第二十五話 初めてのお泊り

「ほなみちゃん? それ、ちょっと巻きすぎじゃ?」

「……」

「おーい?」

「!!」


 但馬たじまさんの声に、ハッと我にかえった。目の前に座っている但馬さんに目をむけると、私が手にしているフォークを指さして笑っている。そこにはパスタが、口に入りきらないぐらい巻きついていた。


「うわあ……」

「いくら明太子スパゲッティが大好物でも、さすがにそれを一口で食べるのは、無理があるんじゃないかな」

「ですよねえ……」

「さっきから心ここにあらずって感じだね。大丈夫?」

「大丈夫だと思います。……多分」


 あらためてフォークにパスタを巻きつける。


「あの、お聞きしたいんですけどね」


 フォークをくるくる回しながら、但馬さんに話しかけた。


「ん?」

「但馬さんはどうだったんですか?」

「どうだったって?」

「えーと、その、初めての時……」


 チラッと視線を上げると、どうだったなあと首をかしげている。


「そりゃ緊張したさ。今まで見上げるしかなかった場所で自分が飛ばすんだ。緊張しないほうがおかしいだろ?」

「私が聞きたいのは、飛行機の話じゃなくて」

「ん?」


 但馬さんは、無邪気なニコニコスマイルを浮かべた。だけどそのニコニコスマイルで誤魔化ごまかそうとしても、私には通用しない。その顔、絶対にわかっていて、とぼけている顔!


「初めて飛んだときは爽快そうかいだったよ。自分が担うことになるものが、とても重たいものだとわかっていてもね」

「但馬さーん……」

「いや、冗談で言ってるわけじゃないんだ。それと同じことだと思うんだけどな」

「ほんとに? どのへんが?」


 絶対に私のことをからかっているだって思っていたけど、どうやら違ったようだ。


「あれこれ考えこむより、まずは飛んでみろってやつ。もちろん、ほなみちゃんにとって、特別な日であってほしいけどね」


 そう言いながら、首をさらにかしげる。


「で、実際のところ自分はどうだったかなって考えてみたけど、年頃の男の子なんて、似たようなものだと思うな」

「そうなんですか?」

「うん。そのことで頭がいっぱいで、その時どうだったかなんて、あまり覚えてないってのが正しいかも」


 そしてニッコリと微笑んだ。


「それよりも、初めて自分で操縦桿を握って飛んだ時のことのほうが、鮮明に思い出せるかな。空の色とか、その時の空気のにおいとか、風とか」


 但馬さんは、少しだけ懐かしそうな顔をする。


「でも、それとこれとは違う気が」

「ま、少なくとも俺はそうだったって話。俺は、先輩パイロットみたいに武勇伝をほこれるほど経験豊富じゃないから、言えるのはこんな感じでしかないよ。それとね、ほなみちゃん」


 但馬さんが、また私の手元をさす。


「はい?」

「また巻きすぎ」

「え」


 手元のフォークに視線を戻すと、そこにはさっきより大量のパスタが巻きついていた。


「しまった……」

「すごいスピードで巻いてたよ。護衛艦のいかりの巻き上げも真っ青だったな」


 そう言って笑う。


「もー! 但馬さんがその話をやめてくれないと私、いつまでたっても、パスタが食べられないじゃないですか!」

「ひどいなあ。話をふってきたのは、ほなみちゃんのほうじゃないか。俺はその質問に答えただけなのに」


 但馬さんは、ちょっとだけ傷ついたふりをしてみせた。だけど、本気で悲しんでいるわけじゃないのはわかる。だって、しっかり目が笑っているんだから。


「ところで、武勇伝を持ってる先輩さんって、本当にいるんですか?」

「ん? そっちの話をしたら食べられないんじゃ?」

「自分に関わってこない話なら、問題ないですよ」


 それにちょっと興味もあるし。


「妻子持ちになったら、だいたいは落ち着くらしいんだけどね。それまでは、けっこう派手に遊んでいるパイロットは多いらしい。らしいっていうのは、あくまでも伝聞てやつで真偽しんぎは不明ってことだから」

「たとえばどんな武勇伝?」

「そうだなあ……取材にきたテレビ局の女性を、その日のうちにロックオンして結婚したとか。あとは出会ってすぐに、相手の女性を官舎に引っ張り込んだとか」

「わー……但馬さんはそういうのはないんですか?」


 そんな話、小説の中だけのことだと思っていたから正直いって驚いた。それと比べると但馬さんって、すごく紳士的なパイロットってことなんだろうか?


