第13話 綺麗な花には毒がある

「物書きくんはあの人が嫌いなの?」

タマさんが、遠くに座るしきみさんの担当を指さして俺に聞く。

女将さんのお店に着いた俺たちはいつものテーブル席に座り、担当は女将さんにカウンター席に案内されて座っていた。

俺は座っているテーブル席から、女将さんの前に嬉しそうに座る担当を見る。

思わず、苦虫をつぶしたような顔になってしまう。

そんな俺の顔をタマさんはじっと見てから、ふとこちらに向かって手を伸ばす。

くいっ。

知らず寄ってしまっていたらしいまゆの間をでられて、驚いてタマさんを見ると悪戯いたずらめいた笑みで俺の顔をのぞんでいた。

「ねぇ、どうなの?あの人のこと、嫌いなの?」

俺はうーん、とうなり、少し考えてから答える。

「嫌い、なんでしょうか。苦手なのかな」

「珍しいですね。物書きさんが、誰かを苦手とか嫌いとか。物書きさんにはそういうものはないと思ってました」

「俺も聖人君子せいじんくんしじゃありませんから。好き嫌いはある程度ありますし、苦手なものもありますけど。あの人は、なんか直感でダメだなって」

すごく失礼なんですけど、と付け加えて俺は担当から目を離し、お品書しながきに目を落とす。

「それでいいんだよ、物書きくん。直感って大事なんだよ」

タマさんはそう言ってニッコリと笑う。

足で自分が座っている椅子いすを引きずり、俺の椅子に近づける。

そしてタマさんを見る俺と向き合う。

「直感っていうのはね、いわば野生のかん、その生き物の経験にもとづく記憶と防衛本能ぼうえいほんのうなんだろうなって、私は思うよ」

優しくみつめられ、ポンポンとタマさんに頭を撫でられて、なんだかとてもくすぐったくなる。

「だからね、物書きくんは間違ってない。自分を信じていいんだよ」

タマさんの言葉に、酒吞さけのみさんもヤギカガチさんも同意するようにうなずく。

そして、優しく俺に微笑みかけてくれた。

「物書きくん、私たちは物書きくんが大好きだよ。だからいつでも頼ってほしいんだ。いいかな?」

俺はその言葉と笑顔に、かたまっていた心の不安や悩みが、みるみるとほどけていくのを感じた。

「はい、ありがとうございます……!」

まるで、きつく張り詰めていた糸がゆるむみたいに、安堵の気持ちが広がっていく。

甘えてしまっていいだろうか。

みんなの、その優しい言葉に、俺は笑顔で頷いた。

「それじゃあ、酒でも呑みながら物書きの話を聞かせてもらうかな!」

「ふふふ、そうですね。今日は私がおごりますよ、物書きさん!」

俺が広げたお品書きを酒呑さんたち二人は覗き込み、料理やお酒を選んでいく。

俺やタマさんも加わって、あれにしようか、この酒にはこの煮物が合いそうだなどと話していたところで、ふとヤギカガチさんが女将さんの方を見やる。

そして椅子がカタリと音をたてる。

ヤギカガチさんは美しい所作しょさで立ち上がり、俺たちに笑いかけた。

「女将さんがお忙しそうなので、少し様子を見てきますね。頃合ころあいを見て注文してくるので、皆さんはここでおしゃべりしててください」

ヤギカガチさんはスラリと長い足で、ゆったりと歩いていく。

ヤギカガチさんが遠ざかっていくのを見送ってから、酒吞さんが口を開く。

「物書き、俺はおまえが、年末で忙しくて店に来れないもんなんだと思ってたんだよ」

酒吞さんの言葉に俺は固まる。

ここ最近は忙しくて、時間の感覚がなかった。

そういえば、冬物のコートを出してから結構な日にちが経過けいかしている気がする。

「……年末!?今日って何日でしたっけ!?」

「もう、明日は大晦日おおみそかだよ?」

「明日!?年末年始の準備なんて何にもしてないですよ!蕎麦そばとか、おせち類とか全然用意してない」

家司けしくんが用意してくれてるんじゃない?」

「いやぁ、たぶん望めないです」

あらぁ、と言ってタマさんはあわれみの瞳でこちらを見る。

