第二十四話 メンテナンス大事

 今年最初の映画デートの日、待ち合わせ場所に行くと、すでに但馬たじまさんが私のことを待っていた。


「お待たせしました!」

「俺も今ついたところだから心配ないよ」


 待ち合わせには五分前につくように心がけているけど、但馬さんはいつも私より先にいて待ってくれていた。いったい、どのぐらい前に待ち合わせの場所に来ているんだろう? それも気になるけど、今の私にはもっと気になることがあった。


「……」

「なに?」

「但馬さん、いま肩こってるか頭が痛いか、どっちかじゃないですか?」

「え?」


 私の言葉に但馬さんが目を丸くする。本人はバレてないと思っていたかもしれないけど、私にはわかる。この顔は間違いなく、肩こりか頭痛の顔だ。


「隠してもムダなので、正直に言いましょう」

「ほなみちゃん、気にしすぎじゃ? それよりマフラー、使ってくれて嬉しいな」

「たーじーまーさーん?」


 話をそらそうとしてもダメですよと、ちょっと怖い顔をして相手の顔を見つめる。但馬さんは、どうやって私を誤魔化ごまかそうかと考えているみたいだ。だけどすぐにあきらめたみたいで、小さな溜め息をつく。


「まったく、ほなみちゃんは鋭いな。職場では、誰にも気づかれたことがないのに」

「それはまあ、但馬さんに対する愛情の差じゃ?」


 自分でそう言ってから恥ずかしくなって、その場でジタバタすると但馬さんが笑った。


「愛情の差と言われちゃ、こっちも文句は言えないな。だけど本当に大丈夫だよ。頭が痛いとか目が痛いとかだったら、さすがに俺も言っただろうし薬を飲む。いま感じているのは、単なる肩のこりだからたいしたことないよ」

「映画の後の予定が決まりました!」


 ジタバタから復活してそう宣言をする。


「どういうこと?」

「今日は映画の感想会の前に、但馬さんの肩こりをなんとかしましょう! あ、治療費は但馬さん持ちだけど!」

「ええ?」


 私の宣言に、但馬さんは困惑の表情を浮かべた。


「うちの父親の職場で、評判になっている整体院があるんですよ。そこ、公務員の労災もきくところで、自衛隊さんもOKだって言ってました。もちろん、父親もお世話になったことがあるところですから、心配ないですよ」

「ほなみちゃん、そこまで酷くないんだよ、俺」

「でも、けっこうな頻度ひんどじゃないですか、肩こり。機械だけじゃなく人間もメンテナンスしなきゃ。今から、四十肩とか五十肩になっちゃったらどうするんですか。ちゃんと操縦できなくなったら困るでしょ?」


 肩こりの頻度ひんどに関しては自分でも自覚があるのか、少しだけシュンとなる。


「俺、そこまで年とってないんだけどな」

「知ってました? 四十肩って、二十代や三十代の人でもなるんですよ」

「くわしいね」

「但馬さんの肩こりを心配していたら、いつのまにか知識が増えました」

「それは申し訳ない」


 但馬さんは、ますますシュンとした顔になった。


「とにかく、私のためだと思って一度、てもらってください。そこでなんともないと分かったら、もうなにも言いませんから」

「ほなみちゃんのためと言われたら、断れないじゃないか。わかった。まあ、自分でもなんとかしたいと思ってるから、行ってみるかな。だけど、まずは映画が先だからね」

「わかってます」


 映画館に向けて歩き出すと、但馬さんが私がしているマフラーに触れる。


「それで話を最初に戻すけどマフラー、使ってくれてありがとう」

「こちらこそありがとうございます。すごくフワフワで肌触りもいいし、友達からもほめられました」

「そう? それは良かった」


 ニコニコしながら私が巻いているマフラーをなでているその手には、私がプレゼントした手袋がはめられていた。


「……」

「どうかした?」

「但馬さんも手袋してくれてるなって」

「基地にもしていってるよ。なんとなく、ほなみちゃんと一緒に通勤しているみたいな気分になれていいね」


 但馬さんは嬉しそうに笑う。


「使ってもらえて良かったです」

「こちらこそ」


 どうかしたって質問されて、とっさに目についた手袋のことを口にしたけど、実のところ私はまったく別のことを考えていた。但馬さんの指、けっこう長いなとか、マフラーにしているみたいになでられたらどんな感じかなとか。


 私の頭はクリスマス前の〝プレゼントは私〟がずっと頭に残っているみたいだ。これはちょっと困りものかも。


「ほなみちゃん?」


 私が黙り込んでいるので、但馬さんが不思議そうな顔をする。


「どうせならコックピットの中にも、入れてもらえないかなって思ったりして」

「残念ながら、私物の持ち込みは原則禁止だよ。一緒に乗りたいなら、それこそ入隊して資格をとるしかないね。そうしたら、複座で後ろに座ることぐらいならできるかも」

「そっか。ざんねーん」


 但馬さんはそんな私の言葉に笑ったけど、もしかしたらバレてたかな?