「俺は、本城ほんじょうさんに朴念仁ぼくねんじんて呼ばれる時点でお察しだろ?」

「つまりは、真面目で紳士的な人ってことですよね」

「そう言ってくれるとありがたいね」


 ちょっとだけ気分がまぎれて、やっと食欲が戻ってくる。そんな私に但馬さんは、別の分野でのおかしな武勇伝の話を聞かせてくれた。


 アメリカとの合同演習で、笑いながら相手をキルコールしたパイロットさんの話とか、パイロットになるための学校に入る実技試験で、いきなりアクロバット飛行をしたパイロットさんの話とか。まさに現実は小説より奇なり、なものばかりだった。



+++++



「それで、家にはちゃんと連絡入れた?」


 お店を出て但馬さんの部屋に向かう途中、コンビニに立ち寄って、お泊りに必要なものを買った。そしてコンビニを出たところで、但馬さんが確認をしてきた。


「入れましたよ」

「メールじゃなく?」

「但馬さんちにお泊りをさせてもらうって、ちゃんと電話で母親に言いました。もーめちゃくちゃ気まずかったですよ……」


 母親はあっさりと〝あ、そう。但馬さんによろしくね〟と言っただけ。でもそれが逆に気まずくて、自分史上一番はずかしい時間だった。


「そんなに?」

「そんなになんです!」

「なにか言われた?」

「言われないから気まずいんじゃないですか」


 本当は友達の家に遊びに行くという口実で、本当のことは言わないでおこうと思っていた。だけど、それにNOを出したのは但馬さんだった。私だってもう二十歳の大人なんだから、そこまできっちり親に報告しなくても問題ないじゃない? そう思わなくもなかったけれど、但馬さんの考えはそうじゃないらしい。


「大事なお嬢さんを一日あずかるんだ。きちんと連絡を入れておいてもらわないと」

「だったら、但馬さんが電話してそう言えばいいじゃないですか。あずかるのは但馬さんなんだし」

「そんなことをしたら、お父さんが緊急発進して飛び出してくるんじゃないかな?」


 そう言って、但馬さんは笑った。


「まあ、たしかに飛び出してくるかも……」

「ほなみちゃんからお母さんに連絡を入れてもらったほうが、俺にとっては安全だ。お母さんなら、お父さんのあつかいに慣れているだろうしね」

「父親にも言ったのかなあ……」

「さあ、どうだろうね」


 明日、家に帰ってからが憂鬱ゆううつだ……。


 但馬さんちにお邪魔したところで、落ち着かない気分が戻ってくる。この前お邪魔した時は、まったくそんなこと感じなかったのに。そりゃあ、あの時と今回では、まったく事情が違うけど。


「ああ、そうだ。あの時にもらったマグカップ、使わせてもらってるよ」


 電気をつけて、エアコンのスイッチを入れながら但馬さんが言った。その声はいつも通りだし、そのニコニコスマイルも普段とまったく変わらない。その様子は、私がこうやってお邪魔することはしょっちゅうで、べつに特別なことじゃないという感じだ。


「お茶でもいれようか?」


 私の顔を見た但馬さんが微笑む。


「あ、はい、ごちそうになります」

「イヤなら、無理に進めなくていいんだからね」


 そう言いながら、キッチンへと向かった。


「でもそれじゃあ、但馬さん、がっかりでしょ?」

「そりゃあ、がっかりかな。だけど、ほなみちゃんがその気にならないのに、始めるわけにはいかないからね。せっかくの初めての日なんだ、お互いに大事にしたいだろ?」

「でもあれこれ考えこむより、まずは飛んみるべきなんでしょ?」


 但馬さんがお店で言った言葉を口にする。


「俺と飛んでみる気はあるのかな?」

「がんばります、ちょっと怖いけど」


 怖いだけじゃなくて、未知の領域に対してわくわくする気持ちがあるのも事実だ。それに但馬さんが一緒に飛んでくれるっていうなら、大丈夫なんじゃないかな、とか。


「じゃあ、まずはお茶でも飲んで、気分が落ち着いたらお風呂にはいっておいで。そうすれば、少しは落ち着くだろうから」



+++



 しばらくして先にお風呂を使わせてもらった私は、おこたに足を突っ込んでテレビを見ていた。だけど、但馬さんがたてるお風呂場の音が気になって、テレビの内容がまったく頭に入ってこない。