「じゃぁ、物書きは家司くんと一緒に年越しかぁ」

酒吞さんはそう一言言うと思案しあんげに黙り込む。

酒吞さんの方とヤギカガチさんの方を気にかけながら、いつものようにタマさんととりとめのない話に花を咲かせた。

久しぶりのお店の香りと、あたたかい雰囲気に身をゆだねる。

問題は何一つ解決はしていないというのに、とてもホッとしている自分がいる。

すべてうまくいく。

そんな確信めいたものがあった。


「本当に素敵なお店ですね!お話も怖かったけれど面白かったですし!もっとあちらの皆さんともたくさんお話したいですね!」

「あら、それはどうも。あの人たちは物書きさんとお話しをしてるからどうかしら」

「ふーん、そうですか。でも呼んだら来てくれるかも!私、皆さんとずっとお会いしたかったんです!!」

「おや、それはなんとも光栄と言ったほうがいいのですかね」

「あら、こちらになにかご用かしら?」

「注文をしに来たんですよ。お邪魔でしたか?」

「まさかっ!!よかったらおとなりどうですか?」

「いえ、すぐにあちらに戻りますよ。タマさんの相手は酒吞くんだけでは大変でしょうから」

「それなら、タマさんも酒吞さんもこちらに呼んだらどうですか?皆さんとも仲良くなりたいですし」

「ふふふ、積極的な方なんですね。でも遠慮えんりょしておきますよ」

「えぇー!どうしてですかっ?こっちも席空いてますし、それにもっと」

「おまえといたくないからですよ、醜女しゅうじょ

「え?なんですか?」

みにくい女ということです」

「なに言って……ヤギカガチさん?」

気安きやすく呼ぶな無礼者ぶれいもの。私、おまえに名乗なのった覚えありませんよ」

「……え?」

「ヤギカガチさん、ご注文ならうけたまわりますから。そのへんでやめてください。目がおかしくなってます」

「……それでは、これとこれとこれ。お酒はこれでお願いします」

「わかりました。対応を終わらせたらすぐにご用意しますね」

「では、私は戻ります」


ヤギカガチさんが戻ってきた。

「おや、珍しい。酒吞くん、フリーズしてるんですか?」

にこやかに帰ってきたヤギカガチさんは、涼しい表情で言う。

「あ、ヤギカガチさん、おかえりなさい」

「ただいま戻りました」

「あっちの様子どうだったぁ?」

「女将さんにおまかせします。邪魔だったみたいで追い返されてしまいました」

あら、というタマさんに続いて俺が何か声をかけようとした時、その声は酒吞さんの大きな声でかき消されてしまった。

「そうだ!!こないだ出来なかった物書きの家でのお泊まり会、明日にしねぇか?」

「え?明日ですか?」

突然の提案に驚く俺を見て、酒吞さんは残念そうに声をかけてくる。

「なにか先約せんやくでもあるか?」

「いえいえ、俺は大丈夫なんですけど。何も用意してないですよ?」

酒吞さんの質問に慌てて答える。

何も用意していないのが申し訳ないと言うと、酒吞さんは快活かいかつに笑う。

「いいじゃねぇか!きっちりしてるのはしょうに合わないしな!」

「まったく、酒吞くんは。おもたせでも持ってくるって言っていたのはどの口ですか?」

呆れたように言うヤギカガチさんに、その言葉を待ってましたとばかりに酒吞さんは言葉を返す。

「おもたせはあるさ!」

「え?私は何も用意してないけどなんか用意してたっけ?」

キョトンとするタマさんに自信満々に頷いた酒呑さんは、親指でカウンター向こうにいる女将さんをした。


「女将さんの年越しそばとおせちだよ!」


急に話を振られた女将さんは、驚いた顔をしてからにっこりと微笑んで言った。

「ぜひ、喜んで作らせていただきますね」

女将さんは俺たちが注文したものを用意してくれている。

あれ?と思ったのだが、なんでそう思ったかは忘れてしまった。

女将さんが、一人でカウンターにいることは珍しいことではないはずなのに。

なぜか違和感がぬぐえなかった。

