第十九話 不穏な時もある

「まーた来たみたいだね、あっちから」


 その日の夜、両親とこたつでお鍋をつつきながら、テレビ画面に映った外国の、明らかに軍用の飛行機の写真を見つめた。


「ここしばらく、基地から飛んでいく回数が多かったから、どうしたのかしらって思っていたけど、やっぱりだったのね。お休み前に物騒よね。お父さんのところではどうなの?」


 母親の問い掛けに父親が首をかしげる。


「どうって言われてもな。空気が乾燥してボヤが増えているのと、ここしばらくの寒さで、お風呂場で倒れる人が増えている。こっちはこっちで、自衛隊とは違った深刻さだね」

「どっちも大変ね。ほーちゃん、但馬たじまさんは元気にしてる? お仕事は忙しそう?」


 母親の頭の中で、外国軍隊の航空機が日本付近に飛んでくるのと、火事と救急が増えているのが、どうつながっているのか私には分からない。だけど、母親の中ではこの三つは同列あつかいで、それは父親も理解しているらしかった。


「但馬さん? 但馬さんは特になにも言ってないよ。戦闘機の鼻先に飾るお正月の新しいしめ飾りとか、基地の事務所内に飾る鏡餅を作ったって、写真をくれたぐらい」

「そう」


 ここしばらく、三沢みさわ基地のスクランブルが増えているのは、町の人達も察していた。だけど但馬さんから届くメールは、戦闘機につけるしめ縄、格納庫にかざる鏡餅、基地内でお正月の準備が着々と進んでいることを知らせるメールばかり。そう言えば鏡餅のお餅は、米軍の人と一緒に餅つきをしたって言っていっけ。とにかくどれを見ても、スクランブルの慌ただしさなんて、微塵も感じられないものばかりだった。


「ほなみ、だからって但馬君が、呑気に仕事をしているとは思わないようにな。外向きには言えないだけで、彼等の仕事はいつも危険と隣り合わせだ」

「うん、それは分かってる。お父さん達の仕事も同じだものね」


 父親も、職場で起きた面白い出来事はよく話してくれていたものの、現場での危険な話や悲惨な話は、いっさい持ち帰ってきたことがなかった。だからきっと、但馬さんもそう。あの爆音の中には、きっと但馬さんが飛んでいた時もあったに違いない。だから私も母親がそうしてきたように、但馬さんが話してくれるまで、気づかないふりをし続けるしかないんだと思う。


「いつかは話してくれる時がくるのかなあ。たとえば、私が但馬さんのお嫁さんになった時とか。どう思う?」

「お嫁さんて気が早いだろ。まだ、付き合いだして半年もたってないんだろ?」


 私の質問に、父親が少しだけ慌てた様子でそう答えた。


「だから、たとえばの話」

「そ、そうか、うん、そうだな」

「やあねえ、お父さんたら。なにをそんなに慌ててるの?」

「い、いや、まあ父さんの仕事とは違って、あっちの仕事は守秘義務の塊だ。たとえ家族でも、部外者に話すことはできないんじゃないか? このニュースだって、速報と言いつつ前日の映像だ」


 その後もなにかブツブツと呟く。私には聞こえないけど、隣に座っている母親はちゃんと聞き取れたみたいで、父親のほうを見てニヤニヤした。


「じゃあ、私が自衛官になったら話せる?」

「ほなみ、自衛官になるつもりなのか?」


 これには母親も驚いたみたいで、二人して目を丸くして私を見つめる。


「だからそうじゃなくて、たとえばの話!」

「なんだ、驚いたじゃないか……」

「お父さん達が、勝手に早とちりして驚いてるだけでしょ?」

「でも、栄養士の資格を持った自衛官さんているのかしら?」


 そう言いながら、母親が首をかしげた。


「ご飯作ってる人達はいるし、栄養士さんとか配管工の人を、短期契約で募集することもあるって言ってたよ。あと三沢だと、雪かき要員の募集もあるんだって」

「自衛隊って一言で言っても、いろいろな仕事があるのねえ」

「それでどう思う? 私がそういうのになったら、但馬さんは私に話してくれると思う?」

「どうだろうなあ……」


 落ち着きを取り戻した父親が、お猪口ちょこにお酒を注ぎながら考え込む。


「たとえば、同じ職場なら飛び立つところは見ているから、スクランブルが続いて大変だぐらいは話せる。だが、飛んでいった先で起きたことに関しては、同じ基地内の人間でも簡単には話せないんじゃないか? 同じパイロット同士ならともかく、あの手のことを、お茶を飲みながら食堂で愚痴るなんてことはありえないだろ?」

