第二話 出会い

「はふ……っ」


 大きなあくびが出て、思わず店内を見渡した。


 時計を見ると午前6時。国道沿いにある店舗ということもあって、店内には夜通し走っていた長距離トラックのオジサン、夏休みでハメをはずしすぎて終電を逃したらしい学生さん達の姿がある。どちらも、コーヒーとサンドイッチをテーブルに置いたまま、目を閉じて舟をこいでいてる。あの様子からして、カウンターのこちら側に立っている私の存在なんて、すっかり忘れているようだ。


―― 気づかれなくて良かった ――


 アクビをかみころしながらレジの横で、お客さんに渡すクーポンを二つ折りにする作業に戻る。


 たまにドライブスルーでお客さんがやってくるだけで、ほとんど無人だった店内も、時計が7時を回るころになるとお客さんが増えてきた。夏休み関係なく仕事に行く人や、部活に出掛ける中学生や高校生などなど。学生さん達は皆、まだ眠そうだ。きっと夏休みに入って、遅くまで遊んでいたに違いない。


「いらっしゃいませー!」


 列の最後の学生さんに、コーヒーとサンドイッチのトレーを渡したところで、お店に入ってきた男の人が一人。それまでの人達に比べると服装がかなり異質。あの制服は、もしかしなくても航空自衛隊の人。きっと、ここの近くにある三沢みさわ基地の人に違いない。その人は、眠そうな目をしたままこっちにやってきた。


「タマゴトーストとコーヒーをお願いします」

「はい! 店内でお召し上がりになりますか?」

「そうします」

「わかりました。他にご注文はありますか?」

「いえ。それだけで」

「350円になります」


 その人は、前に置いてあるトレーに硬貨をそっと置く。


「ちょうどいただきます。受取り口はあちらですので、そちらで並んでお待ちください」

「ありがとう」


 その人は穏やかな笑みを浮かべると、なぜか首の後ろに手をやりながら移動した。しばらくして出された商品をトレーに乗せて、空いている席へと歩いていく。その時も首に手をあてていた。


―― もしかして、首のこりがひどいのかな…… ――


 自衛隊と一言で言っても、その中にはたくさんの仕事の種類がある。もしかしてレーダーの画面をジッと見続けたせいで、眼精疲労がひどくて首がこったとか? それとも、重たい機材を運んでいたせいで筋がおかしくなったとか?


 そんな可能性をあれこれ考えていたけど、今は私も仕事中だったことを思い出す。慌てて次にやってきた学生グループさんに意識を戻した。


長居ながいさん、レジは松本まつもと君に任せて、返却コーナーのトレーを下げてきてくれる? なんだか、ちょっとしたカオスになってるみたいだから」


 早朝組と日勤組の交代時間がそろそろって時に、バックヤードでドライブスルーを利用するお客さんをさばいていた副店長が、こっそり私に耳打ちをした。ちょうど良かった。来店するお客さんが増えてきて、トレーの返却スペースがとんでもないことになっているのはここからも見えていて、ずっと気になっていたのだ。


「ですよね。私もさっきから気になってたんです」

「じゃあ、お願い。ゴミ袋も変えたほうがよさそうな予感がする」


 こういう時の副店長の予感はよくあたるのだ。


「わかりました、それもあわせてやってきます。じゃあ松本さん、レジお願いします」


 バックヤードから出てきた日勤組の松本さんにレジを任せると、私はその場を離れた。


「うわっ、もー……なんで紙ナプキンをごみ箱に捨てずに、こんなところにつめるかなあ……」


 大抵はきちんとされている返却スペースも、一人が変な返却をするととたんにその秩序が乱れだす。飲み残したドリンクを捨てる場所に紙ナプキンがつまっているせいで、氷が流れずに溢れそうになっていた。


「せめて押し込んでおいてくれたらよかったのに。ごみ箱に捨てるほうがよっぽど楽なのに、変なところで労力を使ってなにがしたいんだろ……」


 いい加減な捨て方をしたお客さんに文句を言いながら、突っ込まれた紙ナプキンを引っ張り出してゴミ箱に捨てる。そしてゴミ箱のビニール袋を交換していたところで、後ろの席にさっきの自衛隊の人がいるのに気がついた。その人は目を閉じて座っていて、置かれたタマゴトーストは半分も食べていなかった。


