第12話  綺麗な花には棘がある

家司けしくん、じゃあ俺行くね」

「はい、いってらっしゃい。先生、今日は何が食べたいですか?作って待ってますね」

「ありがとう、でも家にあるもので、簡単なものでいいよ?俺が帰ってきてから作ってもいいし、今はゆっくりしてたほうがいいよ」

「わかりました。先生……たまにはこの間の皆さんと会ってきたらどうですか?私は大丈夫ですから」

「そうだね、じゃあ、いってきます」

俺は家司くんに背を向けて家を出る。

家司くんが、閉まったドアの鍵をかけてくれる。

こんなやりとりを、最近は毎日のようにしてる。

家司くんが俺の家で暮らすようになって、もう1週間以上が経つ。

俺はいつものように待ち合わせ場所に向かう。

待ち合わせ相手はもう先に来ていた。

俺をみつけて嬉しそうに手を振っている。

「おまたせしてすみませんでした」

「ぜーんぜん!気にしてないよぉ!せーんせぇ!」

しきみさんはいつものようにニコニコとした笑顔で立っていた。


「はぁ……」

思わず口をいて出るため息が止まらない。

最近はいろいろなことを考えてしまって気が重い。

「どうしたんだ?ため息なんていて」

「おーい!元気ないよー!物書きくん!」

「お疲れですか?」

突然、後ろから声をかけられてはじかれたように振り返る。

そこには、俺がずっと会いたかった人物たちが立っていた。

酒吞さけのみさん!!タマさん!!ヤギカガチさんも!お久しぶりです!俺ずっとみなさんにお会いしたかったんですよ」

俺が声を弾ませて酒吞さんたちに近づく。

「久しぶりだな、物書き!……と小娘ちゃんじゃないか。珍しい組み合わせだな」

酒吞さんはニコッと笑ってから物陰ものかげにいたしきみさんに気づき、目を丸くした。

「なんでこいつといるの?」

タマさんがまゆを寄せてしきみさんを見る。

「珍しいですよね、でも実は最近は珍しくはないんですよ。今の俺の担当は、しきみさんの担当さんになっているので」

俺はそう言って少し口籠くちごもる。

「おや、家司くんは担当から外れたんですか?」

ヤギカガチさんが驚いたように俺に声をかける。

「いえ、ちょっと問題がありまして……そのことで女将さんのお店にもなかなか行けてなくて」

そう言って肩を落としていると、酒吞さんが子供をあやすように俺の頭をポンポンとでる。

「わたしのせいなんですよぉ……」

しきみさんが申し訳無さそうな声を上げる。

タマさんがしきみさんをきつく睨んだ。

「……いえ、しきみさんのせいというわけではないんですけど」

少しの沈黙の後、俺が首を横に振る。

ヤギカガチさんは得心とくしんしたようになるほど、と一言だけつぶやく。

タマさんはまるで毛を逆立さかだてた猫のようにしきみさんを睨みつけて、酒吞さんがうつむく俺に目線を合わせながら心配そうな表情を浮かべていた。

今の俺は、自分が思っている以上に精神的に追い込まれているのかもしれない。

きっとストレスもまっているのだろうし、山積みになってしまった問題は何一つ解決していない。

それなのに、みんなに会えただけで嬉しくなる。

抱えきれない不安や戸惑いを吐露とろしてしまいたくなる。

「なんでも言えよ?物書き」

「今日は物書きくんの話を聞くから教えて?」

ヤギカガチさんはコクリと優しくうなずき、俺はその言葉に甘えてみんなに相談をしようとした。

その時、背後から大人びた女性の声がした。

「先生は大変お疲れのようね。家司くんがあんなことになったのだし仕方ないけれど。二人には本当に申し訳ないことをしたわ」

俺が後ろを振り返る前に、しきみさんが嬉しそうな声を上げる。

「担当にゃーん!!おかえりぃ!」

「ただいま、しきみ。と先生。こちらの方々は?」

しきみさんの頭を撫でながら、こちらに向き直ると担当は眉をひそめる。

「……俺の友人です。それより、どうでした?」

俺は担当を少し見てから、簡潔かんけつに関係を伝える。

そして、今戻ってきたばかりの担当をせっついた。

「だめね、家司くんのことは許可出来ないと言われたわ。先生のこともあの仕事は他の作家になりそうだし……力になれなくてごめんなさいね」

担当は申し訳なさそうに肩をすくめる。

何一つ、今のところ問題解決の糸口はなく、俺は言い捨てるように言葉を返す。

「……いえ、仕方ないことですから」

いつもよりも声を固くしてうつむく俺に、酒吞さんが気遣きづかうように声をかけてくれた。

「一体、何があったんだ?」

タマさんは心配そうな顔で俺の顔をのぞみ、ヤギカガチさんは表情の読めない顔でしきみさんたちをみつめていた。

俺は少しよどんでから、酒吞さんの問いに答える。

「……それが、実は」

俺はことの始まりである1週間ちょっと前の出来事から、順を追って今にいたるまでの経緯けいいを話すことにした。