「なるほど。じゃあ無理かあ……」


 付き合っている人が危険な目に遭っても知らせてもらえない、相談にも乗らせてもらえないなんてちょっと複雑。


「分からないなら分からないなりに、ほーちゃんにもできることはあるんじゃないの?」

「そうかなあ……」


 母親の言葉にウーンと考え込んだ。私にできることってなんだろう?


「父さんの経験から言うと、なにも言わずに黙ってそばにいてくれるだけで嬉しいけどな。だから、あれこれ難しく考える必要はないと思うぞ。但馬君の仕事が、どういうものか理解してあげればそれでいいと思う。少なくとも母さんは、俺の仕事を分かってくれていた。多分それは今もかな」


 父親がしみじみと言った口調で言った。


「それは惚気のろけですかー?」

「んなわけあるか。 ま、若い頃は出場ばかりでなかなか妻孝行も家族サービスもできなくて、そのうち愛想をつかされるんじゃないかって心配だったけどな」

「その代わりに、今は頑張って妻孝行してくれてるじゃない?」

「今までよくついてきてくれたよ、本当に感謝している」

「どういたしまして。これからもよろしくお願いしますね」

「こちらこそ」


 父親の目尻が、だらしなくさがったのを呆れた気分でながめる。二人とも私にアドバイスしていたことなんてすっかり忘れて、夫婦でイチャイチャしてるんだから、まったく。



+++++



「あれ? 但馬さん?」


 学校が休みになり、バイトに入るようになって数日。その日は、珍しく夜の時間帯に入っている時だった。お客さんが置き忘れて行ったトレーを回収したところで、制服を着た但馬さんがいきなりお店に入ってきたので、驚いてその場に立ちつくす。


「やあ、こんばんは」

「こんばんは。珍しいですね、この時間帯に来るって」

「ほなみちゃんが、この時間帯に入ってることが珍しいからね。バイトのシフトを聞いていたから、ちょっと寄ってみたんだ」

「そうなんですか。あ、でも……晩ご飯はちゃんとしたところで食べたほうが良いんじゃないですか?」


 ここでバイトをしている私が大きな声で言うことじゃないので、声を潜めながら但馬さんにささやく。その言葉に、但馬さんもニヤッと悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべた。


「でも、たまには夜にジャンクフードも良いんじゃないかって。大事なのはトータルの栄養バランスなんだろ? 朝と昼はちゃんと栄養士が考えてくれたものを食べたから、夜ぐらいはね。それに今夜は息抜きを兼ねてるから」

「残念ながらタマゴトーストはありませんよ?」


 タマゴトーストは朝メニューで、この時間帯には作られていない。但馬さんはなにを頼むつもりなんだろう。


「分かってる。今夜は普通に照り焼きチキンバーガーです。国産地鶏の炭火焼きを自慢の照り焼きソースで? このまえテレビで、そんなのが流れていたからちょっと気になってたんだ」

「うわ、なんかムカつくんですけど」

「なんでだよ、ひどいな、せっかくお客さんとしてきたのに。ちゃんと売り上げに貢献してるんだから、問題ないだろ?」


 但馬さんは笑いながらそう言って、カウンターへと歩いていく。自分の番になると、いつものニコニコスマイルを浮かべながら注文をした。


「コーヒーじゃなくて野菜ジュースとか」


 ボソッと呟いたのが聞こえたのか、但馬さんがこっちに目をむけた。そして口パクで〝バランス〟と言う。ジャンクフードとか言いながらも、そのへんのことをちゃんと気にかけているのがなんだか愉快。


「……ま、美味しいのは間違いないけどね」


 受取りカウンターに移動した但馬さんを横目で見ながら、自分の仕事に戻る。パッと見はいつもの但馬さん。だけど、その目つきがいつもより険しいって感じたのは、気のせいじゃないはず。さっきのニコニコスマイルもどこかとんがっていたし、もしかしたらここしばらく続いているあの騒ぎで、気が休まるヒマがないのかもしれない。


「そう言えば、息抜きって言ってたっけ。だけど息抜きがファストフード店に立ち寄るって、あんまりじゃない?」


 息抜きだったら、もっと健康的なものが他にあるじゃない? カラオケで思いっ切り大きな声で歌うとか、スポーツジムで思いっきりサンドバッグを殴るとか。私がバックヤードに引っ込むころには、但馬さんはいつものテーブル席に座って、美味しそうに照り焼きチキンバーガーにかぶりついていた。


「ま、美味しいものを食べるのも、気晴らしにはなるだろうけどさ」


 少なくとも、うちの照り焼きチキンバーガーは間違いなく美味しいし!


