第六話 遅刻しかけた!
当然のことながら、姉達の反応は私が心配していたとおりのものだった。
「ねえ、おねーちゃーん、もー切ってもいいかなあ? お風呂はいりたいんだけどー」
電話で話し始めて、すでに三十分近くがたっている。航空祭当日の予定を聞くだけで、五分もかからない要件なのに、なかなか電話を切るタイミングがつかめないでいた。明日も早朝からバイトだから、そろそろお風呂にはいって寝る準備をしたいのに。
『なんでよ、もっと詳しく聞かせなさいよ』
「だからー、聞かせることなんて本当にないんだってば」
『そんなことないでしょ? わざわざ航空祭に招待してくれるって、よっぽどよ?』
「だから最初の時の頭痛が、よっぽどひどかったってことなんじゃないの? 招待はお薬のお礼って、本人が言ってたんだから」
正確には「兼ねて」だけど。
『もーーーー、なんでほーちゃんてそんなにクールなの! 隠さないでおねーちゃんに洗いざらい話しなさいよ』
「クールとかそういう問題じゃなくて。それしかないんだものしょーがないでしょ! 何日かごとに、お店のカウンター越しに顔を合わるだけの人なんだから」
『それを信じろって言うの?』
「だって本当のことなんだもん」
そりゃあ今までに、二回ほど団地の敷地手前まで送ってもらった。
だけどそれはそれなりの理由があってのことだったし、
「とにかく。但馬さんと顔を合わせた時に起きたことは、洗いざらい話しました! じゃあね! 明日もバイトなんだからもう電話はおしまい! お風呂はいって寝るから!」
『あ、ちょっとっ……』
姉の返事を待たずに受話器を置いたとたん、またかかってくる。このタイミングからして、どう考えてももう一人の姉だ。これ以上は睡眠時間を削られてなるものか。
「もしもし、もーなにも話すことはないから! あまりしつこいと、おねーちゃん達への招待は取り消しちゃうからね!」
『ほーちゃんひどす……』
「じゃあお休み!」
問答無用で受話器を置く。溜め息をつきながら居間に戻る。
「携帯電話がテーブルの上で踊ってたぞ」
テレビを見ていた父が言った。携帯電話の着信履歴を見ると、後から電話をかけてきた姉のほうだった。家の電話で話しているんだから、こっちにかけてこられても出られるわけないのに、まったく困った姉達だ。
「家の電話と携帯電話、同時に出られるわけないのに。当分のあいだ、お姉ちゃん達の電話を着信拒否したほうが、平和な気がしてきた」
うんざりしながら母の横に座る。
「そんなことしたら、我が家の電話はずっと話中になってしまいそうだな」
「二人で交互にかけまくってきて大変なことになりそうだから、携帯の着信拒否はやめておいてくれる?」
両親は、
「二人とも、笑いごとじゃないんだからね。招待してもらうのはお父さんとお母さんだけにして、おねーちゃん達に声をかけるのやめておけば良かったよ」
いまさらながら、姉達に声をかけたことを激しく後悔している。あまりにしつこいようなら、先方の都合が悪くなったと言って断ってしまおうかな……。
「そんなことしたら、今の倍ぐらいの勢いで質問攻めになったんじゃないか? それこそ、二人でまた押し掛けてきたりしてな」
「そうなったら、おねーちゃんズはお父さんとお母さんに押しつけるもの」
「やれやれ。困った姉妹だね、お前達は。だがまあしかし、こうなると今回のご招待、俺と母さんは遠慮しておいたほうが良さそうだな」
「そうね」
父の提案に母がうなづく。
「え、どうして?」
「あの子達の様子からして家族全員がそろって出向いたら、相手さんへのプレッシャーが物凄いことになりそうじゃないか」
「おねーちゃんズだけでも、十分にプレッシャーだけど」
しかも双子のシンクロ技であれこれ問いつめられたら、さすがの但馬さんもたじろぐかもしれない。
「まずは、子供世代だけで会ってきなさい。親世代が顔を出すのは、もっと親しくなってからのほうが良いと思うわ」
「そうかなあ。広報活動に親世代子供世代って、あんまり関係ないと思うけど」
「俺達はどう逆立ちしたって、もう新しい自衛隊員になることはできないだろ? 広報活動やリクルート活動の主だったターゲットは、若い世代だ。若い世代の人間が来てくれたほうが、その人だって上からの評価につながるんじゃないか? ま、うちの孫たちは、ターゲットにするにはちょっと若すぎる気がするが」
父は真面目な顔をしてもっともらしいことを言っているけど、私の考えを先読みして、自分達が被害をこうむらないように先回りしたとしか思えない。
「そうなのかなあ……」
「ま、母さんと俺はこの機会に、温泉にでも行ってこようか」
「あら嬉しい。夫婦水入らずなんて久し振り」
父の言葉に母が嬉しそうに笑う。
「え、ずるーい! 私も温泉いきたい!」
「お前達は航空祭に行ってきなさい。温泉は俺と母さんで行ってくる。心配しないでも、おみやげは買ってきてあげるから」
「えー……ずるいなー、私も温泉のほうがいいなー……」
「またそんなこと言って。せっかくその人が招待してくれたのに、後から予定が入った温泉を理由に断るなんて失礼よ」
「わかってるけどさー……」
だっておねーちゃんズが一緒に行くんだよ? 両親というストッパーがいない状態で、大丈夫かなと今から心配。やっぱりここはなにか口実を見つけて、姉達には中止になったと言ったほうが良いだろうか? そう考えていると、メールの着信音が立て続けにした。送り主はもちろん姉達。
『子供達が楽しみにしてるって! 当日が晴れるように、テルテル坊主を作るって張り切ってます!』
『パイロットさんの話を聞くのを楽しみにしてるって。仕事で行けない旦那がすねてるよ!』
「おやおや、逃げ道をふさがれたか」
「先手を打たれたわね。残念だけど、温泉もキャンセル口実で断るのもあきらめなさい」
そのメールを読んで聞かせたら、両親はそろって笑い声をあげた。だから笑いごとじゃないのに!