「熱愛発覚なんて記事が出回っちゃって、それで家司くん、しきみさんのファンから殺害予告まできちゃったんです」

上司との会話を思い返しながら、酒吞さんたちに説明していく。

「殺害予告!?やばっ!」

大きく目を開いたタマさんの声が裏返る。

「それで家司くんの安全確保のために謹慎きんしんという形をとることになりまして……今、家司くん俺の家で暮らしているんですよ」

「そうか、それは少しうらやましい気もするけど。家司くんも物書きも災難だったな」

「家司くんに殺害予告とは……それは確かに穏やかじゃないですからね」

「わたしが可愛すぎたせいでごめんなさい」

全く反省の意の見えない言葉で、心底申し訳なさそうに謝るしきみさんを、冷たい声でとがめたのは待ち望みずっと焦がれたあの人だった。

「あいかわらずつらかわあつい小娘ですね」

その人はいつものように、美しく深い笑みをたたえてそこに立っていた。

「女将さん!お久しぶりです!!」

「最近はご無沙汰ぶさたでしたけれど、今日はお店にいらしてくれるのかしら?」

悪戯いたずらめいた笑みで女将さんに笑いかけられ、俺はおずおずと言葉を返した。

「そうですね、毎日のように行きたいと思ってるんですけど、今の状況だと家司くんを一人にするのも心配で……」

「そうでしょうね、物書きさんはお優しい方ですからね」

女将さんは俺の返答がわかっていたかのように得心して、しきみさんに向き直る。

「小娘、あの時の言葉をもう忘れたようですね。おまえの頭は網目あみめの大きいザルよりすくいようがありません」

心の底から馬鹿にしたような冷たい瞳でしきみさんを見る女将さんの前に、担当が立ちはだかる。

「すみません、しきみへの侮辱的ぶじょくてきな発言はひかえていただけますか?」

「こちらは?」

「あ、しきみさんの担当の方で今は俺の担当でもあります」

「なるほど。では部外者は引っ込んでいてくださいませ」

女将さんは冷たい瞳のまま、担当を部外者と称して一蹴いっしゅうしてしまう。

担当が怒りだすかとも思ったが、ひどく冷静に対応していた。

「すみません。差し出がましかったですね。以後、気をつけますがしきみも傷ついていますので、お察しください」

大人の対応を見せる担当を、タマさんが面白くなさそうに見ていた。

そして先ほどから少し思案しあんげにしていた酒吞さんが、俺に小声で話しかけてきた。

「なぁ、何か他に悩み事はないか?いや、家司くんのことも大変だけど、それでどうして物書きの仕事がポシャるんだ?」

俺はどきりとした。

実はまだみんなに言っていない問題がある。

家司くんとしきみさんのゴシップも頭を悩ませる問題なのだが、もう一つ、俺の前にはふさがる難問なんもんがあった。

それはどうしても俺を憂鬱ゆううつにさせ、自信をいでいく。

そのせいで他のことがおろそかになり、良い文章も考えもまとまらない。

家司くんがいないときを見計みはからったかのように、急に始まったもの。


それは俺の小説に対するバッシングだった。


名も知らない人たちからの心無い言葉の数々。

それは俺の神経をすり減らすには充分だった。

けれどそれで悩んでいるとはなんとなく言いにくかった。

実際、大きな問題なのは家司くんのことだし、バッシングなどは有名税だから気にするな、なんていう人もいるくらいだから。

傷ついても、嫌な思いをしたとしても実質的被害はないのだからと自分に言い聞かせる。

酒吞さんはそんな俺の心を見透みすかしているようだった。

相談してしまおうか、きっとこの人たちなら親身になって考えくれて、優しい言葉をくれるだろう。

けれどそれでは頼ってばかりになってしまうようでそれも申し訳なく思ってしまう。

こういう時の優柔不断な自分には嫌気が差す。

自虐的じぎゃくてきな思考になった時、そんな重たい空気を破る甲高かんだかい声が聞こえた。

「しかもぉ、記事とは別件でぇ、せんせぇまでバッシングの嵐になっちゃってぇ、わたしまでパニック状態なんですよぉ!」

言っちゃったぁ……しきみさんが言っちゃったぁ。

俺が長い時間かけてすごく悩んでどうしようかって考えてたことをしきみさんはあっけらかんとした表情で言ってしまった。

途端とたんに周りの空気がひりついて、みんなの顔がけわしくなる。

剣呑けんのんな空気の中、女将さんの声が響く。

もちろんそんなに大きな声ではないというのに、まるで地をうようにそれはひどく重い。

「どういうことですか、小娘」

「わたしのせいじゃないんですよぉ!ただぁ、ここのところ、せんせぇに誹謗中傷ひぼうちゅうしょう?ってやつがすごくてぇ、炎上状態えんじょうじょうたいなんですぅ」

しきみさんの言葉に、女将さんがこちらを見やる。

その瞳を俺は今まで見たことがなかった。

まるで美しい悪鬼羅刹あっきらせつのようだった。

「なぁ、女将さん。気持ちはわかるけどよ、物書きがおびえるぞ?」

