第4話 この噺の真相は

「それではすぐにご用意しますね」

女将さんがそう一言残して注文された料理の準備をするためこちらに背を向けて奥の方へ向かっていく。

その背中を見送りながら俺は思っていた。

本当にあれがただの法螺話ほらばなし

……いや本当の話だと言われても疑わしい話だと思うけど。

けれど人はあぁもスラスラと作り話を話せるものなのか?

それもたった千円札一枚でまるごと聞き手のものになってしまう一回きりの法螺話を

ガシャンッ!

思考しこうさえぎられなかば反射的に音がした方向に顔を向けるとタマさんがまだほんの少し酒の入ったグラスを倒しテーブルをらしていた。

「あぁーー!何やってんだっ!タマ!この店汚したらヤベーぞ!女将さんに……。ちょっ……おしぼりどこ!?」

女将さんに……何?その後に続く言葉は何!?

どう考えても不穏ふおんな言葉しか浮かばない。

あの穏やかな女将さんだから不穏な姿は想像できない。

だが確かにみょうに雰囲気のある女性でもある。

怒らせたら怖いのかもしれない。

そんな勝手な想像をしながらも慌てた様子の酒呑さんにとりあえず目の前にあった俺のおしぼりを投げるようにさしだす。

酒吞さんはそれを素早く取って流れてゆこうとする酒の道筋みちすじふさぎそのままいていく。

「助かった……ありがとな物書き。お前は俺の命の恩人だぜ……」

そんなに感謝される!?命って!?

女将さんは本当にどんな人物なんだろうと想像もできずに濡れたおしぼりを受け取った。

「これ、女将さんに言って新しいものに取りかえてもらってきますね」

酒で濡らしてしまったおしぼりを片手に酒吞さんに一声をかけてその場を離れる。

「あら、物書きさん。どうかしました?」

ちょうど奥から顔をのぞかせた女将さんにおしぼりのことを話すと呆れたように笑った。

「あらあら、さしずめタマさんが酔ってグラスでも倒したのでしょう」

俺は内心体を震わせたが平静を装いながら静かな笑みを顔にりつけた。

彼女はその時どこからか見ていたんじゃないかとも思った。

「彼女も悪い方ではないのだけれど……物書きさんにご迷惑おかけしてたらごめんなさいね」

俺は慌てて首を横に振り今の率直そっちょくな気持ちを彼女に伝えた。

「俺、楽しいんです。今がとっても楽しくて、なんか……今まで経験したことのないようなことばっかりで、それが俺、すごく楽しいんです」

まるで初めて言葉を覚えた子供のようにつたなくて素直な事しか言えなかった。

事柄ことがらは決して珍しいことではないと思う。

ただ少し道を間違えて来た小料理屋で法螺話を注文して人生が変わった気がしてる。

いや、やっぱりちょっと珍しい事柄だったかもな。

突然、不思議な世界に飛び込んだみたいな。

別に異世界転生しているわけでもないのだけれど。

にもかくにも俺は今、とても楽しいのだ。

急に一人で照れくさくなって酔っているのかもと言いながらごまかす俺を彼女は決して馬鹿にしない。

彼女はただ穏やかな笑みを浮かべてみつめていた。

そんな彼女のことを俺もみつめる。

「……った……」

彼女の口元がかすかに動いたのを俺の目はとらえた。

「……?……何か言いましたか?」

俺がそうたずねると彼女はやはりいつもの穏やかな笑みのまま首をゆっくりと横に振った。

「いいえ?何か聞こえました?……そう!おしぼりでしたよね?今新しいものお持ちします」

俺から酒で濡れたおしぼりを受け取って奥に向かい新しいおしぼりを俺に手渡す。

その瞬間に俺はずっと心にあった疑問を彼女に投げかけた。

「あの話って本当に法螺話なんですか?」

彼女はピタリと一瞬だけ動きを止めて、その後ゆっくりと俺の瞳を捉えた。

彼女は穏やかな笑みをあの時と同じように一際ひときわ強くして答えた。

「さぁ?どうでしょう?でも、ホラでもホラーでも嘘でも本当でもいいじゃないですか。フィクションでも実話でも……ホラーなんて」

そして強い笑みをさらに深くして言葉を続ける。

「全てが科学に占拠せんきょされ常識にしばられ根拠こんきょとらわれているこの時代に、唯一ゆいいつ残されたファンタジーなんですから」

彼女の深い笑みにつられるように彼女の影までもが濃くなっていく気がした。

あぁ、また引き込まれ引きずられていく。

まどわされるように、いざなわれるように、俺の心を揺さぶる。

疑問が刺激へと変化して刺激が興奮へと進化していく。

この人は……何者なんだろう。

人間……なんだよな?

横目で見れば先ほどタマさんが使っていたお品書きが開かれたまま置かれていた。

目の前で強く深く濃い笑みを浮かべた彼女に人並ひとなみならぬ気配を感じながら俺はお品書きにある文字を指さした。

「あの追加で……注文してもいいですか?」

あの時と同じように、彼女は俺の答えを見透かしてその答えを待っていたかのように見惚みほれそうなほど美しくうなずいた。

そして奥のいている席に促され俺は腰をける。

賑やかだった喧騒けんそうがゆっくり遠ざかっていくのを感じた。

「かしこまりました。それでは一つはなしましょう。このお噺はひとつ千円。千円でこのお噺はまるごと全てお客様のもの。それでは少々のお時間とお耳を拝借はいしゃくさせていただきます」

そしておぼれてしまいそうなほど魅惑的みわくてきな声で彼女は話し始める。

あの時と同じように。


「これはある寒い冬の日の出来事でございました」


俺はまだこの不可思議ふかしぎ不可解ふかかい異様いような世界にひたっていたい。

これはきっとそう。

今の俺の残された唯一ゆいいつのファンタジーだと思うから。



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