+++++
「やばい! やばい! やばい!」
いつもは歩いていくお店までの道を、今朝の私は自転車で全力疾走中。
「もー、ぜったいにおねーちゃんズの電話で、夜の予定がずれこんだせいだよ! 今まで遅刻なんて、一度もしたことないのに最悪!」
昨日の夜、よせば良いのにお風呂から出て、ネットで
「だからイヤなんだよ、予定外の電話ってさあ! お給料ひかれたら、絶対におねーちゃんズに請求してやるんだから!」
それでも、なんとか慌てず制服に着替えることができる時間に、お店の敷地内に滑り込むことができた。
「おはようございます! 遅れてすみません!」
通用口から店内に飛び込むと、いつものように副店長が、開店前の電気のスイッチを入れているところだった。私が慌てて駆け込んできたのを見て、ちょっとただけ驚いた顔をしている。
「おはよう。
「え?!」
指摘されて、慌てて頭のてっぺんを手で押さえて撫でつける。
「大丈夫です、制服の帽子かぶったらお客さんには見えないですから! すぐに着替えてきます!」
「そんなに慌てなくても大丈夫よ。開店にはまだ時間があるし、お店の前にお客さんも待ってないから」
この時間のお客さんの一番乗りは、ドライブスルーを利用する長距離トラックのドライバーさんなことが多い。だから早めに出てくるのは、いつも鍵をあける副店長と調理場を任されているバイト君達で、レジ担当の私はそこそこ余裕がある。だけど開店前に、お店内に余計なものが落ちてないかとか、店内の紙ナプキンはちゃんと補充されているかとか、確認しておきたいことは意外と多いのだ。
「そう言えば、今日は長居さんの常連さんは来ない日?」
着替えて店内に出ると、副店長に声をかけられた。
「私の常連さんじゃなくて、お店の常連さんですよ。ここしばらくのパターンからすると、次にあのお客さんが来るのは、
但馬さんは、すっかり朝のバイト組に顔を覚えられてしまっていた。日勤組によると、昼間や夕方には来店したことはないらしい。つまり但馬さんは、朝限定の常連さんってことのようだ。
「もし他の時間帯で見かけたら、スマイルで迎えてあげてくださいね。気に入ってくれたら昨日みたいに、他の僚機さん達を連れてきてくれるようになるかもしれませんよ。これはまさに、売上げアップのチャンスです!」
「とはいうものの、長居さん以外の僕達がスマイルを向けても、あまり意味がないような気はするけどねー」
そう言ったのは、同じシフトに入っている
「そんなこと言ってないで、ちゃんと営業スマイルで迎えてあげてよね。売上げがアップされたら、私達の時給も上がるかもしれないし」
「ないない、そんなことないって」
若狭君は私の言い分に、笑いながら手を振った。
「そんなことあるよ。だって私の気のせいじゃなかったら、少なくとも朝の時間帯に、制服を着ている人の来店が増えたもの」
そうなのだ。今まで、昨日のように話しかけてきた人はいなかったけれど、但馬さんが来るようになってから、店内で航空自衛隊の制服を着ている人が、目につくようになった。最初はたまたまなのかと思っていたけど、間違いなくお客さんとして、航空自衛隊の人が増えている。
「いやだから、それは絶対に長居さんのことを見に来てるんだと思うよ。他のバイトの話によると、その人達って朝しか来ないみたいだから」
「なんで私を見に来るの?」
「なんでって……」
若狭君は困ったような顔をして、副店長のほうを見た。
「なんでそこで、副店長のほうを見るの?」
「え? さあ、なんでだろう……とにかくさ、長居さんが朝のシフトから抜けたら、その人達は絶対に来なくなると思うんだ、残念だけど」
「え、それって私に、ずっと朝のシフトに入ってろってこと? 学校が始まったら、どう考えても無理だよ」
「わかってるって。だから今の朝の時間帯の売り上げ上昇は、一過性のものだって言いたいわけ。従って俺達の時給は、残念ながら当分は据え置きで変わらないと思います」
若狭君の言葉に、その場にいた副店長とバイト君達が
「さて、お喋りはこれでおしまい。開店時間よ、準備は良い? そろそろお客さんを迎える気持ちに切り替えて」
「はーい。今日もよろしくお願いします!」
そして今日も、朝のバイト時間がスタートした。
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