揺れてる

これは私がまだ学生の頃の出来事です。

帰り支度じたくをしながら窓の外を見てみると、もう辺りはすっかり真っ暗でした。

普段ならば夕方には校舎こうしゃを出るのですが、その日は部活で遅くなってしまったのです。

友人とはクラスが違ったため、校門前で待ち合わせていたので急いで教室を出て鍵を閉めました。

職員室にネームキーホルダーがついたこの教室の鍵を返さなければいけない。

友人の教室と職員室は階段をはさんで隣なので先に待ち合わせ場所に着いているだろう。

焦る気持ちを隠すこともなく早足で職員室に向かいました。

歩き慣れている廊下ろうかもいつもよりずっと暗くてなんだかすごく不気味ぶきみに感じていたのを覚えています。

ただ今から思えば、遅いと言ってもまだ夜の7時過ぎの事だったので、夏であればまだ少々の明るさがある時間だったのですけれどね。

その日は冬も近づいてきていて、暗くなるのも早く肌寒はださむさを感じる日でした。

どの教室も電気が消えていて廊下を照らしているのは外から入り込むかすかな電灯の明かりと月明かりだけでした。

私は不気味に思いながらも、薄暗い廊下を足早に通っていたのです。


廊下を進んでいくと少し先に職員室かられる電気の強い明かりが見えました。

友人の教室に明かりがなかったのでやはり待たせてしまっているとわかったことと、その見慣れた明かりに少しほっとしたことで私の歩く速さも無意識に速くなっていました。

職員室は階段を横切ればすぐそこです。

けれど私は鍵を握ったまま、友人の教室の前で歩みを止めました。

階段より先、職員室の前で明かりに照らされた影がゆらりゆらりと動いているのに気づいたからです。

最初は先生か友人が廊下に出ているのだと少しほっとしました。

けれどそれはなにかおかしかったのです。

年齢や性別はわかりませんが子供ではない大人の人影が音もなくただゆらりゆらりと揺れ動いている。

それは両手を上に伸ばしてどこか盆踊ぼんおどりや阿波あわおどりでもしているかのように見えました。

私には気づいていないようでその場でゆらりゆらりと、時にぐらりぐらりとそれは揺れていました。

人気ひとけのない暗い廊下で職員室の明かりだけに照らされて不自然なその人影の動きはまさにようでした。


アレにみつかってはいけない。


瞬間的に私はそう思いました。

助けを求めたくて明かりがついた職員室に目を向けると私は愕然がくぜんとしました。

明るい職員室の窓には影が浮かんでいました。

アレと同じ動きをしている影が。

あの人影は知っている先生だった。

少し堅物かたぶつ真面目まじめな先生だ。

アレを見ておかしくなってしまった。

私の直感ちょっかんは間違っていなかった。


アレにみつかってはいけない。


私は迷いました。

私の教室に戻るにはアレに背を向けなければいけない。

校舎から出るには階段を降りなければならないのでアレに近づくことになる。

アレから視線をらすこともアレに少しでも近づくことも恐ろしかった。

私は迷ってしまってそのまま少しの間動けないでいました。

どちらも怖かった私は数歩、アレから目を離さないまま後ろにさがりました。

その時、強く握りしめていた鍵がネームキーホルダーとこすれてチャリンと音を立てました。

微かなその音が静かすぎる廊下にはうるさいほど大きく響きました。

その人影がピタリと止まりました。


アレにみつかるっ!!


私は息を呑みました。

その瞬間、強い衝撃が走り、私は大きく体勢たいせいくずしました。

腕をつかまれ羽交はがめにされていて身動みうごきが取れず口はふさがれて声も出せませんでした。

咄嗟とっさつむってしまった目を恐る恐る開きました。

その時、私の目の前には横開きのドアがありそのすきから廊下が見えていることに気づきました。

目だけで辺りを確認するとそこは教室でした。

私が落ち着いたことを確認して口を塞いでいた手を離したのは私の友人でした。

私と友人は声を出さず目を合わせて目だけで会話をしていました。

全くわからないアレの存在ととりあえず教室の奥に隠れていること。

極限状態きょくげんじょうたいの私たちはいつもよりかんえているようで目の前の友人が何を言いたいのか手に取るようにわかりました。

教室の奥で机の影にしゃがみ込み隠れているとドアの隙間からぐらりぐらりと動く影が通り過ぎていきました。

先ほどまで私がいた場所の辺りをぐらりぐらりと揺れながらうそうそと回っている。

私は気づかれないように息をひそめてその様子をうかがっていました。

どのくらいの間そうしていただろう。

突然恐ろしく不気味に過ぎていく静寂を破る足音がしました。

教室の前にいるアレに向かっていくように足音はだんだん大きくなってきます。

私が入ってきたドアとは反対側のドアはピタリと閉められていた。

私はドアの窓に目だけを向けて足音の正体を探りました。

スマホを見ている生徒がアレに向かって歩いてきました。

スマホに集中しているようでアレに近づいていることに気づいていないようでした。

廊下も教室も暗くてその生徒の顔をはっきりとはとらえることはできませんでした。

私にはぼんやりと輪郭りんかくがわかる程度の影にしか見えません。

けれどおそらく私と同じように職員室に鍵を返そうとここまで来たのだろうということは想像がつきました。

もしアレを見てしまったら、捕まってしまったら先生のようになってしまうかもしれない。

私はそう思いましたが友人のようには飛び出して助けることはできませんでした。

すぐ隣にいる友人も動く様子は見えません。

私たちはただその光景を見つめていることしかできませんでした。

アレがぐらりぐらりと揺れ動きその生徒はスマホから目を離し目の前の異形いぎょうに気づいたようでした。

けれど時すでに遅し。

アレはおそろしく速い動きで生徒に近づき、アレの影と生徒の影が一つになりました。

アレの影は私の教室の方向へ向かって廊下を進んでいきました。

ぐらりぐらりと揺れながら。

すると生徒の影もまたそれを追うように廊下を進んでいきました。

アレと同じように両手を上に伸ばして踊りでも踊るようにぐらりぐらりと揺れながら。

教室の前は私が通ってきたときと同じように誰もいない静かな廊下に戻りました。

友人がほっとして立ち上がろうとしました。

私はその腕を掴み立ち上がるのを押さえました。

私は見ていたからです。

その時また一つ影が通り過ぎていきました。

アレと同じ動きをする先生の影がぐらりぐらりと揺れながら。


その後、私たちは駅近くのコンビニにいました。

無我夢中むがむちゅうでどうやって来たのかはよく覚えていませんでした。

職員室に鍵を返した覚えもありませんでした。

おそらく友人の教室に置いてきてしまったのでしょう。

けれど私たちはまた校舎に戻る気にはなれず、そのまま家に帰りました。

翌日、あの先生と一人の生徒が精神を壊してしまったと噂で聞きました。

なぜかはわからないとみんな口々に言っていましたが私たちはわかっていました。

アレに捕まったからだと。

けれど関わりたくありません。

私たちはあれから二度とその時のことを口にすることはなく、またあれから夜に学校に残ることもありませんでした。

アレが何だったのかはわかりませんし、わかりたくもありません。

わかることは一つだけ。


アレにみつかってはいけない。

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