―― 寝ちゃってるのかな……お客さんが増えてけっこう騒々しくなってきたのに、よく寝られるなあ…… ――


 起こさないようにと気にしながらゴミ袋を片づけていると、その人が少しだけ眉をひそめて目をあけた。そして周囲を見回しながらコーヒーカップに手をのばす。


―― ゴミ袋のガサガサ音が気になっちゃった? ――


 その人が私の視線を感じたのか、カップに口をつけたままこっちに目をむけた。


―― あ、しまった ――


 ジッと見ていたのに気づかれたかも。思いっきり目が合ってしまったのに視線をそらすのも失礼だし、ここは営業スマイルで誤魔化しておこう。


「ど、どうも……お休み中にガサガサさせてすみません……」

「え? ああ、気にならないので大丈夫ですよ」

「なら良かった」


 その人はまた首に手をやり、頭を左右に振る。


「あの~~?」

「はい?」

「もしかして首が痛いんですか?」

「え?」

「ここに来られた時から、ひんぱんに手を首にあてていらしたので」


 そう言いながら、自分の手を首にあてる。そしてその人がしていたように、首を左右に振ってみせた。


「……ああ。自分がそんなことしているのに気づきませんでした」

「そうなんですか。肩こりとか頭痛とか筋肉痛なら、早くお薬を飲んだほうがいいですよ? あ、よけいなお節介ですみません」

「いいえ。お気遣いありがとうございます。大丈夫です、ちょっと寝不足で頭が痛いだけだから」


 その人がニッコリと微笑んだ。だけど、ちょっとどころの痛みじゃないってことは、なんとなくわかった。だってその笑みが、目まで届いていないんだもの。


「お大事に。それとごゆっくり」

「ありがとうございます」


 私はそこで頭をさげると、ゴミ袋を手に急いでバックヤードに引っ込んだ。



+++



「あ」


 バイト時間が終わって通用口から外に出たところで、制服の背中が見えた。さっきの人だ。


「あの!」


 考えるより先に声が出てしまった。その人は立ち止まってふりかえる。


「ああ、さっきの人。お仕事はもういいんですか?」

「え、あ、はい。朝のバイトは5時から9時までなので、今日はこれで帰ります」

「朝早くから大変だ」

「四時間だけだし、こんな時間のシフトに入るのは夏休みだけですからね。慣れたらどうってことないんですよ」

「へえ、そうなんだ」

「あ、そうだ。これをどうぞ」


 リュックに手を突っ込んでポーチを引っ張りだすと、その中から頭痛薬を出した。


「?」


 目を丸くして私の手に乗っている薬を見つめているので、慌てて付け加える。


「飲んだら頭痛が楽になりますよ? アレルギーとかあって飲めない薬だったら、ごめんなさい。ただ、薬屋さんが開いているような時間じゃないし、家に薬があるとしても、痛いの我慢して帰るよりは、今ここで薬を飲んだほうが、帰ってから楽じゃないかなと思ったものですから」

「……ありがとう」


 お礼を言われてから、その人が手ぶらなのに気づいた。さすがにこの薬は、水なしでは飲めないしろものだ。


「肝心なものを忘れてました。まだ口をつけてない、常温のミネラルウォーターがあります。バイト先で出してるものなんで、おおっぴらには人様にあげられないものですけど、まあ薬を飲むためには水が必要だし、背に腹はかえられませんよね」


 そう言いながら、リュックの中からペットボトルを引っ張り出したら、その人は少しだけおかしそうな表情をしてみせた。


「そのリュックの中には、なんでも入ってるんだね」

「薬とか絆創膏ばんそうこうとかそんなものだけですよ。この水も、そろそろ消費期限がきちゃうので、破棄するのもったいないから持っていっていいよって言われたものなんです。だから、私以外の人が飲んだってのは内緒ですよ?」

