第9話 胸の内は読めない

「これは美しい月のものの語るツキモノガタリ」

女将さんがそう言葉にしたところで俺のつばみ込む音が響いた。

「なんだか不思議な話ですけど……その男は何か悪いことをしたんでしょうね」

俺がそう言うと女将さんはいつもと変わらない笑みでうなずいた。

「きっと……そうだったんでしょうね」

その笑みは深く、空恐そらおそろしくもあった。

「こんなことを言うのは失礼なことかもしれませんけど……美しい女性ってなんだか少し言いしれない恐ろしさがありますよね」

女将さんをみつめながら俺がそう呟く。

俺と女将さんの視線が重なった瞬間。


「私の話してたのぉ?」


突然明るい声がして振り向くと、そこにはニコニコと笑っているタマさんが立っていた。

「タマさん!?」

「またあなたは……はぁ」

驚く俺とあきれたようにため息をく女将さんを、タマさんは三日月よりも細い瞳でにこやかにみつめる。

そして俺たちの様子などまったく意にも介さず言葉を続けた。

「美しい女って私の話じゃないのぉ?そんなに私って恐ろしいかなぁ?」

俺が先ほど言った言葉を聞いていたらしくタマさんはニコニコとしながら近づいてくる。

まるでけものに狙われた獲物のように俺はたじろぐ。

その姿を見ながら女将さんとタマさんは笑みを深くしていた。

「えぇ、そうですよ。あなたの話をしていました」

女将さんがそう言うとタマさんは満足そうにする。

タマさんの話はしていなかったと思ったのだが、満足気なタマさんの姿を見て口には出さなかった。

「物書きさん、猫には気をつけてくださいね。猫は七代ななだいたたると言いますから」

女将さんが深い笑みのままタマさんと俺を交互こうごに見てそう言った。

「物書きくーん、このまま外にいると風邪ひいちゃうよー」

あったかいところに戻ろう?とタマさんが俺の腕を引きながら部屋の方へとうながす。

俺は素直に頷くと、タマさんはにこにことしながらぴょんと跳ねるように一足先に部屋に入っていった。

そして俺は女将さんの方を振り返る。

女将さんは美しくそこに立っていた。

その後ろには夜空が広がっていて月が美しく輝いていた。

その光景をみつめながら思わずぽつりと言葉がれる。

「女将さん、月が綺麗ですね」

俺が真っ直ぐに女将さんをみつめながらそう呟く。女将さんはしばしきょとんした後、目をぱちぱちと瞬かせてから突然、顔を赤らめてしまった。

女将さんは珍しく動揺しているようで口をぱくぱくとさせる。

「え?物書きさん?……えっと……それはっ……」

その時大きくひんやりとした風が頬を打つ。

俺は、女将さんがタマさんの言う通り風邪をひいてはいけないと思い声をかける。

「本当に少し肌寒くなってきましたね。部屋戻りましょう」

俺が女将さんに向かって手を差し出すと、女将さんは困ったようにぽつりとつぶやいた。

「……私は今ちょっと熱いです」

けれど、その女将さんの声はか細く俺にはうまく聞き取ることができなかった。


「あれれぇ?女将さん顔が赤いけどぉ本当に風邪ひいちゃったのぉ?」

戻ってきた俺たちを出迎えてくれたタマさんがそうニヤリと悪戯めいた笑みを浮かべて言う。

「物書きさん、キッチンをお借りしても?」

「え?あ、はい。どうぞ。使えたら冷蔵庫の中の物も好きに使ってください」

女将さんはありがとうございます、とにこやかに微笑むとタマさんの声を無視してそのままキッチンの方へと向かっていってしまった。

「本当に何かあったのぉ?物書きくぅん」

いつものようにしなだれかかるタマさんに、俺は少しうつむいて一呼吸ひとこきゅうついてから微笑みかけて答えた。

「なんでもないですよ」

ふぅん?とタマさんがまだ納得していない様子で俺とキッチンを交互に見る。

