第11話 平穏で楽しい日々を望む

「物書きくーん、今日はありがとね!お酒もおつまみもいいチョイスだったよぉ!」

タマさんが俺の腕をしがみつくようにつかむ。

その横で酒吞さけのみさんもひょこりと顔をのぞかせて、ニカリと俺に笑いかけた。

「ごちそうさん」

「そんな!いつも酒吞さんにはごちそうしてもらっていますし!タマさんも、こちらこそ楽しくお酒がめました、ありがとうございました!」

あわあわと俺が言葉を返すと、後ろからヤギカガチさんのくすりと笑う声が聞こえた。

「あぁ、いや、すみませんね。物書きさんがあまりの慌てようだったので少々、小気味こきみが良くて……」

ヤギカガチさんは恥ずかしそうに、そして申し訳無さそうに微笑む。

「いえいえ、気にしないでください。気に入っていただけたのなら、なによりです」

俺はニコリとヤギカガチさんに笑いかけた。

「いつだって物書きさんは私のお気に入りですよ」

そう言ったヤギカガチさんに、とろけるように甘い声音こわねと微笑みを向けられ思わず大きくつばを呑み込んでしまう。

そんな俺の様子を女将さんが微笑ましそうに見ていた。

少し足早に歩いて女将さんは俺の隣を歩く。

そして、まるで風に揺れる花のようにふわりと首を前に出して、俺に軽く会釈えしゃくをした。

「物書きさん、今日は本当にありがとうございました。せっかくのお泊まり、楽しみにしてましたけどお邪魔になってもいけないですしもう家もすぐそばなので今日は帰りますね」

女将さんがちらりと横に目を向けると、そこには店に続くいつもの曲がり道が見えた。

店を出て家路につくとき、いつもここで別れて各々おのおの帰っていく。

「え?あ……そっか、そうですよね。……はい、お気をつけて」

俺は一瞬、思考が止まってしまって、考えがまとまらないそのままでぽつり、ぽつりと言葉がれる。

「えぇーー!タマはお泊まりするぅ!!」

タマさんが大きく抗議の声をあげ、ヤギカガチさんがそれをたしなめる。

「こらこら、あまりわがままを言っているとまた女将さんに怒られますよ?」

そんな二人を横目で見ながら酒吞さんが困ったように笑った。

「今日は騒ぐだけ騒いで悪かったな、今度は泊めてくれな?」

「え?……あ、えぇ!!もちろんです!!その時は布団とかいろいろ準備しておきますので!」

「ははは!そうだな!その時は俺たちも何かおもたせでも持って行かせてもらうからな!」

酒吞さんが快活かいかつな笑みで俺にほがらかに言う。

別に当然の流れだと思う。

外に出てきたのだし、夜風のおかげで酔いもある程度醒めただろう。

そして家が近いなら、自宅に帰った方がいいに決まっている。

みんなが本音で俺のためだと言ってくれているのもわかっている。

けれどもっと一緒にいることができると思っていたから、急な予定変更で少し、ほんの少し寂しい。

そんな頭の中を駆け巡る思いと、ちょっとした寂しさにふたをして、みんなに笑いかけた。

「今日は本当にありがとうございました。サイン会に来てくれて本当に嬉しかったです!お店以外でお会いするのも、一緒に食事するのも初めてだったので!楽しかったです」

「だな!もちろん女将さんの店で呑む酒もうまいけど、物書きの家で呑む酒も格別だった!今度は泊まりだし、楽しみにしてる」

「はい!お待ちしてますね!」

「物書きさんの家は居心地がよくてみついてしまいたくなりましたよ」

「光栄です。ぜひまた遊びにきてくださいね」

「タマも遊びに行くぅ!今日行くぅ!」

「タマさん、ありがとうございます。でも次の機会にしましょう?そのかわりたくさんお酒も用意してお待ちしてますからね」

俺の言葉に渋々しぶしぶ納得するタマさんを酒吞さんとヤギカガチさんが連れていく。

そんな光景を見ていると、帰っていく孫を見送るおばあちゃんになった気分だ。

「先生、この小娘はもう少し先みたいなので俺、送ってきますね」

「あ、うん。そうだね。ありがとう」

しきみさんのことを家司けしくんにお願いしてその場から離れようとした時、大きな声でしきみさんが俺に声をかけた。

「せんせぇ!次こそはわたしもぉ、お家につれてってくださいねぇ?それではぁ、またぁ!」

しきみさんがニコニコと満面の笑みを浮かべながらぶんぶんと手を振る。

俺も軽く手を振ると、家司くんも軽く手をあげてからまたしきみさんの首根っこに手を置いた。

そしていつも店の前で見送ってくれるように、女将さんは横道の前に美しい笑みで立っていた。

「物書きさん、実はお鍋お借りして少しおつまみ作ってあるんです。よかったら召し上がってください。皆さんのいる想定で作りましたから、たぶん量が多いので……余ったら冷蔵庫に入れて明日のおかずにでもしてくださいね。明後日あさってくらいまではチンして食べられますから」

