報酬はその笑顔で
鏡野ゆう
本編
第一話 何度目かの記念日
「今回の不在は長かったよな」
司令が乗っている輸送機が着陸体勢に入ったのを見上げながら、
「長かったといっても、たった三日だろ? そのうちの一日は公務だ」
「それはそうなんだが。司令が冬期夏期休暇以外の休暇で、二日以上ここを不在にするって珍しいからさ。ああ、でも式典出席とは別に、三沢の飛行隊を視察したんだっけ?」
「向こうの飛行隊は、俺達が近々来るのかって
「まったく。休暇なのに仕事熱心なんだよな、うちの司令は」
そこで会話は終わった。輸送機が着陸してタキシングを始めたからだ。
今回の司令の出迎えは、隊長である自分と飛行班長の沢霧。他の連中も来たがったが、それだけは勘弁してくれと言われていたのであきらめさせた。前任の
「お帰りなさい、榎本一佐」
輸送機から降りてきた一佐を敬礼で出迎える。一佐は、俺と沢霧を見てかすかに溜め息をついた。その表情からして、他の連中の出迎えは無用だと念押しした時に、俺達も出迎えをひかえるだろうと期待していたのだろう。だがそこは、あえて察しないふりをさせてもらった。
「出迎え、ご苦労」
立ち止まることなく歩き始めた一佐の横に並ぶ。元アグレッサーの榎本一佐は、教導中の事故で片足の膝から下を失くし義足だ。だが、歩く姿を見てそうだと気づく人間は少ない。事情を知っている自分ですら、本当に義足なのかと疑いたくなるような自然な歩き方をされていた。
そして現在は、自分で操縦桿を握ることはほとんどないが、時間があればイーグルの後ろに乗り込み、訓練の視察もされていた。退官がすぐそこまで迫っているとは思えないタフな人だ。だからこそ、俺達は榎本司令のことを尊敬している。全員がアグレッサーとして、一佐のもとで飛ぶことができて本当に良かったと、心の底から思っているのだ。
「俺が留守の間に、なにか変ったことはあったか?」
「いえ、特にこれと言って」
そう返事をした俺の横で、沢霧がなにか言いたそうな顔をした。その表情は「さっさと話せよ」と言っている。
「ああ、そう言えば。昨日、ここの飛行隊と訓練をしました。そろそろ
「あいつのことだ。張り切りすぎたんだろ?」
俺の報告に、司令が愉快そうな顔をした。何度も訓練を見ているのだ、草薙の性格はお見通しということか。
「黒星でもつけられたか?」
「いえ。そこは問題なく相手をショットダウンしました。ただ、少しばかりやりすぎたようです」
沢霧が「あれが少しかよ」と呟いたが、聞こえないふりをする。だが、地獄耳の司令は沢霧のボヤキに気がついたようだ。面白がっている様子で俺に目を向けた。
「なにか言われたのか?」
「お互いに
「ほう? あっちはなんと?」
「へこみすぎて、うちの若いモンが使い物にならなくなったらどうするんだと、飛行隊の
司令はニヤッと笑う。
「こっちに手加減をしろってことか?」
「どうでしょう。手加減しろとは言われていませんが、ここ最近の教導は、厳しすぎるのではという指摘はありました」
「お前はどう思う?」
「特に厳しいとは思いませんが。今回に関して言えば、草薙が少しばかり張り切りすぎたという点は、認めるところですが」
沢霧が目をクルリとさせて空をあおぐ。沢霧からしたら、草薙は少しばかりか大いに張り切りすぎだったらしい。
「常に自分達と互角のパイロットが来るとは限らない。相手がこっちのパイロットの技量を見て、手加減をしてくれるとでも思っているのか?」
「では今まで通りで」
司令がうなづいた。
「それでいい。我々の任務は、パイロットの技量を引き上げることだ。教育隊のように、飛び方を教えているわけじゃないからな」
「草薙にはなんと?」
「特に
「分かりました。司令、自宅までの車はいつもの場所で待機しています」
一佐の休暇は今日までだ。今日は基地司令に帰投の報告した後、このまま自宅に戻ることになっている。
「わかった。……ああ、それと。これを渡しておく」
そう言って一佐は、俺に持っていた大きな紙袋の一つを差し出した。
「うちの機長から
「ありがたくちょうだいします」
「それとだ、但馬。俺の部屋で待っていてくれ。帰る前にちょっと話がある」
「了解しました」
+++++
「ただいま」
自宅に戻ると、妻と子供達が顔をのぞかせた。
「おかえり! ちょうどおでんがいい具合に煮つまったところだよ。ナイスタイミング」
「それは良かった」
妻の言葉にニッコリと応じる。
「これ、司令の奥様から君にって」
司令の部屋で渡された紙袋を、妻に渡した。
「わー、お菓子がこんなにたくさん! いいの?」
「ああ。ただし大っぴらに言わないようにな。どうやら奥様からの、個人的なことづけみたいだから」
「うん、わかった。じゃあ着替えてきて。ご飯にしよ!」
制服を脱いでいると、娘と息子が連れだって部屋に入ってきた。
「どうした? お母さんの手伝いをしてあげなくても良いのか?」
「あのね、お父さん、今度の航空祭で飛ぶ?」
