第7話 刺激的な出逢い

思っていたよりも多くのお客さんが来てくれていて俺は嬉しさと安堵あんどの表情で椅子に座っている。

周りはまだまだ長蛇ちょうだの列だがこちらは人の波も落ち着いてきてほっと胸をで下ろした。

このままなら何事もなくイベントは成功で幕を閉じることができるだろう。

俺は長机ながづくえに手を置きながら先ほど担当にもらったペットボトルのお茶を口に含んだ。

その時、突然賑わっていた会場が静寂せいじゃくに包まれた。

なんだろうと思っているとふと俺の頭上ずじょうから影がさしこみ、目の前に人が立っていることがわかった。

お客さんが来たのだと慌てて見上げると

「よ!物書き!頑張ってるか?」

ニカッと笑う美しい男性に、俺は目を丸くしてから思わず大きな声を上げる。

酒呑さけのみさん!?あ!皆さんもご一緒で!来てくれたんですか?」

予期よきせぬ嬉しい訪問に声をはずませる。

「もちろん来たよー!物書きくんのハレの大舞台だよ?応援しにくるのは当たり前だよー!」

「お邪魔にならないようにひかえていたのですが、どうしても酒呑くんとタマさんが声をかけに行くと言ってきかなくて。すみません、お邪魔ではなかったですか?」

ニコニコとしながらはしゃぐタマさんと申し訳無さそうに微笑むヤギカガチさんが酒呑さんの後ろから顔をのぞかせる。

「邪魔だなんて!全然!皆さんが来てくださって嬉しいです!」

「物書きさん、おめでとうございます。初のサイン会だとうかがいました。どうでしたか?」

女将さんが一番後ろからこちらに近づきながら声をかけてくれる。

「どうにか成功でした!まだまだ周りの人気作家と肩を並べるのは早いと思いましたけど。お客さんも思っていたよりもたくさん来てくれて!」

俺の言葉をかすことなく聞いてくれる女将さんとヤギカガチさん、自分のことのように喜んでくれている酒呑さんとタマさん。

初めてお店ではないところで女将さんたちに会ったので無意識に声が弾んでしまう。

自分のためにここまで来てくれたことが嬉しくてたまらない。

女将さんたちを目の前にして年甲斐としがいもなくはしゃいでいる自分がいる。

そして改めてこの人たちの美しさを再認識させられた。

彼らが来た瞬間の静寂が全てを物語っていた。

今でこそ賑わいを取り戻した会場内だが周囲の目は完全に彼らに向いている。

所々で聞こえてくるのは彼らへの黄色い声だ。

俺は背景の一部になってしまっているようだが別にかまうことはない。

むしろ彼らと友人としていられることが誇らしくて声をかけて自慢の一つもしたくなってしまう。

もちろんそんなことは出来はしないので思考を目の前の彼らに移す。

その時、ふと疑問に思ったことを思い出し、女将さんにたずねてみた。

「そういえばさっき初のサイン会だとうかがったって言ってましたけど誰に」

聞いたんですか?という言葉は掻き消された。

「私にですよ、先生。」

俺の担当が悠然ゆうぜんと歩いてくる。

あぁ、なるほどと納得し、おかえりと声をかけようとしたところで彼は言葉を続ける。

「先ほどこちらに戻ってくるときにこの方々をお見かけして。あまりの美しさだったので先生の近くで客寄きゃくよせパンダになってもらおうと声をかけたのですが」

「何してんの!?」

「知り合いだったようなので好都合こうつごうと思いそのままここまでご案内しました」

「何を平然と言い放ってるの!?人様を勝手に客寄せパンダにしないの!!」

こんなことを注意したのは初めてだ。

「え?なにかまずいことしました?」

「常識わからず屋か!」

心底わからないという表情の担当に俺は困り顔のまま言い放つ。

心外ですと言わんばかりの不服そうな顔をする担当を横目に、俺は酒吞さんたちに顔を戻す。

そんな俺たちのやりとりを見ながらまるで漫才でも見てるみたいだと酒吞さんは大笑いしているし、タマさんは楽しそうだ。

俺が申し訳無さそうにしているとヤギカガチさんと女将さんは優しく微笑みながら、こちらに気にしないでと声をかけてくれる。

救いなのは彼らが全然怒っていないことだ。

「俺の担当がすみませんでした」

関係者として、しっかりと責任をもって頭を下げると酒呑さんもタマさんも笑って首を横に振っていた。

「全然!気にするなよ物書き!客寄せパンダでもなんでも俺は構いやしねぇよ!」

「うんうん!物書きくんのためになるなら踊りの一つでも踊ってもいいよー!」

「……それだと物書きさんが逆に悪目立わるめだちしませんか?」

はしゃぐタマさんに対して冷静にヤギカガチさんがいさめる。

「物書きさん、この人たちのことは気にしないでくださいね」

女将さんがいつもと変わらない微笑みを浮かべている。