+++++



 父親いわく、消防士さん御用達ごようたしなだけあって、待合室にいる人は顔も体つきもいかつい人達ばかりだった。そんないかついお兄さん達と並ぶと、但馬さんて意外と小柄だったんだなって改めて感じた。


「予約してないのに、いきなりてもらえるなんて」

「いやいや。長居ながいさんには長年お世話になっているから。あちらの御紹介なら、これぐらいの便宜べんぎははかるよ。若いのではなくて、こんな御隠居ごいんきょさんで申し訳ないけどね」


 但馬さんをてくれることになったのは、整体院をここに開業したお爺ちゃん先生だった。仕切りの向こう側にある診察台では、若い先生達が消防士さんに施術せじゅつをしている。ああいうことをする前に、きちんとその人の状態をチェックするのが、お爺ちゃん先生のお仕事なんだとか。


「いきなり、ぐりぐりするんじゃないんですね」

「もちろん。うちは病院だからね」


 私は、先生がどういうことをするのか見せてもらうことにした。最初に首とあごのあたりを触ってから、但馬さんに診察台の上でうつ伏せになるように指示をする。そしてその背中を、慎重に押しながら触診みたいなことを始めた。


「ふむ。特にかみ合わせが悪いとか背骨が曲がっているとか、そういうのはなさそうだ。その点は、実に健康的な骨格だね、君は」


 先生が感心したように言う。


「そういうのも関係あるんですか?」

「もちろん。どこかが曲がっていると、体のバランスを保とうと無理な力が入るからね」

「へえ……」

「若い消防士さん達にもよくあることなんだけど、無意識に歯を食いしばったりして、変なところに力が入っているのかな。りきみすぎは良くないね」


 但馬さんの肩を触っていた先生が言った。


「そんなにりきんでいるつもりはなかったんですが」

「ここに初めて来る若い人は皆、そう言うよ。だけど体は正直だ。ここなんてカチカチだろ?」


 先生が肩の筋のあたりをつまむと、但馬さんが痛そうに顔をしかめる。


「君、パイロットなんだよね? 自分の仕事に重圧を感じているだろうけど、もうちょっと肩の力を抜いて仕事をすることを覚えないと、長続きしないよ?」

「ここにはパイロットさんもくるんですか?」

「たまにね。アメリカの戦闘機パイロットさんも何人か来ているかな。どちらかというと、肩こりより首に問題を抱えている人が多いね。スピードの出るものに乗っていると、やはり首にかなり負担がかかるらしいから」

「へえ……そうなんですか? 但馬さん」


 うつ伏せになっている但馬さんに質問する。


「たしかに戦闘機パイロットは、頸椎けいついのヘルニアになる人が多いとは聞いたことがあるな」

「君の場合、それらしい兆候はないみたいだけど、指先の痺れやだるさを日常生活で頻繁ひんぱんに感じるようなら、ちょっと考えないとね」

「今のところはないですね、それは」

「先生、これって私にもできますか?」


 先生が但馬さんの首のあたりを触れている様子を見ながら、先生に質問をした。


「整体師の資格を取りたいのかい?」

「そうじゃなくて。お家でする肩もみの参考に」

素人しろうとさんが施術せじゅつをマネするのは、おすすめできないよ。だけどそうだな、お父さんの肩たたき程度のことなら、アドバイスしてあげられると思う。ただし、あくまでも力は緩めにを心がけること。首筋をする場合は、特に注意が必要だ」


 そう言いながら先生が、但馬さんの首をもむと、但馬さんがさらに顔をしかめる。


「ほんとに痛そう……」

「うん、痛い」

「だろうね。今日は初診だから、本格的なことはしないでおくよ。もみ返しが起きたらそれこそ大変だから。なにか異常を感じるようなら、本格的に施術せじゅつを受けることをおすすめするよ。今のところは、普通にマッサージしてもらうお店で問題ないと思うがね」