タマさんは何かを思い返すように眉をひそめながら、うーんとうなる。

それから何かに気づいたように、はっと目を見開き俺をじっとみつめる。

俺はタマさんが何を考えているのかわからず困惑しながらも軽い笑みで彼女を見ていた。

タマさんが俺を見てからキッチンの方へと顔を向けた。

その時のタマさんは困ったような傷ついたような、何かをこらえるような表情を浮かべたように見えた。

そしてタマさんは少しだけ不貞腐ふてくされた顔を見せると、急に俺の手を引いてみんなのいるテーブルの前に二人で座る。

「まぁ……そういうことにしておいてあげるよ。物書きくん」

少しだけかげった表情で俺を見た気がしてタマさんに声をかけようとした時、こちらの様子に気づいた酒呑さけのみさんが笑いながら話しかけてきた。

「ん?どうした?タマも物書きも辛気臭しんきくさい顔して」

「辛気臭くなんてないもん」

酒呑さんの言葉にタマさんは小さな声で反論する。

「すみません、さっきまでタマさんもご機嫌だったんですけど……俺が何か怒らせてしまったみたいでして」

「怒ってない」

間髪入れずに俺の言葉をタマさんが否定する。

「じゃあ……」

俺の困惑している様子を見てか、タマさんは小さく首を横に振った。

「……別に物書きくんが悪いわけじゃないよ」

「えっと……それじゃあ、タマさんは何にそんなに悲しんで……いえ、どうしたらタマさんはいつもみたいに楽しくお酒呑めるでしょうか?」

言葉を選びながらタマさんに声をかけていると酒吞さんがしびれを切らしたように声をあげる。

「あぁ……物書き、もうほっとけほっとけ!どうせなんかしょうもないことで一人不貞腐れてるだけだろ」

「しょうもなくないもん……」

「じゃあ、なんだよ」

「……別に」

ぷいとタマさんは酒吞さんから顔をそらし、酒吞さんは困ったようにため息を吐く。

「基本的にタマさんはかまってちゃんなところありますからね」

「ヤギカガチさんまで……」

俺が少々咎めるようにヤギカガチさんを見るとヤギカガチは肩をすくめて困ったように笑う。

キッチンにいる女将さんと我関われかんせずで酒を呑みながら雑誌に目を落としている家司けしくん以外がタマさんのそば右往左往うおうさおうしている。

少しの間、黙っていたタマさんがおもむろに呟く。

「……物書きくんは……タマのこと……好き?」

「え?それはどういう……」

目を丸くした俺にかまうことなくタマさんは問いかけてくる。

「タマのこと面倒くさいって思う?」

「そんな!思いませんよ!!」

「タマに元気になってほしい?」

「はい、無理に笑顔でいることはありませんが。タマさんが元気なら俺も嬉しいですよ」

彼女の問いかけに、俺は一つ一つ大事に答える。

「ふふ、これからもタマと一緒にお酒呑みたい?」

「はい!もちろんです!でも飲み過ぎは体によくありませんから気をつけて呑みましょうね」

「ふふふ、仕方ないなぁ物書きくんは!一緒にいっぱいお酒呑もう!!」

「だから飲み過ぎはだめですって」

タマさんの体調を気にしながら笑いかける。

何はともあれ、いつもの元気なタマさんに戻って一安心だ。

そう思いながら周りを見れば、俺がベランダに出る前よりも空いた缶や瓶の数がかなり増えていた。

「っていうか皆さんだいぶ呑んでますね!?大丈夫ですか?今日帰れます!?」

慌ててみんなに声をかけると、酒吞さんがサラリと答える。

「え?今日は帰らねえつもりだったけど?」

「ちょっ……っと待ってください!?女性もいるんですよ?泊まりは無理ですよ!!」

俺が驚いて首を横に振っても酒吞さんたちは止まらない。

「俺は男だからいいじゃねーか!」

酒吞さん!