 バイト時間が終わって着替えて外に出ると、但馬さんが待っていてくれた。来店時間からしてそうじゃないかと期待していたから、ちょっと嬉しい。


「お待たせしました。寒いから、お店の中で待っていてくれれば良かったのに」

「そんなことをしたら、ほなみちゃんも気づかずに帰っちゃったかもしれないだろ?」

「でもこんなに寒いのに」

「心配ないよ。タイミングを見計らって出てきて、そんな長く外にはいなかったから」


 相変わらずのニコニコスマイルを浮かべながら〝行こうか〟と並んで歩き出す。


「まさか今日会えるとは思いませんでした。お仕事もあることだし、どこかの朝の時間帯かなって思ってたから」

「そう? だったら、ちょっとしたドッキリだったわけだ」

「……」

「ん? どうした? 俺の顔になにかついてる?」


 私がジッと顔を見つめているのに気がついたのか、首をかしげながら見下ろしてきた。


「そうじゃなくて、なんかいつもの但馬さんと違うなって」

「いつもの俺?」

「なんだかスマイルがとんがってる」

「スマイルがとんがってる……うーん、どういうことか俺には分からないな」


 困ったような笑みを浮かべたけど、それは〝なんでバレた?〟と言いたげな笑みだ。やっぱり私の目は間違いないみたい。


「ま、とんがってるのはしかたないのかなって思いますよ。ここしばらく騒々しいですもんね。私にはよく分からないけど、やっぱり現場ではいろいろあるんだろうし……?!」


 立ち止まった但馬さんにいきなり引き寄せられる。そしてあっという間に腕の中に閉じ込められた。


「た、但馬さん?!」

「しばらくこのままでいてくれる?」

「え、でも人に見られたら困ったことになりませんか?」


 ここはどう考えても歩道だ。しかも街灯が、すぐ頭の上から煌々こうこうと私達を照らしている。


「どうして?」

「どうしてって……」

「自衛官だって、自分のカノジョを抱きしめることぐらいあるだろ? もしお巡りさんにも見つかったとしても、そう言えば問題ないんじゃないかな」


 私の体に回した腕に力がこもる。


「まあ、お巡りさんも年末は酔っ払いさんの取り締まりで忙しくて、私達のことなんて、きっと気にもしてないかもしれませんけどね」

「そういうこと」


 しばらくして、頭の上で但馬さんが溜め息をついたのが聞こえた。そして体がすっと離れる。


「ごめん、窮屈だったかな」

「そんなことないです、いきなりでびっくりしただけ」

「本当は来るつもりはなかったんだ。だけど、今夜はほなみちゃんがあの店にいるって思い出して、急に顔が見たくなってね。顔を見たらそれだけじゃすまなくなった」


 そう言って悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべた。そのスマイルは、さっきまでのとんがったものではなく、いつもの但馬さんのスマイルに近いものだった。


「あの、大丈夫ですか?」

「ん? とんがっているってやつ?」

「はい」


 但馬さんは、少しだけ考え込むように空を見上げる。


「……まあ、少しは気持ちが落ち着いたかな。自分が誰を守るために飛んでいるのか、はっきりと自覚できたから。それが自衛官として正しいかどうかは、分からないけどね」

「どういうこと?」

「それは秘密です」

「え、なんで? それってずるい。とんがってるのに気づいたのは私なのに!」

「まあまあ。いつか話してあげるよ」

「いつかって?」

「いつかはいつか。その時が来たらってやつかな」


 団地の敷地にたどりつくまでに、なんとか聞き出そうと頑張ってみたけど、但馬さんはいつものニコニコスマイルを浮かべるだけで、私に答えを教えてくれなかった。

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