「ありがとうございます。もし今後そういうことがありましたら、そうさせてもらいます」

「ああ、ちょっとそのままで。長居さんのお嬢さんに、どのへんをもみほぐすと良いか教えるから」


 起き上がりかけた但馬さんを先生が制止した。


「え? あの?」


 先生の言葉に但馬さんが慌てた声をあげる。


「はいはい、そのままおとなしく横になってて。この人の場合は、このへんが特にこっている。だから、ここらあたりをもみほぐすといいだろう。ここ、硬くなっているのがわかるかな?」

「……なるほど、たしかに他のところより硬いですね」


 先生が手で押したところを触ってみた。たしかに、板でも入っているかなって思うような硬さだ。


「だが、最初から強くやらないように。素人がしても、もみ返しはあるからね。毎日してあげられるなら話は別だが。だから、あくまでも優しくほぐすのを意識して。手をここに当てて押し広げるような感じで。それだけでも、本人はかなり楽になると思うよ」

「なるほどー……」


 先生がして見せてくれたのを見よう見まねでやっていると、但馬さんがウーンとうなる。


「あ、ごめんなさい、痛かったですか?」

「……いや、大丈夫」


 それからしばらくして、私達は整体院を後にした。但馬さんは待ち合わせの時に比べて、かなりスッキリした顔をしている。


「どうでした?」

「ちょっとだけしてもらったのに、随分と肩が軽くなったよ。ここしばらくの間で、一番軽いかも」


 そう言いながら、肩をぐりぐりと回してみせた。つまり但馬さんの肩は、本当にカチカチだったということだ。お節介でも無理やりに誘って良かったかも。


「それは良かったです。余計な出費をさせちゃって申し訳なかったですけど」

「いやいや。ここまで軽くなって初診料だけですませてもらえたんだ、逆に申し訳ないのはこっちだよ。本当に良かったのかな?」

施術せじゅつはしてないから問題ないって言ってたから、大丈夫だと思いますよ。それより私のほうこそ、先生に受講料払わなくちゃいけなかったんじゃないかなって、気はしてますけど」


 あれからしばらく、先生は但馬さんをお手本にして、私に簡単なマッサージの方法を教えてくれたわけだし。


「これも、ほなみちゃんお父さんのお蔭かな」

「そうですね。ここを教えてくれた父親にお礼を言っておきます。いい先生で良かった」


 そう言ったとたんに、私のお腹が盛大に鳴った。


「あ、ごめんなさい」

「いつもだったら三時のおやつをしながら、映画の感想を話し合ってた時間だったからね。この時間だと、早めの夕飯にしてもいいかな」


 時計で時間をたしかめた但馬さんが、そう言って首をかしげる。


「但馬さんが良ければそれで」

「了解した。ところでほなみちゃん」


 歩きながら但馬さんは、いつもの調子で話を続けた。


「はい?」

「明日は土曜日だから、休みなんだよね?」

「そうですよ」

「バイトも入ってなかったよね?」

「はい」


 最近は映画デートのこともあるので、私も但馬さんも、それぞれの休みの日だけはお互いに知らせあっている。だけどなんでいまさら?


「だったらさ、晩飯の後うちにきて、さっきのメンテの続きを頼めるかな?」

「メ、メンテ?」


 私の引っ繰り返った声に、但馬さんが苦笑いした。


「だって、俺一人じゃ、肩もみできないし」

「それはまあ、そうでしょうけど……」

「それに」

「それに?」


 但馬さんが悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべる。


「この状況、ほなみちゃんのせいだと思うんだけどなあ」

「なんで?!」

「さっき、思いっ切りさわられたからね。ほんと、うつ伏せで良かったよ」

「……それってどういう」


 その顔からして、何があったのか質問するまでもないような……?


「それに良い機会なんじゃないかな?」

「な、なにがですか?」

「待ち合わせの場所で俺がマフラーをさわった時、俺にさわられたらどんな感じなんだろうって、考えてただろ?」

「え?!」


 やっぱりバレてた?! そんな私の顔を見て、但馬さんがおかしそうに笑った。


「やっぱり。俺としては2月に、チョコのかわりにほなみちゃんをくださいって言いたかったんだけど、まあこれも臨機応変りんきおうへんてやつかな」

「但馬さんのほうこそ鋭すぎるんじゃ?」

「そう?」


 呑気に笑う但馬さんの横で、お母さんにどう電話したものかと考える。実家住みは気楽だけど、こういう時だけは考えものだよね……。

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