まるでいつもの女将さんのお店にいるみたいな心地になって少し気持ちが高揚こうようする。

静かに俺の隣に立っていた担当が、不思議そうにこちらに目を向けて問う。

「先ほどから疑問に思っていたのですがその物書きっていうのはなんですか?」

「あぁ、俺のあだ名だよ」

「なるほど。変わったあだ名ですね。犬にイヌ、猫にネコ、人間に人間って呼んでるようで」

「私が物書きさんと呼ぶのはこの方だけですよ?物書きさんは物書きさんだけです。他の作家さんをそう呼ぶ気は毛頭ありませんので」

少しひりついた空気が走る。

先ほどまでと変わらず微笑む女将さんは口調も声音も変わらないがその言葉はどこか強く重く感じた。

まるで何か大事なものを侮辱された時のように、そこには少しの怒りさえ滲んでみえたのは俺の気のせいだろうか。

担当は少し考え込む仕草をしてからすっと軽く頭を下げた。

「これは失礼なことを言いましたね。申し訳ありません。そんなつもりはありませんでしたが人の感性を否定するような物言いはするべきではありませんでしたね」

「いえ、こちらこそ良くない言い方を」

二人のやりとりに水を差す気はないので声に出さなかったが、担当はまず客寄せパンダや好都合という失礼発言の数々を謝るべきでは?と思わずにはいられなかった。

俺の諫めるような視線に気づいたのか担当はこちらに顔を向ける。

そしてしばしじっと俺を見てからそっと俺に耳打ちをする。

「先生。もしや、この方々が刺激的な出逢いの?」

突然言い当てられて俺は面を食らってしまう。

そして少しの逡巡しゅんじゅんの後、どこか照れくさいのを抑えておずおずと頷く。

「こちらは俺の行きつけの小料理屋の女将さんとそこでいつも一緒に食事をしている方々で……皆さん俺の友人……です」

なんだかすごく照れくさい。

なにこれ、人前でこんなに恥ずかしいこともないと思う。

いい年齢したおじさんがはにかむ姿なんて尻こそばゆくて落ち着かない。

次の言葉がなかなか出てこない。

誰か何か反応してくれと思いながら恥ずかしくて皆の姿を見ることができない。


「物書きさんのお友達の女将です」


女将さんの美しく晴れやかな声がして顔を上げると女将さんが優しく微笑んでいた。

「俺は酒呑って呼ばれてる。物書きの飲み友達だ」

酒呑さんが座ってる俺の頭に手を乗せてくしゃりと撫でながら笑う。

「物書きくんをだーいすきなタマだよ!物書きくんとは友達以上の関係になりたいと思ってるよー!」

タマさんの明るい声に冗談だとわかりつつ動揺してしまう。

「そんな冗談言ってるとまた女将さんに怒られますよ?まったく……私はヤギカガチ。物書きさんとは仲良くさせていただいてます」

タマさんを諫めながらも穏やかな笑みでヤギカガチさんが会釈えしゃくする。

「こっちはずっと俺の担当編集者としていつも面倒をみてくれている家司けしくんです」

改めて俺の担当を紹介すると彼はわざとらしく驚いた声を上げる。

「おや?私の名前覚えてくれてたんですか?全然呼んでくれなかったので忘れてしまったのかと」

「覚えてるよ!!」

長い付き合いの中でお互いを名字や名前で呼び合う機会も少なくなっていたとはいえ忘れることはないだろう。

「けし?どう書くんだ?花の芥子けしか?」

酒吞さんが興味深そうに聞く問いに家司くんが答える。

「家をつかさどると書いて家司です。小説家のかって家って書くじゃないですか。だから天職かなって」

「君は俺を司ってるんだね。まぁ、間違いではないかもだけど」

「納得しないでください。冗談なんですから」

また和やかな雰囲気が満ちた頃、それは女性の甲高い声によって破られた。

「あ、みぃつけたぁ!家司さぁん!とせんせぇ!」

突然後ろから飛びつかれて体勢を崩した。

驚いて慌てて振り返れば可愛らしい女性が俺の腕にしがみついていた。

「え?あっ……と君は」

確か、と言葉を紡ごうとした時、急に空気が冷たくなるのを感じた。

その言葉の続きが出ないまま柔らかい声音だというのにとてもてついた声が降ってくる。


「物書きさん?その方はどちらかしら?」


女将さんの声に何故か姿勢がぴんと正される。

「えっと、はい……この人は確か」

俺が女将さんの空気に呑まれてたどたどしく答えようと言葉を紡ぐ。

「私の担当している新人です。私は期間限定でもこんな小娘を押し付けられて困ってるんですけどね」

俺の担当はベリッと俺から彼女を引き剥がしながらあからさまに面倒くさそうに言い捨てた。

俺が彼女から解放されるとしゃんと立っている女将さんが深い笑みのまま声をかけてくる。

「物書きさん、仲がよろしいのですか?」

