第10.5話 月がきれい

物書きくん、君に答えを教えたのは私なんだよ。

あの品書きに隠された答えを。


あの時、最初に君と話したときはただのおもしろそうな人間だなと思っていただけだったんだ。

でも君は思案じあんなんだか、積極的なんだか。

欲がないんだか、欲張りなんだか。

君はとても曖昧あいまいで、とても人間らしくて。

とても優しくて、そしてきっととてももろい。

だから君を守りたくなる。

だから君を見ていたくなる。

だから君にもっとかまってほしくなる。

君こそまるで猫みたいだね。


ねぇ、物書きくんは私を選んではくれないの?


「ねぇ、物書きくんは小説家ってことはさ、物知りなの?」

物語を作る人間は頭がいいイメージがある。

実際、女将さんは頭がいい。

物書きくんは性格もいいけど、女将さんの場合はいい性格してる。

そんなことを思いながら何気なにげなく聞いてみると、物書きくんは少し驚いてから首を横に振った。

「え?いやぁ、普通じゃないでしょうか」

「ふむ。それじゃあ、どれくらい物知りなのか確かめてみよう!」

まるでクイズ番組の司会のように、私は軽く拍手を交えて明るい声で物書きくんに言った。

「確かめる、ですか?」

「はい!それでは今から物書きくんにはあるお題のことわざを答えてもらいます!」

「……はい」

観念したように物書きくんは返事をする。

「1分間で10個答えられたらクリア!お題は猫!」

「10個!?猫ってつくことわざ10個ですか?そんなに思い浮かばないな」

「ではでは、用意スタート!」

物書きくんのつぶやきを無視して始めるとアワアワとして彼が私をみつめる。

私がにゃはは、と笑うと君は困った顔をして笑う。

それから、仕方ないなぁと肩をすくめながら私との遊びにつきあってくれる。

君の声が聞こえる。

君の考える顔を見てる。

君は真面目に考えてる。

そんな君が好きなんだ。

それだけで嬉しくなっちゃうんだ。

でも君は私じゃない人をみつめてる。

「……マさ……ん?」

いとも簡単に私じゃない人に恋を伝える。

「……マさん……?」

君はひどいね、物書きくん。

「タマさん!」

「え?……あぁ、なになにぃ?」

「なにじゃないですよ、ぼんやりとしてましたけど大丈夫ですか?」

「あぁ……ごめん。なんも聞いてなかったぁ……10個言えた?」

「えぇ。でもそんなことはいいんです。タマさん、具合悪くなったんでしょう?ちょっと休みましょうか?」

「え?いやいや!本当に大丈夫!あれれぇ、ちょっと眠くなっちゃったかなぁ?」

「……タマさん、最初にお会いしたときもお酒をたくさんんで顔色悪くなったでしょう?本当に大丈夫ですか?」

「覚えてたんだ」

「もちろん覚えてますよ。大丈夫なら良いですけどせめてゆっくり歩きましょうね」

気遣きづかわしげに物書きくんが私を見る。

物書きくんの目の中に映っているのは私だけだ。

それだけで嬉しくなっちゃうんだ。

今、君は私だけをみつめてる。

私は気分が良くなって元気よく返事をする。

「ふふ、はぁーーい!」

そして、足取りをゆるめて歩く。

隣にいる物書きくんも、私に合わせてゆっくり歩いてくれる。

物書きくんとの夜のお散歩に心をはずませて、月の下ゆっくりとした時間を過ごした。

このまま時間が止まればいいのにね。


「で、どんなことわざ言ってたの?」

「えっと、どれを言ってましたっけ。まず、猫に小判で……」

「うん、メジャーだね!」

「ことわざにメジャーもマイナーもないでしょう。でも、なんとなく言いたいことわかりますよ」

「でしょー?」

「それから、ねこ杓子しゃくしも。あとは……」

物書きくんはつらつらとことわざをあげていく。

それを聞きながら、ふと物書きくんにたずねてみる。

「物書きくんは”猫を一匹殺せば七堂伽藍しちどうがらん建立こんりゅうしたるより功徳くどくあり”ってことわざ知ってる?」

物書きくんがあげた10個にはなかったことわざを聞いてみた。

私はこのことわざが大嫌いだ。

けれどあえて聞いてみることした。

物書きくんは少し考える動作をしてから躊躇ためらいがちに答えた。

「うーん、あまり良く知ってるわけじゃないですけどなんとなく意味はわかります」

「物書きくん……君はこのことわざをどう思う?」

もしもこのことわざを知っているのならば、物書きくんがどんな風に思うのか気になったから。

物書きくんがどんな答えを出すのか聞いてみたくなったから。

もしその答えが私の望むものではなかったとしても君を嫌いになったりはしないけれど。

もし、望む答えじゃなければ安心するよ。

きっとこれ以上は好きにはならないだろうからね。

もし、これ以上好きにならなければ安心するよ。

きっとこれ以上は傷つかないだろうからね。

私はじっと君をみつめた。

君もなにかを探るように私をみつめる。

目と目が交差した時、物書きくんは答えを出した。

「俺はそのことわざ嫌いですね」

いさぎよく真っ直ぐな瞳で言う君に、私は目を丸くした。

君がそんな風に断言するとは思わなかったから。

いいことわざですね、なんて言うとは思ってなかったけれど、苦手ですとかあまり良く思わないですとか曖昧に言葉をにごすと思っていたから。

驚いている私を置き去りに、君はいぶかしそうな顔をして言葉を続けた。

「だってちょっと変じゃないですか?どうして猫にひどいことしたらご利益りやくがあるなんてことになるんですか?」

「猫は魔性ましょうの生き物らしいから」

「だとしても俺、寺とかに特段とくだん詳しいわけじゃないですけど仏教って不殺生ふせっしょうでしょう?その仏様が猫をあやめていいなんて言うはずないと思うんですよね。理屈に合わないじゃないですか」