こちらの問い掛けを無視して娘が質問をする。小松基地の航空祭は、再来週の日曜日だ。年に一度のイベントとあって、他府県からも大勢の人達がやってくる。その人数はかなりなもので、この日だけで小松市の人口は、普段の倍以上になると言われていた。
「さあ、どうかな。どうして?」
「友達のお父さんが、
基地内の飛行隊は、通常の任務と訓練とは別に、航空祭の展示飛行で見せる飛行の訓練を始めている。平日だというのに、見ている人はいるものなんだなと変なところで感心してしまった。
「だったら、ガメラは飛ぶってことかな」
「パパが飛ばすの?」
「さあどうだろう」
「どっちーーー?」
娘は俺の
「パパがガメラで飛ぶの?」
「そういうことは、その日まで詳しく話せないって言ったろ? その日になってからのお楽しみ。知りたかったら航空祭の日に見においで。ただし、人も車も多いから気をつけて来るんだぞ?」
まだ何か言いたげな二人に、そう言って微笑んでみせた。
+++
「パパが飛ぶの?ってしつこくて困っちゃってね。なんて答えたら良いのか分からなくて、
子供達が寝てから、居間で妻と二人になった時に謝られた。
「いや、それでかまわないよ。当日までのお楽しみって俺が言ったから、それ以上さぐりようがないのは、あっちも分かっているだろうしね」
最近は、内輪で得た情報をSNSに流す困ったタイプのマニアが存在していた。隊員相手に聞きだしたのなら、機密保持の責任問題として、情報を流した本人を処罰できるから問題ない。だが今回のように、子供達相手にカマをかけてこられると厄介だ。子供達には機密保持の鉄則なんて理解できない。だから、こちらでコントロールするしかなかった。
「さっきも、パパのニッコリが出たから、このお話はおしまいなんだって言ってたわ」
「それでいいんだよ。事実その話はそれでおしまいなんだから。いたたたたっ、もうちょっと優しくしてくれないかな」
肩をもんでくれていた妻の指が、肩に食い込んできたのを感じて顔をしかめた。
「なに言ってるの。私、なでる程度にしか力、入れてないわよ?」
「そうなのか? それにしては痛いんだけどな」
「そう? なでている以上だとこんな感じだけど」
さらに指が食い込んでくる。
「いたたたた。だけどさっきのだって、どう考えてもなでる力じゃないだろ? 頼むよ、もう少し加減してくれ」
「相変わらず肩こりよね、正義さん。こんなにこらしてて、ちゃんと操縦できるの?」
「操縦するからこるんだよ」
「ふーん」
妻が顔をのぞき込んでくる。
「なんだ?」
「本当に痛がってるんだ?」
「当たり前だろ?」
俺の返事に妻が微笑んだ。
「だって、昔は痛くてもニコニコしてたじゃない」
「君にニコニコしてみせても、すぐに見破られるからもうしない」
「そうなの? 私、正義さんのあのスマイル、好きなんだけどな」
しばらく痛みに耐えていると、少しずつ楽になっていくのが感じられた。ここ一週間ほど肩の上に居座っていた重たい石の塊が、ようやく消えたような気がする。
「本当にもみがいのある肩よね。このお
「君の好きなスマイルでどうでしょう?」
「それどこかのファストフード店と同じじゃない。そんなのダメです。ちゃんとしたお
「んー。だったら今回は、これで手を打ってくれると助かるかな」
そう言って、ソファの下に隠しておいた、某ジュエリーメーカーの紙袋を差し出した。もちろん、紙袋の中には妻へのプレゼントが入っている。
「え、なに? なんでこれ?」
「すっかり忘れてるみたいだけど、今日は、俺達の結婚記念日なんだけどな」
とたんに、妻の顔がギョッとなったのがわかった。本当に忘れていたみたいだ。あまりの清々しい忘れっぷりに、ガッカリするどころかおかしくて、笑いが込み上げてくる。
「すっかり忘れてた……!」
「そんな気はしてた」
「ごめんなさい。せっかくの記念日がおでんだったなんて」
ショックすぎると呟いている妻の手を軽く叩いた。
「別にかまわないさ。ただの記念日だし、俺達のどちらかが覚えていれば良いんだから」
「来年はちゃんと忘れずになにかするから!」
「楽しみにしてる」
「よりによって結婚記念日におでんだなんて……」
ブツブツと呟きながら俺の横に座ると、紙袋からプレゼントを取り出してリボンをほどき始める。
「はんぺん、おいしかったよ」
「ぜんぜんフォローになってないよ……」
「ジャガイモもおいしかった」
「……ありがと。ジャガイモのことじゃなくてプレゼントのこと」
妻はピアスを箱から出すと、申し訳なさそうにほほえんだ。
「どういたしまして。俺がこうやって安心して飛んでいられるのは、君が我が家と子供達を守ってくれているからだからね。それに比べたら大したものじゃないよ……ところで」
「なあに?」
「肩もみのお
「もー、しかたないなあ!」
妻は満面の笑みを浮かべると、俺に抱きついてきた。
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