第三話 長居家の人々

「ちょっと、ほーちゃん!!」

「ほーちゃん、一体あれは誰なのっっっっっ」


 ただいまと玄関に一歩踏み込んだとたん、二人の姉が目をキラキラさせながら、私めがけて突進してきた。その勢いに思わず後ずさる。


「おねーちゃん達なんでここに?って近い近い! なんで迫ってくるの! 近いってば!」


 靴を脱ぐ間もなく、玄関で二人の姉にはさまれて動けなくなった。


「見たわよ!」

「うん、見た見た!」

「見たってなにを?」

「私達の大事なほーちゃんが、男の人に送迎されてた!」

「しかもあの服装からして、一般人じゃなくて自衛官だった気がする! ううん、間違いなく自衛官だった!」

「……あのさ。それより、なんで二人とも、こんな朝早くから家にいるのか質問してもいい?」


 年の離れた二人の姉は、何年も前に結婚して家を出ていた。私の知る限り、旦那様も子供達もいて、それぞれ円満な家庭をきずいているはずだ。なのに、なんでこんな時間から我が家にいるんだろう。まさか二人そろって、夫婦喧嘩ふうふげんかでもして家出をしてきたとか?


「自分の実家に戻ってきて、なにがいけないの?」

「そうよ。ここは私達の実家だもの」


 それはわかっている。でも問題なのはそこじゃない。だって、いつもなら姉達の後ろにくっついて集まってくる甥っ子姪っ子達が、いっこうに顔を出す気配がない。ってことは、ここには二人しか来ていないってことなんだから。


「だからなんで二人だけで……?」

「旦那は仕事だし」

「子供達は、あっちのおじいちゃんおばあちゃんちで絶賛ぜっさんサマーキャンプ中」

「「だから久し振りに、実家で羽をのばしに来たってわけ」」

「はもらないでください」


 一卵性の双子だけあって、相変わらずみごとなシンクロ率。


「それより、さっきのが誰だか白状しなさいよね。ほーちゃんが誰かと付き合ってるなんて話、聞いてないんだから」

「そりゃ、付き合ってる人なんていないし……」

「じゃあ、さっきの人はなんなのよ」


 二人がズイズイとつめ寄ってくる。


「なんでもない人だよ」

「なんでもない人が、団地まで送ってくれるなんて信じられるとでも?」

「だってそうなんだもん。それより二人とも近いって。お巡りさんの取り調べじゃないんだから、あつかけてくるのやめて。おとーさーん! おねーちゃん達が自白を強要してくるーー!」


 休みで自宅にいるはずの父に助けを求めると、父はひょっこりとダイニングから顔を出した。


「ほなみ、何度も言うようだけど、そういうのは父さんの職務の範疇はんちゅうじゃないよ。なにか燃えてるものが現われたら呼んでくれ」

「これだって、いわゆる炎上中ってやつじゃないの?」

「物理的になにか燃えたら父さんの出番だってことだよ。それまでは父さんの出番は無し」


 そう言いながら、ちょっと真面目な顔でうなづく。


「燃えないようにするのも、消防士の役目なんじゃないのー?」

「だから常々火の用心を呼びかけてるだろ? がんばれ、ほーちゃん。お父さんは心の中で応援してるからな」


 そう言って、父は顔を引っ込めた。


「はくじょうものーーーー」


 若いころの父は、人を助けるために躊躇ためらわず火の中に飛び込んでいく、勇敢な消防士だった。だけど最近は年をとったせいもあってか、家庭内に現われた火中の栗すら拾うのが億劫おっくうなようだ。末の娘がこんなにピンチなのに、薄情なんだから。