口調も声音も穏やかだというのに凍てつきひりついて感じる。

「いえ、数える程度しかあったことないですよ」

まるで尋問にでもあっているようだ。

「じゃあ、どうしてこの小娘は物書きさんの腕にしなだれかかったりなさったのでしょう」

思ってもみない言葉が飛び出して何故か焦ってしまう。

そんな俺の様子を見て女将さんの目元がぴくりと揺れた気がした。

「しなだれ!?しなだれかかられる意味もわかりませんし、ただ転んだだけでしょう?」

俺は正直に答える。

この尋問に嘘は不要だ。

正直に言って俺からは彼女が転んだか何かしてわらをも掴むつもりで俺の腕を掴んだようにしか思えなかった。

俺が本当に何がなんだかわからないといった表情で女将さんを見ると満足そうに女将さんは笑って言った。

「ふふ、それならいいんです。でも周りに人がたくさんいらっしゃるし変な誤解をされても困るでしょう?小説家も人気商売でしょう?」

「確かにそうですね。彼女は新人で将来も有望ですしスキャンダルは避けた方がいいですしね」

俺は素直に頷いた。

「小娘とはあまり関わらないほうがいいですね。物書きさんが小娘を彼女と呼ぶのも気になります」

「え?そ……そうですか?わかりました。気をつけます。俺がスキャンダルの相手になるとは到底思えませんが念には念を入れた方がいいですしね」

自分ではあまり意識していなかったが人から見て気になると言うならそうなのだろう。

俺はそれにも逆らうことなく従った。

「はい、そうしてください」

女将さんがニコリと微笑めば先ほどまでの冷え切っていた空気が消えて暖かな空気が戻ってくる。

女将さんをはじめ皆さんの顔がゆっくりといつもの穏やかで楽しそうなものに戻っていく。

「あの小娘のこと知らないけど小説家なのー?」

「あ、はい。期待の新人でもう書籍化もしている最近話題の人気作家なんです。っていうか小娘で浸透しちゃってますけど……かの……コホン、この人はしきみさんです」

「親の七光りですよ。この小娘の親が有名人なんです」

家司くんが、ふんと鼻を鳴らしながら言い捨てる。

「そんな言い方しなくても。しきみさんは動画配信してみたりSNSを活用してたり頑張ってると思いますけど」

「物書きさん、かばてするのはお止めなさい。得策とくさくじゃありませんよ」

「ヤギカガチさんまで……庇い立てしているつもりはないんですけど……はい」

ヤギカガチさんの瞳が見たこともないほど細められていて俺は唾を呑み込む。

じっと睨まれればまるで蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。

それ以前に女将さんに先ほど関わらないように言われているので素直に引き下がることにした。

先ほどから時折感じる女将さんや皆さんの冷たい空気について考える。

そんなに嫌な場面を見せただろうか。

でも確かに人前で男女が近すぎるのは不埒ふらちなものに見えたかもしれない。

そして新人だから気にかけているだけなのだが一度そういう目で見てしまえば俺が庇い立てしてるように見えるかもしれない。

その姿は不当な理由で贔屓ひいきをしているように映るかもしれない。

俺は改めて反省した。

俺は皆さんが来てくれて少々浮かれすぎてしまっていたと思う。

気を引き締めて残り少ないイベントの時間にのぞむことにした。


「あれ!?あそこにいるのってしきみちゃんじゃない!?」

「あ、そうかも!!ってかあそこだけオーラヤバいよね!美人ばっかりじゃん!!」

「見たことないけどモデルとか女優とかなんじゃない!?ヤバい!全く知らない小説家ひとの列だけど並んでみる!?」


一人のお客さんを皮切りに俺の列に次から次へと並びはじめる。

イベントの残り時間が短いこともあってどんどん人がなだれ込んでくる。

俺の担当は満足そうにパンパンと手を軽く叩き、声をかける。

「ほら、皆さん!お客様がいらっしゃいますよ。先生はしっかりお客様の心を掴んでファンにしてくださいね。他の皆様方は客寄せパンダの真髄しんずいをみせてください!しきみさん、あなたは邪魔ですから後ろに下がっていてください」

彼の動きは無駄がなく迅速じんそくだった。

華奢きしゃで可愛らしい女性をぽいっと放るように下げさせて、女将さんや酒呑さんたちを俺の横に立たせてさも関係者のように見せる。

彼を諫めようとか、申し訳ないと謝るとかする間もなく家司くんがお客様を誘導して俺は対応に追われてしまう。

イベントは思ったよりもずっと盛況せいきょうでずっと成功したものになった。







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