けれど、その違和感はお酒と料理の匂いに鼻孔びこうをくすぐられ、わからなくなってしまった。


「すみませんね、ヤギカガチさんは少々、口が悪くて」

「……あの人が誘ってくれたのにっ!!失礼ですよね!!今の男といい、あの男といい、ちょっと顔がいいからって性格悪い人多くないですかっ!!」

「……あの男って家司さんのことですか?」

「っ!!……え?なんですか?急に」

「あなたでしょう?家司さんをおとしいれて、わざと物書きさんに誹謗中傷ひぼうちゅうしょうが来るように仕向しむけているのは」

「なんで、わたしがそんなことっ!!」

「さぁ、そこまでは興味ありませんからわかりませんけれど」

「じゃあ、人を勝手に犯人扱いしないでいただけますか!?」

動機どうきには興味ありませんけれど、ほぼ確証に近い答え合わせはできますよ?」

「は?」

「まず、さきほどヤギカガチさんが言ったように私たち、あなたに名乗ってもいないのに一度も間違えることなく私たちを呼べること」

「……っ!!」

「そして私達と初対面なら誰でも気にする物書きさんのあだ名、あなたそのことを聞いてこなかったでしょう?家司さんは最初に聞いてきたのに」

「それはっ!!」

「それにあなたはずっと私たちに会いたかったと言っていたことも変でしょう?初対面ならありえません」

「う……うるさいっ!!」

「おそらく、不在だったはずの夏のあのサイン会にあなたもいたんでしょう。そこで私たちを見た。いた理由は知りませんけれど」

「あのサイン会はしきみが出るはずだったのよ?それをあの男が横入よこはいりして……っ!!あの男と同じで、たいして才能もないとっくにつぶれたはずの一発屋がしゃしゃり出てきてっ!」

「あの小娘のためですか?」

「そうね、あのこは使えるもの。あのこの評価は私の評価につながるからね。大事にしてあげるわよ?だからイベントであのこの方がすごいと、才能があると教えてあげようと思ったの。凡人ぼんじんであることを、あいつらに気づかせてあげようってね。でも家司にあなたたちみたいな知り合いがいるなんて思わなかった」

「……」

「私、綺麗な人が大好きなのよ!そういう人にかこまれて全員に愛される!!そんな話が大好きなの!!あなた達を見た時に、すぐ私もその主人公になれるって確信したわ!だからもらうことにしたのよ!」

「……」

「ねぇ、もしあなた達も私の思うように動いてくれるなら、先生のこと助けてあげてもいいわ。仕事も返してあげるし、もういじめないであげる!ね?悪い話じゃないでしょう?あなた達が私を愛してくれればいいの!私を物語の主人公にし」

「気持ち悪い、気色悪い、虫唾むしずが走ります」

「なんで?」

「あなたの話につきあってあげるほど私はひまじゃないんですよ。注文も承りましたし」

「待ってよ!あなたの大事な先生がどうなってもいいの?」

「どうもならないでしょう。たぶん言葉にしてないだけで、物書きさんもあなたを疑っていると思いますよ?あの人、態度に出るからすぐわかります」

「そんなわけないでしょ?あんな馬鹿でだまされやすい男になんて」

「物書きさんは聡明そうめいですし、あなたは自身の価値を過剰評価かじょうひょうかしすぎですよ」

「っ……後悔しても知らないわよ?もうあの凡人が二度とい上がれないように潰してやるから!!」

「お帰りならおだいを」

「こんなムカつく店に、お金なんて渡すわけないでしょ!!」

「お代はきっちり払っていただかないと……あら、出ていかれてしまったわ。ちゃんと支払しはらっていただかないと、あのおはなしはひとつ千円。千円でこのお噺はまるごと全てお客様のもの。お代はわり、代わりがなければ身代みがわれない。あの女にした噺はどんな噺だったかしら」


そうそう、あれはひどく腹を立てた日の女の噺だったわね。






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