「おかーさーん!」

「かーさんはガスを使ってるから台所を離れられないよ、自分でなんとかしなさい」

「がんばれ、ほなみ! お母さんも心の中で応援してるから~」


 父と母の声がかえってきた。


「二人とも薄情だ……」

「二人とも、私達が知りたがっているのを、尊重してくれてるだけだと思うわよ。なにせ私達は、妹思いの優しいおねーちゃん達ですからね」

「それにあの二人だって、詳細を知りたがっていると思うのよね、一緒にベランダに出て、その人のこと目撃しているんだから」

「そういうわけだから、部屋で話をゆっくり聞かせてもらいましょうか」

「だからなんでもない人なんだってばー……」


 バイトで疲れて帰って来たというのに、可哀想な私は姉二人に部屋へと連行されるハメになった。



+++



「二人とも刑事ドラマの見すぎだよ。それとお義兄にいさん達になにか面白い話でも聞いた? 言っちゃなんだけどお義兄にいさん達、ぜったい面白がって話を盛ってるから。聞いた話をすべてに受けちゃダメだよ」


 お昼ご飯の時間になって、やっと姉二人の尋問から解放された。久し振りに家族がそろって食卓を囲んだところで、グチることにする。


「旦那達の話は関係ないわよ。ほーちゃんが男の人と歩いているのを、見ちゃったんだもの」

「そうよ。見ちゃったら気になるじゃない? ほーちゃんが男の人と歩いてるんだから」

「「ねー?」」

「またはもってる……」


 二人の言葉に母が笑った。


「二人とも、昔っから好奇心旺盛こうきしんおうせいだものね」

旺盛おうせいすぎるのもどうかと思うよ、おねーちゃん達。お母さん、おねーちゃん達に甘すぎない?」

「そんなことないわよ、お母さんはみんな平等に接してる」

「そうかなあ……」


 とにかく、姉達は私の説明で、但馬たじまさんがバイト先で会った、「なんでもない人」だってことは納得してくれた。期待していたのと違って、少しばかり物足りないと思ったとしても、それはしかたがない。だって相手はバイト中のお店にやってきたお客さんで、話すことなんてほんの少ししかなかったのだから。


「お母さんが甘いなんて、とんでもない話よ。ほーちゃんは知らないだろうけどお母さん、昔は、それはそれは怖かったんだからね」

「そうそう。授業中に騒いでたあずま君なんて、しょっちゅうしかられて廊下に立たされてた」

「私達も立たされたことあるものね、廊下に」

「それは学校ででしょ?」


 職場と自宅では違うじゃない?と異論をはさんだけれど、姉達はそんなことないわよねと、二人で顔を見合わせてクスクスと笑う。年の近いきょうだいがうらやましいと思うのは、こういう瞬間だ。両親にも姉達にも可愛がってもらっているけれど、こんな風に子供時代の想い出話をクスクスできる相手がいないのは、ちょっと残念。


「お父さんとお母さんが結婚してからも同じだったわよ。宿題しないで遊びに行って帰ってきたら、ベランダで反省しなさいって立たされたもの」

「あったあった。帰ってきたお父さんが私達がベランダにいるのを見てビックリして、ベランダによじ登ってきたのよね」

「お前達、そんな昔のことよく覚えてるな」


 父があきれた顔をした。


「だって〝お母さん〟にしかられるのが新鮮だったから、しかられるのが楽しかったんだもの」


 姉の言葉を聞いて、母が溜め息をつく。


「あのころは、二人をしかっても効果がないのはどうしてなのかしらって、不思議に思ったものよ。お母さんが本当のお母さんじゃないせいかしらって、けっこう真剣に悩んだんだから」


 実のところ、二人の姉と私は半分しか血がつながっていない。母は初婚だったけれど、父は娘二人を連れての再婚だった。母は当時小学生だった姉の担任をしていて、父兄参観がきっかけで父と知り合ったのだ。そして結婚した二人の間に生まれたのが私。とは言うものの、今はすっかり馴染んでしまって、三人ともお母さんによく似ていると言われるのだから、人の目なんて本当にあてにならないって話だ。


