両親はともかく双子の姉がいて、そこに声をかけると、おチビさん達がもれなく五人ほどついいてくるんですが、それでも大丈夫ですか?」
その質問に、但馬さんは少し考え込んだ。一人ならともかく大人以外に子供五人となると、招待するのにはちょっと
「おチビさん達ってことは小さいのかな?」
「五人とも学年はバラバラですけど、全員が小学生です」
「ってことは、将来は自衛官になたいとか言っている可能性もなきにしもあらず?」
「どうでしょう。今はお父さんと同じ警察官になるって張り切ってますけど、戦闘機や輸送機を見たら考えが変わるかもしれませんね」
「なるほど」
再び但馬さんは考え込んだ。
「あの、無理してもらわなくても。但馬さんにも都合があるでしょうし」
「いや、別に人数が多いのはかまわないんだ。ただ、小さなお子さんが楽しんでくれるような、見学コースがとれるかなと心配してるだけで」
「小学生五人ですよ? しかも保護者同伴込みだと、少なく見積もっても八人です」
かまわないと言われても、やっぱりいきなり八人が押し掛けるのは、いくらなんでも多すぎるのでは?と少し心配だ。
「航空祭の目的は、俺達空自の練度を見てもらうのもあるけど、広報活動も兼ねているからね。将来の自衛官候補の心をつかむ絶好のチャンスじゃないか。まとめて招待させてもらっても良いかな? 甥っ子さん姪っ子さんに対する、リクルート活動のために」
「でしたら、姉達にその日の予定を確認しますね。お返事はそれからでってことで」
「お願いします。それで、ほなみちゃんはどう?」
「まだなんの予定も入れてないので、うかがっていいですか? 姉達の予定によっては、私一人だけになるかもしれないですけど」
「問題ないよ。一人でも八人でも歓迎します」
「じゃあ、はっきりした人数は、次の但馬さんの夜勤明けにお返事しますね」
「了解しました」
そう言って、但馬さんはやっといつもの笑みを浮かべた。
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