「なるほどね。じゃあ薬と水、ありがたくいただくとします」


 薬とペットボトルを受け取ると、その人はすぐに薬を口に放り込んで水を飲んだ。


「?」


 私がじっと見ているのに気づいて、わずかに首をかしげる。


「やっぱり大丈夫じゃなかったんだなあって」

「……我慢できないほどではないんだけどね」

「そんな風にお薬を飲むってことは、よっぽど痛むってことだと思いますよ。我慢は良くないです。お薬もってて良かったです。あと水も。あ、そのゴミ、こっちにください。私が捨てておきますから」


 手を差し出して、薬が入っていたカラを受け取った。


「本当にありがとう」

「いえいえ。日頃からお世話になってますから、このぐらいお安い御用です」

「どういうこと?」

「だって三沢基地の人ですよね? ってことは、毎日の国防ご苦労様ですってやつです。それと、年に一度の航空祭は、地元の経済活性化に少なからず役立ってますから。ここ、予行から当日まで大繁盛になるんですって」


 自分のバイト先の店舗を手でしめす。


「そうなんだ」

「ま、私はそんな時期のシフトには、絶対に入りたくないですけどね」


 本当に航空祭当日はすごいらしいから。


「ところで、これから家に帰るんだよね。方角は? 薬と水のお礼に、エスコートさせてもらえると嬉しいんだけどな」

「お礼ってほどじゃないですって。こっちのほうが、断然お世話になってるんですから」

「でも最近は物騒だからね。ま、あなたからしたら、見ず知らずの僕も物騒なのかもしれないけど」

「そんなことないですよ。地元民として、三沢基地の人はもれなく信用してます。それに」

「それに?」

「お薬と水の恩を、あだで返すような人には見えないし」


 その人は、私の言葉におかしそうに笑った。


「それは送らせてくれるってことかな」

「エスコート、よろしくお願いします。あ、でも、頭痛は大丈夫ですか?」

「そのうちおさまるよ。もともとは寝不足が原因だし。薬も飲んだから」

「でしたらよろしくお願いします。えーと、なんてお呼びしたら?」


 歩き始めてから、その人の名前を質問することにする。いつまでも「あの人」「その人」では失礼だもの。


但馬たじま正義まさよしといいます。ちなみに階級は二等空尉です」

「私は長居といいます。長居ほなみ。ちなみに大学二年生です。但馬さん、なにをなさってる人なんですか? 夜勤があるシフトって、色々あると思いますけど」

「僕はF-2支援戦闘機のパイロットをしてます」


 言われてみれば、制服の左胸に羽の形をしたバッジがついている。たしかこれは、ウィングマークってやつだ。


「F-2のパイロットさん! ってことは夜勤てアレですよね、えーと、ほら、緊急発進するやつ」

「アラート待機?」

「それですそれ。そうだったんですか?」

「まあそんなところかな」


 但馬さんは曖昧あいまいな笑みを浮かべる。


「そんな仕事の後でお疲れのところを、エスコートしていただいて申し訳ありません」

「いやいや。どうせ僕のアパートも同じ方向なので、そんなに気にしなくても大丈夫ですよ。それに、これは薬と水のお礼ですから」


 こんなふうに、男の人と二人っきりで話をしながら歩くなんて体験は初めてで、なかなかうまく会話を続けることはできなかった。だけど、但馬さんは夜勤明けだし薬を飲んだせいもあって、ポーッとしてるからきっと気にしていないだろう。


 そうこうしているうちに、我が家が入居している団地が見えてきた。


「あそこの団地がうちです。もうそこから敷地内だし、ここまででけっこうですよ。但馬さんは早く帰って、しっかり寝てください」

「そう? だったらここまでで。あとちょっとの油断が大敵だから、自宅の玄関に入ってドアを閉めるまでは気をつけるように」

「はーい。但馬さんもお大事に。家に帰ったらちゃんと休んでくださいね」


 私がそう言うと但馬さんはニッコリと微笑む。うん、この笑みは本物だ。ってことは薬が効いてきたってことかな。


「ありがとう」

「じゃあお疲れ様でした! エスコートありがとうございます!」

「こちらこそ薬をありがとう」


 私はペコリと頭を下げると、自宅のある棟へと走った。

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