酒吞さんが俺をかばうように前に立ち、さらりと女将さんに言う。

女将さんは眉を一度寄せてから深く息を吐いて、感情を立て直すように二度、三度小さく頷いた。

そして、いつもの微笑みを浮かべる。

「物書きさん、本当なんですか?」

「……はい。すみません」

「物書きが謝ることはねぇだろう?お前さんは被害者なんだからな」

「でも水臭みずくさいよぉ!そんなことになってるならタマに言ってくれれば、物書きくんを傷つけた奴なんてすぐにきざんでやるのにぃ!」

ぷんぷんとしながら恐ろしい事を言うタマさんを、普段ならばヤギカガチさんが間髪入かんぱついれずにたしなめるはずだ。

けれどヤギカガチさんは、ただ静かにしきみさんと担当を、眉をひそめ、目を細めてみつめている。

「大丈夫ですよ、先生。そのうち、解決します。一緒に頑張りましょう?」

担当は俺に笑いかける。

俺はそれに、すぐには言葉を返せずにいた。

ヤギカガチさんは時折、ぺろりと唇をめては、また睨みつけるように担当としきみさんをみつめる。

俺はヤギカガチさんと二人を交互こうごに見てから、少しためらいがちに声をかけた。

「ヤギカガチさん?」

俺の小さな呼び声にヤギカガチさんはハッと、我に返った様子で俺を見る。

そしていつもの柔和にゅうわな笑みを浮かべて、女将さんに声をかけた。

「女将さん、この方々も、今日はお店に来ていただいてはどうですか?」

その発言に最初に反応したのは俺だった。

「え?」

少し困ったような、嫌がるような声になってしまい、慌てて誤魔化ごまかすように咳払せきばらいをする。

女将さんはヤギカガチさんをみつめるだけで何も言わない。

不満気なタマさんと表情が読めない顔をしている酒吞さんは成り行きを見守っている。

「え?……いえ、そんな!急にお邪魔してはご迷惑になるでしょう?」

担当が顔を赤らめて明るい声をあげる。

しきみさんは上目遣うわめづかいをしているが、口角こうかくは上がってはいない。

ただ、じっとその場を見極めている感じだ。

「なるほど、そうですね。ぜひ、いらしてくださいな。もちろん、ちゃんとお代は支払っていただきますけれど」

やがて納得したように、女将さんはヤギカガチさんの提案ていあんを受け入れた。

きっちりと勘定かんじょうの話をするあたりは、イメージはないがさすがの商売人なのかもしれない。

「そ、そうですか?ではしきみ、お言葉に甘えさせてもらいましょうか。経費けいひで落ちるかしら?」

「うーん、無理じゃないぃ?」

「そうよね!でもお金なんていくらでも支払うわ!だって、こんな綺麗な方々に囲まれたらまるで物語の主人公みたいじゃない!」

嬉しそうにはしゃぐ担当をしきみさんはみつめた。

その瞳はまるで色がなかった。

「では、行きましょうか。ご案内しますわ」

俺が動く前に、担当がさっと前におどる。

ドンっと肩がぶつかり、俺は押し出されるように横によろけた。

「大丈夫ですか?物書きさん」

ヤギカガチさんが肩をささえてくれたおかげで、俺は車道に飛び出すことなく踏みとどまる。

じっと酒吞さんは前を見据みすえ、キッと睨みつけるタマさんをヤギカガチさんが窘める。

そして前を行く背中をみつめる3人の6つの瞳がキラリと光って見えた。


背中を遠慮えんりょがちにトントンと突っつかれて振り返れば、しきみさんが申し訳無さそうに立っていた。

「ごめんねぇ、せんせぇ。わたしねぇ、実は〆切がちょっとヤバそうだからぁ、先に帰るねぇ」

しきみさんが手を顔の前で合わせてから、ウィンクをして俺に背を向けた。

「えっと、わかりました!でもお一人で大丈夫ですか?」

俺は慌てて了承りょうしょうしてから、しきみさんの置かれている状況を思い出し声をかける。

しきみさんは、ここにいるから大丈夫!と言ってすぐ近くの建物を指さした。

見ればそこは、俺たちが契約している出版社、コーナーリバーの本社だった。

あの日、俺たちが呼ばれた会議室もここにある。

「ここで、せんせぇの帰りを待ってるよぉ!日付は変わる前に帰ってくるでしょう?」

俺はもちろんと言って、しきみさんがビルの中まで入っていくのを見送る。

ビルの前で、知り合いに会ったらしいしきみさんは、こちらに手を振ってからビルの中に消えていった。

「私たちもお店に行きましょうか」

ヤギカガチさんにうながされて、俺は酒吞さんとタマさんと一緒に行き慣れた道を進んでいった。


「もうあれは使えないなぁ。けっこう良かったんだけどなぁ、あれ。でも、馬鹿すぎる。はぁ、せめて次の題材になってもらおうかな?」


しきみさんの次の作品は、けもの化物ばけものに目をつけられ千切ちぎられる愚かな徒花あだばなの話だった。






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