女将さんがそう言って柔らかく微笑んだ。

言われて思い出した。

そういえば、とても美味しそうな匂いがしていた。

みんなが帰っていく寂しさが、ほんの少しだけ薄まる。

そして帰った後の楽しみを、ご褒美ほうびにもらったみたいでくすぐったい気持ちになる。

まるで女将さんには俺のこの寂しさも見透かさていたみたいで。

「ふふふ、それでは物書きさん、また明日。次は私のお家で会いましょうね?」

「えっ!?……あっ……!女将さん、その言い方は正しいですけど誤解をうみます!」

女将さんの言葉に心臓が飛び出してしまいそうなほど驚いた。

しかし動揺する頭で、彼女はお店の2階に暮らしているのを思い出し慌てて言葉を返す。

だが、その必死に返した言葉は俺が変な誤解をしたことをまざまざと見せつけてしまっただけだった。

そんな俺の様子を女将さんは可笑おかしそうに満足そうに微笑んで見ていた。

「まったく、からかわないでくださいよ」

俺は脱力して、ため息混じりに女将さんに微笑みながらそう言った。

女将さんは悪戯めいた笑みのまま、すみません、と答えた。

俺は後ろ髪を引かれながらみんなにもう一度感謝の言葉と挨拶をしていつもの帰り道を歩いていった。

いつものように一人で。


家に帰ってくるといつものように誰もいない、静かな空間が広がっている。

いつも通りなのだから、もう慣れているはずだ。

けれど、先ほどまでにぎやかだっただけにその場所はいつも以上に空虚くうきょな場所に感じてしまう。

当然の流れとなりゆきだった。

誰も何も間違えてはいないのだけれど、この感情はなんだろう。

とても心細い。

最初はお泊まりなんてさせられないと思っていたのに、いざみんなが帰ってしまうとなると物寂しくなってしまう。

まるで初めてお留守番させられたときの幼子おさなごのように。

友達と一緒に下校している学生が、まだ話足りないのに帰り道が分かれてしまった時の物足りなさのように。

ぐるぐると考えてしまう思考を無理矢理に切り替えて、俺はいつものリビングに向かう。

そこはいつの間にか片付けられていた。

空いた瓶や缶は袋にきちんとまとめられていて、乱雑らんざつにひろげられていた雑誌もきちんともともと置いてあった場所に片付けられていた。

おそらく女将さんが整えていってくれたのだろう。

だから一番最後に玄関にやってきたのかと納得をした。

女将さんのことを考えたとき、みんなのいない物寂しさよりも彼女の作ってくれた置き土産を思い出した。

足早にキッチンに向かうと蓋のされた鍋があった。

その蓋をとれば、じんわりとよい匂いが体の奥まで染み渡る。

「肉じゃがだぁ」

思わずひとり言が口から漏れる。

そして美味しそうな匂いが腹を刺激するままにその鍋を火にかける。

元気のない時は美味しい料理がやしてくれる。

このふと襲いかかる寂しさをに落ちるあたたかさで埋めよう。

懸命に心と思考を切り替えようと肉じゃがをあたためていた。


ガチャガチャ、ガチャン


玄関からドアが開き施錠せじょうする音が聞こえて、俺は慌てて火を止めてそちらに向かう。

俺は一人暮らしだ。

誰かが来る予定はないはず。

こんな時に泥棒か?