「でも、不思議な偶然よね。私達三人姉妹、そろいもそろって国防関係のお仕事の人と、お近づきになるなんて」

「あのさ、私はお近づきってほどのこともないんだけど。さっきも言ったけど、あの人はバイト先のお客さんなんだから」

「やっぱりお父さんの血が呼び寄せるのかしら? お母さんどう思う?」

「どうかしらねえ」

「もしもーし、人の話を聞いてますかー?」


 そりゃあ、三沢みさわ基地の近くに住んでいるんだもの、そっち関係のお仕事をしている人と知り合う確率は、他の地域の人達よりも多少なりとも高いかもしれない。だけど真相を聞いた後の物足りなさを、先走った話にして憂さ晴らしをするのは勘弁してほしい。


「おとーさーん、お姉ちゃん達ってば、私のこと無視して勝手に話を進めてる」


 この中で唯一、私の話を聞いてくれそうな父に言いつけた。


「まーまー。お姉ちゃん達だって、敷島しきしま君や平塚ひらつか君と顔を合わせた最初のころは、同じようなこと言ってたぞ? 別に付き合うとかそういうのじゃないんだからって。それがどうだ、二人ともその相手と結婚して子供までいるんだ。だからほなみも、経験者の意見には耳をかたけむておくべきだと思うけどな」


 それまで楽しそうにおしゃべりをしていた姉二人が、顔を赤くして父親のほうに顔を向けた。


「ちょっとお父さん、なんでそんな昔のこと覚えてるのよ!」

「そんな昔のことじゃないだろ。かれこれ十年前ぐらい? まだ最近のことじゃないか」

「十年ひと昔って言うでしょ?! だから昔なの!」

「そんなことはないと思うけどなあ。それにそんなことを言ったら、さっきのベランダの話なんて三十年前の大昔のことなのに、お前達ははっきり覚えてたじゃないか」


 父の指摘に、姉達はますます顔を赤くして父をにらむ。


「それとこれとは別の話なんだから!」

「そうよ、次元が違う話なの!」

「どう別の話なのか、お父さんにはさっぱりだ……」


 先走った話は中断されたけど、別の意味で騒がしくなってきた。これはちょっとしたヤブヘビだったかも。


「もうこれは間違いなく、長居ながい家の血筋ってやつね」

「どういうこと?」


 母の言葉に首をかしげる。


「だってお父さん、私と本格的にお付き合いを始める直前に、消防署の同僚さん達に言ってたもの。別に付き合うとかそういうのじゃないんだ。この人は娘達の担任の先生で、自分は仕事でなかなか一緒にいられないから、学校での娘達の生活ぶりを聞かせてもらってるだけなんだって」


 母が父の口調をマネして言ったとたんに、父がお茶を噴き出した。


「母さん、それこそそんな昔の話をって話じゃないか」

「あら、そう? 私にはついこないだのことに思えるけど」


 咳きこんでいる父の横で、母はすました顔をしてお茶を飲む。


「めんどくさい言い訳してたんだね、お父さん……」

「めんどくさいってなんだ、めんどくさいって」

「だってさあ、いちいち理由が長ったらしくてめんどくさいよ。お母さん、さっきのお父さんが本当に言ってたの?」

「一語一句まちがいないわよ。私の記憶力もなかなかなものでしょ?」


 そう言って母は、まだ教師としてやっていけるわよねと胸をはった。


「俺、そんなこと言ったか?」

「言いました。それも三回ぐらいね」

「三回も言ったんだ……」

「なんだ、その顔は」

「別に~~」


 姉達にニヤニヤされて、居たたまれない様子の父。とんでもない話に飛び火しちゃったみたいだけど、助けてあげるつもりはない。だってさっきは私のことを見捨てたんだもの、これも自業自得ってやつよね。そう思いながら父を見ていたら、母が私にニッコリと笑いかけてきた。


「なに?」

「だからほなみも、もしかしたらもしかするんじゃないかしらって、お母さんは期待してるんだけど?」

「え……」


 こっちもとんだヤブヘビだったかも……。

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