「私も男だからいいですよね?」

ヤギカガチさん……。

「先生、私も帰るの面倒くさいんで泊まりで」

家司くんはもうちょっときぬ着せてほしい。

そしてすぐに俺は彼らの提案を却下する。

「ダメです!女性たちは男の家に泊まれないでしょうし、今日は全員お泊まりなしですよ!?」

俺のその言葉に、家司くんがわざとらしく盛大なため息を吐いて言う。

「先生は口開けば女、女って」

「ちょっと家司くん!?その言い方は語弊ごへいがあるんじゃないかな!?」

「理想や夢を打ち砕くみたいで申し訳ありませんが、女だってもこくしくそもするんですよ?」

「家司くんは何を言ってるの!?」

俺と家司くんの会話を聞いていたヤギカガチさんがふふ、と微笑む。

「物書きさん、女性だからってか弱いとは限らないということですよ」

「まぁ、物書きよりはタマや女将さんの方が強いだろうからな。不埒ふらちな奴が来ても物書きは守ってもらえるぞ」

「それは心強いですね、ってそうじゃなくてっ!」

「物書きさんは一人暮らしですよね。布団は足りますか?なければ私はソファでもいいんですけど」

「皆さん、歯ブラシはこちらにありますよ。先生、これ使ってもいいですよね」

あぁ、長い付き合いの担当がこの家を熟知じゅくちしてしまっている。

俺の家の中を放題ほうだい動き回る彼らを追いかけつかまえてリビングに連れ戻す。

なんだかここで酒を呑むことに決まったときのようなデジャヴ感がある。

そんな疲れがこの先の展開を示唆しさするようだった。

「待て待て待て待て待ってください!!全員ここに座って!まったく、ちょっとは家主やぬしの意見も聞いてくださいよ。俺の家はそんなに広くないんですよ?大の男が二人も三人も寝られるスペースなんてないですし、それにだいたいこういう流れになるとっ」