「そ……それは確かに」

「さっき女将さんも言ってましたけど猫は7だいたたるらしいですよ?」

「うん、7代くらいなら軽く祟るね」

「じゃあ、絶対いいことにはならないじゃないですか。それに祟る祟らない以前に誰かを故意こいに傷つけて、いいことになるわけないです。絶対によくない」

「猫は悪者なら倒せばヒーローかもしれないよ?」

「猫すべてが悪ではないでしょう?たとえ悪だったとしてもまずは話し合いするべきです」

「物書きくんは猫と話すのかい?」

物書きくんは自分の発言に少し照れた顔を浮かべてから自分の意見を真っ直ぐに通す。

「俺はそのことわざは認めません!なにかのあやまりですよ絶対!」

「ねぇ、ことわざに認めるとか認めないとかあるのかい?」

「……ない、かもしれませんが」

「君は猫は好き?」

「はい!好きですよ」

君のその好きという言葉になんの意図いともないとわかっているよ。

けれどその言葉を君に言われるだけで嬉しくなる。

こらえきれない嬉しさがあふす。

照れて思わず笑いがこみ上げて、歓喜の声をあげる。

「んふふ、きゃははは!そうだね!誤りか、そうかもしれない!タマもこのことわざ嫌いなんだよ!」

一緒だねと笑いかけると物書きくんは困ったように笑って言った。

「嫌いなものが一緒なのもいいかもしれませんが、一緒の好きなものもみつけていきましょうね」

これからゆっくりとでも、そう優しく笑いかける君に私は目を奪われる。

思わず足が止まる。

いつも君は驚くようなことを言う。

いつも君は優しい言葉をくれる。

ねぇ、本気になってしまうよ。

君がほしいよ、物書きくん……。

「物書きくん」

立ち止まった私に君が振り返る。

「月がきれいだね……」

風が流れる。

私たちの髪を優しく遊ばせながら柔らかい風が流れていく。

目の前にいる君が瞠目どうもくする。

全ての音が止まっている。

少し離れたところを歩いているみんなの声は雑音ざつおんと一緒に消えてしまう。

私たちはみつめあいながら、今だけは二人だけの時間を同じように一緒に感じている。

君が慌てながら、少しまゆせた。

申し訳無さそうに、困ったように。

だから私は今だけは君を解放してあげるよ。

私の目が三日月よりも細められてきらりと光っていたけれど。

獲物えものを前にしたけものになって、ぺろりと舌なめずりをしたけれど。

今はまだどきじゃないからね。

君ともう少し、楽しく過ごしていたいからね。


「ほら!見て!星もきれいだよぉ!!」

私は物書きくんの腕をひきながら夜空を指さした。

「へ?あ……はい。あはは……そうですね!」

「どーしたのぉ?なんか顔が赤いんじゃない?」

「いえ!別になにも勘違いしたわけではなくて!」

「勘違いってぇ?」

ケラケラと笑いながら聞いてみると物書きくんは慌てふためいている。

もっとたじたじさせたい。

もっと動揺させたい。

私のちょっと悪いくせが出るのを君に嫌われたくなくて必死におさえてる。

「こら、物書きさんをからかわない」

女将さんに後ろから声をかけられた。

棚上げをする女将さんに不満気ふまんげな声をあげる。

「女将さんに言われたくないよぉ、いつも物書きさんをからかってるくせにぃ」

「俺、そんなにからかわれてます?」

物書きくんの問いには答えずに、女将さんは笑みを浮かべながら立っているだけだった。


物書きくんが酒吞さけのみに呼ばれて先を歩いている。

物書きくんをじっとみつめたまま、隣を歩く女将さんに声をかけた。

「ねぇ、女将さん。やっぱり物書きくんがほしい」

女将さんはこちらをちらりと横目で見る。

私は目を合わせることなく物書きくんをみつめたままでいる。

女将さんに心の奥底まで見透みすかされるような瞳でみつめられて、逃げ出したい衝動しょうどうられる。

「そうですか、受けて立ちましょう。正々堂々と」

「怒らないの!?この間ちょーだいって言った時はめっちゃキレてたじゃん!」

「中途半端、遊び半分で私の大事な人に手を出そうとするなら徹底的に排除はいじょすることもさないですけど……今のあなたは違うようですからね」

その言葉に女将さんを見れば、彼女はふんわりと優しく、そして気高けだかい笑みを浮かべていた。

「本気で好きになってしまったなら遠慮えんりょはいりません。奪い合い?上等です。堂々としていなさい」

嫌味なくらい美しくて嫌気が差すくらい完璧で嫌いになれないくらい優しく公平な女だと思う。

私は女将さんの腕に抱きつく。

「女将さんも大好きだよぉ!」

「まったくあなたは、甘え上手でワガママで困った猫さんなんですから」

物書きくんが振り返り私たちを見て笑いかける。


その日は本当にとても月のきれいな夜だったんだ。



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