俺はそろそろと、足音をなるべくたてずに息を殺して玄関まで向かった。


「何してるんですか?先生」


足元と前ばかり見ていた俺に突然降りそそいだ声の主は、長い付き合いの担当だった。

「家司くん!?どうしたの?忘れ物?」

そういえば担当である彼にはここの鍵を渡していたんだった。

泥棒ではないことに一安心してたずねる。

「はい?だから私、帰るのが面倒だから今日は泊まるって言ったじゃないですか」

「……言ってた」

「でしょう?もう、廊下は寒いんだから馬鹿なこと言ってないで部屋戻りましょう」

理不尽な言葉だと思うのだが、俺は素直に彼のあとについていった。

「あ、雑誌が片付けられてる。まだ途中だったんですよね」

家司くんは慣れた手つきで上着を置くと読みかけの雑誌をとった。

そしてまるで自分の家みたいにくつろぎ始めた。

家主やぬしである俺の都合や感情などそっちのけ。

まったく失礼で、理不尽で、でもそんなことお構いなしな、いつもの彼が今はとてもありがたかった。

「……俺、家司くんが担当でよかったよ」

そう俺が言うと、家司くんは静かに微笑んだ。

「はい、知ってますよ。先生」

「女将さんが肉じゃが作ってくれてて今、あたためてるけど食べる?」

「いただきます。おわんだしますね」

俺が鍋に火をかけている間、彼は食器棚からお椀を取り出し、そのまま手際てぎわよくはしや飲み物も用意してくれた。


「それでは先生、あらためて今日はお疲れ様でした」

テーブルをはさみ前にいる家司くんがそう言って飲み物に口をつけた。

俺もつられるように俺の前に用意されたグラスに口をつける。

それはじんわりとのどを通り胃の腑に落ちていく。

「これ、酒か?」

俺はグラスをみつめながらぼそりと呟く。

「はい」

「まだ呑むの!?」

「え?だって肉じゃがですよ?日本酒があるのに呑まないなんて肉じゃがに失礼じゃないですか」

「それは君の好みの話でしょ!?俺は呑んだ後のシメの料理のつもりだったんだけど!」

とんでもない持論じろん論破ろんぱしようとする家司くんに抗議の声をあげる。

「別にいいでしょう?どうせ明日も朝早いわけじゃないんですから。つきあってください」

これ以上言ってもきかないだろう。

家司くんには感謝もしているしここは俺がおれることにした。

「はぁ……まったく君は……。わかった、でも1杯だけだからね」

もう口もつけてしまったし、捨ててしまうのはもったいない。

俺はせっかく酔いが醒めた体にまた酒を流し込む。

仕方ないと思っていたけれど、肉じゃがを口に放れば味の染みた肉じゃがと日本酒がよく合っていて、つい2杯目に手を伸ばす。

悪戯めいた笑みを浮かべながらこちらをみつめる家司くんの姿を見て、また彼にしてやられたと思っていた。


家司くんとお酒を呑みながら他愛もない話をしていた中で、ふと何気なくたずねた。

「そういえば、しきみさんって初めてくらいに関わったけど、どんな人?」

「はい?また女に興味津々ですか?」

「ちょっと!やめてよ、その言い方!俺がそんな不埒者ふらちものだと思ってたの!?」

「不埒者って……冗談ですよ」

「俺しかいないのに俺が笑えない冗談言うのはやめてよ……」

「先生しかいないから言える冗談ですよ。さすがに他の皆様がいたらひかえます」

本当かな?と思い、疑わしい眼差しを向ける。

「小娘のことなど、どうして急に?」

「いや、なんとなく気になっただけ」

何かを見透かすような瞳で見る家司くんに何気なさげに答える。

少しの間のあと、家司くんが俺の問いかけの答えを告げる。

「……えぇ、たぶん先生のご想像通りの女だと思いますよ」

意味ありげな家司くんの返答に俺は妙に納得しながら、しきみさんとのこの先の関わり方を考えていた。

今日の彼女の態度や女将さんたちからの対応、話し方や雰囲気、あのときの表情。

お酒の力なのか逆にえている頭で考えをめぐらせた時

「これ、うっまいですね」

さほど大きくはない声だったが集中していた思考は遮られた。

「え……あ、そうだね!女将さんの料理はどれも美味しいよね。……ごめん、めっちゃ思考のスパイラルに集中してた」

「次の〆切の小説のことですか?」

「いや、全然関係ないこと」

「……」

「ごめんって」

「それならまず目の前の美味しいお酒と肉じゃがを楽しみましょう」

「そうだね」

俺がばつが悪そうにしているのを見て、家司くんが話を切り替えるように少し明るめな声で言う。

「それにしても美味しいお料理ですね。料理上手な方なんですね」

「そうだね、お店をいとなんでるくらいだし。料理好きだっていつだったか聞いたことあるよ」

「いいですねぇ、先生とこの料理を作ったあの女性が結婚したら毎日のように美味しい料理が食べられるんですね」

「……!!っげっほ!げっ…こほっ!んん…っ!なんて?」

「ですからあの女性と先生が」

「もう一回言えってことじゃなくてさ!話が飛躍ひやくし過ぎでしょう!女将さんの料理上手って話からどうしてそうなるの……!」

「結婚したら毎日ように美味しいご飯が食べれますよね、私が」

「なんで!?だからどうしてそうなるの!?」

慌てふためく俺と冷静で自分勝手な家司くんと肉じゃがと日本酒。

からかわれたり、いさめたり何気ない会話に花を咲かせたり。

酒吞さんたちやタマさん、ヤギカガチさんとお酒を呑んだり、家司くんに好き勝手に振り回されたり、女将さんの店で話を注文したり。

その全てに人生が彩られていて救われていたり。

そんな平穏で楽しい日々が続いていくことを俺はただ望んでいる。

そんな願いを心に宿やどし、美味しい肉じゃがとお酒とたわいもない話をしながら秋の夜長は過ぎていく。







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