「離陸準備はできてるかな、ほなみちゃん?」


 そうこうしているうちに、お風呂から出てきた但馬さんが隣に座った。そして私の顔をのぞき込んでくる。


「まーーーったくです。覚悟が決まるのを待っていたら、あっという間に百年ぐらい経っちゃいそう」

「それは大変だ」

「あの、イヤってわけじゃないんですよ」

「わかってる。だったら俺が頑張って、ほなみちゃんをその気にさせないとね」


 但馬さんの手が頬にふれた。少しだけ引き寄せられて唇が重なる。


「空戦の基本はね、卑怯なようだけど不意打ちなんだ」

「?」


 いきなりの言葉に、頭がついていけずにポカンとなった。


「どういうこと?」

「つまり、相手より先にターゲットを見つけて、気づかれる前に攻撃をする。つまり、前にしたキスはそれだね」

「なるほど。じゃあ、今のは?」


 今のは、少なくとも不意打ちじゃなかったと思う。


「映画的に、相手が見える状態の空戦は盛りあがるよね。だけど実際の当人同士は、相手の後ろをとろうと必死に飛んでいるだけなんだ。意外と空戦て地味だろ?」

「つまり?」

「つまり、ほなみちゃんは俺にとって、やっぱり手ごわい相手だってことさ。不意打ちを二回しかけたけど、簡単には落ちてくれなかったわけだし、今だって後ろをとろうとしても、なかなかとらせてくれないし」


 但馬さんは立ち上がると、私の手を取って引っ張りあげた。


「でも私、経験値はゼロに近いんですよ?」


 私にある経験値は、はずかしながら但馬さんとの三回のキスだけだ。そんな私の、どのへんが手ごわいんだろう。


「そんなの関係ないよ。いや、もしかしたら関係あるのかな。ほなみちゃんは予想外の動きばかりで、俺は振り回されっぱなしだからね」


 そう言って笑う但馬さんに、ベッドのある部屋へとつれていかれた。


「こっちで?」

「当然。まさか、こたつの横でとは思ってないだろ?」


 但馬さんはいつものニコニコスマイルを浮かべながら、私のことをベッドに押し倒す。あおむけに倒れ込んだ私は、但馬さんの顔を見上げる態勢になった。その顔に浮かんでいるのは、いつもとはちょっと違う雰囲気のスマイルだ。


「ほなみちゃんをその気にさせるには、なにが必要かな。俺は口下手だから、甘い言葉なんてささやけないけど」

「試しに色々と試してみては? 甘いかどうかは私が決めるってことで」

「なるほど。ますますアグレッサーっぽいね。俺がすることに、赤ペン片手にダメ出しするってことか」


 おおいかぶさってくる但馬さん。いつなく近い男の人の体を意識して、心臓がドキドキしはじめる。


「今のところは問題ないみたいですけど?」

「ほなみちゃんにそんな余裕があるようじゃ、俺はまだまだってことだよな」

「え……?」


 但馬さんのいつものスマイルが変わった。これってもしかして、ドSのスマイルってやつ?


「これまでは勝ち越されていたわけだし、ここは一気に形勢逆転でキルコールしないと、空自パイロットとしての面目めんもくがたたないよね」

「えーと、そうなのか、な?」

「じゃあ、まずは離陸の準備をしようか。いわゆる飛行前の点検てやつだ」


 そして但馬さんは、言葉のかわりに指と唇を使って、甘い言葉を私にささやきはじめた。やがてお互いをへだてていたものがなくなるころには、但馬さんの甘いささやきで、私の体も心は完全にとろけてしまっていた。


「どう? 飛ぶ気になれそう?」


 体の中で小さくなにかが爆発したような衝撃しょうげきが起きた後、私が落ち着くのを待っていた但馬さんがたずねてくる。


「まだ飛んでないのが、不思議なくらいかも……」


 私の言葉に、但馬さんがニッコリと微笑んで私の頬を指でなでた。それだけで、落ち着きかけた心臓がふたたびドキドキしはじめて、体が熱くなる。それは但馬さんにも伝わったみたいだ。


「そっか。じゃあ、そろそろ本格的なフライト、してみようか?」


 そう言いながら但馬さんは、私の体を引き寄せた。

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