「やったぁ!!物書きくんの家にお泊まりだぁ!!私は女とかぁ、そういうの全然気にしないから大丈夫!」

タマさんが楽しそうにぴょんぴょんと跳ねる。

「ほら!こういうことをタマさんが言い始める!タマさん、俺が何も大丈夫じゃないんですよ!?」

「皆さんでお泊まりなんて初めてですね」

ずっとキッチンにいた女将さんもクスクスと笑いながら話に加わった。

ふんわりと腹を刺激する美味しそうな匂いをまとわせて。

俺はもうすでに、おそらくみんな今日は帰らないだろうとあきらめ始めていた。

「女将さんまでっ!!まったく皆さんも悪ノリが」


〜♪〜♫〜♬〜


突然鳴り出した音楽に俺は驚き言葉を言い切ることができなかった。

その場にいた全員が一瞬動きを止め、音の出処でどころを探る。

それは椅子にかけられた家司くんの上着からのようだ。

「家司くんのスマホが鳴ってるみたいだよ?」

「そのようですね。すみません、上着取ってもらえますか?」

一番椅子の近くにいた俺が上着をさしだしながら何気なく問いかけた。

「はい、誰から?」

俺の質問に家司くんがスマホの画面を確認すると盛大な舌打ちをする。

「……ちっ!!あの小娘……何なんですか一体」

彼は忌々いまいましそうにスマホの画面をにらみつけてから、仕方なさそうに電話に出た。

「なにか?」

家司くんは顔が見えていないことをいいことにひどく顔をゆがませている。

しかしあからさまに面倒くさそうな声のせいでどんな顔しながら話してるか、たぶん電話先のしきみさんに全て物語ってしまっていると思う。

電話口から離れた場所にいる俺にはしきみさんが何を話しているかまでは聞き取れない。

けれど時折聞こえてくるのは女性の高く甘えるような声とガヤガヤとした雑踏ざっとうの音。

そして鮮明に聞こえてくる家司くんの舌打ちとしきみさんを突き放すような言葉の数々。

「は?嫌ですよ」

「〜〜〜ぇ!〜〜」

「嫌ですってば、ご自身でどうにかしなさい」

「〜〜ぃ〜!」

家司くんたちが何を話しているのか気になり、無意識に電話している彼をみつめる。

「家司さぁ~ん、おねがぁい!迎えに来てくださいよぉ〜」

小声だが鮮明に聞こえてきた女性の高く甘えるような声音に俺は弾かれるように振り返る。

そこにはタマさんが悪戯めいた笑みで立っていた。

「タマさんでしたか。しきみさんの真似ですか?」

「気になってたみたいだからさ、何言ってるのか教えてあげようと思って」

「え?本当にしきみさんがそう言ってるんですか?わかるんですか?」

「うん、私は耳はいいから聞こえるんだ!」

「すごいですね!ふふ、それじゃあ、タマさんの傍では内緒事はできませんね」

「……そうだよ。……だから気をつけてよね、物書きくん」

タマさんが困ったように笑った気がした。

俺が何か声をかけようとした瞬間、さえぎられた。

また高い声音の甘えるような声に。

しきみさんの真似なのだろうが俺にはまるで違って聞こえた。

電話口の相手を俺はよく知っているわけではないがやはり目の前の女性の声の方が耳に馴染む。

その声は軽やかで美しいものだ。

まるで転がした鈴の音ように。

俺はそんなことをふと思っていた。


「だってぇ、わたしぃ一人じゃぁ帰れないぃ」

「は?知りませんよ」

タマさんの言葉に家司くんが返答する。

正確には家司くんにはタマさんの声は聞こえていない。

電話越しのしきみさんと会話しているだけなのだがこちらからだとまるでタマさんと家司くんが会話しているかのように見える。

「道に迷っちゃいますよぉ」

「ググりなさい。ルートでもなんでもでてきます」

「もう〜夜なんですよぉ」

「だから?」

「怖くてぇ、帰れませんよぉ!」

「知ったこっちゃありませんよ」

「私顔出ししてる人気小説家なんですよぉ!迎えにきてくださいぃ!」

「お断りします」

俺たちの近くで小声で話すタマさんの声を聞いていたヤギカガチさんが更に近づいてくる。

「自分で人気小説家って言うあたりあの小娘さんとやらもつらかわあついですね」

「ヤギカガチさんはしきみさんが苦手ですか?」

頭に軽い重みを感じてふと後ろを見れば酒吞さんが俺の頭に手をのせて立っていた。

「得意なやつはこの場にいないだろ」

「酒吞さんまで」

俺はため息まじりに苦笑いを浮かべた。

酒吞さんはさも当然といった表情で言葉を続ける。

「今ここにいるのはおまえを好きな奴ばっかりだからな。俺を含めて」

「……っ!?……えっ?……あ、はい。……ありがとうございます」

酒吞さんに急にそう言われ、俺は驚いてすぐに反応できなかった。

俺は言葉を脳内で反芻はんすうさせて思わず照れてしまう。

なによりもその言葉がとても嬉しくて笑顔が溢れ出してしまう。

満足そうに笑う酒吞さんに頭をでられ幼子おさなごに戻ったようで、なんだかくすぐったい。

ヤギカガチさんとタマさんも微笑ましそうにこちらをみつめている。

肩を軽くつつかれて、そちらを見れば女将さんが優しい微笑みで立っていた。

俺はただみんなといることの幸せにひたっていた。

しきみさんと家司くんの会話など背景の一部になってしまうほどに。

それまでの何気ない会話など記憶の片隅へと追いやってしまうほどに。

だからその時もこの先も、酒吞さんが言ったその言葉の意味を考えることはなかった。

何故、俺を好きな人だとしきみさんのことを嫌うのか、ということを。






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